なにかに色々と影響されちゃった神々に付き合わされただけの勇者と魔王の話
「くくく……来たか」
豪奢な衣装に身を包んだ、魔王と呼ばれる存在は、玉座の肘掛けで頬杖を突いて、闖入者に獰猛な笑みを向けた。
「我らのような闇から生まれ出でし者が生を受けるたびに、この世界に住む者共は慌てふためく……光と闇の神々が争った遥か昔より変わらぬよな」
悠然と組んでいた足を下ろし、立ち上がる。身に着けた漆黒のマントは、ロウソクの光を受けて、ビロードのような光沢を放つ。
「人の暦では六〇〇年ほど前、龍と巨人が力を合わせ、光の神々が渡した槍で、我らの祖を祓った……」
足が踏み出されると固い皮製のブーツが、かすかな音を立てて毛足の長い絨毯に沈み込む。
「三〇〇年前には、風の、土の、森の妖精共が力を束ね、彼奴らの打った剣に光の神々が力を与え、我らを封じた……」
短い段を降り、その闖入者と同じ目線に立つ。その存在の背は高いが、人間の中でも充分にありえるほどだ。そもそも姿形も、異なる獣の特徴を複数兼ね備えた合成獣でもない。
「そして今……人間共は『勇者』なる存在を作り上げた」
ただし唯一異形であることを示すように、側頭部から鴉の濡れ羽のような長髪を割って、ねじれた角が生えている。
「我が知っていることが不思議か?」
不意に魔王と呼ばれる存在は、闖入者に笑みを向ける。
その顔は人とすれば、非常に整った若者のものだ。角さえ誤魔化すことができるならば、街娘は黄色い声を上げで紅潮し、芸術家が美を残そうと躍起になったかもしれない。
「我自身は覚えておらぬが、生まれし時に神より授かった力の欠片が、識っておるのだ」
ただしそれはありえない。暗黒と呼ぶほどに魔の気配が強すぎ、人ならばなにもない笑みも邪悪に映る。
人の記憶には恐怖と共に別の存在と変わって残り、絵画や彫像には全く別の抽象的存在として描かれる。
「それが共鳴して教えてくれるのだ、貴様もそうであろう?」
軍服のようにも見える見慣れない黒い衣装を纏う闖入者は、まだ少年と呼んでもいいあどけなさを残している。
ただしその顔は、不機嫌そうに歪んでいた。
「人間共は腰抜けよな……この世界の外に、異なる世界から助けを求め、我に挑ませた……貴様でもう四人目だ。神の欠片を受け継いだ者を数そろえれば、我を倒せると思うたか……愚かと思うが、貴様には言っても仕方ないか」
だが魔王は構わずに、音を立ててマントを翻し、高らかに叫ぶ。
「さぁ、勇者よ! 見せてみるがいい! 汝が授かった神の欠片を!」
「…………」
そして勇者と呼ばれた少年は、非常に不本意そうに、手を突き出した。
きっと剣も鍬もろくに握ったことはない、男らしさとは無縁な貴族か幼子のような手に乗せられていたものは、魔王が見たこともないものだった。
「…………なんだそれは」
だから当然問うのだが。
「………シだ」
勇者はボソボソした、心底不本意そうな小声でしか返さない。
「は? よく聞こえぬ。もう一度言ってくれぬか?」
そして当然パードゥンすれば。
「タワシだ!」
とうとう勇者は眦を決したというかヤケクソで、手にした神の欠片の名を叫んだ。
勇者が手にしているもの。それはヤシの実の繊維を針金で束ねて固定し、卵型に整えた、日本人なら誰かどう見ても口を揃えるだろ、ザ・亀の子タワシ(商標登録393339号)だった。
「…………いま一度問う。なんだそれは?」
しかし魔王様は柳眉を寄せて、心底怪訝な態度だった。異世界人ならば、変わった生物かなにかの実に見えるかもしれない。
