ねぷた祭り
――8月のはじめ。
蝉がやかましく鳴いている。
梅雨が明け、津軽の地にも本格的な夏がやってきた――
ここは家のリビングだ。
学校は夏休みに入っていたが、特にすることもない。俺は暑さのあまり、ソファーへ横になってダレていた。
そんな俺の様子を、雪奈がジトッとした目で睨む。
[雪奈]
「ハン兄……だらしない! もっとシャキっとしろ!」
[絆]
「あぁ~、なんで? 暑いじゃん」
いかに北国といえど、8月ともなれば、30度を超える真夏日は少なくない。まして、この家には冷房がないのだ。ある意味では、埼玉で暮らしてた時よりも、暑く感じる。
[雪奈]
「ハン兄を見てると、あたしまで暑くなるんだよぉ!」
[絆]
「だったら、見なきゃいいじゃん」
[雪奈]
「嫌でも視界に入るもんっ!」
[絆]
「入れるなっ!」
[雪奈]
「いーっだ!」
雪奈は捨て台詞を残して立ち去った。
……と思いきや、冷蔵庫からアイスクリームを取り出す。するとまた戻ってきて、見せびらかすように食べ始めた。
[絆]
「あぁ!? それは!」
俺が後で食べようと、大事に取っておいた、最後のアイスだ!
[雪奈]
「あぁ~、冷たくてお~いし! 生き返りますなぁ~♪」
[絆]
「雪奈~! それ、俺のアイス!」
[雪奈]
「え~? 知らないよぉ」
[絆]
「言っておいたろーが! これは俺のアイスだから喰うなって!」
[雪奈]
「覚えてなぁ~い」
くっ、食べ物の恨みは恐ろしいんだぞ!?
[絆]
「だったら、後で買ってこいよな、アイス」
[雪奈]
「お金くれたら、行ってきてあげてもい~よ♪」
[絆]
「って、俺の金かよっ!?」
[雪奈]
「と~ぜん♪」
[絆]
「……っ!」
それなら、自分で好きなアイスを買ってくる方がマシだ。雪奈にお金を預ければ、自分で食べるためのアイスしか、買ってこないだろう。俺と雪奈の好みは、異なっているのだから。
後で母に事情を説明して、お小遣いを頼んでみよう……。
[雪奈]
「ねぇ、ハン兄~」
[絆]
「なんだよ?」
俺はアイスの件で、しばらくの間ふてくされていた。
雪奈はそんな俺にかまわず、話を続ける。
[雪奈]
「今、ねぷた祭りってやってるんだよね?」
[絆]
「あぁ、そうだな」
青森県で夏に行われる有名な祭りのひとつに、ねぶた祭りがある。青森ねぶた祭りは東北3大祭りのひとつとして、全国的に名が知られている。
しかし津軽地方では、青森市以外の各地でも"ねぷた"が運行される。
青森市で運行されるのが"ねぶた"
それ以外は"ねぷた"
そして弘前では、ねぷた祭りが催される。期間は8月1日から7日までの7日間。
まさに街全体をあげての一大イベントである。どちらかと言えば、俺は青森ねぶたの方を、見てみたいんだけど……。
[雪奈]
「ねぇ、明日にでも見に行こうよ!」
[絆]
「えぇー、お前とかよぉ」
[雪奈]
「何よそれぇ! あたしとじゃ嫌なの!?」
[絆]
「嫌じゃないけど……」
以前もそうだったが、いかがなものか。たとえ兄妹でも、男女が2人で歩くのは。例えば、同級生に見られたりした場合とか。面倒なことに、ならないだろうか。
……考え過ぎかな?
[雪奈]
「ねぇ、一緒に行こうよ~!」
[絆]
「友達とか誘えばいいじゃんか」
[雪奈]
「む~。誘ってみたんだけどね、あまりノってくれなかったの。もう見飽きてるから、って……」
[絆]
「あ、そう……」
そ、そういうものなのか?
[雪奈]
「だからさ、お互いに初めての感動を、分かちあいたいな~って思うんだぁ!」
[絆]
「……」
[雪奈]
「ね、一緒に行こう?」
[絆]
「分かったよ。アイス買ってきたら行ってやる」
[雪奈]
「えぇ~!?」
[絆]
「まさか、嫌とはいうまいな?」
[雪奈]
「あたしの、お金で?」
[絆]
「と~ぜん!」
[雪奈]
「ひどいよ、ハン兄のいじわる……」
[絆]
「なんとでも言え。はっはっは!」
[雪奈]
「う~、分かったよぅ~」
かくして俺は、大逆転勝利を収めたのであった。
――その夜、俺の携帯電話に着信あり。
着信日付を見ると、なんと未来の日付ではないか! もしや、これは雪奈の呪い!?
