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  作者: 他紀ゆずる
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鎖の果て  後篇

 橙華は、世俗から隔絶された生活をしていたわりに知識も豊富で、会話していても齟齬がない。きっと彼女を隠していた父親が、世に出られるようになっても困らないようにと惜しまず教育した結果なのだろう。多少世間とずれがあっても十分許容の範疇だと、中の里へ着くまでの車中で判断した緑矢は簡単な説明を少女に与えて長の家を訪ねることにした。

 これからお前の母親が生まれたであろう、場所に行くと。


「緑矢と言います。こちらに縁があると思われる混鬼を連れてきました」


 山間にひっそりとある集落の大きな日本家屋を訪ねると、ほどなく通された客間で向かい合った初老の男は、橙華の姿を認めてくしゃりと顔を歪ませた。


「…朱莉あかりによう似とる」


 緑矢の勘は、見事に当たったようだった。



 中の里で双子が生まれたのは、もう何十年も前のことだ。

 綺麗な朱色の髪をした2人の女の子は、多胎児として生まれた鬼達がほとんどそうであるよう片方が虚弱だった。2度目の出産であった両親は3人目の子が滅多に育たない例からも覚悟はしていたが、弱弱しくも産声を上げ生きようと必死で乳を吸う娘を諦めることができなかった。

 薄氷を踏む様な日々の中、なんとか命を繋いでいく娘がかわいくて、また姉達もそんな妹を死なせなせまいと皆で必死にけれど穏やかに年を重ねたというのに。


 20数年前、食事をとるため人里に下りていた娘は、人間の男に恋をした。

 

 数少ない混鬼が生まれる機会だと、普通の鬼の娘ならその想いは歓迎されたことだろう。けれど彼女は子など生める体ではなかった。鬼ならば罹らぬ病を患い、怪我をすれば快癒するのに何カ月も要する。ともすれば人よりも細い命のよすがを失うとわかっていて、どうして背中を押してやれるというのだ。

 そろって反対する家族の気持ちを、娘は汲んだ。いや、汲んだように見せかけた。

 ある日、書き置き一枚を残した彼女は、人間の街に消えてそれっきり。



「探しても探しても見つからんで、ようやく行方が知れたと思うたら、墓んなかか」


 長からの知らせを受けて、現れた男はひどくくたびれた老人に見えた。その隣で寄り添う老婦人もまた、同様に。

 寂しげに橙華を見やって、はらはらと涙を零す。


「じゃが、それすらわからんよりはええじゃろ」


 見ろ、この髪などあの子の色じゃ。

 そう言って長が伸ばした指は、けれど橙華に触れることなく空を切る。

 驚いて少女を抱き寄せた男を見ると、顔を顰めて番だと明快な答えが返った。


「…今日会ったんではなかったんか?」

「今日会ったんですよ。そりゃあもう、芝居がかった出会い方で、人鬼に組み敷かれている女が混鬼でしかも自分が探していた番だとわかった瞬間の衝撃って、わかります?」


 暗にできすぎだと、おまえが橙華をどこかに隠していたんじゃないかと言外に責められた緑矢は、皮肉な笑みでそう説明すると誰より信じられなかったのは俺自身だと毒づいた。

 銀灰ほどではないが、緑矢も近隣の里に番が見つからなかった鬼だ。まだ若いからと遠くの里にまで探しに出ることはなかったが、それは内心の恐れを態度で示しているようなものでもある。


 見つからなければ、絶望は深い。


 年の離れた番が生まれていなかったり、数ある里の北と南に分かれていて出会うのに時間がかかったり、近くに番がいない鬼達は相手のそんな事情を乗り越えて出会うことがほとんどだ。

 けれど中には悲劇に見舞われる者もいる。番が鬼狩りの人間どもに殺されていたり、人に紛れて暮らす混鬼で鬼に変ずることなく寿命を終えて行ったりと、終世出会えないことを決定づけられる。


 そうなったなら、銀灰のように里を捨てるのが暗黙の了解だ。それは里に追い出されるからではなく、番と暮らす仲間を羨んで狂う己を律するためである。

 それほどに伴侶は愛おしく拠り所でもあるのに、人鬼に殺されかかっている瞬間に出くわすなど同じ鬼であるなら気持ちは理解できるだろうと凄みのある笑顔で周囲を見回すと、皆素直に首を垂れた。


