-6-
シフォンヌさんの温もりに包まれたまま、どれだけの時間が経っただろう。
彼女の腕の中で、ボクはふと我に返る。
「あ……すみません、ボク……!」
慌ててシフォンヌさんから身を離す。
そんなボクに、温かな笑顔を向けてくれるシフォンヌさん。
「うふふ、いいのよ。男の子はいつだって、お母さんが恋しいものなの」
「え……?」
男の子……?
そりゃあボクが男だってことは、シフォンヌさんはもちろんわかっていたわけだけど。
でもシフォンヌさんは、ボクに娘さんの服を着せて、娘さんの代わりになってお話することを望んでいたんじゃ……?
ボクは首をかしげながらシフォンヌさんを見つめ返す。
「ごめんなさいね。娘の代わりなんて、つらい役割をさせてしまって」
シフォンヌさんは素直に、謝罪の言葉を向けてくる。
そして優しい笑顔をたたえたまま、さらに優しく語りかけてくれた。
「これからはいつでも、本当のお母さんだと思って泣きに来ていいから、ね?」
「シフォンヌさん……」
呆然としているボクに、シフォンヌさんは少し首をすくめてみせる。
「ちょっと、図々しかったかしら」
「いいえ……、ありがとうございます……!」
ボクの瞳は、嬉し涙でいっぱいになっていた。
「うふふ。わたくしの依頼、やっと果たしてもらえたわね。ありがとう」
「え?」
何度目になるかわからないボクの疑問に、シフォンヌさんはやっぱり笑顔で、こう答えてくれた。
「嬉し涙を見たかったから、わたくしは今回の依頼をしたのよ」
☆☆☆☆☆
それからの時間は、あたかも本当の親子になったかのように、仲よくお喋りをさせてもらった。
シフォンヌさんにとっては、娘さんの代わりにはならないだろうけど、娘さんと同世代の相手との語らい。
ボクにとっては、本当のお母さんではないけど、同じくらい温かく包んでくれる人との語らい。
ボクはとっても楽しかったし、シフォンヌさんも終始笑顔だったから同じように楽しんでくれただろう。
とはいえ、どんなに楽しい時間にも、終焉は訪れる。
窓の外に目を向け、もうこんな時間ね、とシフォンヌさんがつぶやいた。
その声は心なしか寂しそうに聞こえた。
だけど、帰らないわけにはいかない。
ボクはこの家の子供じゃないのだから。
「それじゃあ、帰ります。着替えますので、また隣の部屋をお借りしますね。……あっ、それと、スカートをダメにしてしまって、本当にごめんなさい」
「うふふ、いいのよ。だいたいそのお洋服もわたくしの手作りなんですよ? 娘の思い出が詰まってるから、新しく作り直すわけにはいかないけれど、修繕することは可能なのよ」
シフォンヌさんの言葉に安堵したボクは頭を下げ、隣の部屋へと移動する。
ボクが嬉し涙を流したことで、もう依頼は果たされていた。
だから今回の仕事は、これで終わりになる。
これからはもう、こんなふうに女の子の服を着ることもなくなるんだ……。
そう考えると、なぜだかちょっとだけ寂しいような気がした。
ともかくボクは、素早く着替えを終えると、脱いだ服をきちんとたたんでから部屋を出る。
ドアの前では昨日と同じように、シフォンヌさんが待ってくれていた。
そして昨日と同じように玄関まで送ってくれた。
昨日と違うのは、シフォンヌさんが満足そうな表情をたたえていることだ。
――いろいろと悩んだりもしたけど、この依頼を受けられて、本当によかった。
ボク自身も、満足感に満たされていた。
「もしよかったら、また遊びに来てね」
「はい!」
シフォンヌさんの申し出に、ボクは素直に答えを返すのだった。
☆☆☆☆☆
その後、ボクはティアーズマジックの事務所に戻るなり、
「ただいま帰りました~!」
と、元気いっぱいに声を響かせた。
「あっ、ミルミルちゃん!」
「よかった、元気そうじゃない!」
「ええ、そうですわね!」
ボクの顔を見ると、どういうわけか会社のみなさんが駆け寄ってきた。
ショコたんの姿は見当たらないけど、それ以外の全員――主婦さん、パー子さん、ペロちゃん、ベティさん、マリオンさんが、ボクを取り囲んで笑顔を向けている。
驚いて目を丸くしているボクに、出迎えてくれたみなさんは口々に声をかけてくれた。
「ミルミルちゃん、このところずっと、元気なかったでしょ?」
「ウチら、みんな心配してたんや!」
「でもショコたんが、放っておいてやるのも優しさだぞって……」
そっか……。
みんな、ボクのこと、心配してくれてたんだ。
自分から積極的に話しかけたりとかは、あまりできていなかったけど。
それでもみなさんは、ボクのことを仲間として認めてくれていたのだ。
打ち解けていないなんて考えていた自分が、とても恥ずかしくなってくる。
「みなさん、ありがとうございます!」
ボクはペコリと頭を下げると、笑顔を浮かべたまま階段を上り、自分の部屋へと向かった。
☆☆☆☆☆
と、ボクの部屋の前には、ショコたんが待ち構えていた。
「どうだ? 自信はついたか?」
短くそう尋ねてくる。
すべて、お見通しだとでも言うように。
「……はい」
ボクは素直に答えた。
どうやらシフォンヌさんには、ショコたんのほうからボクの過去について話していたようだ。
シフォンヌさんからの依頼だったのは確かなのだけど。
ショコたんは逆に、シフォンヌさんにお願いをしていた。
ボクを――ミルフィレイユを、元気づけてやってくれと。
シフォンヌさんはそんなお願いを、快く引き受けてくれた。
そのお願いの果てには、もともとの依頼だった、嬉し涙を見たいというシフォンヌさんの望みも叶うと考えられたからだ。
実際には最初、娘さんの代わりに話し相手になってくれる「女性」に来てもらいたいという依頼だったと、ショコたんは語った。
でもショコたんは、ボクを向かわせることにした。
シフォンヌさんは反対しなかったのだろうか?
そう訊いてみると、シフォンヌさんは「実は男の子もほしかったのよね」と笑いながら、喜んで聞き入れてくれたらしい。
う~ん……。
ボクのために、そういうことにしてくれたショコたん。
とてもありがたいとは思う。
現に今のボクはこうして、温かな気持ちに包まれているわけだし。
それでもちょっと、依頼人さんまで巻き込んでこんなことをするっていうのは、非常識な気がしなくもない。
だいたい、なんていうか、ショコたんもショコたんだけど……。
拒否しなかったシフォンヌさんもシフォンヌさんだよね。実は男の子もほしかった、だなんて……。
ショコたんからの話を全部聞き終えたボクは、心に決めていた。
次にシフォンヌさんに会ったら絶対に言ってやろう。
「天国の娘さんに怒られますよ?」って。




