六
僕らは、河本かんなの住むマンションにたどり着いた。いるかどうかは分からない。どの車が彼女のものなのかは知らないし、持ってないということもある。とにかく、行くしかない。
「いますかね?」
「さぁ、それは分かりませんが、行くしかないでしょう。」
「凛先生に言わなくてもいいのですか?」
「……さぁ、そこは分かりません。しかし、凛さんも独自で何かをしているというのであれば、そこは置いとくしかありません。」
そう言って、僕は、ロビーから河本かんなのところにインターホンを掛けようとした。しかし、その手は、何者かに遮られた。
「……誰ですか?」
その男は、マンションの中なのに帽子を被り、スーツを着ていた。持っているバッグからは、白衣が覗いている。医者だろうか?
「いや、何をしようとしているのかと思ってね。」
「……あまり、話せないことなので。」
「ほう、そうか。私は、友人に頼まれて、ちょうど君たちが行こうとしている部屋の住人のケアをしたところなんだ。あまり、刺激をして欲しくないのだが。」
「友人?」
「柳沢凛と言えば、分かるかな?」
「凛さんが!?」
あの人がどうして医者なんて呼んだのだろうか。おそらく、昨日のDVについてであろう。というか、単独の用って、まさか、このケアのことだったのだろうか。
別に、それなら僕らがいたとしても、大して問題なかったような気がする。それとも、ケアは一人でさせなくてはならなかったのだろうか。ん、凛さんは?
「……彼女はどうだったのですか?」
「ん? 相当、怯えてたね。かなりの暴力を受けていたらしいし、もっとひどい目にあったそうだ。」
「……凛さんは?」
「ん? やはり、まだ気づいてなかったか。私の変装も捨てたものじゃないな。」
「え?」
彼は、帽子を取り去り、頭のかつらを外した。昨日のように長い髪が流れるように落ちていく。顔は、目が一重のように見え、やや男らしく見える。だが、よく見てみれば、柳沢凛のものであった。
「人間は頭と服装で判断するからね。ま、あと、声も変えてるから、分かるものじゃないか。」
「やはり、凛先生でしたか。」
「え? 知ってたのですか?」
「何となくですけど。この人、名前を名乗らなかったでしょう? それに、私は何回も見てるので。」
どうやら、優花さんは知っていたようだ。凛さんは、度々この姿を利用しているようである。声を変え、髪型を変え、よく見れば身長も変わっている。これでは、気づけない。
「で、ここまで来たってことは、何か気付いたのね?」
「はい、一応、おおよその仮説は。凛さんは何を調べたのです?」
「河本かんなの精神状態とアリバイの確実さね。あの二人が殺害を犯すのは、百パーセント不可能よ。あの、長身の男、というのは、おそらく橋本雄大で合っていると思うけど、殺害時間後に訪れたのね。」
「河本かんなの精神状態って……。」
「えぇ。いくつか心理テストとカウンセリングをしたけど、かなり荒んでたわ。あの人は、相手がどんな奴でも、とことん入れ込むタイプね。だから、DVを受けても愛せた。でも、何かに相当、恐れてたし、カウンセリング中にいくつか反応した言葉があったわ。」
「それは?」
「殺害、死亡推定時刻、トロフィー。そして、面白いことに、アダルトサイトも反応したわ。」
「……凛さん、まさか、僕の推理に足りないものを分かってましたか?」
「えぇ、あなたはかなり有能なのは分かったけど、ここはつまづくと思ってね。私、これでもカウンセラーの資格はあるから、上手く探れるのよ。」
「あぁ、それであの変装でしたか。」
「そうね。」
凛さんが集めてくれた情報のおかげで、完全にピースは埋まった。確かに、証拠はない。だが、状況的な証拠、心理的な証拠は完全に揃ったのだ。
「で、どうするのですか?」
「そんなの決まってるじゃない。あの子の性格からして、自首させればいいだけよ。」
「そんなことは出来るのですか?」
「うん。だから、私にあなたの仮説を教えてね。」
僕は、自分の仮説を凛さんへと語り始めた。 それを聞いた凛さんは、ゆっくりと一人で河本かんなの部屋へ向かっていった。
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その日、河本かんなが自首をして、事件は終息した。罪状は傷害罪。凛さんの言伝てと状況的不可能ということもあって、殺人罪にはならないみたいだ。被害者を傷つけたトロフィーは、指定された公園に埋まっていた。
