魔法少女は限定的につき。
魔法少女について―――
魔法少女というのは、その文字の通りに魔法を操る少女のことをいう。
ちなみに魔法少女は魔法使いの家系から生まれるので、魔法使いの血をどこかで継いでいない限り、一般人がなることはまずないそうだ。
一般人の認識からすると鶏の卵からは恐竜は生まれるわけがない、というくらいの軽い認識である。
恐竜の血を引いているから恐竜は生まれる。逆はない。鶏からは鶏しか生まれない。
そう、この世では鶏の中に恐竜が鶏の振りをして混ざっているわけだ。
いざとなれば、鶏なんてものを簡単に捻り潰せるだろう恐竜が。
とても恐ろしいことなのに、この世界はその状況をいまもずっと保っている。
恐竜が鶏を義をもって守ってくれると、盲目なまでに信じて。
自分だって、目の当たりにしなければそうやってずっと思って暮らしていたのだろうけれど。
少女をどこからどこまでを定義するのかは明確に定められては――国によるんだろうがまちまちで、この国だとおそらくは成人するまでは「女性」ではなく「少女」と呼んで差し支えはないものと思う。
だから俺が見た魔法少女は確かに「少女」ではあったのだろう。
この寒い中、ふわりと宙に浮いてヘドロのような大きな塊にステッキを振り下ろす「少女」を――
「乙女の敵は成敗ですのん☆」
白い指揮棒のようなものを少女が舞うように振れば、そこから小さな赤がシャラン、という音ともにいくつも散った。
幻想的なそれは、二階の建物ほどもある粘土のような悪臭を放つヘドロの塊を囲むように地面に突き刺さる。
それは徐々に大きくなり、ヘドロの体長を越えるくらいにも成長した。
「真心をたくさん込めたのん☆」
少女が顔の前で両の指を曲げ、その親指と人差し指を引っ付けた時、同じような形の赤がばちん、と弾けた。
「たくさん召し上がれ――なのん☆」
つんざくような閃光とヘドロの断末魔は同時。
それが暗闇にきれいに消え去り、辺りが静寂に満たされるとその魔法少女はようやく地面に降り立った。
「もー倒しても倒しても新しいのが出ますのん☆」
着地はまるで羽のように重さを感じさせない動きだったが、斜めかぶりの帽子が勢いのせいか落ちてしまった。
それを拾い上げようと中屈みになった魔法少女は――路地の先。建物と建物の間の行き止まり。
魔獣ばかりに気をとられて、すっかり見えなかったのだが。
「まっ魔法少女……」
今時の中身が透けて見えるごみ袋ではなく、黒いごみ袋を両手に抱えて腰を抜かしているのは――とても顔のいい少年だった。
十人が十人、あるいは百人が百人、道ですれ違えば振り返って確認してしまうで済めばいいが皆が皆、一目で惚れかねないほどの美貌をもつ少年だった。
「………」
「………」
両者は言葉もなく固まる。
魔法少女も少年を見て固まったし、少年も生まれてはじめて間近で見た魔法少女と魔獣で頭の中が混乱と恐怖で上手く働かなかったのだ。
沈黙を破ったのは、二人ではなく少年が抱えていたごみ袋だった。
見た目からして許容量を越えて詰められていたのと、詰められた中身が角張っているものばかりだったので薄いビニールくらいならば容易に突き破る。
盛大に破れたビニール袋から溢れる、大小様々なカラフルに彩られた箱とリボン。
そしてそれらに差し込まれたカードと暗い路地に似つかわしくない甘い匂い。
その一個がコロコロと、魔法少女の足元まで丸い箱が転がってきたので拾い上げた。
「あっそれは!」
少年が言いかけた言葉は文字通り魔法によって封じられた。
「ひっ」
赤い小さなハートが少年の周囲に突き刺さる。
先ほどの光景のように。
「この姿を見られたからには始末はしないといけませんし――なにより」
いつのまにか握られた白い指揮棒を、魔法少女は少年に向かって振ったのである。
「乙女の敵は――抹殺しますのん☆」
チョコレートの入った箱を拾い上げた垂れ目の魔法少女は笑いながら――けして目は笑っていなかったが、笑って宣言した。
赤鶴錦司はイケてるメンズである。
自意識過剰ではない。むしろそうであればと何度思ったか。
