神と和解せよ
私は死んだ猫である。名前は”たまね”。
主人である林道道実からの寵愛を存分に受け、最期を看取られ虹の橋を渡った猫である。
そう、私は、《《ただの猫》》である。人間ではない。
いくら愛を与えられても、それはしょせん畜生に向けられるひとときの気まぐれであり、死なれた所で個人差はあれどやがてケロリと立ち直るだろう。
それを私は”愛”とは決して呼ばない。私にとってその概念は、時に狂おしいほどの幸福を齎し、時に宿主の魂を縛り上げる呪縛にも成る。歪で不安定で、故に絶対的な生命の喘ぎ。畢竟、私は誰よりも愛した主人から、一度も愛を返されずに死んだのだ。
「林道たまね。君の魂は《《重すぎる》》」
「はい?」
どこを見渡しても際限のない白色の空間。私は死後、実体を持たない魂となってここに送られた。目の前には、長い白髭をたくわえた老人。”神”を自称する彼は、私に向かって意味不明な言葉を投げた。
「種を問わず、或る生命の死後、その者が持つ正負の感情や未練の程度によって魂に歪みが生じる。巷で心霊だのポルターガイストだの騒がれているのがまさにその残滓だ。大抵は極局所的で生者にも影響は殆ど無いが………君の場合は違う」
老人は、魔法か何なのかは知らないが虚空に長方形の画面を投影させた。大きさにして十四インチくらい。
数秒の砂嵐の後に流れた映像は、人間世界で言う所のニュース番組。”数百年に一度の超大型台風が接近中”と、右上のトピックスに書かれている。
「他にも……」
チャンネルが次々変えられる。どれもニュース番組だが、”軌道のズレた小型惑星が地球へ衝突するとの見込み”とか、”例年に比べ異次元の気温上昇。今年中に南極の氷が全て溶ける!?”とか……バカが考えた創作物の様な天変地異の予報が流れていた。
「これは全て、君が元いた世界で実際に報じられている、リアルタイムのニュースだ」
「え、フェイクじゃないんですか?」
「儂もそうかと思ったよ!!”いやぁ最近のフェイクニュース良く出来てんなぁ”とか一瞬感心しちゃったくらいだ!!………しかし、これは紛れも無い事実。そしてその原因は、君の死後に生じた魂の歪みにある」
「私の……?たかが猫の魂が、こんな馬鹿げた天変地異を起こさせたって言うんですか?」
「そもそも!!……君と私が人の言葉で対話出来ている事自体が異常なんだよ」
老人は、どこか怯えた様な顔をしながら言う。
「魂になっても虫は虫、鳥は鳥、猫は猫の言葉でしか話せない。彼らと対話をする際、ケースバイケースで私も使う言語を変えるんだ」
「さっきから思ってましたけど、神様ってけっこう横文字使うんですね」
「無論だ。ギャルの死者とかと話す時、何言ってるか分からなかったらチョベリバだろ」
「あ、微妙にアップデート出来てない」
「黙らっしゃい!!………とにかく!君は猫でありながら、人間の言語体系を完璧に理解し且つ使いこなせている。生前から既に、君の思考や願いは猫としての魂を歪めているのだ。それらが蓄積し、死後一挙に解放された結果、人間の世界に途轍もない影響を与えている」
彼の突飛な言葉を、納得しかけていた。それこそが私の魂の歪みなのだろうか。
……道実の言葉を全て理解したい。全て記憶したい。愛したい。愛されたい。生きたい。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
羽毛が敷き詰められた段ボールの中で瞳を永遠に閉じるまで、私は確かに願い続けた。自惚れではないが、その強さはこの世のどんな最高、最長、最大、最強、最密よりも甚だしいと断言できる。
「君の歪みは世界すらも壊しかねない。だから………君を生き返らせることにした」
「えっ……!?」
「人間の身体を用意し、魂をその器に入れる。そして君が抱える未練や後悔が全て消え去るまで、今度は《《人として》》生を全うして欲しい」