なぜならタワシは、メイド・イン・ジャパンの発明品であるためだ。
藁や草を束ねたものは同様に使うだろう。あるいはもっと整えたブラシはある。あるいは海綿を乾燥させて切って使う。けれども繊維をこのように束ねた商品は意外とない。某大手通販サイト海外版では『Scrubbing brush』ではなく『Tawashi』『Kamenoko』とそのままで販売されている。『Fujiyama』『Sushi』『Kawaii』に並ぶ、世界標準語と化した日本語なのだ。多分。ちなみにそこに記載されている商品レビューは☆4以上。日本人もビックリの売れ筋商品である。
「主に鍋やフライパンを洗うのに使うものだ……」
「…………それが、汝に与えられた神の力というのか?」
「あぁ……」
やはり訝しい魔王様に説明を続ける前に、勇者は上を向いた。
ここには戦いに来たであろうに、隙を見せるような態度だ。だが油断を誘う態度とも思えない。そもそも勇者であろう少年には、歴戦の戦士らしい覇気などなにもない。
もちろん油断はしない。台所用品と勇者は説明したが、それが真実という証拠はなにもない。いきなり爆発するかもしれないし、いきなりトゲトゲが伸びるかもしれないし、いきなり大口を開けて食らいついてくるかもしれない。空想だけならなんだってできる。
しかしこれがだまし討ちだとしても、対応可能であろうと結論づけると、魔王は説明に耳を傾けることにした。
「学校からの帰り道、いきなり光に包まれたと思ったら、いきなり目の前に、この世界の神様とかいうヤツが居てだなぁ……力やるから、俺に異世界で魔王倒してこいって言うんだよ……」
神の力が共鳴する。勇者が強く思い描く記憶が、魔王様の脳裏にも伝わった。
雲海のような一面白く煙る原に立つ、みすぼらしい格好だが後光を背負う、神々しい一人の老人。
「最初さ、スゲー期待したんだよ……異世界モノとか流行ってるじゃん? 俺Tueeeできる! 俺の時代キター! って……だけどさ、その力ってのがさ、なぜかルーレットにダーツ投げて決めるっていうんだよ……」
神の力が共鳴する。勇者が強く思い描く記憶が、魔王様の脳裏にも伝わった。
ドラムロールと共に回転する円盤。中央は一色だが、縁は放射状に区切られた色が目の錯覚で混ざり合っている。
「それで投げたよ……投げなきゃ仕方なかったみたいだから……」
神の力が共鳴する。勇者が強く思い描く記憶が、魔王様の脳裏にも伝わった。
勇者となる前の少年がダーツを投げると、円盤の中央に軽い音と共に突き刺さった。
「で、タワシ! はい! 俺の能力タワシに決定!」
神の力が共鳴する。勇者が強く思い描く記憶が、魔王様の脳裏にも伝わった。
ドラムロールが停止すると、なぜか視点がクローズアップされる。魔王様には読めない『たわし』の『わ』の結合部分に見事にダーツが突き刺さっている。
そして神自らから手渡される、ポリ袋に入ったタワシ。思い出の中では後光で溢れんばかりの神々しさが放たれているが、茶色いトゲトゲ遠目ではウンコにも見えるやもしれない奇妙奇天烈な物体とのコントラストが目に痛い。
勇者が上を向いた理由が、ようやく魔王様にも理解できた。
なぜなら涙がこぼれそうだったから。
「なんでタワシ……他にもすごいのあったのに……」
「…………」
勇者が漏らす怨嗟と後悔に満ちた小声に、魔王様は反射的に口に出しそうになった。
――ダーツ投げたお前の責任じゃね?
