映画『野生の島のロズ(The Wild Robot)』(2025)は面白かったのか?
皆さま、よき映画ライフをお過ごしでしょうか?
N市の野良猫、ペイザンヌです。
さて、こちらは劇場、字幕で観ました。
映画の原作である『野生のロボット』、その冒頭のエピグラフには、「未来のロボットたちへ」──とあります。
“未来のロボット”とは、いま発展を続けてるA.I.たちのこと…?──ではなくこれは子供たち、というよりむしろ現在の自分たちのこと、もっと掘り下げれば「子供だった頃の自分たち」を指してるような気がしますね。
人間だってこの世に生まれ言語を覚えた後、まるでプログラム通りに「生、学業、就職、結婚、子育て、子離れ、老後、そして死」を実行します。 そこに大差などなく、時には「そうしなければならない」ような強迫観念すらあるわけで。
さらにはその人生の中では「より便利に、より早く、失敗せぬよう」──そんなマニュアルや効率化を覚えさせられ、近年では人工知能の介入まで。それらは本当に人間を幸せにするのか?──そんな疑問も。
たとえばロズが家を建てる時に「効率が悪くなるので手を出さないでください」と言うけれどガン(鳥)の子供であるキラリは手伝いたくて仕方ない──やれやれといった様子でロズが手を貸すとそっと小さな、何の役にも立たない小枝を乗せて得意そうな顔をします。
効率などよりも、そのフトした行為や交流・記憶こそが本当の幸せじゃないの?──と問われているようで、とても好きな場面です。
エンタメとしても古くは『ロビンソン・クルーソー』+『ニルスの不思議な旅』……果ては子を待つ『岸壁の母』などまで思い出したりw
そんな要素に加え、映画なら自然vs文明、『スター・ウォーズ・ジェダイの帰還』の帝国軍vsイウォークを思わせるバトルや『E.T.』のラスト辺りの映像も被ったりも。
近年はA.I.の介入によりロボットには決してできないこと(仕事)などが重要視されてきてますが、逆に言えば『ターミネーター』のように武力で支配されるならまだ諦めもつきますよ
でもこのロズのように「心」で人間が追い越されてしまった時、おそらく人間は本当の意味で滅びるのかもしれないな……と、そんなことを考えたりも。
とても感動的な作品なのですが……そういう意味では怖い映画かもしれませんね。人間が無感情でケモノ化する人が増える中、ロボットが人間よりも人間らしくなったら……なんてね。
未来のロボットたち(子供たち)が本当にロボットになってしまう前に見せたい作品かもしれません。
実際のところ、「個人的な」本音で言えば、ボクとしては劇場で観ているときは、映像もこれてもかというほど美しくストーリー的にもとても良い出来栄えだとは思ったものの「目新しさ」はそこまでないなとも感じておりました。なんというのか、セオリーに従い、良いエピソードがふんだんに盛り込まれてはいるものの、こういう映画は似たようなものをそれこそこれまでに何本も観ているので「“ボクには”もういいや」とちょっと思ったんですよね。それよりもこういう物語を「初体験する」子供たちに見せたい、だとすればこの作品はおそらくとても記憶に残る、かなり良い「原体験」として残る作品になるだろうなと思える良作です。
もちろん子供たちはこれから生きていくうえで汚いことやズルいことも目にしていくんだろうけど、それらを見てしまう前にまずしっかりと植え付けておくべき「根本的」なものが詰まってる気がしましたね。
まあ、そんな感じで「僕個人は」さほど強い衝撃を受けたわけでもないのですが、実は少し時間を置いてこうして感想を書いてる途中「あの場面は……」とか「あのシーンはどういう意味だったのだろう?」などと思い出してるときに、けっこうブワッと泣けてきたりも。むしろ劇場でより涙が少し出ちゃったんですよねw
そうやって後からジワる作品というのは物語が身体に浸透してる証拠なので本当の意味で良作だと思う方です。
最後にロズは親としての義務を全うし、キラリの記憶までも亡くしてしまいますが「何かを憶えている…どこか通ずるものを感ずる」──そんなロズとキラリの再会で幕を閉じるラスト。まるで歳をとった痴呆症の母と息子の再会の姿のようでもありました。
とはいえ原作には続編『帰れ野生のロボット』もあるので、続編にも期待できそうですね!
では、また次回に!