生まれついての美貌を十七のいままでずっと保持はおろか、磨きをかけて生きてきてしまった。
両親は普通だった。祖父や祖母も普通だった。周りも普通だった。
錦司だけが、なぜか光を当てていないのにいつも輝いているかのような見目をもって生まれてきたのである。
幼少時より称賛と誘拐とストーカーと変態に晒されて生きてきた。
ただ道を歩いていただけで、すれ違った相手に鼻血を出して倒れられ。
その美貌に目をつけたよくわからない様々な団体からは月に一回は拐われて警察のお世話になり。
常時三桁のストーカーが生活圏のどこかに潜んでいる。盗聴器やカメラが仕掛けられてないかと怯える人生。
上で老若男女が全裸で迫ってくるのも、慣れた。
ここまでされて、完全な人間不信にならなかったのは奇跡だと思う。
それはひとえに、家族や友人や近所の人はまだ「普通」だったからだ。
これだけの美貌をもっているのにかかわらず、他の兄弟と分け隔てなく育てた「普通」の両親、この状況を憐れんではくるが「普通」に接してくる妹や友人。
そんな彼らに報いる為に、平常心を装って生きてはいるが――それでも特に厄介な日がある。
聖・バレンタインデー
常になく錦司が恐れる日である。
小学生の頃まではまだよかった。机の引き出しや靴箱が変形するほどに詰められたチョコレートなどは、まだ可愛かったのだと後々に思い知った。
中学生になったぐらいから、まるで学校が戦場になった。警察と救急車、消防車が駆けつける騒ぎになった。それも毎年である。
生徒だけならまだしも教師や保護者まで錦司を追い回すようになったのだ。
最後に売れ残ったバーゲンセールのひとつを奪い合うような醜悪な様を見せつけられ。
高校に上がればさらにチョコレートを全身にかけた人間に「私を食べて」と道で襲われ、家にいれば三つ指をついて知らない誰かに「どうぞよろしく」と出迎えられ。
年に一度のイベントだからか、なぜかいつも以上に異常者が増えるのである。
錦司にとって、バレンタインデーとは恐怖な日でしかなかった―――
そんなことを、赤いロープで縛られながら錦司は魔法少女に吐かされた。
「イケメンって想像以上に大変なのですのん☆」
次第に膨らんでいく周囲の赤いハートが、魔法少女が合図すれば破裂するのだと先ほどの光景を見て知っているので嘘はつけなかった。
今年は降り積もる雪の影響か、いつもよりチョコレートの数は少ない。
しかし食べられる量でも、物でもない。
だからこうやって誰も来ないだろう路地まで何往復も隠れてきては燃やすかして証拠隠滅を図ろうとしたわけで――
「でもそれと乙女の気持ちを踏みにじるのは別ですのん☆」
「ちょっ」
説明したのに、魔法少女は拘束を解かない。
ピアノの鍵盤と音符の描かれたスカートの端をひらひらとはためかせて魔法少女はこう言った。
「私はバレンタイン限定の魔法少女なのですのん☆」
「げ、限定?」
バレンタイン限定の魔法少女。
ふわりと、目は笑わずに魔法少女は錦司へと微笑んだ。
「あなたみたいな人がいると厄介なお仕事が増えて困りますのん☆」
だから今のうちに調教――ではなく対処しときますのん☆
「いま、不穏な単語がなかったか!?」
「気のせいですのん☆ さてはてどうしましょ、爪剥ぎ水責め蝋燭を背中に垂らして八寸釘で足の裏をちょちょいのちょいですのーん☆」
拷問だ。
この魔法少女、拷問する気である。
「ま、魔法で記憶を奪うとか!」
「それだとつまらないですし、拷問するのに魔法を使ったら世間様に極悪魔法少女って呼ばれちゃいますのん☆」
「魔法使わなくてもどう考えたって極悪魔法少女だろ!?」
魔法少女いわく、先ほどの魔獣はバレンタインデー限定で現れるものらしい。
この日、純粋な乙女の感情が相手から踏みにじられるようなことで破壊されると、その想いの最たる形である破棄されたチョコレートへ邪悪な悪が隙間から入り込み、実体化して人々へと、特にリア充へと襲いかかる。
それを事前に見つけて阻止するのがこの魔法少女である、と。
魔獣がバレンタインデー限定なので、この魔法少女もバレンタインデー限定なのである、と。