意外と地ではフランクな口調は内心だけに収め、それとは別の問いを魔王様は行う。
「……仮にも神の欠片であろう。なにか特別な力があるのではないか?」
「洗剤なしでも汚れがすぐに落ちる」
「ご家庭の奥方は喜ぶやもしれぬな」
「固いものだけでなく、傷つきやすいものにも使用可」
「力のかけ方次第ではないのか?」
「袋から出して一晩たてば同じタワシが入ってる」
「つまり増えるのか? 便利と言えば便利かもしれぬが……」
「お手入れ不要」
「手入れが必要なのか?」
「当たり前だろ!? 日光消毒せずに濡れたままだとカビるぞ! あと汚れが毛の奥に入り込んだら次使う時に移るだろ!? しかも食べカスだったら最悪だろ!? 腐るぞ!?」
「ほう。確かに。そういう場合はどうするのだ?」
「タワシ同士をこすり合わせるんだよ! そうすれば簡単に落ちる!」
「なるほど」
「スポンジと違って『面』じゃなくて『点』で触れるから、繊維の間に挟まったゴミをかき出すのに意外と便利。絨毯とかにも使える」
「となれば先ほど汝が申した、固いものだけでないというのも嘘ではないのか」
「タワシなめんなよ!? 神の力関係なく幅広く使えるんだぞ! 清掃業者じゃ必需品だぞ!? 軽くなら壁紙こすったって大丈夫なんだぞ!?」
「詳しいな?」
「なぜかタワシに関する知識が俺にはあるんだ……」
どうやら神の欠片と一緒に、勇者に授けられたらしい。
「他になにか神から授けられなかったのか?」
タワシだけではなく、付属があるのだ。ならばまだなにかあるのではないかと、魔王様は問う。
すると勇者はどこからか、柔らかそうに膨らんだ長方形の布と、霜が降りたたくさんの球体が入った透明袋を取り出し見せた。
「なんだそれは?」
「参加賞のイエス・ノー枕と、たこ焼き一年分。ちなみにたこ焼きは冷凍だ」
なぜかチート取得イベントの参考に別の長寿番組が混じっていた。確かにそっちの番組も残念賞はタワシであるが。
魔王様には当然それは伝わらないが、とりあえず意味がなさそうな物だと認識し、それ以上は触れずに別の問い発する。
「タワシは偶然の結果だとしても、なぜ汝を呼んだ神は、そのように欠片を授けたのか……」
魔王様の疑問はまたも当然だろう。勇者は間接的に、神が邪神に対応するための手段なのだ。そんないい加減に決めていいはずはない。夢見がちなお年頃だと憧れる、際限ないチョー無敵な最強パワーなどは無理だとしても、きっと勇者が小学生の頃に見たであろう昔のテレビ番組と同様にルーレットダーツで決定しようと思うのか。
「業……ってったか? なんか、俺のそれまでの生き方を反映したら、そうなったらしい」
勇者の説明に、魔王様は思う。
――最初から徳の高いヤツ呼び寄せろよ。
やりくりは大事だ。リソースにしても資金にしても資源にしても、なんでも限りがある。上を見れば際限はない。理想は現実を突破できるのだから、ある程度で妥協して、それで可能な最高を行うしかない。
しかし最初から妥協してしまうのもどうかと思う。業――つまりは良い子ポイント量でチート取得イベントつまりはダーツの本数が変わるならあるいはイベントそのものが変わるなら、見るからに凡百な男子学生を呼び寄せなくても、もっと選択の余地があったのではなかろうか。人生経験が少ないごく普通の男子高校生をチョイスせずとも、善人とされるご老体でも召喚し、若返りチート多めでルーレット回してもよかったのではなかろうか。『急募! 異世界救ってみませんか! オーバー六〇歳限定、若返り保障』などと募集をかけると、胡散臭さを感じつつもそれなりの応募数があるのではないか。悲しいことに良い人ほど騙されやすいのだ。そこから選べばよいのではないだろうか。
