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体調の悪い魔女に 1/2ずつ異世界召喚されてしまった話

作者: 高梨育久

魔女に振り回されるお話。

「……私の声が聞こえますか」


 誰かがオレに話しかけてくる。オレはつい先ほど寝床に入ったばかりだ。だとすればこれは夢なのだろうか。


「……聞こえるのなら返事をしてください」


 依然としてその声はオレに問いかけてくる。泥棒の類いがわざわざオレに話しかけてくる理由はない。だとすればやはりこれは夢なのだろう。オレはうとうとしながら僅かに首を縦に動かす。今のオレにはこれが限界だった。


「よろしい。では今からアナタをこの場に召喚します。しばし……ケホッ、ケホッ。しばしお待ちを」


 声の主が咳払いをするとオレの意識はスッと深みへ落ちていった。



 ──じめっとした空気感にオレの意識はゆっくりと目覚めていく。背中で感じるやや湿った木材の床、鼻に入る少しカビ臭いにおい、目の前に広がる古めかしい天井。ここはどこなのだろう。少なくともオレの住むアパートではない。それに夢にしてはちょっと現実的な感覚がする。


「目覚めましたか。異世界の人間。ようやく半分ぐらい召喚できた……」


 自室で聞いたあの声が間近で聞こえた。いったい何のことを言っているのだろうか。声に向かって振り返ろうとしたとき、オレはすぐに異変に気がついた。オレの下半身がどこにもないのだ。だが下半身の感覚がなくなったわけではない。訳がわからない。オレは一縷(いちる)の望みをかけて自分の頬をつねる。だが痛いだけだった。どうやらこの惨状は夢ではないらしい。


「ケホッ、ケホッ。あーっ、もっと体調が良い日に実行すべきだったかな」


 狼狽えてるオレを尻目にその声は呑気に独り言を続けている。このときオレはその声の主が女性であることにようやく気がついた、というよりは先ほどまで夢だと思っていたのだ。そんなことは気にしていなかった。夢であってほしかった。


「ああ、その状態だと話しづらいですよね。ちょっと待ってください。余ってる鉢植えが確かこの辺に……ケホッ」


 オレの上半身がゆっくりと浮かび、そしてやたら大きな鉢植えの中に収められた。なんとも惨めな格好だ。鬱屈とするオレの目の前には魔女と言われてイメージする姿から、少し見窄らしくしたような格好の女性が椅子に腰掛けていた。彼女の顔は大きな帽子に隠れてはっきりとは見えないものの、部屋の薄暗さと相まってどこか青白く見える。


「はじめまして。ワタシ……ケホッ。ワタシはハーベリア。キミをここに召喚したのには……ケホッ。んんっ、召喚したのには理由が……ケホッ、ゴホッ。ああ、やっぱり今日は無理かな……」


 ハーベリアと名乗る魔女はそのまま息を切らしながらぐったりと項垂れてしまった。



「……オレは沢希っていいます」

「ええ、サワキくん。ケホッ。よろしく」


 オレをここに連れてきた、というより魔法によって召喚した魔女ハーベリア。彼女は初めて異世界から人間を召喚する魔法を使ったらしい。ただ今日はすこぶる体調が悪く、今にも倒れそうな状態らしい。


「あの……色々聞きたいことはあるんですが……オレの下半身はいったいどこにいったんですか」


 今後二度としないような質問をハーベリアにする。問いかけられた彼女は返答に困っているのか、それとも単純に体調が悪いだけなのか、しばらくの沈黙の後に口を開いた。


「今日は体調悪くて……多分風邪なんだけど、だから一度に人間ひとりを召喚できるだけの魔力を練り上げられなくて……その……ケホッ。は、半分ずつなら召喚できるかな、って思ったの」

「その半分っていうのはオレの体のことですか」

「キミの体のことだね」


 つまるところ彼女はオレの体を召喚するのにインターバルを挟むことにしたらしい。正気か?


「ちょっと待ってね。今から召喚する……ゲホッ、ゴホッ。召喚……ケホッ。召喚するから」


 ハーベリアはそう言うと、ゆっくりと杖を手に取って何かぶつぶつと呟きだした。呪文か何かだろうか。そういえば彼女は先ほどからずっと咳をしている。よほど体調が悪いのだろう。それならばなぜオレをここに呼んだのか。大人しく横になっていれば、少なくともオレは半分になることはなかったはずだ。


