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10.体温計と新たな切り口

「風邪、大分よくなりましたね」

 土曜日の朝、同居人である花宮栞がベッドの横で、俺が今しがた測った体温計を見て言う。

 そう。

 同居人になってしまった。

 同居人というか、居候なんだけれども。

 風邪どうこうよりも重大事項である。

 中学の時に一応彼女らしき人は居たけれども、その娘とは高校が別になってしまったので、なんというか、どちらともなく自然消滅してしまった。

 それ以来文学を志し始めた俺は、一切彼女を作ろうなんて考えなかった。

 まあ、出来なかっただけなのかもしれないけど。

 現在の職場は工場で、現場にはほとんど男しかいないし、事務の女の人だって結構年配の既婚者がほとんどだ。

 だから恋愛なんてしようという気も起きなかったし、それにそんなことしている余裕があるなら文章を綴っていたかった。

 で、何が言いたいかというと、だから俺は、若い女の子に慣れていない。

 花宮栞は、出会い方も衝撃的だったし素が変人なので気取らずに話せていたが、同居するとなると、また意識が変わってきてしまうものだ。

「じゃあ、お粥作ってくるので、安静に、作品の構想でも練っていてください」

 そう言って微笑みを一つ残して、花宮は俺の寝室を出ていった。

 はぁ。

 なんか、変な感じだ。

 女子高生に看病されるとか、社会人で独り暮らしだったらそうそうないシチュエーションだろう。

 それこそ妹とか居れば話は別だけど、俺には姉は居ても妹は居ない。

 花宮がここに置いて欲しいと言い出した時俺は、何を言い出すんだこいつは、と思ったが、その理由が理に適っていたので納得せざるを得なかった。

 自分の為に生きると決めた花宮の考えはこうだ。

 最初は自分が死ねば、自分も楽になるし父も一人で生きることを余儀なくされて自律出来るだろう、という一石二鳥の考えだったのだが、よくよく考えれば安全な場所さえあれば生きていたいし、何も死ななくとも父の前から居なくなることは出来る。それには身を寄せる場所が特に重要になるわけだが、なんと都合よく人の手助けが必要な独り暮らしの男が目の前に居た。風邪を引いている彼の看病をする代わりに、家に寝泊まりさせてもらおう。人助けも出来るし、ついでに彼の執筆活動も手伝えれば、これは一石三鳥どころか一石四鳥ではないか。と。

 生きようとするとこれほどに逞しくなるものか、人間とは。

 その“彼”であるところの俺――庚陽介は、そこまで素晴らしい考えを聞いてしまっては断れないし、そもそも彼女を生きる気にさせてしまったのは俺なので、何となく精神的に拒否しづらいというのもある。

 という上記の二つは体面上に立てられた、花宮を匿うことを自分に納得させる為の理由だということを、他でもない俺が知っている。俺だけが知っている。

 本当のところは、俺は、花宮と暮らすのも悪くないと、心のどこかで思い始めてしまっている、らしい。

 いや、これが恋だとは流石に思わないが、こんな気安い女子は俺の人生にはかつて存在しなかったし、ルックスが普通に可愛らしいので見ているだけで多少なりとも癒されるというのはある。