そんな正論に意味はない。感情論に囚われるとと、人はそんなものだ。巻き込まれた少年勇者に言っても、聞く耳は持たないだろうし言っても仕方ない。
大切なのはこれから。方法論であろう。タワシ勇者は如何にして勇者としての役目を遂げることができるか。
「タワシでどうやって魔王を倒せって言うんだああああぁぁぁぁっ!?」
当然だろう。方法論にも大いに問題があった。創意工夫を重ねようと、どうにかなる問題とは到底思えない。
「その前に、どうやって我の下にたどり着けたのか、そちらが疑問なのだが」
そして魔王様の疑問ももっともな話だ。ここは居城――しかも王座なのだ。ここに至るまでに幾多の部下たちと相見え、打ち倒さねば、来られるはずはない。
だが少年勇者は割かしアッサリなんでもないことのように、その経緯を説明する。
「まず、入り口は?」
「あの竜っぽいのか? なんか汚れてたからタワシで鱗こすったら、喜んで通してくれたぞ?」
魔王城の門番たるエイシェント・ゴージャス・ドラゴンは、あっけなく陥落されていた。ただのドラゴンではなく、息を浴びた生き物は生きながらにして宝石と化す、強大な希少種。
というか魔王様的は思わなくもない。
――倒してくれてもよかったんだが。
ヒカリモノが好きで(?)、鱗が宝石な彼(?)が倒れれば、人間軍との戦争で逼迫する軍事費の穴埋めとかできないかなーと思ったり思わなかったり。あと、金銀財宝大好きな者なら大喜びする光景かもしれないが、いつも反射光でイルミネーションのようにチカチカするので目に悪い。視界に入るだけでうざったい。
というか、倒す倒さないはさておいて、磨かなくてよかったのに。長い年月で汚れてくすんで、目に優しい丁度いい感じの照り加減だったのに。きっと山奥のダンジョンにでも棲んでいれば、山肌にこすり付けて往年の輝きを保たせるのかもしれないが、魔王城ではそれもままならない。そんなことをされたら城壁が崩れるので、厳しく躾けた。というか昔の魔王様が死霊峰に散歩をした時に、ダンボールの捨て子犬と同レベルで連れ帰って、大きく成長してしまってどうしようもできなくなって、仕方なく飼っていたのに。魔王にあまり愛着を持たれていないことは竜も重々理解してたのか、久しぶりに構ってくれた勇者に喜んで道を開けたのか。
あと宝石をタワシで磨いたら、大変なことになるのだが。生き物の一部と化していた宝石なのだから、傷ついても今更かもしれないが。
「一緒に、リビングアーマー軍団が待機していたと思うのだが?」
「玄関ホールのか。ちゃんと手入れしてやれよ。サビてたぞ」
「連中も手入れしたのか」
「あぁ。そんでタワシ渡したら、やっぱり喜んで通してくれたぞ」
魔王様謹製リビングアーマーは、無駄に人工知能が高性能だった。
まぁ、それはいいと深くは触れず、魔王様は次なる問いを発する。
「次……鎧を着た大男と会わなかったか?」
「あぁ。会った」
「アイツの鎧もサビてた、ということはないと思うのだが」
「あぁ。なかった」
三魔将が一人、豪腕岩乗のアリ。巨人族の末裔たる巨躯を、神性金属オレイカルコスの鎧で身を包んだ男。手にした巨大な斧を振り下ろせば山を砕き、千の軍勢も一人で殲滅する、側近一の武闘派。
戦う術を持たない勇者など、誇張ではなく指一本で叩き伏せるだろう。そうならなかった理由を、勇者はアッサリ語る。
「健康タワシあげたら、喜んで通してくれたぞ」
魔王様は思う。
――健康タワシってなによ?
