来訪者と少年
幼女──もとい少女の名は、言乃葉アリス。
この街に住まう町人──というか、現役の女子高生。
異世界だろうと、学校という機関はあるのだな、と少しだけ僕は落胆した。
彼女に両親はいない。いたのかも知れないが、彼女は知らない。
気づいた時には一人だった。
彼女は涙ながらに・・・語ることはなく、そんな重くて暗い話を満面の笑みでするのだった。
非常に反応に困った。僕も笑うべきだっただろうか。
とりあえずは、顔を伏せてやり過ごしておいた。
その後も、アリスは初対面の僕に対してペラペラと、間髪入れず、次々と自分の詳細な情報を喋っていった。
好きな食べ物とか好きな色とか・・・正直どうでもいい情報までわざわざ開示してきた。
それは彼女の全てを知れたのではないかと言ってもいい程の情報量だった。
彼女を構成するものが何なのかを知れた。
──しかし、僕はなんだか腑に落ちなかった。
なんだか肝心な所を抜かしている気がするのだ。
十のうち九を彼女が教えてくれたというならば、僕が知りたいのは十のうち一の方なのだ。
意図的に、その残りのプロフィールを伏せているようだった。
「──っと、これぐらいか。どう?これでアリスが何者かは分かったでしょ?」
と、自信満々に語るアリスだったが、僕はすかさず反論した。
「いや・・・。僕が知りたいのは、好きな色が山吹色とか、好きなお菓子はチョコレートとか、もう成長期は終わってるとか、風呂には必ず食前に入るとか・・・じゃないんだよ」
「うーん。まだ言ってないことと言ったら・・・。スリーサイズぐらいだと思うけど・・・知りたいの?」
「違う!」
そう言い切ったものの、知りたい気持ちが無い訳ではなかった。いろいろ喋っててもさっきから胸にしか目がいかない。
・・・無意識にこんな事を考えてしまう僕は、実のところ変態の才能があるのではないかと、自分が少し怖くなる。
「僕は、君の人間的な行動や習慣を知りたいんじゃない。君とは何者か。──言乃葉アリスは、人なのかそうじゃないかということが知りたいんだ」
異世界での様々な可能性を考慮してみると、アリスが化け狐とか化け猫である事が無いとは言い切れない。
悪魔や亡霊が、ロリ巨乳高校生の体を乗っ取って、言乃葉アリスという人物を作り上げている事も考えられる。
何せここは異世界だ。僕の常識は、世界の常識は、通用しない。
どんな非道徳だって、語り継がれる英雄譚になり得るのだ。
「ふふ・・・面白いこと言うね。アリスが人間じゃないとでも?」
表情が変わった・・・。人を嘲るような挑発的な笑顔だ。
「──申し訳ないけど、アリスは人間だよ。あいにく擬態するスキルも持ち合わせていないし」
アリスはあっさり否定する。
しかしそれだと・・・。
「それじゃ、僕を担いで空を飛んだことの説明がつかないじゃないか。僕の知る限りそんな人間はいな・・・」
いない。そんな人間はいない。
──それは僕のいた世界での話だ。
しまった。
僕は大きな事を見過ごしていた。異世界で起こりうる可能性を全て見い出せたつもりでいた。
しかし、そんなことは無かった。
僕の思うところの”人間”と”それ以外”、この世界での”人間”と”それ以外”──それは同じようで、実のところ全くもってかけ離れた存在なのかもしれない。
ここでは人間が空を飛ぶのだって、素早く空中を舞うことだって、当たり前なのかもしれない。
僕はそれを見過ごしていた。
目の前の言乃葉アリスが人間であるかどうか──ではなく、この世界で”人間”とはどのように定義されているのかを、まず考えるべきだったのだ。
「・・・まるで違う世界から来たかのような言いぶりだね。空を飛ぶスキルを持って産まれた人なら誰でも空を飛べるんだし、当たり前の事だと思うんだけど・・・」
なかなか鋭い発言だった。アリスは不思議な発言をするこの男を、不安そうな目で見つめていた。
「人間が空を飛ぶのは──当たり前のことなのか?」
「そりゃそうだよ。空を飛ぶスキル──厳密に言えば《超躍》のスキル──を持っている人達は別に少数派でもないし。見かけても別に不思議には思わない」
「はぁ・・・」
街の上を、空を人間が飛び交っている──僕から言わせれば、かなり滑稽でならない。
しかしそれは、こちらではそれが何気ない風景なのだ。
「──もしかして、本当に違う世界から来たとかなの? ・・・まさかそんなことは無いとは思うけどさ」
「・・・別世界から人がやってくるなんてのは──これも当たり前のことなのか?」
「・・・いや。それは当たり前じゃない」
「そうか」
「ただ、有り得ないわけでもないよ。現に二十年前に異世界の存在は観測されているし・・・別世界の存在を否定しているわけじゃない。こっちからあっちに移動する手段はないけれど、もしかしたらあっちからこっちに移動できる手段はあるのかもしれない。けれど──そんな前例はないよ」
異世界の存在は観測出来ている──という事には非常に驚いた。こっちの方がそういう面で発達している様子が見受けられた。
けれども移動する術が無い。単なる偶然なのかもしれないが、あんな簡単なおまじないで異世界へと移動できた僕のいた世界は、そういう面では一枚上なのかもしれない。