「乙女の味方としてはここで口止めするより、文字通り諸悪の根源になりうるあなたをここで消してもいいですのん☆」
「どんな魔法少女だよ!」
不穏すぎる単語を連発する魔法少女に吠える。
「乙女の味方、なのですのん☆」
だから、選ばせてあげますのん☆
そう魔法少女が言いながら、周囲に散らかっていたチョコレートを魔法で一ヶ所に集めた。ご丁寧に、奥に隠していたものまで。
下手したら家が一戸立つのではないかというほどの高さのチョコレートを背に、魔法少女は言った。
「死ぬか生きるか――全部食べたら無傷で解放してあげますのん☆」
「無茶言うな!」
「やる前から諦めたらいけないんですのん☆」
「やる前から見えてるだろ! 食えるかそんなもん!」
あらゆる意味で。
そう言うと、すっと魔法少女の顔から感情という感情がなくなった。
「乙女の純情を踏みにじるならいっそここで果てるがいい――冗談ですのん☆」
「真顔だったろ今!」
「嘘から出た実にしてやろうかと思っただけですのん☆」
「本気じゃないか!」
そこまで叫べば、周囲の赤いハートがまた大きくなった。
「ひっ」と言えば魔法少女は少々考えるように顎に手を伸ばして錦司とチョコレートを交互に見た。
確かに、この量を食べるのを見ていたら今日という日が終わってしまう。
仕事はまだまだあるし、かわいそうなイケメンで遊んでばかりいないでここで手を打つか。
「――仕方ない、ですのん☆」
白い指揮棒を目をつぶった錦司――ではなく、チョコレートへと向けて振った。
赤いハートとは逆に、チョコレートはどんどんと縮んでいく。
最終的には魔法少女の手のひらに、ひとつのハート型の一口大となって残った。
「乙女の特別な感情だけを凝縮に凝縮させ、不純物は取り除きましたのん☆」
「ふ、不純物って義理とか……」
「いえ、血とか髪と」
「それ以上は言うんじゃない!」
元はなにが入っていたのか考えたくもない。
しかし、この魔法少女は考える時間というものを与えようとはしなかった。
「このサイズなら死ぬ心配もなく食べれますのん☆」
そう言われて口元に運ばれたのは小さなチョコレート。
垂れ目の魔法少女は「さっさと食えよ」と笑ってない目で催促する。
「ちょ、まって心の準備が!」
「つべこべ言わずに、はい、あーんですのん☆」
「あーん」という可愛らしいものはなく、とにかく口に無理やり突っ込まれた。
「……あれ」
しかし、その押し込まれて口の中で溶けたチョコレートはいままで食べた記憶の中で一番美味しかった。
ほのかに心が温まるような、そんな心地よい味。
呆然としていると、魔法少女がふわりと笑った。
ここにきて、魔法少女はようやく本当の笑顔を見せたのである。
思わず錦司は、ときめいた。
「乙女の真心がたくさんつまっているものが不味いわけないですのん☆」
ただし。
「うっかり睡眠効果のある媚薬を抜き損ねましたのでご勘弁ですのーん☆」
そこから、錦司の記憶は消えた。
次に気がついたのはベッドの上だった。
もちろん自分のベッドで、隣に誰かがいたということもなかった。
「……夢か」
きっと、あれは夢だったんだ。
なんかドSな魔法少女と出会った気がするが、夢だったんだ。
そうでなければ腑に落ちないことがある――魔法少女はあれだけ間近で接していても「普通」であり続けた。
「普通」ならば、あれだけの距離で「普通」ではいられない。
家族以外の異性であれだけ「普通」に会話ができたことがないのである。
「なんだ、夢か……」
安心したはずなのに、なぜだかむなしい。
恐ろしいチョコレートを食べたわけではなかったのに、なぜだろうか。
あの真綿で首を絞められるような、刺々しさを隠しきれていない言葉にときめきを感じていたわけではないが―――
起き上がった錦司はベッドの上に、赤いハートの紙を見つけて拾い上げた。
そして、その紙を見て、間違いなく錦司はときめいてしまったのである―――
『誰かに話したらその舌二股にするのん☆』
ドMに開花した少年がドSな魔法少女に再会するのはこれからまた一年後だったそうな。
チョコレートは用法用量を守り、危険なものは混ぜないようにしてください。