それが世間の認識であろう。タワシとは掃除道具で健康とは結びつかない。
しかし亀の子タワシの元祖も認める健康法で、要は寒風摩擦と同じ、皮膚を刺激し血行を高めるマッサージだ。世にはボディケア用に「健康タワシ」なる商品も存在する。某通販サイトでは、タワシは「ホーム&キッチン」だけでなく、「ヘルス&ビューティー」にもカテゴライズされている。
そもそもタワシは男気を上げるアイテムなのだ。世の大多数には伝わらないだろうが、一部ではそう認知されている物品なのだ。鎧を脱がないから魔王様でも素顔の記憶に自信がない豪腕岩乗のアリ(32歳・独身)は、ちょっとナルシスト入っている割に引っ込み思案なので、文字どおり自分を磨くのに最適と思ったか。
まぁそれはいいと深くは触れず、魔王様は次なる問いを発する。
「次……肌も露な女と会わなかったか?」
「あぁ。会った」
「まさか美容のためにタワシを渡したら通した、とかないであろうな?」
「あぁ。なかった」
三魔将が一人、妖麗邪智のエスメラルダ。夢魔に相応しい妖艶な容貌を持つ彼女は、気を遣わずとも種族特徴として永遠の美貌を持つはず。それで彼女は幾多の男たちを篭絡してきた、諜報と知略に優れた間諜なのだから。
彼女にかかれば、老人であろうと同性であろうとメロメロ(死語)になる。異性に興味津々な年頃であろう勇者など、ひとたまりもないだろう。そうならなかった理由を、勇者はアッサリ語る。
「代わりにタワシコロッケを教えたら、喜んで通してくれたぞ」
魔王様は思う。
――なにそれ? 食えるの?
それが世間の認識であろう。タワシとは掃除道具で食品ではない。
タワシコロッケとは、浮気をする夫が帰宅した際、キャベツと共にタワシを皿に載せて「貴方、お夜食は? お夜食は~?」と満面の笑みで妻が提供する、カオスティックな昼ドラ料理だ。
もちろん貞淑な妻が愛する夫のために作った料理であるはずがない。「浮気なんてしやがって。私を愛しているなら、食べてみがれ」という遠まわしな脅迫というか、食べやすさの観点からスベスベマンジュウガニ(有毒)踊り食いかシャグマアミガサタケ(有毒)一気食いの方がマシではないかという、究極の選択だ。最近「そろそろ結婚して落ち着いた生活を送りたい」とこぼす妖麗邪智のエスメラルダ(136歳・独身)は、同族の男と同棲生活を始めた。しかし夢魔に貞淑さを求めるのは誰が考えても無理であろう。というか自分はどうなのだ。なのに嫉妬深さを発揮してどうなるか。落ち着いた生活など夢のまた夢としか思えない。
まぁそれはいいと深くは触れず、魔王様は次なる問いを発する。
「次……ローブを着た老体と会わなかったか?」
「あぁ。会った」
「まさか食べ物としてタワシを渡したら通した、とかないであろうな?」
「あぁ。なかった」
三魔将が一人、法界老獪のリ・ヴィ。死霊と化して尚行き続ける、魔王軍随一の頭脳派にして参謀。数百年の時を生きた経験は何物にも変えがたく、この世の全てを知っていると錯覚する知恵袋。
彼にかかれば知略らしい策など使わずとも、勇者には対抗できないだろう。そうならなかった理由を、勇者はアッサリ語る。
「ペット代わりにタワシを渡したら、喜んで通してくれたぞ」
魔王様は思う。
――いや待て。ペット?
それが世間の認識であろう。タワシとは掃除道具で愛玩動物ではない。
しかし現代日本でも、犬のようにリードをつけてタワシを散歩させる、まるで都市伝説のような人物が実在するのだ。ネット界隈では割と有名。
そして彼の者は言った。「過去を引きずるよりタワシを引きずっておけ」と。
普通の老人であればボケを心配する年齢を超越しているが、頭脳は現役。しかし法界老獪のリ・ヴィ(享年86歳)は、死して尚生き続ける自分に耐えられなくなったのだろうか。一人になるとふと寂しそうに窓から外を見上げて、物思いにふけるその姿は、魔将としての自信も老獪さもない。周囲が老い、死に、朽ちていく様を見続けなければならない、壮絶な悲哀に満ちた老人そのものだった。
だから癒しが必要なのかもしれない。「亀の子」と名づけられてもタワシは所詮タワシでアニマルセラピーは無理だが、ヌイグルミを可愛がるようなドールセラピーになるのかもしれない。
ひとまず魔王様は理解した。
――タワシって結局なに?
