第五部
※作者に専門知識はありませんのでご了承下さい。
そして彼女は妖艶な笑みを浮かべながら、近くにあったイスに座る。
今まで彼は魔王のことしか見ていなかったが、少し余裕ができるとあたりを見回した。
踏み心地からしてもかなり高級品だとわかる、トマトジュースのような深紅のカーペットが広い正方形の部屋全体に敷かれている。
ずっと眺めていると酔いそうなくらい、目に痛々しく映る。
丁度部屋の真ん中に直径150センチくらいの丸いテーブル。その近くにイスが二つ。一つはすでにフレイアが足を組みながら座っている。
フレイアの奥には、黒いベッド。
浅黒いカーテンのようなものが上から釣り下がり、その中で大きなベッドの上に、端にフリルのついた黒い布団がかけられている。
お姫さまベッド、と似たような形状だ。
窓も大きく、その向こうは少しの陸地を過ぎると、深緑の巨大な海が広がっていた。
今更ながら、ほんのりと塩味のする風が流れていることに気づく。
なぜ? と、少し首をかしげていると、フレイアが周りをキョロキョロと見だしたかと思うと首を傾げだした、挙動不審なライトリークという男に言った。
「お前は変態か。
乙女の部屋をじろじろと見回すな」
言葉は冷たいが、その顔は少し赤く染まっていた。
「え、ここお前の部屋なのか!?
……趣味悪……」
「ここで死にたいか?」
「やれるもんなら」
そう言って、ライトリークは剣に手をかける。
実践なら自分に分がある。
彼女は戦闘において、あまり強くない。いや、弱いといっても過言ではないかもしれない。
先ほど自分で言っていたように、彼女からは『戦闘ができます』という雰囲気が全くないのだ。
自分が勝てると、そう確信しているからこそ強気にでれるのだが。
「お前に殺される前に、私がお前を殺せばいい。
忘れたか? この塔にはもっと強い魔物がうじゃうじゃといる。
それに私が医療系統の魔術が得意だとも言ったであろう。
大腿動脈から適当にホルマリンに近い物質を注入すれば、お前は生きていられないぞ」
当然のように言うフレイアに、ライトリークは首をかしげた。
「………えっと、悪い。途中から話がわからなくなった」
「これだからお前の頭は弱いんだ」
「なんだと?」
ため息交じりに言うフレイアをライトリークはきつく見据える。
「お前それでも貴族だろう。
少しは勉学に励んだらどうだ」
「励んださ! 一時期は……」
語尾がだんだんと弱まり、彼女は二度ため息をついた。
そして一から説明してやる、といわんばかり上からの口調で、
「どこがわからない?」
と聞くものだから、彼は答えた。
「大腿動脈から」
「大腿動脈は、ももの内側を通っている、鉛筆ほどの太さの動脈だ。…あとは?」
「ほるま……ン」
「ホルマンではない。ホルマリンだ。
ホルマリンというのは商品名で、本当はホルムアルデヒドという化学物質の水溶液だ。
ホルムアルデヒドを約40パーセントほど含んだ水が、ホルマリン。あとは?」
「………なぜ、それを入れるだけで俺が死ぬ?」
「生体をホルムアルデヒドにつけると、―――まぁ、なんだ。むごいことになる。あとは?」
「………」
「ないか。コレくらい常識だ。覚えておけよ」
「………」
一瞬押し黙ったが、ライトリークは頭を抱えながら奇声を上げ、勢い良くその場にしゃがみこんだ。
「わっけわかんねぇええええええええっ!?
なんだよ、ほるむある……なんたらって!
知らねぇよそんな常識! 聞いたこともないね!
しかも最後、答えになってないじゃねぇか! 馬鹿にしてんのか!?」
「お前は馬鹿だろう」
間髪いれずに答える魔王という生物に、ライトリークはさらに声を荒げる。
「うるさい!
俺だって一般常識くらいはきちんと学んだ!」
「ならば問うが。一般常識ができるなら、お前にも解けるはずだ。
問題、『店で100リッチの物入れを10個買ったら三割引におまけしてくれた。支払い金額はいくら?』」
「………ちょっと待て」
彼は抱えた頭をさらに強く抱え、その低レベルな問題に挑む。
(一個100リッチのものを10個買ったから、全部足すと100、200、………1000だろ?
そこから三割引き……―――)
「できた!」
不意に立ち上がった少年の顔は、満足そうに笑んでいる。
できたことが、相当嬉しかったのだろう。
「答えは、623リッチだ!!」
その答えが正当なものかどうかは置いておくとして。
「ド阿呆。なぜそんな複雑な答えになる。700だ」
「………っ!?」
「そんな、馬鹿な、みたいな表情でこちらを見つめても答えは変わらない。
これでわかっただろう。お前は本物の馬鹿だ」
勝ち誇ったように言うフレイアに、ライトリークはもう一度頭を抱えた。
そこには、陰から眺めている一人の女がいることを知らずに。