映画『君の名は。(Your name.)』(2016)は面白かったのか?
オサッシの通り、このエッセイでは邦画を取りあげたことがまだないのであります。
理由はまあ、いろいろとあるっちゃあるわけですが今回はそれはこっちに置いておいて、まさか最初の一本目がジャパニメーションであるこの『君の名は』になるとは私も思ってませんでした。
まあ、アレですやね。こないだ正月にやってたテレビ放映で初めて見ただけなんですけどね。てゆーか、それでようやく初めて見ました。
(^_^;)
タイミングもよかったし「う~む、ここを逃すとこりゃひょっとしたら一生見ることがないかもしれぬぞ……」という焦りもあり、腰を据えて観賞することにしたわけです。
いや、嫌いじゃないんですよ日本のアニメ。むしろ好きです。ただ後回しにしちゃってそのまま見てないの多いっちゃ多いです。今回の『君の名は。』のように評判になった映画なんかはかえって少し敬遠しちゃうといった悪癖もあるから困ったもんです。洋画でいうとね、『アバター』なんかもいまだに未見のままだし(笑)──なかなか手が伸びないんですよね。そんなわけで私も見てない映画はかなりあります(まあ、あたりまえなんですが)。ですので、むしろこちらもお薦めを教えてほしいという願望もあるわけであります。
前回、感想をいただいた彩華司さま(ありがとうございましたm(__)m)からも『サイレント・ヒル』(2006)はどないやねん、おもろいと思うかワレ?(失礼しました。本物の彩華サマはそんな下品な言い方はしておりません) とコメントを頂きましたがこれも未見でしたのでお言葉を返すことができなかったのが残念無念。さっそく近場のレンタルへ走りましたが、続編である『サイレント・ヒル/リベレーション』(2012)しか置いてないということで「どえぇ~?!」となってしまいました──そんなわけなのでもう少しお待ちくださいませ、彩華サマ( ̄▽ ̄;)
本エッセイは読者様、ユーザー様、参加型であります。むしろこれを読んでいる方で『サイレント・ヒル』でもなくとも「アレ見たで」「面白かったで」「めっさ怖かったで」なんていう方がおられましたらここの感想欄を使ってご紹介、そしてやり取りなどしていただいても構わないくらいなのでございますm(__)m
さて、『君の名は。』。わしゃの名は? ペイザンヌだよ。N区にねぐらを持つ野良猫だよ。君の名は?
前回『スター・ウォーズ』の最新作でいまひとつ”心が震えなかった“と書きましたが、「ん、あれ、ちょっと待てよ。……これってひょっとして自分に欠陥があるんじゃね? と、少し不安になりつつ双子座流星群を見上げた昨年末の暮れ。まあ年齢を重ねると共にこういった感性が失われていく……なーんてことは自分にとっては何よりも恐ろしいことですからね……。
(=_=;)
よって、若い人を含む──おそらくは大半の方々が見ており、さらに評判も悪くないこの映画をリトマス試験作に使わせて頂き『健康診断』ならぬ『ココロの震え度診断』をやってみようではないかと思いイタッタわけです。
診断結果はといいますと──
悪玉コレステロールも少なく尿酸値も人並み(なんのこっちゃ)! ちゃんと震えることができました。
。・゜゜(ノД`)
東京湾を震源地とするマグニチュード4くらいの『震え』をしっかり感じることができてホッとしております(そちらはあまり震えてほしくないところですわな)。
(;∀;)
いや~少しホッとした気持ちです。
むしろ某レビュー欄で見かけた「最後の方、なんかよくわかんなかったけど勢いでつられて泣いちゃったよ~」というイチ女子高生の書き込みに「いや、そこはちゃんとわかれよ!」と突っ込める余裕があるくらい正常でした。そして、翌朝目覚めるとその子とわしゃの体が入れ替わっていたのです…………なんてことはまあ起こるわけもなく(まあ、そう言いましたが“なんかよくわからないけど泣けた”というのはある意味とても大事ですやね。絵画を見てそう思うこともあるでしょうし、感受性が鋭い証ですね)。
そんなわけで今回はわしゃの方が遅れてやってきた方なんで、堂々とネタバレさせて頂きます。いや~気を使わなくていいっていいな~、最高だな~、すがすがしいな~。「今さら『君の名は。』かよ!」という冷ややかな視線など何のそのであります(笑)
てゆーか、そんな感じであまり気にしてなかったせいかですかね──たまたま私はネタバレを回避したままでしたので、公開直後のように新鮮な気持ちのまま観ることができたのであります。
民放のテレビ放映映画ってのを久々見たんで、途中で挟まるCMの存在までがなんか妙に新鮮だったりして「ああ、そーかそーか、この間にトイレ行けるんだったな」などと懐かしさを感じてしまったくらいです。しかも今回その時間枠で流れたCMは『君の名は。』放映記念スペシャルCMとかだったようですね。さすがは放映権争いに『億』をかけた意気込みであるな、と。
途中で新海誠監督の通信教育社Z会のCMアニメ『クロスロード』ですか? それも流れてましたが、そのCMなど『君の名は』本編の続きだと思ってそのまま見てました。「ほうほう、ヒロインの三葉ちゃんとゆーのは目が悪いのか、眼鏡もかけるのね」てな感じで。ようやく気付いて「CMかよ!」と声を大にして突っ込めるのも、うん、自宅観賞ならではの楽しみ方ですね♪(そうなのか?)
