映画『ブレード・ランナー(Blade Runner)』(1982)は面白かったのか?
※本エッセイは『ブレードランナー2049』公開以前に書かれたものです。あらかじめ御了承ください──
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『2つでじゅうぶんですよ~。わかってくださいよ~!』
これは映画の冒頭近く、うどんだか何だかを4つ注文しようとするハリソン・フォードに屋台のオヤジが日本語で言う台詞なのだが未だに何が2つで十分なのかわからない(笑)
というか、うどんにしろ天丼にしろ1つで十分な気もするのだが。
あ、ども。N区に住む野良猫のペイザンヌです。
本作『ブレード・ランナー』(米)は点数などつけられないほど好きな作品なんですが、そろそろこの辺りでリメイクがあってもいいんじゃゃないかと渇望している映画です。いや“していた”映画です。
というのも、ここにきてまさかの続編製作が今年の夏よりスタートするというから驚き。もちろんハリソンフォード出演らしいので、こりゃ楽しみがまたひとつ増えた。
あ、意識したわけじゃなかったけどこの映画ってここで取り上げた中では今のところ一番古い作品になるんだなぁ。
人間と識別することすら難しい“レプリカント”(うひょー、自分で書いてて懐かしい!)と呼ばれる精巧なアンドロイド。それを追う賞金稼ぎの物語だが、原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』での、主人公の動機は実はこうなのである。
〈激減した“本物の動物”をペットとして飼うことがステータスとされている未来。見栄のため飼っていたロボット羊が壊れたため主人公は何とか高額な本物の動物を手に入れたいと願い、賞金をかけた6体のアンドロイドを追う〉
しかもキャラ的には住宅ローンを支払うため無茶な仕事を引き受けるお父さんみたいなキャラなんですよね。なんとなく。
クールな本作もいいけどそんな若干ユーモラスなペーソスがある『ブレード・ランナー』もリメイクで見てみたかったのですが。
映画版でも“レプリカント6体が逃亡”と最初に言っているのに、実は5体しか倒してないんですね。残りの1体は? というのがこの作品に残された長年の謎であったわけです。
デッカード(ハリソン・フォード)は彼らを追いかけているうちに自分こそがその1体なのではないかと疑問を持ち、自らをテストする場面もあります。まあ事実は最後までほのめかされているんですが。
そこら辺が今度の続編のキモになるのではと噂されてるみたいですね。原作からはより離れてしまうらしいですが。
映画版は物語を非常にシンプルにまとめてあり、その分視覚効果の方に力を注いでいます。
まだC.G.ではなくS.F.X.と呼ばれていた懐かしき時代ですやね。
“限られた時間と命の儚さ”と“偽者と本物の違いは何か”という2本の絡み合った巨大なテーマは30年経った今でも観るものの心を引き付けて止みません。
以前、“映画『ウエスト・ワールド(1973)』は面白かったのか?(アメブロにて掲載)”の時にも書いたのですがまさに人間とA.I.の違いというものの間が狭まれば狭まるほど人はその僅かな“違い”というものに悩まされていくことになるのでしょう。
ピクサーの映画『ウォーリー(2008)』ではロボットが花を摘もうとして一瞬戸惑い、土と一緒に根っこごと持ち上げる場面があります。もし、そういうことが現実となれば、無差別に殺人を犯す人間の方がアンドロイドとして診断されることだってアリの世界なんですね、本作の世界観は。
原作では人間とレプリカントの違いを見分けるのは“共感覚”の有無だといっております。
それこそが“人間特有”のものであると。
それを見分けるテストがまた心理テストのように微妙で面白いんですね。“君はひっくり返った亀を君は見ている”とか“ここに蝶のコレクションと虫ピンがある”とか質問しながら瞳孔の動きをチェックするなど。自分がされてたら合格するのかな……と、ちょっとドキドキしますわ。
たとえば自分がアスペルガー症候群であるのか? などというのは非常に難しく曖昧だと言われてますよね。ただ、怒りっぽいだけと言われれば、ああそうか、ともなるし、例えアスペだと診断されても自分で「はい、そうですか」と簡単に認めるのもなかなか難しいと思います。
自分か狂ってるのか、それとも正常なのか?