「すまなかった。…折角見つかった孫娘が、すぐに連れてかれるんかと思ったら、ついしょうもないことを」

「あ、それなんですけど、よければ俺ともども橙華はこちらの里に置いてもらえませんか?ここ、混鬼いないですよね?」


 驚く鬼達を前に、緑矢はこのところ長や混鬼の夫たちの間で懸念されていた事態を淡々と説明した。

 隠れ暮らしていた覚醒前の混鬼が襲われ始めたのは、最近のことだ。街に潜む鬼が狩りだされることはこれまでも度々あったが、鬼狩りが武器として使う人鬼を葬れる混鬼ばかりが狙われたのは初めてのことで、これは近々人間が里に潜む鬼達にも何事かを仕掛けてくる前兆かもしれないと、警戒していたのだ。


「中の里は混鬼がいないので、もしもの時の話をしなければいけないだろうと、南の長のところへ話に行った帰りに、橙華を見つけたんです。俺にとっては幸運でしたが、これは疑念が確信に変わったのだともいえる。説明をするにも手っ取り早くて助かりましたけどね」


 苦い笑いを零した緑矢は、橙華のことがなくてもこの里に寄るつもりだった理由を懐から引っ張り出し、長に渡す。それは南と西の里から預かった、警戒を促す書状だった。


「電話でも何度かお話されていると思いますが、鬼狩り共が目的を持って動いているのは橙華の件ではっきりしました。幸いにも彼女はここの里と縁がある。安全のためにも、俺ともども引き取ってもらえませんか?」


 再びの質問を文を読み終えた長に緑矢が投げると、男は深く頷いた。


「朱莉の娘を連れて来てくれてありがとう。歓迎するよ、婿殿」


 これに誰もが喜び、安堵したのだが。問題なことに当事者の1人が、全く納得していなかったのである。


「いや、来ないで、怖い…っ」


 顔を見せてくれと机を回ってきた祖父母から顔をそむけた橙華は、目の前のくり広げられた会話を半分も理解していなかった。ただぼんやりと自分にも関係があることを話しているんだろうなと思っていた程度で、命を助けてくれた男の隣に言われるがまま座っていたに過ぎない。

 誰が誰かもわからない室内で、勝手に話がつき見たこともない人たちに取り囲まれてはパニックにもなろうというもの。唯一の知り合いである緑矢に縋り、誰も彼もを拒否している。


「橙華、怖くないから」


 こんな時にとは思うが、番が自分だけを頼りにしてくれる快感ににやつきそうになるのを必死に抑えながら、ここが鬼の里で目の前にいるのは里長、母親の両親である祖父母は決してお前を傷つけないことと、里では隠れて暮らすことはないんだと教えてやった。同時に祖父母には彼女がこれまで父親以外に会うことなく生活していたせいで、他人との接触に慣れていないから気遣ってやってくれと伝えて、やっと彼等はぎこちないファーストコンタクトをとることができた。

 ぽつりぽつりと他愛のないことを話し、鬼になったばかりでまだまだ人間の食事に依存する橙華のために用意された簡単な料理を摘まみながら、やっと談笑と言えるレベルで会話が成立することには白々と夜が明けて、大きく伸びをした緑矢がさて零紫に連絡をと立ち上がったところで橙華が足に飛びついてきた。


「うをっ、危ないな」


 小柄な少女とはいえ不意のタックルは危険だ。何とかバランスを保ちながら下を見やると、ぷっくりと可愛らしく頬を膨らませた番がオレンジの瞳を輝かせて緑矢を睨んでいた。


「どこ行くの?置いていくの?約束は?1人にしないんでしょ?!」


 矢継ぎ早に飛んでくる質問に、驚きで固まったのは一瞬。

 確かに夜を徹した会話の中で、番の重要さと今後はずっと一緒だと指切りまでした彼が、何も言わずに席を立てば叱られるのは仕方ないだろう。

 唯一無二を見つける喜びに内心ガッツポーズを決めながら、緑矢は再び腰を下ろした。


「絶対、置いてかない。先輩というか、鬼上司に番を見つけたことと中の里に残ることを連絡しようと思っただけだ。…電話しても、構いませんか?」


 懐から引っ張り出したスマホを掲げると、誰もが笑顔で頷いた。隣で初めて間近で見る電子機器に興味を募らせている娘は、早く操作して見せてくれと無言で急かしてくる。

 初めてきた里で、これから腰を据えることになる場所だが、居心地は悪くないと口角を上げる緑矢だった。


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