などという、日本人でない故の疑問と共に。もうアホくさくて流したと言った方が正確だろうが。
そして大事なのは過去ではなく未来なのだ。魔王様は気を取り直して問う。
「それで、勇者よ。どうするのであるか? 我を滅ぼさんとするか?」
歯向かう者は叩き潰す。それが魔に属する者たちが共通して持つ、本能のような思考だ。如何に神の欠片がタワシとかいう正体不明珍妙物体であろうとも、勇者の使命感で立ち塞がるならば、死を鉄槌を下すのみ。
しかし勇者は身構えもしない。それどころか床に膝を突き、両手も突き、頭も突くくらいに垂れる。
日本人としてどこへ出しても恥ずかしくない、いや別の意味では恥ずかしい必殺技・平身低頭DOGEZAスタイルと共に勇者は叫ぶ。
「勇者なんてやってられないんで助けてください!」
対する反応は、魔王様は内心で頭を抱え、表面的には仏頂面になる。
「…………またか」
なぜそれを頼むかという疑問を挟むことなく、魔王様はただただゲンナリした。
「また?」
「汝が四人目の勇者であると話したであろう……前三人、同様のことを我に頼んで、保護を求めおった。『あんな神に付き合ってられない』と」
「え? 他の勇者、生きてるのか? 死んだって聞いたのに……」
「殺してはおらぬ」
魔王様は微妙にニュアンスを変えて、唖然とした勇者の疑問に答え、遠い目で語り始める。
「最初の勇者に与えられた神の欠片は、聖剣を与えられていたな」
「すげぇ……それぞ勇者って感じ」
「同時に……『ひっちはいく』とか言ったか? 通りすがりの馬車に相乗りしないと動けないという、移動に制限を加えられた旅を強制させられたとか」
「大きい制限だろうけど、なんとかなりそうな……?」
自動車のないこの世界であれば、移動速度の遅さは致し方ない。居住性の快適さを追及した二一世紀地球産の乗り物に比べたら、尻に相当なダメージがあるだろう。そして召喚された国から魔王城までは、大陸と海を越える果てしない長旅に違いない。
一大ドキュメンタリー番組として成立できる、年単位の時間がかかる偉業であろう。この時にテーマ曲を作るとヒットしそうで、ゴール後には旅行記がベストセラーになりそうだ。魔物の脅威も勇者チート込みで考えると、いずれは到達できそうな、困難でも到底不可能と言えるほどでもないかもしれない。だが。
「我の城に向かおうとする『通りすがりの馬車』があると思うか? 相当強力な神の欠片を与えられたようだが、代償に街や村の中以外では、徒歩での移動ができない仕様だったそうだ」
「あ」
あるはずはなかろう。魔王様のお膝元に行こうとする馬車など。仮にあるとすれば、乗っているのは魔王の部下ではなかろうか。果たして勇者などという魔王の敵を乗せてくれるであろうか。
「この場にやって来た時には、疲労困憊どころか、半死半生の体であったぞ……」
だがどうにかして魔王城にやって来たらしい。果たしてどうやって移動したのだろうか。仕様の隙を突く裏技を発見したのだろうか。紛争地帯を避けるために飛行機に乗ったような行為を行ったのだろうか。
その具体的な方法は明らかにせず、魔王様は話を続ける。
「二番目の勇者は、神の欠片として与えられたのは時間停止。一呼吸ほどの間、時の流れを無視して動けるのだとか」
「それもすげぇ……敵なしじゃん」
「ただし送り込まれた先は、無人島であったとか。島にあるものを利用して脱出し、我を倒せというのが、欠片と引き換えに神に与えられた試練だったとか。島があることを誰も把握していないような僻地では、脱出するのに八年ほどかかったそうだぞ」
「趣旨変わってるだろ」
多人数ならば過酷な生き残りサバイバルゲームが始まるのが通例だが、一人では男性アイドルグループが開拓的な割とのんびり展開なのだろうか。