ということは、きっと俺はこの日に……って、ホラー映画の見過ぎですか!?
発信者は、春香だった。
[絆]
「も……もしもし?」
[春香]
「もしもし? 絆君、ひさしぶりだね」
[絆]
「うん。そうだね」
[春香]
「元気してる?」
[絆]
「うん。元気だよ。春香は?」
[春香]
「元気ですよ」
弘前公園で初めて会った日から、電話は月1回か2回くらいのペースで掛け合っていた。その度にまた会いたいね~、なんて話をしている。
だけど結局、あれから1度も会えていない。それで今、携帯に電話をかけてきた。
その要件は、何となく察しがつく。
[絆]
「えっと、祭りの話?」
[春香]
「あ、うん!」
[春香]
「絆君はねぷた、見に行く予定はあるの?」
[絆]
「うん。明日、雪奈と一緒に行くつもりだけど」
[春香]
「ホント? じゃあ、わたしも明日、行っていいかな?」
[絆]
「えっ、こっちに来るの?」
[春香]
「ダメなのぉ~? シクシク……」
[絆]
「ダメなわけないし! 行こう行こう!」
[春香]
「良かった! それじゃあ、久しぶりに会えるね」
[絆]
「えっ、うん。そうだね」
[春香]
「楽しみだよ」
[絆]
「う、うん」
[春香]
「それじゃあ、細かい待ち合わせ場所と時間は、また後で決めようね」
[絆]
「分かった。じゃあ、連絡待ってるから」
[春香]
「うん。それじゃあ、また後でね」
[絆]
「またね」
という感じで明日、久しぶりに再会する約束をした。
――翌日。
俺は、ひとつ問題があることに気付く。
雪奈に何て説明しよう?
いまさら約束を反故にするなんて出来ない。いちおう俺も男だから二言はない。
しかし春香も一緒だと知れれば、すっげぇカラかわれそうな気がした。
[絆]
「雪奈。今日の祭りだけどさ」
[雪奈]
「なに~?」
[絆]
「ひとり、俺の友達も一緒に、行くことなったから」
[雪奈]
「え、誰?」
[絆]
「えっと……」
[雪奈]
「……?」
一瞬、ためらう。しかし言わなければどうしようもない。
[絆]
「桜祭りのときに、俺が一緒に話してた人だよ。覚えてる?」
[雪奈]
「あ、うん」
[絆]
「駅で待ち合わせしてるから、祭りが始まる前に」
[雪奈]
「分かったよ。つまりあたしはお邪魔ってわけね~?」
ニヤけた表情で言う雪奈。なんとなく恥ずかしくて、あわてて弁明する。
[絆]
「いや! そんなこと無いし! 春香はまだ友達だし!」
[雪奈]
「へぇ~、春香ちゃんって言うんだぁ? 名前で呼んじゃうなんて、仲がお宜しいですこと♪」
……しまった!
[雪奈]
「……」
さらに追い打ちを、かけられるかと思ったが、深く追求してこない。雪奈は何かを考えているようだった。
わずかな間だが、会話が止まる。
[雪奈]
「まっ、お邪魔じゃないのでしたら、ご一緒させていただこうかしらねぇ~♪」
[絆]
「あぁ、よろしく頼むよ」
意外にもすんなりと話が収まった。少しバツが悪そうにしている雰囲気を、察してくれたのだろうか。
雪奈はなんだかんだで、気の利くところがある。そのため悪い雰囲気にならず、付き合いやすい。
この性格だし、春香と会っても、すぐに仲良くなるだろう。
――
―
――待ち合わせ時間の少し前、俺達は待ち合わせ場所の、弘前駅に到着した。
春香は電車で来るようだ。しばらくすると、弘前方面の電車が到着する。
祭りの影響だろう。かなり多めの人が、ぞろぞろと改札を通ってきた。
その人だかりの中から、俺は春香の姿を確認する。俺は春香に向けて手を振った。
春香もそれを確認し、手を振りかえして応える。春香は浴衣姿だった。
……やっぱり可愛い。
[春香]
「お待たせしました」
[絆]
「あ、うん。久しぶり」
[春香]
「うん。久しぶり。 4か月ぶりだものね」
[絆]
「そ、そうだね」
俺は出来る限り、平静を装っている。しかし本当は、会いたくてパタパタしていた。
そんな気持ちが、表に出ていないだろうか?
