第5話 小さな魔法使いは,森の中で戦う
ゼルネとリーネが帰ってから一週間。
エルフィーナは、変わらず引きこもり生活を送っていた。
(もうすぐ今年も終わりですね……)
そんなことをぼんやり考えていたとき――
コンコン。
玄関の扉が叩かれる音が響いた。
「おーい! エルちゃーん! アンナだよー! 起きてるー?」
聞き慣れた声に、エルは重い腰を上げて、ゆっくりと扉を開けた。
「あっ、良かった! 起きてたんだね〜」
「はい、いつもの食料! 一週間分ぐらいはあると思うよ〜!」
元気よく手渡してきたのは、町に住む少女・アンナ。
彼女はエルの両親に頼まれ、定期的に様子を見に来たり、こうして食料を届けてくれている。
「アンナさん、いつもありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるエルに、アンナがにっこりと笑う。
「もう〜、また顔洗ってないでしょ〜。せっかく可愛いのに、もったいないよ〜!」
テンション高めに突っ込んでくるアンナ。
正直、エルは少し苦手だった。
食料を届けてくれるのはありがたいし、手料理を分けてくれることもある。でも……とにかく元気すぎて、圧が強い。
「今日は外に出るつもりもなかったので、このままで……」
ぼそりと返すエルに、アンナは明るく返した。
「ダメダメ! エルちゃんだったら魔法でお湯作れるでしょ? 火を起こす必要ないんだから羨ましいな〜!」
アンナは魔法が使えない。
この国では、国民の半分程度しか魔法適性を持たず、それが血筋なのか才能なのかは今も謎のままだ。
「じゃ、また来るね〜!」
ひらひらと手を振って、アンナは帰っていった。
エルは軽く会釈しながら、ぽつりとつぶやく。
「……ああいうの、嫌いじゃないんですけどね」
――数時間後。
コンコン。
再び扉が叩かれた。
「エルちゃん! いるかい!?」
この声は――アンナの両親だ。
エルが扉を開けると、心配そうな表情のふたりが立っていた。
「エルちゃん、今日アンナを見なかったかい?」
迫力ある勢いで尋ねられ、少し戸惑いながらもエルは答えた。
「アンナさんなら、お昼過ぎに食料を届けてくれました」
「じゃあ……帰り道に……」
ふたりは小声で話し合いながら、心配の色を深めていく。
「何かあったんですか?」
エルが恐る恐る尋ねると、アンナの母が答えた。
「まだ帰ってないのよ。日が暮れても戻らないなんて、今まで一度もなかったのに……」
事情を話し終えたふたりは「ありがとうね」とだけ言い残し、急いで町へ戻っていった。町全体で捜索が始まっているらしい。
(……アンナさんが……)
エルは迷ったが、すぐに決心した。
ローブを羽織り、久しぶりに外へ出る。
「探しましょう。アンナさんを」
玄関に残されていた食料の入ったカゴを手に取り、呪文を唱える。
「セリオス・ナヴィガ・アトラン――導け、星の道を通りて」
それは、探したい人物が触れたものを媒介に、居場所まで導いてくれる探索魔法。
エルが魔法の研究中に偶然編み出した、いわばオリジナル魔法だった。
カゴから光が放たれ、道を照らしていく。
その道筋は、町外れの森の中へと続いていた。
しばらく歩いた先――湖のほとりにたどり着くと、エルは目を見開いた。
「……アンナさん!」
湖の脇に、アンナが倒れているのが見えた。
すぐに駆け寄ろうとしたが、その前にひとつの影が立ちはだかる。
黒髪に、仮面をつけた女――その声は、どこか不気味に歪んでいた。
「こんばんは、お嬢さん。こんな夜にどうしたのかしら?」
「それはこちらのセリフです。そこの人を、どうするつもりですか?」
エルが警戒を込めて問いかけると、女はさらりと恐ろしいことを口にした。
「なに、賢者の石の材料に使うだけさ」
――賢者の石。
あらゆる奇跡を引き起こすとされる伝説の石。だが、それを作ることはこの国では固く禁じられている。
「賢者の石は、法で禁じられているはずですが」
「よく知ってるね、お嬢さん。でも、そんなの関係ない。私はどうしても賢者の石を作りたいのさ」
そう言うなり、女は杖を振り、水の槍を放ってきた。
エルは即座に反応し、手のひらから炎を放って相殺する。
バシュッ! 水と炎がぶつかり合い、水蒸気が一帯を包み込む。
「視界が……」
女が辺りを見回すその瞬間――
ガシャン!
どこからともなく飛んできた鎖が、女の手足と口を拘束した。
「グラヴィス・チェイン」
エルの詠唱が響く。
「その鎖に拘束された者は、魔法の行使が困難になります」
女は抵抗もできず、その場に倒れ込んだ。
「……さて、アンナさんを返してもらいますよ。そしてあなたは町の自警団に引き渡して、裁きを――」
そのときだった。
夜空が、輝いた。
いや、違う。
それは天から降り注ぐ――巨大な光の剣。
「っ……!」
エルはすぐにアンナのもとへ駆け寄り、結界魔法を展開する。
ドゴォォォン――!!
轟音と共に地面が揺れた。
辛うじて防ぎきったものの、黒髪の女は直撃を受けていた。
――微動だにしない。
エルは、目の前の事態を前に、静かに息を呑んだ。
息を殺すように数秒が過ぎ――やがて、エルは小さく息を吐いた。
「……アンナさん、大丈夫ですか?」
彼女に寄り添い、そっと体をゆする。
すると、アンナがうっすらと目を開け、か細い声で答えた。
「……エル、ちゃん……? あれ……夢……?」
「いえ、現実ですよ。お迎えに来ましたから」
エルはほっと微笑むと、彼女を魔法で浮かせて、その場を離れた。
黒髪の女は、自警団に引き渡されることとなった。
賢者の石の研究をしていた痕跡や、禁忌に触れる魔道具が次々と見つかり、処分は確実とされた。
アンナは数日安静にしただけで元気を取り戻し、いつものように町を駆け回っている。
エルのもとにも、また食料を持ってやってくる日が近いだろう。
一件落着。――そう、言っていいはずだった。
だが、エルにはひとつだけ、引っかかっていることがあった。
(あの“光の剣”――一体、誰が、なんのために?)
あの黒髪の女の魔力とは明らかに異なる性質。
攻撃の規模、威力、精度――どれをとっても、あの女の手には負えないはずだった。
では、誰が? どこから? なぜ――?
答えのない問いを抱えながら、エルフィーナはそっと窓の外を見る。
夜は静かに更けていく。
森の方角に目をやれば、遠くに月が浮かんでいた。
(……静かな暮らしが戻ったのなら、それでいい)
そう自分に言い聞かせ、エルはカーテンを閉めた。
だが、彼女はまだ知らない。
あの“光”が、彼女の運命に再び影を落とすことを――。