僕らは、河本かんなを警察署まで届けた後、優花さんの運転するパトカーで、事務所まで帰っていっていた。
「それにしても、どうしてこんなことになったのですかね? 予測はつきますけど……」
「あ、それ、私も知りたいです。死因や傷の原因は分かりましたけど、どんな顛末でああなったのか気になりますし。」
「そうね、おそらくだけど、被害者の加藤智彦は、河本かんなと橋本雄大の仲に嫉妬していたと思うの。」
「嫉妬?」
「うん。河本かんなが自分以外の男と仲良くしている、というのが疎ましかったのでしょう。それに、河本かんなから、別れ話も出されていた。しかし、同僚でそれなりに仲のいい橋本雄大に何かする訳にいかない。そこで、河本かんなを脅そうとしたのよ。」
「……AVに売り込むぞって脅そうとしたのですね。」
「そ、多分、加藤智彦からすれば、単なる脅しだったのでしょう。でも、普段から暴力を受けている河本かんなからすれば、それは恐怖以外のなにものでもなかった。彼女の性格上、否定なんて考えられない。加藤智彦は好き、でも、それは怖かったの。」
「だから、近くにあったトロフィーで殴り付けた。」
「そう。ここからがこんな変な事件になった原因だけど、河本かんなは実際には生きている加藤智彦を殺したと勘違いしてしまったのよ。まぁ、頭の傷はかなり血は出るからね。そこで、橋本雄大に助けを求めて、落ち着くために散策してたの。あれは、遊びにいったんじゃなかったのよ。」
「……にしても、原宿だと、人が多すぎて落ち着かないんじゃないですか?」
「いえ、河本かんなは一応、他人の彼女よ。橋本雄大は、河本かんなのことを思って、配慮したのね。おそらく、二人で合流した時点では、橋本雄大はどんな状況か理解してなかったの。いつもの遊びと思ったのじゃないかしら。それに、カフェという場所は面白くて、他人が気にならなくなるのよ。よく、二人組でイチャイチャしてるでしょ?」
「……続けてください。」
「ここで、加藤智彦の話に戻るけど、彼は頭の一撃で脳震盪を起こしてたの。そして、三時間後に目が覚めた。場所が悪かったのでしょうね。ふらついて、棚にぶつかって……ってこと。これが、被害者が死亡するまでの展開よ。この事件は、あのトロフィーの数が鍵だったのよ。」
確かに、それだと筋は通っている。かなり予想が混じっているとはいえ、これが大体のあらましなのだろう。だが、ここではまだ、よく分からないことがある。
「なら、あの河本かんなの涙は……。」
「えぇ、おそらく、殺したではないけど、愛した男を間接的に殺したと思ったからでしょうね。初めから、我慢してたんだと思うわ。」
確かに、それだとタイミングの意味が分かる。本当に傷つけたから、泣いたのだ。好きだけど、つらくて、苦しくて、色々な葛藤が頭に巡ったに違いない。
「では、橋本雄大が加藤智彦の部屋を訪れた理由は?」
「……これも多分なんだけど、罪を被ろうとしたのね。」
「え?」
「加藤智彦殺しの罪を被るために、自分がしたという証拠を作りにいったのよ、おそらくね。でも、彼は現場を見て気付いたの。彼女は、加藤智彦を殺してないって。」
「そうか、彼女が持っていったはずのトロフィーと別のトロフィーが血で染まっていたから……」
「そう。彼は、一瞬で何が起きたのか悟ったのね。だから、あんな態度だった。誰も殺しをしてないのが分かってたから、余裕だったのよ。」
「でも、それだと全く意味が分からなくなってしまいます!!」
「何が?」
「橋本雄大の態度ですよ!! いくら余裕でもあれはおかしいですし、いくら何でも献身的すぎます!!」
凛さんの語る橋本雄大は、あまりに献身的すぎる。何の得もないようなことをどんどんやっているのだ。こんな聖人みたいな人間、普通ならいないはずだ。それに、態度からも考えられない。
「多分、これが、彼が今回の事件をかき乱した理由ね。悲しいことだけど。」
「え……?」
「橋本雄大はDVに苦しむ河本かんなを助け、殺人を犯したと苦しむ河本かんなを慰め、身代わりになろうとした。さらに、私たちの聞き込みでも、あえて疑われようとした。全ては、河本かんなのために。」
「それって、まさか……。」
「そう。おそらく、橋本雄大は同僚の恋人である河本かんなのことが好きだったのよ。どんな訳かは知らないけどね。」