「そうすれば死後の魂の歪みは矮小化、生じる影響も少なく済むって事ですね。分かりました。了解です。因みに現時点で地球に生じている危機は、私の蘇生でひとまず去ってくれますか?」
「呑みこむの早いし語彙豊富だし質問してくるし!!そういうのが怖いっつってんの!!猫が”矮小”とか使わんでくれよ!!」
そんな事を言われても、使えてしまうのだから仕方がない。
「魂を戻すことで、君の死自体が無かったことになる。因果律も修正され、台風も小惑星も温度上昇も回避されるだろう。だが、再び未練を残して死ねば逆戻りだ。………君の”愛”の行く末が、世界の命運を握っている」
「………」
正直な話、何が降ってこようが誰が死のうがどうでもいい。だが、道実に危害が加わるのは許されない。私と彼が結ばれる事でそれが避けられるのなら、神からの頼みはwin-win極まりない。
「分かりました。私が残した全ての後悔を、精算してきます」
「………あぁ。頼んだぞ」
すると、神様は再び手を虚空にかざして物体を出現させる。
出てきたのは……”猫耳”と”尻尾”と”爪”。爪はともかく、そのほかは陳腐なコスプレ道具の様なものだった。
「なんですか?これ」
「オプションだ。君が人間になるのにあたって用意した。好きなものを着けると良い」
神様は、どこか……微妙に高揚している風に見えた。
「ほら、これって言わば”擬人化”だろう?それに生前のご主人と恋をする、いわば”擬人化ラブコメ”。……せっかく猫としての前世を持つのだから、そのステータスを活かさない手は無いだろう!!」
「………」
人間の間では散々崇高な者として語られる存在だが、神ってかなり俗物なのだろうか。それも二次元寄りの……。
「安心してくれ。これらは着脱式ではなく恒常的に表出する身体的特徴となる。ちょっとした拍子に外れるものでは……」
「いりません」
「えっ」
私は凪いだ心で、神様の言葉を遮った。
「今なんて……」
「全部いりません。《《素体》》のまま転生させて下さい」
「そ、素体て……!何故だ!?希少価値だぞ!?ステータスだぞ!?あった方が良いだろ!可愛いだろ!萌えるだろ!」
やっぱり所々価値観や語彙がアップデートされていないらしい。
「普通に考えて目立つでしょう。猫耳も尻尾も爪も。私が居た世界はファンタジーでもSFでもケモっ娘ラブコメでもなく……タンパク質の塊達が、物理法則の範囲内で慎ましく発展させてきた、どうしようもなく現実味溢れる世界です」
「その可愛げの無さたるや!!!正気か君は!?」
「神様こそ正気ですか?そんなもん生やして、まともな恋愛が出来る訳ないでしょう」
「人間を”タンパク質の塊”なんて形容する奴こそまともな恋愛出来んわ!!」
息を切らしつつ反論する神。一体どこまで俗世のラブコメ観に囚われているのだろうか。
「……本当に、いらないのか?」
「はい。いらないです」
「後から後悔しても遅いぞ」
「しつこいです。それ以上ゴネるなら硫酸ぶっかけますよ」
「神に酸攻撃仕掛けようとするな!!どこから持ってくるつもりだ貴様!!」
頑なな私の態度に、遂に神の心が折れる。深いため息と共に出現させていた猫耳達を消し、名残惜しそうに己の髭を撫でた。
「………分かった。そこまで言うのなら、オプション無しで転生させてやろう」
「お願いします」
瞬間、私の足元(魂だから足など無いが)に青い光が満ちる。真円を描くそれは宛ら魔法陣のようであり、次第に意識が遠のいていく。
「猫耳という最大のステータスを失っている以上、容姿は誰よりも美しく設計したつもりだ。それでも、猫耳が無い状態で彼をオトせるかは分からん」
「どんだけ猫耳に信頼寄せてんですか……絶対無い方が良いのに」
「………せめて語尾に”ニャン”だけでも付けて生活してくれないか?」
「だから色々古いんですよ神様のヒロイン観。絶対嫌です」
「クソが!!もう知らんわアホ猫!!」
最後の最後で盛大に罵倒された私の意識は、そこで完全に途絶えた。