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  作者: 他紀ゆずる
10/17

暁に揺蕩う幻 3

 そんな甘やかな時間を、情緒の欠片もない着信音がふいにしたのが数十分前。

 無粋な呼び出しに銀灰は眉根を寄せたが渋々応じると、なぜか紫乃も同行させて繁華街にあるマンションから閑静な住宅地にあるクラシカルな洋館に赴いた。


『本当は呼びつけたいとこなんだがな、俺のテリトリーに奴の臭いがつくなんざ想像するだけで胸糞悪い』


 憎々しげに銀灰が吐き捨てた相手が誰であるか、洋館の主に案内された客間で知った紫乃は指先から体が凍り付いていく感覚と密かに戦う羽目になった。

 黒髪を後ろになでつけ、瞳を和ませて柔らかな微笑みを浮かべている姿は、人間に擬態している彼が相手の油断を誘うためによく見せる態だ。単純で意志薄弱な紫乃は、何度この『優しい男』に丸め込まれ良い様に操られたことか。抵抗すらできなかった自分に吐き気を覚えながら、それでも長年刷り込まれた絶対服従に心がジワリと折れていく。


「探したよ、紫乃ゆかりの


 白夜の声は決して大きくなかったのに、少女は竦み上がった。


「ご、ごめ…っ」

「それはこっちのセリフだっつーの」


 垂れようとした頭ごと紫乃を抱き寄せた銀灰は、自分の胸に彼女の顔を押し付けて視界から元凶の男を消してくれる。途端に霧散した恐怖と支配に紫乃の目頭から、ジワリと涙がにじんだ。

 里に暮らす間、誰も少女を守ってはくれなかった。母は手を差し伸べてくれたが無力で、父は留守と仲間に寄せる信頼が瞳を曇らせていたのだ。片割れは妹に寄り添おうと心を砕いてくれたが、番に時間を取られて思うように気を配ることもできない分を、あろうことか最も警戒しなければならない相手に託してしまった。

 結果、いつでも紫乃は1人だった。こんな風に抱きしめてくれたのは、自分だけを心配してくれたのは、銀灰が初めてなのだ。


「何度もお前たちの里に行ったが、番の気配は一度も探れなかった。よそ者が来るたびに、紫を隠したんだろう」


 ぎゅっとしがみ付いた胸が、静に怒りを吠える。


「もっと早く見つけていれば、こいつにこんな思いをさせずにすんだのに」


 暖かな手に涙を拭われて、紫乃は顔を上げた。

 見上げた先で悔しそうに顔を歪めた男は、小さく謝罪しながら彼女の涙を唇で拭っていく。


「その子の番は僕です。何の茶番だか知りませんが、馴れ馴れしく触らないでもらえませんか」

「おっと、そこまで」


 不快を隠そうともせず、白夜が立ち上がった時だった。

 銀灰たちの前に割り込んだ影が掴みかかろうとした彼をソファーまで押し戻し、強引に腰を落とさせる。


「白夜君、約束を忘れちゃったのかな?」


 怒りに彩られた冷気が、硬質の微笑みに凄みを添えていた。人離れした美貌としなやかな長身が出自を明示している男は、本性を晒さずとも溢れる圧倒的な力で白夜を諌めるとそれらを綺麗さっぱり消し去って紫乃を振り返る。


「はじめまして、銀灰の番さん。僕はここの主、零紫れいじです。既に怯えさせてしまってから言ってもあまり真実味がないんだけど、彼には君を絶対傷つけさせないから安心してね」


 一瞬前殺気さえ漂わせていた男の急激な変化と、一月ぶりに銀灰以外の鬼に出会った驚きでただ頷くだけだった紫乃は、頭上の声にはたと我に返った。


「そんなら席外すんじゃねぇよ」

「ケーキの仕上げ中だったんだ。しかたないだろう?」


 その気軽なやり取りに2人が気安い仲だと知った少女は、ほっと肩の力を抜くと慌てて頭を下げる。


「はじめまして、紫乃です…ご迷惑をおかけします」


 謝罪は自分のせいで起こしてしまった面倒事やその他諸々に関するものだったのだが、何を言われたのかわからないと顔を見合わせた零紫と銀灰は直後に苦笑を交わして気にしないよう紫乃に言い含める。


「銀灰と僕は友人なんだ。それも旧知と言えるほど長く、ね。友達を助けるために使う労力を迷惑だとは思わないし、なにより番の、それも混鬼の番の厄介ごとだと相談された時点で、できうる限り全力で手を貸す覚悟をしてるから君が気にすることはひとつもないんだよ」

「そうそう、俺だってこいつ相手じゃなきゃこんな面倒に巻き込まねぇよ。だいたい混鬼絡みの問題を投げられて笑ってられるのは、こいつと西の碧炎へきえんぐらいなもんだ。あいつは今、番絡みで里を出たがらねぇからな、呼んでも来なかったろうが」

「僕だって里にいたら無視してた。水波みずはと離れるなんて、冗談じゃない」

「いや、お前はむしろ里に帰れんだろうが。長の娘、手籠めにしたくせに」

「ちょっと、ちょっと!!なに言ってンですか、銀灰さん!」

「本当のことだろうが。今更照るな」


 何を言っているのか半分もわからなかった男達の会話に、突然乱入してきた若い男女に、もう紫乃はすっかり萎縮して一層強く銀灰に縋り付く。


「おい、いきなり出てくんな。紫が怯えるだろ」

「おっさん、口と行動が伴ってない」


 番を庇って周囲を諫めながら、明らかに嬉しそうに縋る娘を抱きしめた銀灰に鼻白んだ闖入者の男は、身を屈めると薄笑い(決して微笑には見えなかった)を浮かべて紫乃に視線を合わせた。


