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  作者: 他紀ゆずる
12/17

暁に揺蕩う幻 5

 結局、東の里から黄慈が綾子を、黒嶺が藤乃を連れて出たのだと紫乃が知ったのは、日もすっかり暮れた頃だった。


「なんかうるせぇし、散々人のこと騙してやがったの綾子から聞いたら我慢利かなくてなぁ…あいつら鬼で良かったよな?」

「そうですね…人間なら里は今頃なかったと思います」


 カラカラ笑う黄慈の声は、楽しそうだからこそ恐ろしいと、初めて父親の本性を覗いた紫乃は頬を引き攣らせた。現に目の前で報復に手を貸していたらしい黒嶺など、すっかり表情が抜け落ちている。


「俺だけ悪者にするなよ。お前だって本気だったろ?」

「…弟や紫ちゃんの件では僕も腹に据えかねてましたから、良い機会をいただきました」


 しかし混ぜっ返した黄慈に向けた笑みは、黒嶺も大概禍々しかった。

 どうやら誰もが東の長には思うところがあるらしく、明かされていく経緯の端々に某かの辛辣な表現が混じるのが紫乃を何とも微妙な気分にさせていく。


「……そんなに、好き放題やってしまって…みんな、大丈夫なんですか…?」


 彼女を苛むのは、不安だ。

 鬼の社会は年功序列と実力が微妙に絡み合った構造になっている。

 人間が脅威になり始めた頃から不意の襲撃に対応できるよう作られたこの形態は、ある意味絶対だった。1人でも勝手な行動に出れば統率が取りにくくなるのが主な理由ではあるが、非常時に充分機能するよう日常から徹底されている。

 だからこそ、紫乃に対する理不尽も、綾子に対する村八分も、里一丸となって行われたのだが、1度反乱を起こせばはじき出された鬼は行き場をなくしてしまうのだ。


「今回に限り、心配は無用や。黄慈が連れ出した綾子さんはうちの里で保護したやろ?ほんで、南の長には銀灰が経緯を説明して紫乃ちゃんを庇護させた。北は零紫…?」

「あ、お兄ちゃんの話はお父さん聞いてくれなかったんで、わたしが藤乃ちゃんのことお願いしました」


 西の長である藍里あいりの言葉を引き取った水波は、隣の零紫が苦々しく顔を顰めるのに笑いながら、だから安心してと紫乃に笑いかける。


「東の長はな、他の里があからさまに付き合いを敬遠するほど、評判が悪いんだ。もともと忌々しく思ってたところに、俺たちが仲間や混鬼を守るために作った掟を無視していたと逃げ出したお前が証言した。さてどう制裁を加えようかと思案していたところに、暴走したおっさんが里で暴れて嫁と娘を連れて逃げてきたから渡りに船だ。迫害された鬼は他の里で受け容れて良いことになってるし、ましてや貴重な混鬼がその対象なら本人が望んだ里に帰属できる。今回はその特例をフルに生かして、それぞれが根回しした里に散った」


 お前が俺の里なのは当たり前だよな、と笑った銀灰に紫乃は真っ赤になった。

 鬼が里を出るのは、番と共に暮らすためである。別の里で番を見つけた鬼は、話し合ってどちらかの里に帰属する形で同居を始めるのだ。嫁に行くという習慣がないため男が里を出ることもままあったが、どちらの場合であれその行為自体が人間の結婚を意味するのは鬼の社会では当然のことであった。