本編を放映の前に監督自らが観賞の手引きのようなものとして「最初の方をよく見てほしいですね」と語っておりました。私は初見ですが、見込んだ方などはやはり何か気付くところがあるんでしょーかね?
エヴァンゲリオンのオープニングなんかそうでしたが、あれは第一話を見ただけではわからない今後のストーリー展開の予兆、また、まだ出てない登場人物がバンバンと速いカットで表されるのが評判とゆーかカッコいいとゆーか、当時では新しいオープニングでしたね。また、映画版『ミッション・インポッシブル』シリーズなどではお決まりのあの、ダン、ダン、ダンデッデデン──という音楽のもとオープニング・タイトルで本編のおおまかなシーンをやはり素早いカットで惜しげもなく見せていきます。見せていいのかよみたいなラストシーンあたりまでサブリミナル的に見せてます。この“ちょっとだけ”見せるというのがまた最後まで見たいという気持ちを煽り、とても効果的です。
『君の名は。』も、この手法であり、スビードはそこまで速くありませんが、おおよそのストーリー展開を初っぱなで切れ切れに見せてしまってますよね。面白いですね。ここで観客に今後の展開を想像させるんですね。
よく物語の作り方指南書なんかにも「作り手は観客が“こうなるであろう”という予測(期待)をある程度見せてあげなければならない」って書かれてますね。
確かに映画や小説を見たり読んだりしている自分を俯瞰でとらえてみるとやはり、予測しながら物語を見てる(読んでる)わけで、エピソードが重なっていくごとに、いろんな計算をしながら見てる自分に気付きます。枝分かれしていく──というか「ああ、もし、バッドエンドであればこうなるな。ハッピーエンドならばこうなるんじゃないかな、あの二人はきっとくっつくな、こいつは今はいい顔してるけど実は悪者なんじゃないのかな──」などなど。これから起こるべき可能性を知らず知らずのうちに──これまでの経験に照らし合わせては──探り寄せてるわけですね。まあ、これはひょっとすると映画に限らずリアルでもそうかもしれないですけどね。
( ̄▽ ̄;)
わかっちゃいるけど、自分が望んでるような結果になったら人間ってやっぱりちょっと嬉しいんものなんですよね。いわゆる『ベタ』なわけですが、突き詰めると『ベタ』ほど心地よいものはない。そりゃそうですやね、言ってみりゃ『ベタ』って結局『黄金比率』なわけですもんね。
また、逆に良い意味でそれがまったく裏切られても心地がいい。それが綺麗にビシッとキまった時にゃ、もう。今度は驚きがきます。リアルでいうところの『サプラ~イズ!』というトコロですかね(笑)
初っぱなで流星群を眺める二人の姿が交互に映し出されるのがまたうまい。男の子、瀧くんは屋上で、そして女の子、三葉ちゃんの方は祭りの夜の丘で。これによってこっちは二人が『同じ世界』で生きていると完全に思わされてしまう。小説におけるミスリードをさせられてしまうわけですね。
これは二人が後半になるまで『ほとんど接触がない(いや、本当の意味で接触するのはラストシーンのみですが)』からこそできる手法なんだろなと。→主人公とヒロインが接触がないのに面白くできるだろうか? →う~む、だったら心を入れ替えさせてみたらどうだろう? などと、もしかしたら作者の頭の中ではそんな流れでプロットが立てられたのかもしれないし、ひょっとしたらその真逆かもしれないですよね。
つまり、
『男の子と女の子の心が入れ替わって──どうなる?』が先だったのか『彼女の町を救うためには──どうする?』が先だったのか。実に興味深いところです。てゆーかまあ、いたってアイデアが出そうな時ってそんなクッキリしたもんじゃなく、いろんなものが不定形なアメーバのような姿でモヤモヤっと浮かんでることが多いんですけどね(笑)
