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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

なんちゃって文学もの

中華料理屋は殺人鬼の御用達

作者: ユリイカ

※人が死ぬ・殺される描写があります!


 今にも殺害現場化しようと、ジメジメした空気が一瞬で鋭利なものを孕む。


 辛気臭いその路地裏はちょうど中華料理店のゴミ捨て場と併設してある。百歩譲っても、死臭しか漂って来ないだろうという偏見はあながち間違いでもなかったらしい。アルバイト先の裏口へゴミ捨てに出た男は、右手にぶら下げた仕事とドアの向こうとを見比べてそんなことを考えていた。左手で回したままのノブが重く感じるのは、意識が違うものへ向いてるからかただ掴んでいるものが古くなっているからなのか。夕方から深夜営業を主とする飲食店にトラブルは付き物だ。酔っ払いに、若気の至りや、とんだクレーマー。これまでにも様々な不幸に遭遇したつもりだったが、血だらけの人間を発見したのは初めてのことだった。今にも倒れそうな誰かの眼と眼が合った気がした。その虚ろな目玉はもう見えてもいないのかもしれない。対峙するように立つ加害者の背中は、酷く小さい。そして、振り上げた小さな白い手が躊躇なく新しい鮮血を描くのを見たのも初めてだった。暗いビルとビルの間に、休憩室のライトが差し込んでいる。飛び散ったものが、向かいの不動産屋の壁を赤く染め、照らし出されていた。斜め上に筆を走らせたような、飛び散った点と線。鉄の錆びたような匂いが鼻を突き抜けていく。うわっでもなく、ぎゃーでもない誰かの悲鳴が聞こえた。悲痛な叫びはすぐに闇に呑み込まれて消える。それよりも早く小さな後頭部がさっと動く。髪も瞳も夜色に透過していて、抜けるような白い肌だけが浮き彫りなっている。子どもだった。まだ十代前半の、少女だ。闇を移した少女の目には何の感情も読み取れない。その向こうでズルズルと反対側の壁をずり落ちて行く物体との違和感。男は初めての光景に目を見開いていた。


 何だ、これ。

 音になっていない呟きは、無意識だった。


「仕事。」


 白い顔の中で絵の具を垂らしたように赤い唇がそんな単語を言う。淡々とした声に、感情はひとつもみえない。仕事というキーワードに相応しい無機質さだった。中華料理店の店長は、仕事は情熱よっと言っていたが男はそんなものはいらないと考えていた。数をこなし質を落とさないなら感情など、むしろ不用品。あれほど厄介なものは無い。ヘマしてどやされれば落ち込むし、クレーマーには愛想よりもvサインで目つきを差し上げたいくらいだし、なによりモチベーションに振り回される自分に疲れるからだ。だから、その声には好感を持つはずだった。男の目指すスタイルが、まさにそこにある。けれどどうだろう、いざ目にした現実は鳥肌ものだ。歓喜などではない、底冷えするような恐怖が腹の中でぐるりと回る。ついで、気持ち悪さがのど元まで込み上げる。ドアに寄りかかったまま、俺は吐いた。賄いで出された炒飯が見るも無残な姿で地面に飛ぶ。口を押える暇もなかった。


「人が死ぬのを見たのは初めてね。」


 下を見たまま顔を上げられない俺に無機質な声が届く。吐き気が治まらず、第二派に耐える身では碌な返事も出来ず俺は小さく頷いた。


「初めての人間は吐くと聞いたことがあるもの。冗談かと思ってたけど。」


 どこか感心したようなそうでもないような、抑揚のない声が先ほどよりも傍で聞こえた。視界に小さな白い靴が見える。自分が死ぬかもしれないと思ったことはこれまで一度もなかった。しかし、実際に自分が殺されるかもしれないという業況で俺が考えていたのは、この白い靴が俺が吐いたもので汚れてしまうのは嫌だなという余計なお世話な事だった。


「どうしたらいいと思う?」


 それまで此方の意思など気にしなかった少女は、俺の傍へくるとしゃがんで顔を覗き込むようにしてそう尋ねた。


した方がいいのか、放置した方がいいのか。どっちがいいと思う?」


 されるのも、放置されるのも恐らく俺のことだ。そんなことを本人に尋ねるなんてこの女の子は頭が可笑しいんじゃないかと叫びたくなる。だが、人を殺す奴だ。正常者であるはずがない。


 ぶるぶると小刻みに膝が震える。死が、鼻先まで顔を寄せる少女から形もなく忍び寄る。それは空気に乗って鼻から気道を通って肺を満たし、体中へ運ばれていく。意識の管理下にない避けようもない恐怖だった。


「どっちがいいのかな。仕事・・を見られたのは初めてだから、分からない。」


 少女が近づけた顔と顔の間にすっと何かを滑らせた。右下から音もなく現れたのは刃渡り10センチほどのナイフ。背の先端から中間まで、のこぎりのような細かな山があるものだ。白銀の刃には赤がべっとりとついている。ふわっと口腔にまで香る血。人の命を易々と奪った凶器から命の匂いがする。視覚と嗅覚、味覚に与えられる倒錯的な刺激。