「よかったな、紫乃。おっさんだが、こいつはいい男だ」


 照れて言葉も出ない娘を、満面の笑みで黄慈が祝福して、


「おっさん言うな!あんたの方が30も上だろうが!」

「俺が幾つでも、お前が70過ぎな事に変わりはない」


 混ぜっ返した銀灰と舌戦を始めれば、


「あら、黄慈ってば里ではいつも一人だったのに、良いお友達がいたのね」

「それが娘婿なんて最高よねっ」


 綾子と藤乃がその場に相応しくない暢気さでころころと笑う。


「ごめん、こく。僕のせいで里を出ざる得なくなったんだろう…?」

「ちがうよ、はく。もうあそこに長くいることは無理だったんだ。藤乃に対する長の執着は、常軌を逸するものがあったからね」


 静かに互いを思いやる兄弟がいる一方で、


「水波はダメな子だね。僕に内緒で長と連絡を取っていただなんて」

「え?はぁ?だって、お父さんだよ?お母さんとだって話すでしょ、普通話すじゃない!」

「だーかーらー、鬼は番を決めた瞬間、親子だ何だって感情は消え失せるんだよ。生んだ奴より番を中心にものを考えて、当たり前だろう?しかも零紫さん相手なんだしさ、いい加減学習しなよ」


 凶悪な夫婦喧嘩に発展しそうな者達を、さり気なくフォローしている者もいる。


 狭い部屋の中、何とも無秩序に交わされる会話を聞きながら、紫乃は幸せを噛みしめていた。

 里にた頃はいない者として扱われることが多く、こんな風に柔らかな空気の中で自分の居場所を持てることがなかったのだ。

 彼女は今初めて、自分の居場所を見つけたような気がして、自然口元が緩んでいくのを感じていた。


「うちにな、しょうもない息子と、かぁいらしい混鬼の子ぉがおんの。番同士なんやけど、混鬼…桜里はな、ずっと人間やて疑わずに生きてきたせいで鬼によう馴染まれへんようで…。けど息子はあの子に近寄るもんは何でもかんでも排除してしまうん。男女関係なしやから、そこの鬼等より質が悪い。わかってるけどうちすら近づけんの嫌がんで、どないしょか思うてたんよ。…紫乃ちゃん、遊びにこうへん?藤乃ちゃんも水波ちゃんも一緒に、混鬼の子ぉらが相手やったら、あの阿呆も無体は言われへんと思うんよ。桜里も同し境遇の子ぉと話ししたいて強請うてたし、ええ機会やろ?」


 そして、いつの間にか隣りに来ていた藍里にこう話しかけられて、彼女は一も二もなく頷いていた。

 これまで長いこと里に閉じ込められていた紫乃は、1度で良いから旅をしたいと思っていた。鬼たちが餌を求めてふらりと外に出ていくのを目にする度、自分も違う場所、違う里を見てみたいと、考えていたのだ。

 奇しくもそれは逃亡生活で叶ったが、あの時は景色を楽しむ余裕すらなく嫌な思い出だけが残っている。できるならそれらを払拭する、楽しい旅をしてみたい。だから、嬉しくて藍里の誘いに乗ったのだが。


「ほんま?!いや、嬉しいわぁ!そしたら明日にでもどうやろ?」

「待て待て待て!何の話をしてんですか、藍里様!!」


 喜びの余り紫乃を抱き込んだ藍里から直ぐさま妻を取り戻した銀灰は、吠える勢いで西の長に噛みついた。話の内容は知らないが、なにやら不穏なものを嗅ぎ取ったらしい彼は、本能だけで危険を察知したのだ。


「大したことやないえ?うちの桜里に逢いにこうへんて、聞いただけやないの」

「はぁ?!それが明日ですか、どうしてそんな急に」

「善は急げ言うやないの。けど、そうやねぇ。藤乃ちゃんや水波ちゃんの都合も聞かなあかんかったわ」

「え?わたしも行っていいんですか?ゆかちゃんと一緒なら、是非!」

「はい!わたしも伺いたいです!みんなと旅行、行きたい!」

「ダメだよ、藤乃!」

「行かせると思ってるの?」


 もちろん無邪気な西の長の提案は、それぞれの番によって反対されたのが、結局彼女達に甘い鬼が”お願い”を無碍にできるわけもなく、自分達が同伴する事を条件に急仕立ての旅行計画が始まったのだ。

 その様子を見守っていた黄慈と綾子は、いつの間にか親の手を必要としなくなっている娘達に安堵の微笑みを浮かべていた。


「やれやれ、漸く俺たちだけの時間が取れそうだ」

「うん、紫乃が無事で、そして本当の番を見つけられて、よかった…」



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