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「なんだ、しっかりと教育できているじゃないですか……」
ポツリと、エクレールさんはつぶやきを漏らした。
「え?」
疑問符を浮かべて顔を上げるあたしに、彼女は続けてこう言い放つ。
「ふふふ、うちにはそんなことを言う人は必要ないってことですわ。早くあのバカ女のところにお帰りなさいな」
あたしには、なにがなんだかわからなかった。
さっきまでは必死なくらいに自分の会社に入社させようとしてたのに、いきなり手のひらを返されて。
しかも「あのバカ女」って……きっと、ショコたんのことだよね?
いくらなんでも、うちの社長さんをそんなふうに言うなんて、ひどいよ。
困惑とちょっとした怒りとで、呆然と立ち尽くすあたし。
だけど、ここは言われたとおり、帰るしかないよね。
素直に従い、あたしは黙って立ち上がると、エクレールさんに背を向ける。
ドアまで歩み寄り、ドアノブに手をかけようとしていたあたしの背中に、
「でも……楽しかったですわ」
エクレールさんからの穏やかな声がかけられた。
よくはわからなかったけど、そう思ってもらえたなら、まぁ、よかったのかな?
自分なりに解釈してエクレールさんの言葉を受け取ったあたしは、一旦振り返ってもう一度頭を下げる。
「こちらこそ、その、いろいろとご馳走になって、ありがとうございました!」
そこまで言って、ふと気づく。
「あ……すみません……。この服とか……、あと、バッグ……」
あたしは買ってもらった服を着たままだった。アクセサリーもいくつかは身に着けている。
ソファーの横に置いたままになっているけど、バッグもふたつ買ってもらったし、その中には今は身につけていない他のアクセサリーなんかも……。
考えてみたら、ふたつあるうちの片方のバッグには、あたしがもともと着ていた服も入ったままだ。
脱いだ服を入れるために、わざわざ別のバッグを買ってくれたんだよね……。
今となっては、断っておくべきだったなと、後悔の念が押し寄せる。
「お洋服とか、お返ししますね。……えっと、どこかお着替えできる場所って……」
「いいですわよ、プレゼントしますわ。もらってくださいませ。今日一日、つき合っていただいたお礼です」
いそいそと羽織っていた上着に手をかけていたあたしに、エクレールさんはそんな言葉を送ってくれた。
「え? でも……」
さすがに遠慮して、可愛いけどちょっと値段は低めのものを選んではいたものの、中にはそれなりに高価なものもあった。
きっと自分の会社に入社させるためと思って買ってくれたに違いないのだから、もらってしまうわけにもいかないと、あたしは考えたのだけど。
「返されても困りますわ。わたくしのスタイルではその服は合いませんし。バッグもアクセサリーも、わたくしには子供っぽくて似合いませんから」
なんて言われてしまった。
どうせあたしは子供っぽいですよ!
一瞬ムッとしてしまいそうになったけど、それはエクレールさんなりの気遣いなのだと、すぐに気づいた。
あたしが気兼ねなく、服やアクセサリーをもらって帰れるように。
だって、この人の様子だとお店に返品するとかまではしないと思うけど、会社で働いている社員さんの中になら、似合う人だっているかもしれないのだから。
ここであたしが返したとしても、そういった社員さんにお仕事を頑張ったご褒美だと言ってプレゼントすることはできるはずだ。
それなのに、エクレールさんは返さなくていいと言ってくれている。
……ここは、素直にもらっておくべきなのかな。
あたしは躊躇しながらも、大きく頭を下げた。
「あの……、それでは遠慮なくいただいて帰ります」
「いえいえ、いいんですのよ。……バッグ、お持ちしますわね」
あたしがドアの前で頭を下げているあいだに、エクレールさんはいつの間にか椅子から立ち上がり、ソファーの横に歩み寄ってバッグを持ち上げていた。
彼女はそのまま、頭を上げたあたしの目の前まで歩いてくると、バッグをそっと手渡してくれた。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
あたしが素直に受け取ると、エクレールさんは満面の笑みを返してくれた。
☆☆☆☆☆
ティアーズマジックの事務所へと帰り着き、受付にいた主婦さんに仕事の終了を報告すると、あたしはすぐに自室へと戻った。
クローゼットを開けて部屋着を取り出すと、あたしは着替え始める。
そして着替えながら、買ってもらった服やアクセサリー、バッグに目を向けてみた。
ほんとに、もらっちゃってよかったのかなぁ……。
今度ちゃんとお礼をしたほうがいいよね……。
あっ、ショコたんにも連絡しておいたほうがいいかな。今日のお仕事、考えてみたらあたし、泣いてないし……。
そんなことを考えながらバッグの中に入れた自分の服を取り出していると、見覚えのない紙袋が出てきた。
「あれ? なにこれ……」
その紙袋には手紙も添えられていた。
『マリオンさん、あなたならきっと、今の仕事を続けていけますわ。思う存分、涙を流してくださいな。これはオマケのプレゼントです。食べてくださいね。エクレールより』
手紙にはそう書かれてあり、紙袋の中には、手作りと思われる可愛らしいクッキーが入っていた。
いったい、いつの間に用意していたのだろう?
「エクレールさん……」
微かにうるうるしながら、あたしはそのクッキーを味わう。
「…………!?」
途端に、涙が溢れてきた。
と、紙袋の一番下に、小さなメモ書きがあることに気づく。
『思いっきり泣けるための、激辛ワサビ入りクッキーですわ! ふふふっ!』
あの人、なかなか意地悪な人なのかもしれない……。
ワサビクッキーの強烈な辛さに、あたしは思う存分、涙を流す羽目になってしまった。
――しばらく悶絶したあと、あたしはバッグの中に、さらに別の手紙が入っていることに気づいた。
その手紙には、『ショコラレットへ』と書かれてあった。




