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  作者: 他紀ゆずる
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幸福の虜囚  後編

 興味深い少女の言葉に魅せられて、異形はしゃくりしゃくりと雪を踏む。近づくたびに香る芳醇な血の臭いに酔いながら、怯えぬ小さき者の終焉を思って笑みながら。


 だが、歩みはすぐに止まった。


 彼女の内から微かに上る芳香に、鬼の本能が否やを唱えたのだ。

 知っているようで全く記憶にない、同胞はらからの気配に身の内が沸き立つ。


「君は…何者?」


 人でありながら鬼を内包する。

 純粋な鬼とも、人の変じる人鬼とも違うそれに一つだけ心当たりがあったが、ならばこそ仲間の庇護もなくこのような場所で死を望むことの異常さに、眉根が寄った。

 まさか、罠ではあるまいかと。

 だが、問われた水波は戸惑いも露わに小さく首を振るばかり。


「し、らない…わたしは、誰?そんなの…わかんない」


 己こそがそれを知りたいと、彼女は思った。

 顔も知らない親、いるのかすらわからない縁者、ここに存在する自分がすべてでそれ以外何一つわからないのが現状なのだ。何者かなど、答えられるはずもない。


 だが、鬼は違った。


 少女が答えに窮しても、小さな体を巡る血ははっきりと答えている。意識して探れば尚更のこと、明確に彼女の正体を明かしてくれた。


「知らなければ、教えてあげよう。僕が全てを、君の、全てを」


 大切な、血。貴重な、娘。

 一族であれば誰もが知っていて皆が欲している存在を、腕を伸ばして捕えた鬼は、見つめた瞳に戦いた。

 彼女を造る半分の血に反応して、漆黒から鮮やかな水色へと変色したそれが、大きく見開かれた瞳が、常に付き纏っていた渇望を一瞬にして霧散させたのだ。


「ああ…君が…」


 掠れた自分の声に苦笑いを零しながら、鬼は小さな体を掻き抱く。

 仲間たちが労せず見つけたつがいを、ずっと得られなかった理由がやっとわかった。

 彼の愛しい娘は、こんなところに隠れていたのだ。強く輝くはずの魂を曇らせて、それでも諦めず己を待っていた伴侶に全身が狂喜している。


「く、るしい…」


 しかし舞い上がる鬼とは対照的に、ぎゅうと巻き付いてくる腕に呼吸を止められた水波は、突然の変化に戸惑っていた。

 少し前まで自分を喰らおうとしていたのに、なぜこうも豹変したのか理解できない。苦しいを通り越し、背骨が痛みに軋むほど抱きしめられている理由がわからないのだ。

 もしかして、このまま殺されるのだろうか?

 それならそれでかまわなかったが、さっき全てを教えてくれると言ったあの約束だけは守ってもらえないだろうかと、薄れていく意識の中で水波はぼんやり考えていた。


  



 鬼に連れ去られた先で、親なしの子供を引き取った里長の老夫婦が始めに教えてくれたのは、彼女が置かれている状況だった。

 この世には人がいて、それを喰らう『鬼』がいる。

 捕食者と被食者が相容れないことなど子供でもわかるが、鬼と人の中にはごく希に、その垣根を越える者がいるのだという。水波の両親のように。


 彼女の父は鬼で、母は人間。


 ここへ連れてきてくれた鬼が、約束通り両親について調べてくれたのだという。

 それによれば、寿命、食料、掟、何もかもが違う2人が分かち合える数少ないものが愛情であり子供で、事実彼等はとても睦まじく、幸せだったのだそうだ。

 あの日までは。

 人は脆弱であるが故に、異端の存在に聡い。自分達と違う者を見つけ出し、徹底的に排除しようとする。ましてやそれが捕食者であったのなら、過敏なまでに反応し、どれほど愚かしい真似も躊躇わず行う。

 それを具現化したいい例が、鬼狩りの一族の存在であろう。


 人の精神こころを啜る鬼を屠るため、より危険で卑しい『人鬼じんき』を操り、捨て駒に使う。

 産まれながらの鬼と違い、人間が恨みを吸い憎しみを抱いて変じた人鬼は、嘗ての同胞の血肉をエサに生きながらえるしかない。当然、理性も人格も手放した者は救いようがなく、死を以て安らぎを与えてやるのが最善の道だというのに、彼等の血が鬼にとって猛毒だと知った人間は、情け容赦なく人鬼を利用した。

 これにより鬼は、一時その数を激減させたのだが、人鬼に対抗する手段を見いだすことで今は個体数を保っている。

 それが、鬼と人との血を併せ持ち、鬼として生きることを選んだ『混鬼こんき』である。


 水波は数えるほどしかいない混鬼へと変ずることのできる存在として、里で保護された。人の血が混じっていると彼女を蔑む者もいたが、大抵の鬼は好意的で、中でもあの鬼は異常なまでの執着を水波に対して見せていた。


