第7話 小さな魔法使いは、連絡をする
焚き火の火は静かに揺れていた。
森の中、夜の冷たい空気が肌を撫でる。エルフィーナ・ノクターンは膝を抱えたまま、無言で炎を見つめていた。
すぐ隣には、黒き神獣――ノワールが横たわっている。先ほどまで語られていたのは、光の槍の正体。
《セラフィック・ランス》。ヴァルグレイア帝国の軍用魔法。クロス王国では禁止されている、対魔法使い用殲滅魔法――。
それが王国の空を割り、アンナを巻き込んだ戦いの場に降り注いだのだ。
(本当に、帝国の魔法だった……)
信じたくない話だった。
だがノワールの口から語られた詳細な構造、術式の理論、そして特有の魔力波長……それらは確かに、王国のそれとはまったく異質だった。
(もし……本当に、帝国が何かの理由で動き始めているとしたら……)
エルは唇を噛む。
ただの偶然とは思えない。
あの黒髪の女もまた、帝国式の魔術を使っていたという。
粗雑な模倣にすぎなかったが、影響を受けていたのは明らかだった。
このまま、知らないふりをしてもいいのだろうか。
焚き火の炎がパチリと音を立てる。
その音に、小さく肩をすくめながら、エルはふと、ある人物の顔を思い出した。
――ゼルネ。
あの人が言っていた。
「王国のことを守るのが、あたしたち特別魔法士団の役目だ」
軽いようでいて、その言葉には信念があった。
(……私も、その一員なんだよね)
エルはゆっくりと立ち上がった。
「……連絡、入れておこう」
◆
エルはローブの袖から、小さな銀色のブレスレットを取り出す。
特別魔法士団員専用の魔法通信具。波長を合わせることで、遠隔通話が可能になる高等魔道具だ。
ブレスレットに触れながら、彼女は静かに目を閉じ、ゼルネの魔力波長を思い浮かべる。
そして、自身の魔力をそっと流し込んだ。
「……繋がった。ゼルネさん、聞こえますか?」
数秒後、ブレスレットから男の声が返ってくる。
『おお、エルフィーナか。どうした、何かあったのか?』
すぐに、もう一人の声も重なる。
『夜に連絡なんて、珍しいわね。何かあったんでしょう?』
リーネの落ち着いた声だった。
エルは一瞬迷ったが、深く息を吸って言った。
「……実は、例のアンナさん救出の件で、少し気になることがあって」
◆
エルはできるだけ簡潔に、そして正確に話した。
黒髪の女が使っていた魔術の性質。
魔力の質が王国の体系とは異なっていたこと。
そして――空から降ってきた、あの光の槍。
「……その魔法について、森の中で出会ったある“知識ある獣魔”から、教えてもらいました」
ノワールの存在については、いまは伏せておく。
彼の正体が何者か、どこまで知らせていいのか、自分でも判断がつかない。
「その獣魔は、あの光の魔法を“セラフィック・ランス”と呼びました。ヴァルグレイア帝国で開発された、対魔法使い用の殲滅魔法だそうです」
通信の向こう側が、ピタリと静まり返った。
数秒の沈黙ののち、ゼルネの声が低く響いた。
『……帝国魔法、だと?』
『王国の境界を越えて……? 本当に?』リーネの声にも、わずかな動揺が混じっている。
「ええ、間違いありません。魔法の構造も、波長も、王国のものとは明らかに異なっていました」
焚き火の炎が、ふっと揺れる。
その影が、エルの瞳に決意を灯す。
「もしかすると、帝国の何者かが、この王国に何らかの干渉を始めている可能性があります。あの女の魔術も、おそらく帝国式の模倣でした」
『――情報、ありがとう。よく連絡してくれた』
ゼルネの声が、真剣さを帯びる。
『この件は本部へ正式に報告する。君の話が事実なら、これは国家間の問題に発展する可能性もある。……エルフィーナ、君も後日、本部へ来てくれ』
エルは少し悩んだが…
「わかりました」
『護衛はつけようか?』
「いえ、大丈夫です。……私はもう、一人じゃありませんから」
ノワールが隣で静かに目を閉じていた。
『……ふふ、頼もしくなったわね。じゃあ、また後日』
ブレスレットからの通信が切れる。
エルはそっと魔力を抜き、ブレスレットをローブの袖にしまい込んだ。
◆
ふと夜空を見上げると、星が静かにまたたいている。
(やっぱり、連絡してよかった)
胸の奥で、少しだけ重たかったものが軽くなった気がした。