とりあえず、異世界側の人間に立って考えてみると、まず別世界から人間がやってくるなんてことは絶対に有り得ないし、到底そんな事信じられやしないのだ。
いいや、別にこれは僕のいた世界でも同じか。いきなり『僕は別の世界からやってきた人間なんだ』と言ったところで、僕は痛いやつだと思い、彼を見捨てるだろう。
──だがしかし、僕は嘘をつけなかった。
それこそ、そんな嘘をつく必要が無い。
僕に異世界に元々いた人間の振りを出来る気はしない。気持ちがもたない。
『真実』を語る他に、道はなかった。
「信じてもらえなくても構わない。聞いてくれ。君の言う通り──僕は、君の言う別世界からやって来た人間だ」
・・・しばらく沈黙が流れた。
アリスは目をぱちくりとさせて・・・僕のことをじっと見つめてきた。
僕はやっぱり信じてもらえていないかと思った。
しかし、彼女はそんな僕の予想を大きく裏切る。
突然──ガバッと、アリスは僕の胸に飛び込んできた。
「本当に!? マジで!? そんなことって本当にあるんだ! だったら教えてよ! あっちの世界はどんな感じなの? 学校は? 食べ物は? ゲームは??」
・・・物凄い勢いだった。
そして、僕の心配が馬鹿馬鹿しく思えるほど、アリスは僕の話を信じきっていた。興味津々だった。
一切疑う素振りを見せなかった。
なんて純粋な女の子なんだ・・・。
何の証拠も無しに、『可能性が無い訳ではない』程度の話を、しかも会ったばかりの僕からのその話を、信じてしまうだなんて・・・。
なんだか心配になってきた。
「え・・・あの・・・」
「お願い、教えて! あっちの世界のこと知りたいの!」
「それは良いんだけど・・・。とりあえず僕の上から下りて、くれないか?」
僕も油断していた。
アリスは案外、僕くらいの男なら押し倒すくらいの力はあったという事だ。
僕はアリスが胸に飛びこんできた勢いで倒れてしまい、結果、僕の上にアリスが乗りかかっているという体勢になってしまった。
重みや苦しみはほとんど感じなかった。それはアリスの体重が軽いからだろうけど・・・。
この体勢はいろいろとまずい。
誰かに見られた時に、様々な誤解が生じてしまううえに、おそらくは僕が悪いということになるだろう。
「だめ。このままがいい」
「頼むから下りてくれ・・・」
「私の質問に答えてくれたら下りてあげる!」
「えぇ...」
何故だか、アリスは頑なに下りようとしない。
まるで子供のようにタダをこねるだけだった。
「──わ、わかった。教えてやる」
僕は早くこの体勢から解放されたくて、とりあえず片っ端から適当に言っていくことにした。
まあ三つも目新しい情報を与えれば、流石に満足することだろう。
と言っても僕はこの世界についてほんの一握りも知らないので・・・もしかしたら一致してしまっている可能性もあるが──そこら辺は探り探りだ。
もしくは勘だ。
「えっと・・・。僕のいた世界ではな、全自動で部屋のお掃除をしてくれるロボットが流行っててね、それでもう、人間はお掃除をする必要が無いんだ!全部機械におまかせ!」
実際のところ、機械に全部おまかせ出来るほどではないのだけれど・・・ここは少しだけ誇張して言っといたほうが何かと良いだろう。
「はぇー!すごいね。あとは?」
「あ、あと・・・。そうだな、あとは、空飛ぶ車っていうのが開発されて、空を飛ぶ人間じゃないけど、そんな感じで空を飛行機みたいにビュンビュン飛べるようになって──」
これは完全なる嘘だった。空を飛ぶ車なんて夢のままで開発されてはいない。
「──クルマってなに?」
しかし──アリスは車そのものを知らなかった。
アリスが知らないんじゃない、この世界に存在しないのか。
しかし困った。僕は何も言えなくなってしまった。
アリスはまだ満足してい無さそうだし・・・。
と、懸命に頭を回しているその時だった。
「ただいまー」
僕とアリスしかいないこの部屋の中に、どちらでもない声──『ただいま』という事はおそらくこの家の住人──。
僕の嫌な嫌な予感が的中した。最悪の事態。
そういえば、親はいないとは言ってたが、同居人がいないとは言っていなかったな。一人にしては広すぎるし。
まだ目撃される避けられるかもしれない──なんて希望はとうに潰えていた。
この家の設計上、玄関とリビングが同じ部屋にあり、僕は今リビングにいる。
つまりは、外から帰ってきた者が扉を開けて、リビングを見ることは避けられない。
どう足掻いても、壁も仕切りもないのでは、リビングで起こっていることは丸見えなのだ。
「・・・」
玄関に呆然と立ち尽くしているのは、黒髪ロングの、スラッとしたスタイルの良い女だった。
執拗に姿なんか確認しなければ良かったのに──僕は彼女と目が合ってしまった。
何にしろ言い逃れは出来ないのだけれど、目と目が合ったことで、より気まずくなってしまう。
「あ、あんた!何してんの!ってか誰!?」
ほぼ悲鳴気味に、不審者を通報するかの如く、彼女は叫んだ。当然の反応だと思う。
僕が何かしでかしたと見るのは、しょうがないことだ。
「アリスが連れてきたんだよ。今ちょうど質問してたところ」
「連れてきたってどこから!?」
「処刑台」
「しょ、処刑台!? ってことはソイツ・・・ざ、罪人じゃないの! 何やってるの! ちゃんと返してきなさい!」
返すな!!