不運少女
ボツネタです
「ああ、世界、滅びてくんないかなぁ」
路地裏の片隅―――ぶっちゃけゴミ箱の中―――で少女は溜息と共に物騒な呟きを漏らす。
服装は汚れ、体のあちこちに擦り傷が目立つ彼女は現在逃亡中。
何からって?
借金取りからです。ハイ。
彼女の名前は音羽 渚。
彼女は都内の進学校に通う平凡な3年生である。
ここで云う平凡とは、世間で言うところの平凡とは違った意味合いになるかも知れないが、極めて平凡な高校3年生である。
容姿は平均、最近はちょっと大きめの胸が気になってきたお年頃。
髪はアジア系特有の黒髪を腰の辺りまで伸ばしている。髪型はその時々や目的によって変えてはいるが、基本的にはポニーテール。
白いリボンで縛ったポニーテールは、彼女にとっては密かな自慢だったのだが、今は見る影もなくぼさぼさ状態。
此処でちょっと聞いてもらいたいことがある。
たぶん、この話を聞いてもらわない限り、なぜこうなったのかが理解してもらえないだろうから。
まあ、半分以上は彼女の愚痴で、現実逃避の為に誰かに聞いてもらいたいだけで、それ以上の意味は無いし、それ以下の話でもない。
まず、彼女には運が無い。
それはもう運が無い。
生きているのが辛いくらい運が無い。
幸運と辛運って一画違うだけで、どうしてここまで違うんだろう。
閑話休題。
彼女は不幸だと嘆きたい訳では無い事は理解してほしい。
不幸な人生なんてモノは、その辺にゴロゴロしているだろうし、まず日本に生まれる事ができた時点で幸運な部類に入る事を彼女は理解しているからでもある。
不幸が欲しければちょっと飛行機に乗って東南アジアの方に逝ってくればいい。
まあ、幸運は持ち合わせていなかった彼女でも、悪運は掃いて捨てるほど持っていたらしいのは、この後の話を聞いてもらえれば分かって貰えるだろう。
文字通り履いて捨てられたらどれだけ楽なことだろうね。
さて、何処から話そう、そうだね。まずは、彼女の存在感が薄い理由から話そうか。
音羽が生まれたのは春先で、冬には双子の妹弟が生まれたらしい。
私はよく覚えてない。
まぁ、覚えていたら驚異的かもしれないね。
音羽は生れ付き大人しい子だった。
夜泣きもしなければ、好き嫌いも無い。その反面、妹弟は手のかかるヤンチャ共で、両親はそちらに掛かりっきりとなってしまった。
この時点で私の存在は忘れられがちになっていた。
それでも、人間の生存本能というのは偉大だ。
親は居なくても子は育つ。
この言葉をまさに地で行った私には、生き抜く事に関しては他人を寄せ付けない自信がある。
まあ、その頃の弊害というかなんというか……
私の対人コミュニケーション能力と存在感は酷いものになってしまった。
幼稚園の頃、私だけ遠足に連れて行って貰えなかったり、送迎のバスには忘れられたり、今思えばちょっと待てよ的な………
小学生になると、さらに存在感が希薄になり過ぎて、周囲には音羽の存在が認識出来ないくらいにまで、薄くなっていた。
そもそも、音羽のコミュニケーション能力が低かった所為でもあるのだが、クラスメイトと積極的に関わろうとしなかった音羽にも多少の非は在るかも知れない。
それだけが理由では無いだろうが、クラスメイトに存在が認知されず、存在感が薄くなり、コミュニケーション能力がまた下がり―――以下エンドレス。
存在感が薄かったのは幸か不幸か、いじめに遭う事はありませんでしたよ。
6年間村八分状態でしたけどね……
知ってます?
村八分って火事とお葬式以外の行事では無視されるから村八分っていうらしいですよ。どうでもいいですよね。
そんな私にも頑張ろうと思った時期はありました。
ええ、ありましたとも。
思い返せば無駄な事をしたものです。
そう、あれは中学に上がった、その春の事。
私は恋と云うモノを体験した。
俗に言う一目惚れというヤツだ。
中学に上がっても、私にとっては何一つ変わる事は無いと思っていた。そんな私は、中学校での安眠スポットを探すために校内を散策していた。
どうせ私の存在感なんて有って無きに等しいモノで、授業中に堂々と教室のドアを開けても、誰も気がつかない程なのだから。そう、この頃の私の存在感は、遂に両親の認識さえ、潜り抜けるまでになっていたが、それこそ瑣末な事。私にとってはすでに想定の範囲内だった。
授業は最初に返事だけしておけば―――代返でも可、むしろそっちの方が認識されやすい―――何時授業から抜け出そうとも問題ない。
テストなんてものは授業を聞いていなくても、私の存在感の薄さを利用して教務室に忍び込めば――――
後はご想像にお任せしよう。
まあ、そのご想像通りだと思う。
なら真面目に受けるよりも、睡眠に使った方が有意義だろう。
校内の9割方を散策し終えた私に残す所は後一つ、屋上への扉を開けた。
「おや、こんな時間に授業をサボっているのは誰だい?」
その言葉に、私の心臓は破裂するかと思ったのを、今でも鮮明に思い出せる。
「早くもサボり仲間ゲットだぜってか」
扉の音が有ったとは言え、私の存在を認識出来る生徒がこの学校に居たなんて!
