20.出来ない約束と誤描写
「私の名前を気安く呼ぶな」
低めの声が部屋に響く。
俺――庚陽介がどう切り出したらいいかを考えていると、俺より半歩後ろに控えていた花宮栞が、口を開く。
「どうして……お父さんがここに居るの?」
緊張からなのか、花宮栞の声は震えていた。
だがその疑問は全く正しいものだ。
今、一番状況を把握出来ていないのは、ウチの居候であり、目の前の男の娘である、花宮栞本人であることは間違いないのだから。
「どうして? ……栞、お前は知らないのか……?」
若干困惑した表情で、花宮宗一は娘に問いかける。
そう問われたところで本当に何も知らない花宮栞は、こちらも戸惑いながら首を横に振るしかない。
「宗一さん」
そこでようやく今回の主犯、俺が口を開いた。
「気安く呼ぶなと言ったのが、分からなかったのか?」
「俺は、娘さんのことを『花宮』と呼びます。だから、あなたのことは『宗一さん』と呼ばせてください。娘さんを名前で呼ばれるのと、どっちがいいですか?」
俺の脅迫にも似た申し出に、険のある顔の男は。
「ちっ……好きにしろ」
と、妥協してくれたらしい。
「では、宗一さん……今回のことは俺が一人で企て実行したことです。娘さんは何も知らなかった。だからこのことで娘さんに暴力を振るうのはやめていただきたい」
花宮宗一は一瞬俺を睨み付けると重たそうに口を開く。
「そんなことするわけ――」
「言えないでしょう? そんなこと。俺はあなたが今までこの子をどう扱ってきたかを知ってる。どう虐げてきたかを知っている。だから約束してください。この子を虐待しないと、約束してください」
「約束、ね」
急に男は呆れたような目をすると、椅子に拘束されたまま ふんぞり返った。
「出来るわけないだろ、そんなもの」
「なん……だと?」
「当たり前だ。私だって、好き好んで栞を殴ってるんじゃないんだ。というか本当なら私だって殴ったりなんかしたくないさ」
俺は耳を疑った。
どういうことだ、それは。
殴りたくないのに殴っているとでもいうのか?
そんなことがあるのか? 意図するでもなく、罪悪感もなく、自分の娘を虐げるなど、そんな親が存在してもいいのか?
「バカ野郎が、罪悪感だってちゃんとあるんだよ」
「え?」
「言っただろ、好き好んで殴ってるわけじゃない。愛する娘を、私だって出来ることなら殴りたくないんだよっ……」
これはどうしたことだろうか。
俺は、花宮宗一の人物像を、娘を嬉々として虐待する悪人として、イメージしていた。
だから、そういう風に“描いた”のだ。
それなのに何故、今そんな悲しそうな顔をしている。
「宗一さん、あなたは、“読んだ”んですよね?」
その俺の問いに、花宮宗一は再び顔を強ばらせる。
「読んだよ。嫌気が差した、納得出来なかった、アレが俺だなんて、アレが栞だなんて、クソみたいなフィクションだと思った。よくあんな不愉快なもんを書けるな、日向庚介」
「俺は――」
俺が反論しようしたときだった。
「待って……ください。どういうことなんですか? 何があって、どうして今、お父さんがここに居るんです? 教えてください!」
「花宮……分かった。今説明するよ」
意図せずに、一拍置いて。
「俺は小説を書いた。お節介だったかもしれないけれど、お前と宗一さんのことをどうにかしたかったからだ。お前の話を書いた、俺と出会ってからのお前の話だ。抱えている悩みも性格も、なるべくそのままに書いた」
語りながら俺は、花宮の顔を見るのが恐かった。