そもそも二人の住んでるところが『距離的に離れてる』ってところから疑ってかかるべきポイントだったってことですもんね。だって一般的にこの系統のストーリーなら高校の同級生とか幼馴染みのような設定にしますもんねぇ。その方が作りやすいし、説明も省けますからね。
以前、『【Another-Take③】明日に向かってドンデン返せ!』の回で私はこう書いたことがあります。
〈──私はこの「どんでん返し」が実に大好物なんですが、ぶっちゃけ、映画でそれを完全に満足したためしがほとんどないのですね。はっきり言うと「映画」という媒介は本当に本当の意味で意外なラストを出すには無理があるんじゃないのかな、と思ってしまうくらいです。
その点、ミステリ小説では何度もため息をつくような作品に出会ってます。殊能将之の「ハサミ男」や筒井康隆の「ロートレック荘事件」などはそれこそぶわっと鳥肌が立つほど完璧に、100%騙されたと言えましょう──〉
そう、何気にこの『君の名は。』という脚本は叙述トリックをとてもうまく使ってるわけなんですよ。
きちんと最初で『見せている』はずなのに二人の間の“時間枠”についてはこちらに毛ほども気付かせない。しかも二人の心と体が入れ替わるという、ちょっとコメディタッチのあの前半の展開によってそのことに頭を持っていかせないようにしてるわけです。
私はミステリー小説の中でもでこの叙述トリックというのがとても好きでありまして、正直、こんな感じで『映像』として見せられたことが何気にショックでした。個人的にはこの作品の一番すごいところってソコだと思っております。
電車の中で二人が顔を合わせるシーンはゾクゾクしますね。こういった場面を自分がもしも書けていたら……なんて妄想するとたまらんですわ。
一方は彼のことを知ってるのに一方は彼女のことをまだ知らない。けれどその知らないことをまた一方の彼女は知らない──なんて、サイコーのシーンですやん!
おそらく(もちろん私も含め)素人作品であれば『男の子と女の子の心と体が入れ替わる』──“ここだけで”一作終わってしまうところなんですよね(大林宣彦監督の映画、『転校生』もそんな感じでしたが、それはそれ時代が違うわけであります)。もちろんそこだけでも十分に面白くなるわけですが、『君の名は。』はそこをダラダラ続けずわりかしバシバシ『省略』していく。いってみりゃそこは『エピソード』であって本筋ではないんですよね。テンポが速い。
なので二人の『時間枠が違う』ことに気付くのは起承転結でいう『承』の部分。ひと昔前の短編SFとかだったらこれが『転』なり『結』でもいいんでしょうけど、この辺りが物語が進化してるってことなんでしょうね、見る方がそれではもう満足できない。そこにプラスアルファを求めてる。見る方も目が肥えてきているというわけですやね。
そういえば昔、『オーロラの彼方へ』(2000)という洋画がありました。太陽フレアが活発になり異常気象でオーロラが発生した夜。それを境に、幼い頃に死んでしまった父と息子が無線で繋がってしまうハナシであります。
火災現場で死んだはずの父。けれど息子は“未来と過去を繋ぐ無線”でそのことを教え、救ってしまう。そこでタイムパラドックスが起こり今度は母親が殺人鬼に殺される運命となってしまいます。過去の父親と未来の息子──二人は無線を通じて、今度はなんとか母親の命を救おうとするのですが……というお話。
このネタと前述した映画『転校生』を合わせてみるとあら不思議、『君の名は。』のストーリーがができあがっちゃうわけでありますね。うーん、ひょっとしたら先にこのストーリーを思いついたのはあなただったかもしれない! なんてこともあるわけで。アイデア論によくある『何かと何かをくっつける』てのはなかなかバカにできない。
台詞回しも良かったですね。
「お姉ちゃん、どんだけ自分のおっぱい好きなん?」
なんと素晴らしい台詞!