という、私の心の声を無視して屋上に居た存在―――たぶん男だろう―――は私に語りかける。
「お~い、聞こえてるか? 日本語通じてますか~?」
その言葉で我に帰った私は、慌てて首を縦に振る。
「あぁ~、よかったよかった。独り言になってたら、恥ずかしすぎて死ねるな」
朗らかな笑顔と云えばいいのだろうか、ただ彼の笑顔は私には眩し過ぎたのは確かだ。
思い返すと、この笑顔に惚れてしまったんだろう。
「そんな扉の前に居ないでこっちに来いよ」
彼は屋上の端―――とは言っても、下からは見えない程度に端っこに私を呼び寄せる。
近づいてみると、彼の容姿は平凡よりも少し上、といったところで、背は少し低めだったが、中学生という年齢を考えれば、まだ伸びるだろう。
これで髪型と服装を真面目に考えればそれなりに(一部の層に)人気が出るに違いない。
「まあ、座れよ。俺は神木真吾、お前は?」
「わたし、は、おとわ、なぎさ」
私は腰を下ろしながら応える。
この時、名前を言えた私を誰か誉めて欲しい。
私が喋ったのは(対人の場合)2年ぶりくらいだったし、名前なんて最後に名乗ったのは3年くらい前だった。正直自分の名前だって忘れかけていたくらいだ。
ちなみに入学式はボイコット、クラスの自己紹介の時、私の存在は忘れ去られていた。
先生、何で私の名前呼ばなかったんだろう………
閑話休題。
「へぇ~、良い名前だな」
御世辞だろう。そうに違いない。気にしないでおこう。
「ここで、なにしてるの?」
「いや、見れば分かるだろ」
確かに見れば分かる。
授業をサボっているのだ。
「じゅぎょう、サボる、なんて、ふりょー?」
「いや、お前だってサボってるからな?」
「わたしは、さぼりじゃ、ない」
「いやいや、お前制服着てるじゃん。生徒以外に誰がそれ着るんだよ」
「じゅぎょう、には、でてる」
「あぁ、途中から抜け出して来たってことか?」
「いまも、でてる」
「あああああ、もう、もっと普通に喋れないのか!?」
「ひぅ………っ!!」
「ああぁぁ! 泣くな、頼むから泣くな!」
まあ、この後20分ほどかけて、後半は涙目―――9割以上は彼の所為―――ながらに私の人生を語ったのはいい思い出として、胸にしまっておきたい。
それを聞いた彼は、至極普通の対応だった。
「へぇー、それなりに苦労してるんだな」
蔑む訳では無く、憐れむ訳でもなく、優越感に満ちた感じでもない。ただ淡々と応えただけだった。
当然のように、蔑みや憐みの眼を覚悟していた私は酷く驚いたものだ。それも、彼の人格を知ってからは不当な評価だった事を明記しておく。
「まあ、人生なんてそんなもんだ。お互い色々在る様だけど、それなりに生きて行こうぜ」
その言葉にぎこちなく頷く私は、『お互いに』という言葉に違和感を覚えたが、他人の過去を聞いてやれる様な―――ましてや相談に乗る様な―――コミュニケーション能力は皆無だった為、気にしない事にした。
まあ、この時の私は、彼に興味が無かった―――興味が無いふりをしていた―――だけかもしれないが。
それから私のサボり生活には新たな、もとい初めての仲間ができた。
私が屋上に行くと大抵彼が居た。居なかった場合は後から来た。
私は彼と会話するために発声練習やコミュニケーショントレーニング、少し背伸びしてお化粧なんかも頑張った。
今思い返せば、まるっきり恋する乙女全開だったな、私。
それからの私は、昔を考えれば別人の様に努力していた。
彼と屋上で出逢ってから2ヶ月後、私たちは付き合い始めた。
切掛けは彼の方からの告白、何時もの屋上サボりの最中に、
「な、俺たち付き合わね?」
ムードも何もなかったが、その言葉に二つ返事で了承。
その頃に戻れるなら私自身を引っ叩いてでもやめさせていた。絶対に。
ついでにあの男の顔も引っ叩けていたら………いやなんでもない。
それからは幸せ(錯覚)な毎日を過ごした。
毎日のようにデート。
放課後は駅前の喫茶店。
週末はお泊りや電車に乗ってお買いもの。
まあ、この日々があっただけでも、付き合っていた事に文句は無い。
とは、言い切り辛いけど、悪くは無かったとは言える。
その日々の終わりは唐突―――予兆はあったけど、夏休み終盤の頃。
夏休みに入ってからは毎日の様に遅くまで携帯で話しをしていたのに、その日だけは、彼は電話を掛けて―――私の方から電話をする事は稀だった―――来なかった。
私はそんな日もあるだろうと気にしていなかったが、その次の日も、その次の日も、彼からの連絡は無く、結局1週間後に私から掛けた電話にも、彼は出なかった。
