津軽富士
――10月。周りを囲む山々が、秋の紅色に染まる頃。
津軽の地はリンゴの収穫時期を迎えていた――
この日、天津一家はアップルヒルと呼ばれる、道の駅を訪れた。そこは青森市浪岡町にある。
[父]
「よし、着いたぞ。アップルヒルだ」
[母]
「へ~、こんなところさ、こういう場所があったんだねぇ」
[雪奈]
「周り、何にも無いねぇ。わかりやすーい♪」
[絆]
「お前、ハッキリ言い過ぎ」
道の駅は、ドライバーによる休憩施設としての利用が主な目的である。街から外れた所にあるため、周りには建物が無い。そのためアップルヒルの看板だけが、やけに目立っていた。
[雪奈]
「お腹空いたぁ~」
[父]
「あぁ、レストランでお昼にしよう」
……こんなところに、レストラン?
こんな何も無いところに、レストランなんか建てるとは。商売になるのだろうか。
しかし道路を行き交う車は、それなりに多い。駐車場には、それなりの台数が並んでいた。
[雪奈]
「早く入ろ~?」
[母]
「良い感じのレストランじゃない」
レストランに入ると、客席用のテーブルが余裕をもって配置され、ゆとりある空間を演出している。客席は8割程度が埋まっていたが、満席ではない。
俺達は空いているテーブルに座った。
さて、何を食べようかな……。
[父]
「絆、お前はこれを食べろ」
そう言って父が指示したのは『ちゃんこラーメン』……す、相撲か!?
サンプル写真を見るからに、ボリュームたっぷり。スープは、しょうゆと味噌の2種類が選べるらしい。
ちなみに、俺達は父に勧められて、ここに連れてこられた。どうも父は仕事の関係で、たまたま、ここに寄ったらしい。それが縁で、休日に俺達を連れて来ようと思ったようだ。
もしや、これを食べさせたかったのでは!?
[絆]
「う~ん、食べ切れるかなぁ?」
[父]
「お前は、それくらいで丁度良いだろ。育ち盛りなんだから」
[母]
「そうね。絆、お母さんにも一口頂戴ね」
[絆]
「う~ん……」
勝手に決めつけるなよな~。
[雪奈]
「あたし、それにする!」
[絆]
「はっ? ちゃんこラーメン?……マジ!?」
[雪奈]
「うんっ! 美味しそうだし! 全部食べれる自信あるよ!」
雪奈は普段から、ご飯もお菓子も、かなり食べる。好き嫌いは、ほとんど無い。それでいて太らないのだ。テニス部で汗を流していることも、その理由だろうが。
ここで兄としてのプライドが働く。
……なんか負けたくない。
[絆]
「じゃあ、俺もそれで!」
[父]
「よし、決まりだな。ちなみにお父さんとお母さんは、日替わり定食にする」
[雪奈]
「ハン兄~、あたしと、どっちが早く食べれるか、競争しようよ~♪」
[絆]
「ゆっくり食わせろよ」
[雪奈]
「あれぇ? あたしに勝つ自信がないのかな~?」
[絆]
「ゆっくり食べたいだけだってば」
[雪奈]
「そんなに、女のあたしに負けるのが屈辱かぁ~♪」
くっ、しつこい。やっぱり別のメニューにすれば良かった。
しかし、このまま引き下がるのは悔しい……ならば!
[絆]
「なら、何か賭けるか?」
[雪奈]
「いいよぉ♪ 何賭けるの?」
[絆]
「このちゃんこラーメンの値段。1000円を負けた方に払う、でどうだ?」
[雪奈]
「よ~し、受けて立とう♪」
何か賭けるものがあると、気合が入るもの。
よしっ、絶対に勝ってやる!