オホン……い、いや、そこもいいんすけどね(自粛)
ギクシャクしたデートの後に、憧れであった奥寺センパイが瀧くんに言った、
「違ってたらごめんね、瀧くんてさ、以前私のこと好きだったんじゃない。でも今は──誰か他に気になる人ができた──?」
う~ん、いいですねぇ。個人的にこういう台詞なんかとても大好物であります。
これを見た後にたまたま昨年公開された『メッセージ』(2016)なども観ました。最近はこういった未来と過去をうまく扱った作品がとても多いな~と感じてます。『インターステラー』(2014)や『僕だけがいない街』(2016)なんかにも言えることですが、時空を越えたストーリーの扱い方がひと昔前に比べて確実にワンランクもツーランクも急激に上がってきているのをヒシヒシと感じてます。
新海誠監督は「どうしてこの映画が大ヒットしたのかわからない」と公開時に言っておりました。謙遜なのかもしれませんがひょっとしたら本心だったのかもしれない。なにか無意識的なところに働きかけてくるものがこの映画にはとても多く含まれてるのかもしれないですね。
なにより、この映画を観て頭に過るのは日本人であればあの『東日本大震災』や『阪神大震災』のことなのではないかと思います。もしも──もしもあの天災を避けることが可能であったとすれば?──当時、その現場に居合わせた方や被災者の方々などが、もし、この映画を見ながらそんなことを思っていたりしたら──そう思うとこっちも直接的にというより(前回もこう表現しましたが)二次災害的につい目頭が熱くなってしまうんですよね、どうしても。
『バック・トゥ・ザ・フューチャーpart2』(1986)のスポーツ年鑑のように『物質』が未来を変えたというのではなく『気持ち』が未来を変えたというのがとても日本風というか実は新しいところなのではないかと。美しい風景描写の中、そして古来から伝わる神仏への信仰、そういったものも含め純粋に『大好きなあなたに会いたい。そして──もう一度会いたいという気持ち』が何かを変えた──そういったものに我々はとても弱いのだなと。
そしてこの映画のもうひとつのキーワードである『ずっと忘れないように、忘れたくない──』そういったことなども含めて。
【本作からの枝分かれ映画、勝手に三選】
★『秘密』(1999)
……「とうちゃん、“あっち”の方はどうする? ほら、“えっち”」
広末涼子にそんな台詞を言わせていた予告がとても懐かしいです。事故で死んだ妻の心が娘に潜り込んだ──東野圭吾を一躍スターダムにのしあげた小説の映画化。実は私、東野作品、小説は好きで全て読んでるんですが映画版は『白夜行』とガリレオ二本しか観たことがないのです! はっはっは(あえてです)
少なくとも小説版はタイトルの『秘密』って意味に「ああ、なるほど」って思う仕掛けがあったような気がしますが……駄目だこりゃ、なんか忘れかけてるな(笑)
いい機会だし“あの小説は本当に面白かったのか?”読み直してみましょうかね(いや、その前に映画版見ようよ……)
★『メッセージ』(2016)
……(※注:ネタバレ。観てない方はスクローール♪)
本編でも少し触れましたがこちらの映画もいい感じで叙述トリックしてくれてましたねぇ。なのに……なんかもったいない気がするのは何故なんだろう(笑)
この手法を完璧にモノにしたのは海外ドラマ『lost』の3rdシーズンだったのを今でもハッキリ覚えております。『フラッシュ・バック』ではなく『フラッシュ・フォワード』という技法。まるで新しい数式を発見した瞬間を垣間見た気がしましたね。まさに全身の毛が逆立ち、頭をぶん殴られた気分でした。
『メッセージ』の原作小説『あなたの人生の物語』は現在形と未来形を巧みに使い分けて作品に深みを与えていると聞きます。映画を観ただけでも確かにそれは伝わってくるのですが、この作品はむしろ映画よりも小説の方が──技法も哲学的な観念も──伝わってくるのではないかなと私自身も確かに思いましたね。映画版が少し舌ったらずな感じがするのは少し否めないような気がします。『コンタクト』(1997)や『オデッセイ』(2015)なんかの時も感じたことですが、〈SF〉というのは確かに“この目で見てみたい”ものの一つであるけれど、どうしても文章の方が重みが強い。そう感じるジャンルのひとつですね。
★『バタフライ・エフェクト』(2004)
……こちらも本編で扱ったヤツでスミマセン。タイム・トリップではなく“リープ”。この礎を築いたのはやっぱりこの作品なんだろうなと思いますね。
この映画も『ショーシャンクの空に』現象と同じだったのを覚えてます。最初すごくマイナーなイメージだったのがじわじわと口込みで広がったんですかね、気がつくと知らない人はいない、そして必ずやこの系統のベストランク入りしてる。
監督・脚本はエリック・ブレスとJ・マッキー・グルーバーの二人が共同。調べてみるとこの二人、ははぁ、『バタフライ・エフェクト』の前年に『デッド・コースター(2003)』(『ファイナル・デスティネーション(2000)』の続編ですね。これもめちゃめちゃ面白かったなぁ……)も共同で監督してます。あれも“逃れられない死”から逃げるストーリーだったけど……あれ、ひょっとして『バタフライ・エフェクト』はここからアイデアを広げたもの?……な~んて想像するとまた面白い見方ができますよね♪ こういう枝分かれの発見が映画ファン冥利に尽きるってやつです(笑)
まあ、これは、ほとんどの方が観てると思われますがやっぱ観なきゃいけない(?)映画──『まだ観てないあなたは幸せだ!』の部類のひとつでしょう。
もはや新しくもないのかもしれませんが、それにしてもやはりあのラストシーンは切ない。なんかこう書いてるだけで……玉葱むいた時現象みたいなのが今、じわじわ私にきてますわ(笑)