[雪奈]
「こんばんは~♪」
[春香]
「こんばんは。雪奈ちゃん」
[雪奈]
「あのぉ~」
[春香]
「はい?」
[雪奈]
「ふつつか者ですが、よろしくお願いしますっ!」
[絆]
「はぁ?」
雪奈はそういって、頭を深く下げた。春香の顔を見ると、キョトンとした表情をしている。
[絆]
「おぃ、雪奈。春香が困ってるぞ」
[雪奈]
「あ……」
雪奈は、何かの間違いに気付いたようだ。あわてて顔を上げて、弁明する。
[雪奈]
「ってハン兄が言ってましたよ!」
[絆]
「おいおい……」
[春香]
「ふふっ、こちらこそ、よろしくお願いしますね」
雪奈の弁明は、それでもオカシイはずだが。春香は察してくれたようで、笑って返してくれた。
[雪奈]
「あのっ、春香ちゃんって呼んでもいいですか?」
[春香]
「ええ、もちろん」
[雪奈]
「じゃあ、よろしくね、春香ちゃん♪」
[絆]
「んじゃ、行くか」
[雪奈]
「お~う♪」
思った通り、雪奈と春香はすぐに打ち解けた。その様子を見て、ホッとひと安心する。
……いやまぁ、心配なんか、してなかったけど?
――弘前ねぷた祭りは、市内の町村が各々のねぷたを、パレード形式で運行する。その運行ルートは、日によって異なるらしい。
俺達は、ねぷたの運行ルートを、事前に確認しておいた。今日は駅前から出発するようだ。なので、駅から運行ルートを沿うように歩く。
そこではパレードを見学しようと、たくさんの観客が待ち構えていた。
[雪奈]
「うわぁ、やっぱり混んでるねぇ~」
[絆]
「ま、そりゃそうだろ」
[春香]
「どうしよっか、もう少し前へ行く?」
[雪奈]
「せっかくだから、もっと良く見える場所へ行こうよ!」
もう少し見晴らしの良さそうな場所へ、移動することにした。
しかし道路脇の手前は、すでに人で一杯となっている。そこで俺達は運行ルートの後方へ。
すると人口密度は、少なくなっていく。ようやく道路脇のスペースを、抑えることができた。
ここならパレードを、存分に見ることができるであろう。周りの人たちは皆、道路脇に風呂敷を敷いて座っている。
けれど俺は風呂敷なんて持っていなかった。つまり、このままでは地面に座ることになる。
俺はともかく、雪奈と、特に浴衣の春香は嫌だろう。すると雪奈が手持ちのバッグから、可愛い柄の風呂敷を取り出した。
[雪奈]
「あるよ、フロシキ♪」
[絆]
「お、やるな雪奈。準備いいなぁ」
[雪奈]
「備えあれば憂いなしっ! 任せてよ♪」
[春香]
「ごめんね。雪奈ちゃん」
[雪奈]
「え~、どうして謝るの? ゼンゼン大丈夫だよぉ♪」
こうして俺たちは、パレード先頭の到着を待っていた。すでに辺りは暗くなり始めている。
やがて太鼓の音が、遠くの方から聞こえてくる。
[春香]
「……なかなか来ないね」
[雪奈]
「音は聞こえてるのにねぇ~?」
[絆]
「だいぶ後ろまで来たからなぁ。だから人も少なかったわけだし」
[春香]
「のんびり、待とうよ」
[雪奈]
「待つのも楽しいよねっ♪」
[絆]
「お前は何でも楽しいだろっ」
[雪奈]
「何でもってことは、ないよぉ~」
俺は"待つ"ということが、あまり得意な方じゃない。例えば有名ラーメン店の前で、大行列ができる光景とか。そういうのが理解できなかった。
けれど春香がいる手前なので、落ち着いたフリをしながら待つ。
しばらくすると、パレードの先頭が見えてきた。
[雪奈]
「来たぁ! 見えたよ♪」
[春香]
「でも、まだ遠いね」
[絆]
「……」
徐々に太鼓の音が大きくなり、掛け声も聞こえるように。
もう辺りはすっかり暗くなっている。
[雪奈]
「うわぁ! あれって、太鼓!?」
[春香]
「じょっぱり太鼓だね」
まだパレードの先頭は遠いところにいる。それでも太鼓だと分かるくらい、それは大きかった。
太鼓の前には、それを引く人の列が。「ヤーヤドー」の掛け声を揃えながら歩いている。
やがて横笛の音色も聞こえてきた。太鼓の音は、さらに大きくなり、胸に響いてくる。
よく見ると、太鼓の両面と上下にそれぞれ3人ずつ。その巨大な太鼓を、ぶっ叩いているではないか。
[絆]
「……っ!?」
それは、まだ少し先にいるのに、この迫力……!