――しばらくして注文の品が届く。
かくして俺と雪奈による、ちゃんこラーメン早食い競争が幕を開けた。
[雪奈]
「よ~い、ドンッ♪」
俺も雪奈も、勢いよく食べようとする。しかしラーメンはまだ熱かった。
[絆]
「……!」
ふーっと息を吹いて麺を冷ましつつ、口に運んでいく。汗が滲み出てきた。しかし確実に量は減っている。
ちらっと視線を雪奈の方へ。するとペースは同じくらい……良い勝負か?
これは終盤の追い込みが、勝負のポイントになりそうだ。
[父]
「……」
[母]
「うん。この定食、美味しいわ~」
父と母は定食を食べながら、そんな俺達の様子を見ている。半ばあきれ顔で。俺と雪奈の間だけが、別の空間になっていた……。
少しずつラーメンの汁も冷めてくる。それに伴って、食べるペースが速くなった。
食べ終わるまで、あと少し!
……最後の一口であろう、麺の束をすすり切る。中に麺が入ってないことを、箸で確認した。
[絆]
「おし、完食!」
[雪奈]
「……!?」
雪奈はまだ食べ終わっていない。わずかに俺の方が早かったようだ。
ほどなくして雪奈も食べ終わる。
[絆]
「ふっ、俺の勝ちだな」
[雪奈]
「うぅ、負けちゃったかぁ~」
[絆]
「後で、1000円な」
[雪奈]
「ちぇ~、分かったよぅ」
勝ち誇り、勝利の余韻に浸る。
[父]
「まったなし、で」
ふいに父が店員に声をかけた。
何、どういう意味?
すると店員が、空になった土鍋を持って引き上げていく。
すぐに戻ってきた。土鍋の中にはご飯。おじやになっている。
……な、なにぃ~!?
[父]
「おじやは無料なんだ。遠慮なく食え。美味いぞ」
[母]
「すごい量ねぇ……大丈夫?」
[雪奈]
「すっごい! 1度に2度美味しいってこの事だね♪」
[絆]
「えっ、もう腹いっぱいだし。全部はムリ……」
俺は一人で食べきれず、父に手伝ってもらい何とか完食。雪奈は一人で食べきってしまった。
す、すげぇ……。
[雪奈]
「さすがにお腹いっぱいだよぉ……ハン兄! あたしの勝ちだね♪」
[絆]
「はぁ!? 勝負はラーメンの時だけだろ? だったら俺の勝ちだ」
[雪奈]
「そんなことないよ~!」
[絆]
「じゃあ、1勝1敗で引き分けってことで」
[雪奈]
「まっ、それで許してやるか♪」
いや~、本当にすごい量だった。味も美味しかったと思う。
レストランを後にして、俺達は別の施設を見て回ることに。
[母]
「農産物のコーナーがあるのね。安かったら、何か買って行こうかしら?」
[雪奈]
「あっ、リンゴの収穫体験コーナーって面白そう♪」
アップルヒルには、他にもイベント用広場、御土産コーナー、遊具広場など、数多くの施設がある。周りには何にも無いのに、この一帯だけ、建物の密度が濃かった。
[父]
「絆、何か欲しい物あるか? あまり高い物じゃなければ買ってやるぞ」
[絆]
「え、いいの? じゃあ……」
俺と父はお土産コーナーを回っていた。ご当地物を中心に、様々な品が並んでいる。
俺が特に目を引いたのは、ご当地牛乳のソフトクリームだった。
[絆]
「じゃあ、ソフトクリーム」
[父]
「あぁ、それなら、雪奈とお母さんにも買ってあげよう」
そうして家族4人分のソフトクリームを購入する。父と俺とで、2つずつ持って、母と雪奈に持っていった。
[雪奈]
「あ~! 美味しそう♪」
[母]
「ありがと♪」
これは、美味い♪
濃厚なミルクの味とほんのりした甘さ。そのソフトクリームは、食後のデザートとしても最適だ。一杯の腹にも、ペロリと平らげることができた。