幽霊は存在するのか、それとも幽霊なんて幻覚で、私が統合失調症であるだけなのか?
ドッペルゲンガーは……? 見える自分がおかしいのか? それを見てしまったあなたがおかしいのか? などなど……。
どちらが正しいのか疑惑は禅問答のように続いていくわけです。
公開当時、そんなアングラな思想は一部の人しか興味がなかったかもしれないけど『シャッター・アイランド(2010)』などが堂々と公開されている現代としてはすでに昔のSFはただのSFにあらずという気もします。
なんせ、この映画に登場するTVはブラウン管ですし、さらにそれで写真の画面を拡大するために『30右へ、ストップ、15引いて、ストップ』なんて、今のスマホやi‐phoneじゃ指をぐわ~んと広げりゃ済むだけですからね。かと思えば主人公が公衆電話を使ってる場面もあるし(笑)
現在の10代20代がこの『ブレード・ランナー』を観る感覚は私が『禁断の惑星』や『ミクロの決死圏』に抱いたそれと似ているのかな~などとも思ったりします。
そんな10代20代に対する“共感覚”は今の私にあんのかな? などと時々テストしてみたくもなります。
恐怖におののきながら(笑)
【追記】2017/10/12
そもそも“ブレード・ランナー”って意味はどこからきたの? 劇中でそんな言葉使われてないのに……? 確かにそうだな~と思っているとこんな記事がありましたので載せておきます。
『ブレードランナーの原作はフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という名の小説であり、作中、主人公のリック・デッカードは警察署職員であり「ブレードランナー」と呼ばれることはありません。では、ブレードランナーという単語がどこからやってきたのかというと、これは、リドリー・スコット監督がデッカードにふさわしい職業名を探しているうちに、別の小説家の作品に出会ったため。
ブレードランナーという言葉を最初に作ったのは、医師でありSF作家だったアラン・E・ナースという人物でした。
(~略)ナースが得意とする「医療」「近未来」という2つの要素を統合した小説「The Bladerunner」を出版した時でした。この「ザ・ブレードランナー」は優生学が信じられている近未来のアメリカが舞台。作中世界には国民皆保険が存在しているものの、「劣った」人間が医療を受けるためには子孫を増やさないために事前に断種手術を受ける必要がありました。結果として、医療関係のブラックマーケットが拡大し、闇で医療道具を販売する業者、違法の医療道具を用いて断種を望まない人を治療する医師、そして違法の医療道具を医師へと届ける「運び屋」が生まれます。この医療道具の中には外科用のメスなどが含まれていたため「Blade(刃物)」を持って「Runner(走る人)」という意味で運び屋は「ブレードランナー」と呼ばれていたわけです』
(──gigazineより、そのまま抜粋)
このタイトルをリドリー・スコットが気に入って借りたみたいですね。なるほど、これで私も長年の謎がとけました( ̄ー ̄)
【本作からの枝分かれ映画、勝手に三選】
★『ヒッチャー』(1984)
……本作でレプリカントの首領を演じたルトガー・ハウアーが出演のミステリーホラー。あるヒッチハイカーを一度乗せてしまったばかりに執拗に追いかけられる主人公の恐怖を描く。ルトガー・ハウアーはいい役者なのになぜか作品に恵まれてないのが悲しい。この後は日本でいうVシネマみたいなのばっかり出演してる気がする。もったいない!
★『レジェンド/光と闇の伝説』(1985)
……『ブレード・ランナー』のリドリースコットが描く北欧ファンタジー! ……ってことで大いに期待してたんですがまったく内容を覚えておらずどの場面も記憶にない(映画館で観たのに… )ある意味逆お薦めの一本。トム・クルーズ主演ですがまだ、チャラいイメージしかなかったなぁ。まさに『あの映画は本当に面白かったのか?』って感じで見直してみてもいいんですけどね…
★『マッチスティック・メン』(2003)
……リドリー・スコットは本当に浮き沈みの激しい監督だなぁと。わりかし、期待してなかったこんな映画がめちゃめちゃ面白かったりするからワカラン…。ニコラス・ケイジ演じる潔癖症の詐欺師と娘と名乗る少女のミステリーコメディ。これは、あっ、と騙されましたね。いいドンデンでした!