太鼓は徐々に近づき、ついに俺達の目の前を通過する。その音は何と表現すれば良いのだろう。
……そう、魂を震わせるような衝撃。有名ロックバンドのライヴ。それに近いものだろうか。
すげぇ……。
素直にそう思った。太鼓が通り去った後に、鳴り響く、横笛の音色。それがまた、印象的な余韻を残す。
[雪奈]
「すごいねー! カッコ良いね!」
[春香]
「うん。そうだね! この後、まだたくさん来るよ」
そして、次々とねぷたが目の前を通過していく。その総勢は60台を超える。
全てのねぷたが通過するまでは、およそ3時間。掛け声、リズム、音色、ねぷたの形は、どれもほとんど同じだ。それでも、それぞれに微妙な違いがあり、飽きさせることがなかった。
パレードを見ている合間に、俺はちらりと視線を横へ。そこに映るのは、柔らかく微笑みながら、真っ直ぐに、ねぷたを見つめる春香。その浴衣姿は、ねぷたの灯りに照らされて。まるで、おとぎ話に登場するお姫様かと、思うような。彼女の頬は、桜色に染まっているのが特徴で、それがまた可愛らしい。
いつの間にか、視線は釘付けに……
[春香]
「……?」
[絆]
「……!」
目が合いそうになり、慌てて視線を戻す。
それからも、何度か同じような事を繰り返した――
――
―
[春香]
「あ、ごめんなさい。そろそろ帰らないと、電車が……」
春香が申し訳なさそうに、話しかけてきた。
そうか。もう、そんなに時間が経っていたのか……。
[絆]
「そっか。じゃあ、そろそろ行くか」
[雪奈]
「うん♪」
俺達は春香を駅まで送るため、パレード途中の会場を後にして、弘前駅へ。
[春香]
「今日は、すごく楽しかったよ」
[雪奈]
「春香ちゃん。また今度、遊びに行こうよ!」
[春香]
「うん。いつでも呼んでね」
[絆]
「それじゃあ、またね。春香」
[春香]
「絆君も、また会って遊ぼうね」
[絆]
「う、うん。そうだね」
[春香]
「それじゃあ、またね」
春香は笑顔で手を振り、改札を抜けて、電車の待つホームへと降りていった。
春香の姿を見送り、俺と雪奈も帰路へつく。
[雪奈]
「いや~、ねぷた、凄かったね~!」
[絆]
「あぁ、そうだな」
俺が見てたのは、途中から、春香だけだった気もするけど……。
[雪奈]
「こういうお祭りがあるなんて、知らなかったな。あたし、この街が大好きになりそうだよっ♪」
[絆]
「そうか? まぁ、良いんじゃないか」
[雪奈]
「ハン兄はこの街、好きじゃないのぉ?」
[絆]
「う~ん、お前ほどは。悪い所じゃないと思うけど」
[雪奈]
「きっと、ハン兄も好きになるよ! だって、この街は本当に良い所ばっかりだよ♪」
[絆]
「お前、埼玉にいた時も同じこと、言ってなかったっけ?」
[雪奈]
「え? そうかも。あはは……」
雪奈は苦笑いを浮かべる。
どこでも"住めば都"か。雪奈の性格はうらやましい限りだ。本当に。
しばらく歩いていると……
[雪奈]
「……!?」
[絆]
「ん?」
ふいに雪奈が立ち止まった。俺が気付き、雪奈の方を向くと、額に手を添えている。雪奈は俺の顔を見ると、ごまかすように笑みを浮かべた。
[雪奈]
「ちょっと疲れちゃったかも……えへへ」
雪奈にしては、らしくない。そう思ったが、特に気にすることもなかった。
[絆]
「そうだなぁ。とりあえず帰って、風呂入って、寝るぞ」
[雪奈]
「そうだねっ♪」
俺が歩き出すと、雪奈は駆け足で、すぐに追いついた。
まるで何事もなかったかのように。
しかし今にして思えば、この頃から兆候は、表れていたのかも知れない……。
――
―
津軽人は短い夏を、祭りによって熱く盛り上げる。
この日は太鼓と横笛の音色が、星空に木霊していた――