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映画『いつかの君にもわかること(Nowhere Special)』(2020)は面白かったのか?

 皆さま、よき映画ライフをお過ごしでしょうか?

 N市の野良猫、ペイザンヌです。


 こちらは公開当時、劇場で観ました。

 舞台はアイルランドの首都ベルファスト。

 33歳という若さで不治の病を患い、自分の命が尽きる前に幼い息子の養子縁先を探そうと奔走するシングルファーザーのストーリーであります。


 監督のウベルト・パゾリーニは『フルモンティ(1997)』のプロデューサーであります。

 なんでも新聞で見つけた小さな記事に独自のキャラクターを作り映画化したそうである。

 確かに、いい映画……なん……ですが……好きな方ごめんなさいっ!


 ん〜ちょっと無難すぎて、ぶっちゃけあまり心が震えなかったというのが正直なところでした。(ただ、この考え、実は後に翻っております……ココすこく大事なとこですw なので、ぜひ【後記】までお読み頂きたいところ)


 でも劇場内で鼻をすする音も聞こえたので、ボクのように心が汚れておらず、純粋な人にはきっと……


 実はこの作品を観る前後に『オットーという男(2022)』『すべてうまくいきますように(2021)』『ザ・ホエール(2022)』など、ちょっと「死」に関するやや重めの映画を観ることが続いたんで少し感情が麻痺してるのかも?……とも思いましたが、う〜む、それだけでは決してないと思うんだけど……


 同じく静かに淡々と進むストーリーでもなぜかブッ刺さる──『家族を想うとき(2019)』『私は、ダニエル・ブレイク(2016)』などケン・ローチ監督の映画。あの辺りを観た時のような震えが、残念ながら今回ボクには感じ取れなかったかもです……


 もちろんダスティン・ホフマン主演の『クレイマー・クレイマー(1977)』のようなシングルファーザーと息子の交流は良かったスよ! 

 子役もうまいし、可愛いしね


 来年は一緒に迎えることのできない誕生日ケーキ、「運転免許をとったら開けること──」など未来の息子に向けた手紙の束……うん、いいよね。この辺りのシーンはやはり胸にチクリとくる。熱くなる。


 だが「何か」が足りんのですわ……

 何が違うんだろな?


 逆に言うならあらすじのままというか大方予測通りのストーリーなのですが変に左右にブレがなく、とてもストレートな映画だったと言い換えることもできます。それはもう、ストレートすぎるほどに……


 父親である主人公の目を通し、養子を欲しがっている夫婦たちを第三者的に見ていく作りは面白かったですね。子供がいない、できない家庭や夫婦には、そちらはそちらで様々なドラマがある──といったような……


 そういう意味では少し「ロードムービー」や所謂「グランド・ホテル形式」などを混ぜ合わせたような作品かもしれません。


「自分の死後、大切な息子の人生を預ける。いや手渡す。どんな人に託せばいいのか?」


 夫婦仲が良いのは当然として、生活は安定してるのか?「子供を立派に育ててみたい」と言葉では言ってるがただそれだけで結局は自己満で勝手な人ではないか?……とか。


 鏡に光を反射させ、その反射した光をまた鏡で反射させ、こちらに戻ってくる。そんな風に三点方式で本来の「家族のあり方」「夫婦のあり方」とは何か? それらを垣間見せる手法はとても良かったですね。


 俗に言う「いい夫婦や家庭」の条件。

 それってこんな場合に安心して大事な息子をまかせられる夫婦なのか?──ってことじゃないのかと。


 仮定の話、自分たちがもし養子が欲しく、こんな状況になったとしたら、相手は自分たち夫婦に子供の未来をまかせられるだろうか? 自分たちははたして信頼されるようなそんな夫婦、人間なのか?──そんなことがスクリーンから跳ね返ってくる映画でもあったと思います。


 あ、ちなみにこの監督さん、ウンベルト・パゾリーニは昨年公開された阿部サダヲさん主演の『アイアムまきもと(2022)』の元ネタとなった映画『おみおくりの作法(2013)』を撮った監督さんでもありますね。


 ボクはどっちもまだ観てないんだけどこっちは……面白いんでしょうかね?


 さて前述した問題の【追記】です⬇


【追記】

 が、しかし……


 その翌朝のことです…… 

 あ、あれ?

 一晩寝たらなんか染み入ってる気がするな。そうか、映画はまだ続いていたのか。

 と、かなり見方が変わりましたw


 コーヒーを飲み、少し朝の散歩をしていた時のこと、頬にあたる風や目に入る草花などを見てると「何でもないところに俺はいて、おまえを見てる」──という先日の台詞が甦り、ようやく胸の真ん中に込み上げてきたというか、急激にうるっとなっちゃんたんですよね。


 案外近しい人や自分の死の間際、そんな時にこの映画を思い出したりすれば、哀しさや淋しさといったものよりも、むしろ心に穏やかになれる、見送れる、そんな作品かもしれないな、と。


 そういう意味では「ストレートすぎるくらいでこの映画は正しかったのかもしれない」と。間違ってたのは自分の方だったのかもなと改めましたね。


 まあ、いつかのボクにもわかること……


 最後にタイトルについてですが、こちらの映画、【原題】は『Nowhere Special』。

 こちらは直訳だと「どこにも特別な場所」となり、意味合いがややおかしくなるんてすよね。

『いつかの君にもわかること』という邦題自体も、やや日本語としてどこか変な言葉に感じますが、それはそれで実はニュアンス的には合ってるのかもしれません。


※「Nowhere Special」は特別な場所ではないことを指す時、つまり「普通の場所や特に魅力や価値がない場所」を意味します。


 この表現は、謙遜や自己評価を示すために使われることもあり「彼はただの普通の人で、どこにでもいるような人だ」や「私の家はNowhere Specialだけど、いつでもおいでください」と言うときなどにも使われますね。


 この映画の場合のNowhere Specialな場所とは、父が息子に与えたいと願う「いつもと変わらぬ安らげる家庭」という意味にも取れるし、実は主人公目線からの「天国」の意味もあるのでは、ともボクは思いました。


 さらには劇中の台詞にもあった、


「おれがいなくなっても晴れた日はおまえを照らし、雨の日はびしょ濡れにしてやる。おまえが食べる葡萄じゃない、“葡萄の味の中に”おれはいる」

──などといった「何の変哲もない、どこにでもあるような場所」からでもおまえを見てるよ、というトリプル・ミーニングになってると思うと、何気にこのタイトルはとても深いのであります。


 では、また次回に!

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「note」の方でもこちらのエッセイを連載しております。画像付きでさらに読みやすく、こんなことからあんなことまでさらに詳しく、あなたの映画ライフをより豊かに♪note版『あの映画は本当に面白かったのか?【完全版】』
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