というか魔王討伐のために異世界召喚が行われるというRPG展開なのに、始まったのはサンドボックス系サバイバルシミュレーション(しかも割とハードモード)。どう考えてもジャンル違うことに加えて、長き時を経て島を脱出して尚「さぁ冒険の始まりだ。魔王を倒しに行こう」などと思うことができるだろうか。苦難から解放されてハッピーエンドかと思いきや、ようやくスタートを切ったばかりなど、心をへし折る悪魔の所業だ。それを課したのは神のはずなのに。
「この場にやって来た時には、疲労困憊どころか、半死半生の体であったぞ……」
それでも魔王城にまで足を運んだのか。神の欠片と一緒になにか強制力でも働いたのだろうか。
その辺りの真相は明らかにせず、魔王様は話を続ける。
「三人目は……我もすべては理解がつかぬ、不思議なものであったが、異世界と、文字と絵のやり取りができるという、不思議な手鏡を神の欠片として持っていた」
「……? スマフォ?」
「あぁ、そう呼んでおったな」
「現代知識チート……」
地球とネットが繋がり、情報をダウンロードできるということは、この中世ヨーロッパ風異世界で俺Sugeeが行える。
きっと勇者はそんなことを考えただろう。
「旅の模様を書き込んで、それを見た者の反応で、旅の資金を支給される仕様だったらしい」
「ブログ旅……! ってゆーか他にあるだろ! モンスターを倒したらとか財宝が手に入るとか!」
「没収されるらしい。飲食の施し程度は大丈夫だったようだが」
関西圏在住の方でないとピンと来ないバラエティ仕様だった。
というか一般人の旅ブログなど、どの程度の知名度があるのだろうか。異世界の旅行記などを見せて、果たして読者がついて来てくれるものなのだろうか。ネタ的にはアリかもしれないが、『今日は野盗に襲われました』などという書き込みを行って、コメントしてくれる人々がいるものなのだろうか。
というかそもそも俺Sugee仕様な神の欠片で、魔王討伐ミッションは荷が重いのではないだろうか。内政Sugeeやって金の力でなんとかできるという問題でもなかろうが。
「この場にやって来た時には、疲労困憊どころか、半死半生の体であったぞ……」
それでも三人目の勇者は無事に魔王の居城までたどり着いたのか。それほど意思が強かったのか、なにか強制力が働いたのか。
その辺りの真相は明らかにせず、魔王様は話を続ける。
「そして、四人目」
「……タワシははずれ神の欠片だと思ってたけど、案外当たりだった?」
勇者に与えられる能力の便利さと、旅の過酷さは反比例しているのか。というか神はなにをさせたいのか。理不尽に部下を振り回すダメ管理職のように、思いつきで勇者を違う世界からさらって送り込んでいるのだろうか。本気で魔王倒させようとしているのか甚だ疑問だ。
しかし求められるのは結果なのだ。過程が評価されるのは子供の時分までだ。しかも「受験に失敗したけど頑張って勉強したから入学できます」という理屈は、エスカレーター式私立幼稚園入試から通用しないのだ。「過程が大事で結果が全てではない」という言葉は真実であるが、多くの場合は落伍者の言い訳なのだ。結果も大事、過程も大事で、二者択一にすること自体が間違いなのだ。
そして今、勇者は挫折した。タワシでどうやって魔王様の下までやって来たのか、魔王城内はまだしもそれまでの過程に不明部分が多いが、とにかく結果を出すことを放棄した。
「…………我も邪神様から、神の力を授かっておる」
代わりに、そこはかとなく疲れた態度で、魔王様は明かす。
「遠くに物を運べる力だが、我が望むままにはならず、さほど大きなものでもない……その代わりに、どこでも送れる」
なんだか中途半端な能力だった。魔王様が授かったのはこういう神の欠片であり、メタ的ご都合主義ではない。違うったら違う。
「汝を元の世界に戻すことが可能ということだ。前の勇者三人もそうして元の世界に送還した」
「本当か……!? 俺、帰れるのか……!?」
魔王様のお言葉に、勇者は喜色満面する。