夏休み終盤、連絡が取れなくなった時点で気が付くべきだったのだろう。
私もおかしいとは思っていたんですけどね。
彼と別れる事になったのは夏休み明けの2学期初日。
クラスの女子―――美人度でいえば上から数えた方が早い―――が彼と一緒に仲良く―――腕とか組みながら―――楽しそうに登校していたのを発見した時だった。
まあ、私にだってプライドくらいありますから、すぐに彼に詰め寄りました。
その時の彼の反応ときたら、
「あ、ごめん忘れてた。俺、彼女と付き合う事にしたから―――」
「あ、そうなんだ。お似合いだね」
もう頭が真っ白で後半のセリフは覚えていませんが。
なんとかそれだけ応えると、音羽はいつもの屋上に向かった。
取乱さなかった私を誰か誉めていいと思います。
幼馴染とか滅びればいいのに………
考えてみると私の人生はここから狂い始めたのだろう。もちろん、悪い意味で。
その後、中学一学年の間は失恋のショックで、何もする気が起きないまま二学年へと進級。このままでは駄目だと、心機一転して頑張ろうと心に決めた一学期は直下型地震によって校舎が崩壊。
死者は奇跡的に少なく、学校関係者での死亡は0だったのは本当に奇跡だったのかもしれない。
そして、二学期から授業を再開。
思い出作りにと先生方とPTAの配慮によって決行された2泊3日の修学旅行ではバスジャックに遭い。
何時も存在感が無く誰にも認識されない筈の音羽が人質になり、犯人は現金を奪って逃亡。その後3週間に渡って逃亡生活を続け、全国を津々浦々、修学旅行なんて目じゃない旅行を楽しまされた私は、犯人の自殺によって解放された。
解放された私は、家族に存在を忘れられていたのが、何気に一番のショックだった……
3学年になっても、爆弾テロに巻き込まれて爆弾を体に巻いたり、銀行強盗に巻き込まれて今度は世界を津々浦々…………いやもう、本当に色々な事がありましたよ。
そして、高校に進学してから気が付いた事が一つ。
私は『死ねない』という事。
別に頭が吹っ飛べば死ねるんだろうけれど、その状況が作り出せないと云えばいいのか。
まあ、高校に進学してからも―――受験の時にも―――色々あった私はもう疲れ果てていたんでしょう。
だから、高校1年の夏。
私は死んでやろうと思いました。
台所から包丁を持ち出し、物置からはガムテープ。
3畳ほどの広さの風呂場、窓や扉をガムテープで密閉。睡眠薬を大量に服用して、酸性洗剤と塩基性洗剤をドバァっとぶちまけ、最後に、手首に深い傷を付けて浴槽へ。
これで面倒な運命って奴から逃げられると意識が落ち、次に気が付いた時には、病院に居ましたよ。
何故死ねなかったのかと聞いてみれば、どこぞの野球少年の盛大なホームランが私の家の風呂場の窓を直撃したらしい。
そのボールを探しに来た先生と生徒、さらに何故か窓が割れた瞬間を目撃していた近所のおばちゃんと野球部顧問が私を発見―――風呂覗くとはいい度胸だ首洗って待ってろ顧問―――すぐに救急車で運ばれた私は奇跡的に(運悪く)助かったそうだ。
その後も何回か自殺を決行。それら全てが未遂に終わり、何故か生き残ってしまう私。
最後の方なんて、死ぬ事より、どこまで死ねないのかを実験してましたよ。
最終的には『日の光60階』の屋上から飛び降りても生き残った。
私の悪運―――ここまで来るとむしろ不運―――は、この世界で生きる事が一番の苦行だと判断しているらしい。
病院で目が覚めたとき思った事は、『まだ生きてる』よりも『私は死ねないんだな』の方が先に来た。
どう足搔いた処で死ねない―――決して『死なない』わけでは無いと思いたい―――私は死ぬ事を諦め、ただ黙々と日々を過ごし、高校3年生になった。
一学期、今までの人生でベスト3に入る苦行がやってきた。
夜逃げである。
親の仕事が失敗して、借金たっぷり敗者の末路。
昨日の夜はせっせと荷造り。
今日は「さぁ逃げ出すぞ」って一歩手前。
親に忘れられていました。
失敗した。
自分の存在感の無さと不運補正を計算して無かった。
此処まで忘れているとはいっそ清々しい。
こんな思考回路にも不運補正は働くのかと音羽は投げやりに思う。
自分の失敗だけは認めたくないモノである。
これも若さゆえだろうか。
「ああ、さっさと人類滅びればいいのに」
そして現在。
生ゴミやら燃えるゴミやらと一緒になって身を縮こまらせている。
書いたもののこの後の展開まったく書け無くなったので
ボツネタ入り