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22.娘と母

「今回の件で、私が陽介さんに対して怒ることは、一つもありません」

 静かに、落ち着いた声音で花宮栞は言う。

「『私の世界を変えてくれ』と言ったのは、他でもない私ですから。それが暴力とか、力ずくでそうしようというのなら私はそりゃもう、おこですけど、陽介さんはちゃんと、小説を書いてくれた。私の為に……私の世界を変えるために小説を書いてくれた」

 気付けば、花宮栞の目尻から零れる微かな光があった。

 花宮は、泣いていた。

 笑いながら、泣いていた。

「嬉しいです……本当に。こんなに嬉しいことありません」

 微笑を浮かべる花宮に、俺も花宮宗一も言葉が出なかった。それはリアクションに困ったとかそういうことではなくて、単純に見蕩れてしまったのだった。

 その美しい少女の、美しい表情に。

 俺からすればあどけなさすら感じる子供だし、花宮宗一からすれば血の繋がった実の娘である。

 だがそんなことは一切の関係もなく、花宮栞のこの笑顔には、全てを沈黙させる力があった。

 不覚にも俺は、そう思ってしまった。

 のも、束の間。

「ただ、お父さんには私、激おこです」

 そのセリフで今まで漂っていた神聖にも思える空気が一気になりを潜めた。

 花宮宗一も、唖然である。

「もうこの際ですし、私、言っちゃいますから。大好きで大嫌いなお父さんに、私は言います」

「栞、お前……」

 恐らく花宮宗一は、こんな娘の姿は見たことがないのだろう。その証拠に、顔が困惑一色に染まっている。

「喋らないでください。私が喋る時間です」

 凛と、言い放つ。

 花宮宗一は口をつぐむしかなく、俺も口出しをする気はさらさらない。

「お父さん――死んでください」

 無表情に。

「お父さんの気持ちは、痛いほどに分かるんです。大好きだったお母さんを失って、途方に暮れる気持ちは。私だって、同じでしたから」

 花宮は語る。

「でも、お父さんはどうしようもなく、どうしようもありません。忘れたんですか? お母さんがいつも言ってたじゃないですか――」



 ――何があっても笑っていれば必ず幸せになれる。だから笑って生きて行こうね。



「って。それなのに、お父さんは……泣いて、喚いて、物に当たって、私に当たって! 辛い苦しい悲しい寂しい怖い……そんなの私だって一緒だよっ! でも仕方ないんだよ、お母さんは死んじゃったんだから……それは辛いことだけど、でも受け入れなきゃいけない現実なんだから……」

 花宮は。

「すぐには無理でも、いつかはちゃんと受け止めて、受け入れて、進まなきゃいけないんだからさ、ね、お父さん……だからせめて、お母さんが言ってたみたいに、笑って生きて行こうよ」

 花宮は――変わる。

「だから死んでよ、これまでのお父さん……生まれ変わってよ……」

 そして花宮宗一は。

「忘れるわけが、ないだろうが……俺がどれ程アイツを愛していたか……。アイツの言葉は一言一句違わずに覚えてる。でもそれは、ただの言葉だ。アイツが語ってた理想でしかない。人は辛いことや苦しいことや、悔しいことでも、寂しいことでも泣く。ずっと笑って生きるなんて、そんなのは無理なんだよ」

「お父さん」

「……………」

「お父さんはお母さんの何を見てきたの?」

 恐らくその言葉は、花宮宗一の心を貫いた。

 貫いて、砕いた。

 花宮宗一は茫然と虚空を見つめるしか出来ず、恐らくは俺にも、花宮栞にも見えない光景を視ている。

 それは走馬灯の様なのかもしれない。

 花宮宗一が何を視ているのか、それは俺には分からないが、きっとそれは花宮華奈(はなみやかな)――花宮栞の母親にまつわることなのだろう。

 ぽっかり穴の空き、ひび割れた心にそれはまるで水のように注ぎ込まれ、花宮宗一の心を満たしていく。

 やがて一杯になり、それでも余りある潤いが、その男の左目から溢れ出した。

「そう……だったな……」

 何を思い出したのか、椅子に拘束されたままの男は零れる涙を拭うことすら出来ずに、また口を開く。

「アイツは……華奈は……いつも笑ってるやつだった。俺が辛い時も、自分が辛い時も、絶対弱音は吐かないで、ただ微笑んで……、『仕方ないよ、また頑張ろう?』って言って。俺が……辛い思いをさせてることを謝ると、いつも決まって……こう言うんだ……」

 聞いている花宮栞の目からも、いつの間にか雫が零れ落ちていた。

 そして、親子二人の声は重なって、愛する妻の、愛する母の、口癖を紡ぐ。




『私はいつも幸せだよ』




 と。






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