そうだろう。具体策は結局不明だが、タワシで魔王を倒そうとする旅は、苦難と絶望の連続であったであろうことは、想像に難くない。
それに終止符を打てる。退屈な学園生活など嫌っていたが、今ならばその時間がいかに尊いものか、実感できぬはずはない。
――あぁ加藤、ごめん。借りてたエロ本、家に帰ったら即行で返すよ。巨乳サイコーと思っていたけど、やっぱりバランス大事だよな。それに気づかせてくれた至極の一品、借パクもちょっと考えたけど、やっぱり借りたものはちゃんと返さないといけないよな。冒険中ずっと引っかかってたんだ。
――あと莉那、ごめん。兄ちゃんが悪かった。妹なんてウザいと思ってたけど、離れてみて、ほんと家族って大切だってわかった。お前のアイス、いつも俺が食べてたけど、今後から絶対にそんなことしない。これまでの分も買って返す。冒険中ずっと引っかかってたんだ。
――そうだ。帰ったら、ずっと気になってた笹本さんに告白しよう。隣のクラスの西中島と付き合ってるっていう噂もあるけど小学校で同じクラスだった時、放課後の教室で縦笛ペロペロしたことバレて気持ち悪がられたけど、やっぱり諦めきれない。気持ち伝えたい。冒険中ずっと引っかかってたんだ。
そんな勇者の気持ちは、神の力の共鳴により、魔王様にも伝わってくる。幸いなのは文化の違う世界のことなので、魔王様はあまり理解できていないことだろうか。
「勇者よ。思い出すがいい。汝が帰る世界のことを」
魔王様はそう言いつつ、壁にかけられた地図に歩み寄る。
すると精度など考えておらず、土地のおおよそな位置関係が描かれたような地図が変化する。
「あぁ……」
思わず勇者の口から感嘆の息が漏れる。
それは彼にとっては見慣れているはずの、メルカトル図法で描かれた、この世界とは全く異なる世界地図だった。
当然そこには描かれている。四つの大きな島で構成された、生き物のようにも見える土地も。
魔王様は優しかった。敵であろう勇者が戦意喪失すると、こうして手厚くフォローするのだから。
単に暇を持て余した神々の遊びに付き合わされる勇者にウンザリしているのかもしれない。「次こそはマトモなの」と期待していたが、やって来たのはタワシだったので、早々に片付けてしまいたいだけかもしれない。
「では、元の世界に送り返す」
その辺りの真実は口にすることなく、魔王様は見せる。
いつの間にか手にしていた、ダーツを。
「待て。そのダーツはなんだ?」
思わずといった風に、勇者が声をかける。
「言ったであろう。送り先の細かい場所は、我の思い通りにはならぬと」
きっと魔王様の言葉と地図に、悪い予感を覚えただろう。いや仮にそんなコーナーを持つバラエティ番組を知らなくとも、誰でも悪い予感を覚えて当然だろう。
「ここ! ここに頼む!」
勇者は慌てて地図に駆け寄り、一点を指差す。全体からすればちっぽけな、しかし彼にとっては平和な日常が詰まっていただろう、指で隠れてしまうほどの小さな島国を。
魔王様は地図に対して斜め四五度の角度に向き合い、毛の長い絨毯を踏みしめる。
神の力が共鳴する。勇者が強く思うことが、魔王様の脳裏にも伝わった。
送還方法がコレしかないのかと疑問を挟まない。邪神も同類かと思う余裕もない。
躊躇はない。ダーツを握る腕から力を抜き、宙に固定した肘で投げる。
神の力が共鳴する。勇者が強く思うことが、魔王様の脳裏にも伝わった。
勇者はただただ魔王様の投擲が、島国を貫く奇跡を祈っている。
数瞬の間を置き、軽い音を立てて、ダーツが突き刺さった。
海を表す青い部分に描かれた、魔王様には読めない『Pacific Ocean』という文字の、『f』の交点に。
「あ」
勇者に空白が宿る。
しかし魔王様は構わずに、送還の呪文を唱えた。
「いってらっしゃい」
その後、勇者の行方を知る者は誰もいなかった……
ただなぜか四人目の勇者のことを、後の歴史書は「タワシ改めペロペロ」と小さく記載していた。