「水波、僕の名前を呼んで?」

「れいじ?」

「そう、零紫。何かあったら僕に言うんだよ?他の人じゃダメ。嬉しいことも悲しいことも、全部僕だけに、ね?」

「おじいちゃんとおばあちゃんと話すのもダメなの?2人にはお話ししたいんだけど、ダメ?」

「ダメ。僕としかお話ししたらダメだ」


 新しい環境に慣れさせようと心を砕く養い親の目を盗み、水波を連れ出しては成長の妨げになるようなことばかり吹き込む。

 当然そんな状態を里長でもある人物が放っておく筈もなく、程なく水波の零紫に関する記憶は封じられ、節度を守れないのなら彼女の視界に入ることさえ許さぬと宣言された恋狂いの鬼は、最後に交わした約束を胸に距離を取って将来の妻と付き合ってゆくこととなった。


『水波は大きくなったら僕の妻になるんだよ』

『ツマ…?お嫁さんのこと?』

『そう。約束できる?』

『うん、できる』

『よかった…忘れないでね。約束だよ』


 溢れた記憶の波は一息で水波を飲み込み、混乱するほどの感情の奔流を彼女の身の内に描いて消える。

 曖昧だった始まりの時が鮮明に思い出されると、その頃の切なさや喜びがない交ぜになって、目の前の男の顔を歪ませた。


「…どうして、忘れていられたんだろう…お兄ちゃんがいなきゃ、わたしはずっと寒いままだったのに。好きだって言葉が…あれは愛情の好きじゃなかったけど、あの真っ直ぐな好きがすごくすごく温かくて、この人になら食べられてもいい、殺されても、何をされてもいいって思ったのに」


 幼い感情は深みがない分正直だ。

 どれほど冷めた心を装っても、かつえる子供が一度歓喜を与えられれば、無条件で相手に己の全てを預けてしまう。

 まるで雛の刷り込みのようなそれを思い出した水波もう、零紫から逃げようとも逃げたいとも思えずにいた。

 雪の日に永遠に続くかのような絶望から救い出してくれた鬼は、彼女にとって英雄であり絶対の存在なのだ。彼の望みならどれほど無茶なものにも否を唱えるつもりがない。命を寄越せと言われても、あっさり頷く自信がある。


「番を殺す鬼などいない。水波、水波、泣かないで。君は僕の番。思い出して、最後の約束を」


 ぽろぽろと流れる涙を舐め取りながら、零紫が囁く切ない祈りに彼女は何度も頷いた。


「うん、思い出す。思い出したよ。零紫の妻になるの。お嫁さんになる」

「そうだよ、良い子だね、きちんと覚えていた。水波は僕のもの。どこに行くのも許されない、君がいるべきは僕の隣。いいね?」


 ぎゅっと抱きしめられ、息苦しさに呻きながらも吹き込まれるまじないに一つ頷く度、水波は心が呪縛されていくのを感じていた。

 まじないはのろい。

 知っている、わかっているが身の内の子供が泣く、叫ぶ。

 あの鬼を、裏切れない。あの美しい鬼に自分は、とうの昔に殺されていたのだと。


 全てを忘れていた時間、水波は自由だった。

 人であって鬼であった時間、何の束縛もなく感情のままに生きられた、そんな自由は失われた。

 ジャラジャラと太く冷たい鎖が自分を縛り上げる痛みを、甘やかな不自由と飲み込んで生きてゆくことを選んでしまったから。


「…ごめん、長、間に合わなかった。っていうか俺、やられ損じゃん。番を引き離すなんてできるわけないのに、頑張って返り討ちに遭って、バカ、本当にバカ。マジ最悪」


 既に治りかけている傷を庇いながら上体を起こした緑矢は、里一の実力者にさんざん嬲り尽くされた己を憐れみながら、ちらりと視界に入った水波に盛大な溜息を送った。

 昔の感情に引きずられている今はいい、どんな理不尽も束縛も、黙って飲み込み受け容れることができるだろう。

 だが水波の本質は、奔放だ。

 共に暮らした1年で嫌と言うほどそれを実感した今、零紫の重苦しい愛情に彼女が耐えきれなくなることは必然だと思えた。

 けれど自ら進んで受けた呪縛のせいで、水波は一生、零紫から逃れることが敵わなくなってしまったのだ。


「バカな女」


 呆れを多分に含んだ声を残して、緑矢はそっと部屋を出た。

 狂愛で溢れたその部屋を。

 

ヤンを含みつつ、微妙なアホへ。

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