「こんちわ、混鬼のお嬢さん。俺、緑矢りょくや。そっちの女が水波で、あんたと同じ混鬼だよ。余所の里の混鬼に会うの、はじめてだろ?」

「えっ?!」


 びっくり眼を向けた先では、自分より少し年上に見える水波がひらひらと手を振っていた。

 混鬼だと言われてよくよく観察すれば、確かに彼女はここにいる男達の容貌より、自分に近い気がする。決して不美人なわけではないし、人間の中にいれば充分際立つ『美』を備えている水波だが、己を餌に人間を誘う鬼達の『美』は、正しく人外の能力で図抜けているのだ。

 人の血を混ぜ込んだ混鬼では決して手が届かない美貌に蔑まれ続けて生きてきた紫乃にとって、水波は家族以外で親近感を持つことができるかも知れない貴重な存在と言えた。

 だから不躾な視線を這わせた挙げ句に、銀灰から離れて歩みよろうとしてしまったのだが。


「「おっと」」


 それは我が物顔で抱き留める番達に、容易に阻まれてしまった。


「ちょっと、お兄ちゃん!わたし紫乃ちゃんと話したいんだけど」

「構わないけど、僕から離れないでね」


 しっかり水波の肩を抱いた零紫は、どうやら紫乃と同じく歩みよろうとしてくれた彼女を無情に引き留めたらしい。何やら意味不明な理由で更に拘束を強めた彼を睨み上げる水波を、臆することなく底冷えする微笑みで見下ろしている。


「離れるって、ほんの数歩じゃない!グラウンド横切るわけじゃないのよ?自宅の客間を横切るのよ?」

「わかってる。でも今日はここに、僕以外の鬼が3匹もいるじゃないか」

「誰一人として水波に興味のない鬼がね」

「うっ、ムカつくけど緑矢の言うとおり、わたしには害がないでしょ」

「何度言っても彼を呼び捨てにするよね?やっぱり消しちゃおうか…」

「うわぁ!!りょ、緑矢さん、緑矢さん!」

「なんで僕以外の男の名前を連呼するの?浮気?水波」

「ち、ちがっ!やめ!!ん、ぐっ」


 目の前で繰り広げられたばかばかしい遣り取りと、今なお継続中のキスシーンに唖然とするしかなかった紫乃は、聞こえた会話に凍り付いた。


「あれは、水波ちゃんが悪ぃな。零紫が怒って当然だ」

「まぁね。何度言っても俺を呼び捨てにするバカだから…零紫さんも多少独占欲が強いきらいはあるけど、あくまで多少だし」

「病的だけど、碧炎に比べりゃな。あいつ、桜里ちゃん可愛さに洞窟に囲おうとして、長にマジ殺られかけたんだぜ。バカだろ」

「ん、バカだね。でも、普通だろ?番相手なら」

「確かになぁ。俺もあん時ゃ腹抱えて笑ったけど、今じゃ同じ事しそうだもん」

「実際してるじゃん。彼女ここ一月、部屋からほとんど出てないだろ」

「おう、もっと言うなら風呂以外、1メートルと離れたことぁないぞ」

「混鬼はどうもこの辺の理解が甘いよね。人間が混じるせいかな?」

「じゃね?だけど紫や桜里ちゃんみてぇに1度痛い目見てから番に会うと、全身全霊かけて依存してくれるから気持ちいいぞ。その点、水波ちゃんは長が上手いこと”鬼らしさ”を刷り込んであるよな。あの独立心の旺盛なのは鬼の血だ」

「おかげで痛い目見るんだよ。ここに地下室なかったら、俺とっくに逃げ帰ってるし」

「監禁して啼かせてんの?」

「そ。今んとこ週一くらいでね。でもあの調子じゃすぐに、永住させられんじゃない?」

「ほぅ。羨ましいこって」


 カラカラ笑った銀灰に、紫乃は血が引く思いだった。

 ここに来るまでは必要以上に触れてこない彼に不満を持ったりしていたのに、今の会話には恐怖すら感じてしまったのだ。

 確かに、番を決めた鬼はほとんど異性と接触しなくなる。同性同士のコミュニティーを形成して、日頃からそこで過ごすことが常になり、空いた時間は子供に当てるのが定番だ。

 それ以外、長い時間を番と過ごす。いやこう振り返ってみると、異性と共にあるのは子供時代のほんの一瞬だ。それすら生まれてすぐに番を決めた鬼達には許されていなかった気がすてきた。


「………ここから一歩でも離れたら、お前も同じ目に合うぞ?」


 いっそ優しい声だった。

 腕の中で小さく震えだした紫乃の耳元に口づけながら、囁く銀灰はいつの間にか本性を晒していて、灰銀の瞳を眇めながら番を緩やかに拘束する。

 何故こんな話をわざわざ聞かせたのか。本来ならば男達が酒でも飲みながら交わすだろう本音を、声高にしてみせたのはどんな意図なのか。

 理解した紫乃は壊れた人形のように頷いていた。何度も何度も頷いて、鬼の本性に微かに同調する自分を見つけて安堵する。

 恐ろしいけれど、息苦しいほどの拘束が心地良い。

 こんな風に感じているのは、自分も鬼だからだろう。思いの外近くにあった銀灰の口端に口づけをおとしながら、震える指先に苦笑する。


「だからさ、あんたはこの子の番なんかじゃないんだよ。自分のもの・・が他の奴に触れていて、平気な鬼なんかいるかよ」


 そうして呆然と彼等を眺めていた白夜は、緑矢が放った嘲りに返す言葉なく唇を噛んだ。 

 

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