 声もいい。

 花宮栞の声は透明感があり、優しく耳に染み渡るような、そんな声だった。

 だからまあ、花宮をここに置くことは俺としてもメリットだらけなので(看病してもらえるし)拒絶するべき理由なんて、1つしかなかった。

 その1つの理由を脳内会議の議題に上げて、その結果花宮をここに置くことが可決されたわけだが、つまりは懸念事項残しているということだ。

 それはまあ、俺次第ではあるんだけれども……。

 決まったことを悩んでも仕方ないか、と、思考を切り替えて、花宮言われた通り作品の構想に入る。

 次に書く物語。

 仕事をしながら溜め込んでいた構想は幾つかあるが、その中からどれを書こうか、というところである。

 まあ、設定がちゃんと出来ているものは2つしかないし、そのどちらかかなぁと思うけれども……うん、花宮の意見も聞いてみるとするか。

 居候させてあげてるんだから、その分俺の相談にはしっかり乗ってもらわないと。

「うーん、どっちも捨てがたいですねぇ」

 お粥を持ってきた花宮に、以前書いた設定を見比べてもらった。

「いや、別に捨てないから。ただどっちから書くかっていうことだから。俺は、学園ものの方がいいかなと思うんだけど」 

「うーん……」

 なんだろう、花宮にしては歯切れが悪い。

「あの、ちょっと聞いても良いですか?」

「ん、いいけど」

「陽介さん、これって書いてどうするんですか?」

「え?」

 俺はあからさまに怪訝な顔をしてしまった。

 作品の内容を全否定されたと思ってのことだったが、そんな俺の表情を見た花宮は、慌てて付け足す。

「あ、いえ! 決して、『こんなの書いてどうするんですか?』という意味ではなくて、『これを

書いた後、どうするんですか?』という意味です」

「書いた後?」

「はい。陽介さんは、小説家になりたいんですよね? だったら、そういう賞に応募するとか、ネットに投稿するとか、あると思うんですけど……」

 ああ。なるほどなるほど。

「忘れてた」

「……やっぱり、そうでしたか。もー、ダメですよ陽介さん、私に読んでもらって満足しているようでは」

 花宮的には何の気もない台詞だったのだろうけど、俺的には図星過ぎてギクリとしてしまった。

「あー……いや、会社入って1年目? くらいまでは賞に応募したりしてたんだよ。まあ、佳作にも選ばれなかったけど……。でも仕事忙しくなっちゃって、賞とか完全に忘れてた。書くだけ書いて応募はほとんどしてないな」

「な、なんて勿体無いことをしてるんですか!」

 ああ、女子高生に怒られてしまった。

「面白い作品もいっぱいあったのに! まあ、ちょっとこれはどうかな……とか、ん? どういう意味? という感じのも無くはなかったですが、それでも人の目に作品を触れさせることは自分にとってもいい刺激になると思いますよ?」

 いや、忘れてただけで、そういう気は無くはないんだが。

「うーん、では既存の作品は追々賞に応募していくとして、新たに書く物は、ネットで連載する、というのはどうです?」

「へ? 連載?」

「そう、連載です。陽介さんの作品、ここ最近のは短編が多いですよね。前の物では長編もありますが、それでも文庫本1冊くらいの長さです。ですから、今度は連載で、シリーズ物になるくらい書いてみません?」

 シリーズ物……か。

「文庫本であるじゃないですか、同じ設定の登場人物が巻毎に違う事件に遭遇して解決していく、みたいな。それにライトノベルとかもそういう形式ですし」

「んー、そうなると、また1から設定考え直しになるのか……」

「いえ、この設定でいける思います。少し登場人物増やしたりは必要になると思いますけど、設定は面白いのでストーリーさえ展開出来れば全然可能だと思います」

「……………」

「陽介さん、どうしました?」

「お前、すごいな」

 それは率直な感想だった。

「いや、本に詳しいというか、なんか作る側の手順というか、鉄則をわきまえているというか……」

「それは、褒めてもらってなんですけど、私は思ったことをただ言ってるだけで、実際そういったノウハウがあるわけではないですよ? まあ、本を読んでいて、こういう作り方もあるんだなー、とか、自然に作者の意図を汲もうとしちゃう生意気なところはあるんですけど」

 自己嫌悪の呆れ笑いを浮かべる花宮だが、それはそれとして俺としては、非常に有り難い一読者だった。

「花宮の意見に従おう」

「え、いいんですか? そんなにあっさり……」

「ああ、お前が言ってることは的を得ていると思うし、俺もそうした方がいいと思ったからな」

「陽介さんて……たまに素直なんですね」

「うるせえ、いつも素直だよ」

 多分な。

「あ、でもですね」

 と、花宮語ったのは今しがた俺が決断したことの問題点だった。

「ネットで連載するのであれば、なるべく頻度が高く定期的な投稿が望ましいです。その方が人の目に触れる可能性も上がりますし、愛読してくれる読者さんも安心して読めますから。低頻度不定期ではせっかく面白いと思ってくれた読者さんも離れてしまいかねません。……でも陽介さん、風邪が直ったら会社行きますよね? そうしたらまた残業とか増えて、書き続けるのが難しくなってしまうかもしれないですね……」

 俺の問題に真剣に悩んでくれる花宮が、今になって可愛らしく思える。

 俺は困った顔の花宮に少しだけ見とれてしまってから、花宮の不安を払拭してやることにした。

「ああ、それなら大丈夫だ」

「え?」

「俺、会社辞めるから」

 もっともそれは、新たな不安を生んだだけなのかもしれないが。








 

空見彼方です。

作中で更新頻度の話が出てきたので書くわけではないですが、この作品は最低週一の更新を目標に執筆させていただいています。

読んでくださっている皆様、これからもよろしくお願い致します。

ではでは。

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