 再び込み上げる吐き気に、少女の体を遠ざける。ただ、自分の吐いたもので誰かを汚すのを無意識に避けただけだった。斜め下を向きながら喉元をせり上がるものが押え切れずに地面を汚す。その横に手を付くとはぁはぁと荒い呼吸を繰り返す。地面に付けた両膝はまだ震えたままだ。


「変な人間。今、どうして私を遠ざけた?汚れるから?」


 答えない俺に、少女が顔を寄せる。


「自分を殺す相手を気遣った。」


 変な人間。吐いてしまう位、メンタルが弱いのに。


 続く言葉に心の中で同意する。俺は変な人間だ。アルバイト先でクレームが投げつけられる度、仕事に感情なんて無用だと呪詛のように思いながら、熱意を語る店長を眩しくそしてうっとしく感じていた。それでもやはり、面倒事に巻き込まれては機械のような仕事人間に憧れる。

 そうかと思えば、実際に淡々と仕事・・をこなす存在を目の当たりにして抱いた感想は底知れぬ恐怖と神聖なモノを見たような畏怖。


「・・・そうかもな。」


 小さな殺人鬼の言葉に肯定する。苦い唾液を飲み、少しばかり過去を振り返る。短い人生だった。平均寿命まであと60年はある。しかし、普段の食生活を考えるとそう長生きではなかっただろう。もしかしたら明日にでも死んでいたかもしれない。

 それなら、誰かに殺されるのも悪くない気がした。少女は美しい。闇の化身にふさわしい冷徹さと無機質な空気感が心地よい。煩い世間の喧噪もここには届かない。


 ゆっくり目を閉じると、仰向けに地面へ転がる。背中がひんやりと熱を失っていく。


 さぁ、一重いにやってくれ。



「・・・?」


 しかし、待てども待てども静寂の中で少女が動く気配はない。当然、男の身に痛みや死が訪れることもなかった。目を開ける。暗闇に慣れた目に少女の白い肌がぼうっと光って見えた。じっとこちらを観察する少女の瞳にははっきりとした戸惑いと好奇心が入り混じった年相応の光があった。黒い瞳に明るい色を見つけたというのも変な話だが、そこには確かに生への興味がありありと浮かんでいた。


「死ぬのが怖くないのか?でも震えていた。お前は変だ。はじめてだ、お前みたいな人間。」


 殺されないかもしれない。そう思った時だった。


「っうぐぁあああ!」


 振り上げられた手。白く輝く刃。経験したことのない痛み。

 左腕をえぐる凶器の冷たさと焼けるような熱。

 鼓膜を突き抜ける男の悲鳴が数秒後には声にならない潰れた音になるほどの。

 

 痛み。

 

 熱。

 

 痛み。

 

 激痛。

 

 頭が真っ白になるほどの、それは痛み。



 少女は薄く笑って、男の左腕にナイフを突き刺しそこに何かを刻む。深く抉るように施される殺傷行為に暴れる。手足を振り乱し、背中をそらす。しかし突き刺さった刃は少女の気が済むまで抜けることはなかった。





 気が付いた時には、男は見慣れた古い木造アパートの一室に寝かされていた。男の部屋だ。額に張り付く髪をかき上げようと腕を上げかけて、鋭く走った痛みに顔をしかめる。喉の奥から掠れた似た単音が出る。確認するまでもなく左腕だ。利き手がこれでは、日常生活に支障をきたすだろう。男は両効きであることをはじめて便利だと思った。現実逃避をするようにどうでもいいことを考える。瞼は重く頭も痛い。体中の発熱は左腕からのもので、包帯のまかれたその下には禍々しい痕が残っているだろう。誰が処置したとか、あの後どうなったなどということは考えたくなかった。眠りたくもなかった。


 再び目を閉じてしまえば、あの夜の痛みに引きずりもどされて今度こそ死ぬと思ったのだ。死ぬことは怖い。死んでもいいと思うのと、実際に死ぬことは違う。

 この腕の傷の痛みが、男にその二つの間にある果てしない違いを身を以て教えていた。

 しかし、不思議と加害者である少女への恨みはなかった。そんな自分に眉を顰め、男は目を閉じずに天井の木目をただずっと眺めていた。






 男はまたいつもの日常に戻っていた。あの奇妙なそれでいて恐ろしい夜から二月ふたつきが過ぎていた。三日前まで、仕事に復帰できずに男は家の中で引きこもりのように過ごしていた。部屋に残されていた大量の医薬品と定期的に届く食料。それは、男が外出できるようなると、ぴたりお届けられることはなくなった。その送り主が誰であったか、それは考えたくないようなでも真実を確かめたいような、そんなもどかしい気持ちを持て余す二か月だった。




 復帰すると、店長は入院していた男を心配し、もう大丈夫なのかと聞かれた。それは誰だと男は言いそうになったが、話を合わせておく。滞りなく日常は回っていた。あの日死んだ誰かの存在が初めからなかったかのように。

 

「いらっしゃいま・・・」


 店頭で来店した客へ呼びかける。

 深夜を過ぎた夜を背負って、店の引き戸を開けたのは、少女だった。

 黒い瞳に白い肌。赤い唇が三日月を描く。


「傷は癒えたか?」


 心臓を掴まれたように、でも男はこの二か月間ずっとその声を心のどこかで待っていた。




 


 

 


 



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