アップルヒル。周りにこそ何にも無いけれど、入れば色んな物が有る所だった。
ドライブなら、デートコースになるかも。いつか彼女ができたら、ここに来たいなぁ。
そう考えたら、春香に会いたくなってきた。春香の住所は青森市だと言ってたよな。この近くに住んでるのだろうか。
ここに来たいなぁ。いつか、ふたりで……。
――そうして一家は車に乗り込み、アップルヒルを出発して、我が家へと向かう。
[父]
「絆、ラーメンは美味かったか?」
[絆]
「まぁ、美味しかったよ。おじやは要らなかったと思うけど」
[父]
「ははっ、実は父さんも前来た時に、食べさせられてな。やっぱり食べきれんかったよ」
[絆]
「そうだろうね……」
父による明らかな悪意を、感じ取れた瞬間だった。
[雪奈]
「お母さん。今日の晩御飯って何~?」
[母]
「そうねぇ。さっきの農産物コーナーで買ってきた野菜があるから。それを天ぷらにして、あとは何か適当に、付け合わせしようかしらね」
[雪奈]
「うん。分かったぁ♪」
[絆]
「お前、さっきあれだけ食ったばかりなのに。よくもう晩飯のこと考えられるなぁ?」
[雪奈]
「何さ~。悪い?」
[絆]
「べっつに。呆れただけ」
[雪奈]
「ど~せ、あたしは大飯喰らいですよ~だっ♪」
そう言って、にこやかに笑う。
俺は、そんな雪奈の表情に面食らうが、悪い気分はしなかった。
まったく、呆れるほど爽快なヤツ。
[母]
「あら、今日は岩木山が綺麗に見えるねぇ」
[雪奈]
「ホントだ。すごーい! 綺麗!」
外を見ると、視界の先には、赤く染まったリンゴの木が、一面に広がっている。その先に見えるのが岩木山だ。
岩木山は津軽富士とも呼ばれる。
標高はおよそ1600メートル。
富士山と比較すれば半分程度しかない。しかし周りに他の山が無いため、見える大きさはかなりのモノだ。その形状は独特で、頂上付近に凸凹がある。まさに"山"という字が相応しい。
日本一、高い山は富士山で、美しい山と言えば岩木山だと。多くの津軽人は、そう思っている。
[雪奈]
「ねぇ、今度あの山に登りに行こうよ~! ハン兄!」
[絆]
「絶対にイヤだ」
[雪奈]
「なんでぇ、楽しそうじゃん!?」
[絆]
「疲れるだけだわ」
[雪奈]
「え~? 登り切った時の達成感と爽快感が、疲れなんて吹き飛ばしてくれるよ♪」
[絆]
「お前、山登ったこと、ないだろ?」
[雪奈]
「ないよぉ。だからさ、ねぷた祭りと同じように、初めての感動を分かち合いたいな~♪」
[絆]
「まっ、50年後くらいに付き合ってやるよ」
[雪奈]
「もぅ~バカ兄!……いいよ~だ。春香ちゃん誘って行こうっと♪」
[絆]
「!……へ、へぇ~!? 勝手にすれば?」
しまった! 春香の名前を出されて動揺した!
[雪奈]
「もし春香ちゃんに誘われても、絶対に行かないんだよね~? せっかく誘ってくれてるのにな~。冷たいな~」
[絆]
「くっ!」
イタいところを突いてくる。春香に誘われたら、おそらく断れない。しかし男子たるもの、二言はないのだ!
[絆]
「あぁ~そうだよ。絶対に行ってやらないっ!……ふんっ!」
[雪奈]
「あ、拗ねた」
ニヤリと笑う雪奈。
[雪奈]
「か~わいい!……ニシシ♪」
そして頭をナデナデされる。
うぅ、ダメだ。今日は雪奈に勝てそうもない……。
――
―
岩木山が見下ろす津軽の夕暮れは、鮮やかな紅色に染まった。
もうすぐ、厳しい冬の季節がやってくる――