「あの……どうしてそんなに体調が悪そうなのにオレを召喚したんですか」

「え? ああ、理由ならふたつあってね。ひとつは不調な状態でどれだけ魔法を使えるかってこと」


 そこに他人を巻き込む理由はあるのだろうか。


「ゴホッ、ゴホッ。それから転移魔法の探究ね。他人を転移させる、それも別の次元から呼び寄せるなんてすっごくすっごく高度な魔法なんだから!」


 他人を巻き込む理由があった。やけに熱心に話しているあたり、魔法が成功したのは本気で嬉しいのだろう。半分ずつだけど。


 しばらくしてオレの下半身がようやく形成された。鉢植えに入っていたこともあって側から見ればまるで植物の生長のように見えたことだろう。なんとも奇妙な体験をしたものだ。そしてオレの体が形成されるまでの間に、ハーベリアはより詳しく事情を咳をしながら話してくれた。


 彼女曰く、自分は才能のある魔法使いだったが性格に()()難があると言われ大成できなかった。しかし諦めきれなかった彼女はこのジメジメとした辺境の地で魔法を探究しているのだとか。


「この辺みたいな沼地には魔法に使える動植物がたくさんあるの。色々危ない場所だからこの辺はワタシぐらいしか住んでいないし、人もあんまり立ち寄らないんだけどね。キミが初めてのお客さんってところかな」


 窓から外を見てみると、生い茂った草木の向こうには確かに沼が見て取れる。対して辺りに家のようなものはひとつも見当たらない。


「まあ、こういう危ない場所には友人とかは呼びたくないですよね」


 オレがそう言うとハーベリアはどこか居心地悪そうに目を右往左往させている。


「……もしいたらキミを召喚することはなかったかな」


 ハーベリアは苦虫を噛み潰したような表情でそう呟いた。オレは測らずとも彼女の地雷を踏み抜いてしまったようだ。咄嗟に謝罪の言葉と共に頭を深く下げる。


「あはは、気にしないで。だ、大丈夫。こうしてキミと話してるだけでもワタシは結構楽しいから」


 そう言って取り繕うハーベリアの顔は今日一番青白く見えた。そういえばもしも彼女がここで倒れてしまったらどうなるのだろうか。今のところ、この異界の地であてになるのは悔しいが元凶である彼女しかいないのだ。彼女の言う転移魔法とやらは一応成功した。それならオレは帰る権利があるはずだ。


「あの……そういえばオレ帰りたいんですけど。元の世界に」

「ん? ケホッ、そうね。元の次元に送り返す、そこまでやってやっと転移魔法を使えるって言えるもの」


 なんだか微妙に会話が噛み合っていない気がするが、帰れるなら差し支えはないだろう。ハーベリアは杖を頭上に掲げて呪文を唱えはじめた。するとオレの体が怪しい光に包まれていき、眠りに落ちるように意識がだんだんと遠のいていく。ここに来る前と同じ感覚だ。次に目を開ける頃にはきっとオレは元の世界に戻っていることだろう。


 ──しんした空気感にオレの意識はゆっくりと目覚めていく。ここは紛れもなくオレの部屋だ。先程までのことがまるでただの夢のように感じるぐらいオレの部屋は何事もなかった。オレの下半身もなかった。よく考えれば向こうの世界に召喚されるときも半分ずつだったのだ。当たり前と言われればそれまでなのだが釈然としない。


「サワキくん……ワタシの声が聞こえますか」


 どこからかハーベリアの声が聞こえてくる。心なしか先ほどより具合が悪そうに聞こえる。


「今日はもう無理そうです」

「えっ。オレまだ半分なんですけど。体が」

「ケホッ。ホント今日は怠くて。悪いけど一旦寝ていいかな。大丈夫。寝てても魔法は途切れたりしないから」


 問題はそこではない。起きるまで半分でいろと言うのか。冗談ではない。ハーベリアに知り合いがいない理由がわかった気がする。


「あの……あとは下半身だけなんです。どうにかなりませんか」

「んー、使ってる魔法の都合上結構魔力の消耗が激しいの。ケホッ。しかも今日初めて使ったから、もしここでワタシが倒れたらどうなるかわからない。今キミは半分だし」


 いきなり怖いことを言わないでほしい。思わず今はない足がすくんでしまった。ここは大人しく待っているのが正解だろうか。だが彼女が横になって元気になる保証はどこにもない。そういえばちゃんと薬は飲んでいるのだろうか。それさえわかればまだ安心できる。


「あの……風邪薬とか飲みましたか?」

「え? そんな高価なものなんて飲んでないけど」


 安心は儚く散った。存在するかわからない果報を寝て待つことしかオレにはできないのだろうか。諦めかけたそのとき、オレはふと自室の机の上に風邪薬を置いていたことを思い出した。律儀に取り出した薬を棚に戻すような、几帳面な性格じゃなくて助かった。


「ハーベリアさん。オレの片腕だけそっちの世界に召喚とかってできますか」

「ゲホッ、ゲホッ。うん、それぐらいなら多分できるよ。でもどういうつもり? 流石に隻腕じゃ色々不便じゃない?」

「いえ、別に隻腕になりたいわけじゃないです。オレの部屋に風邪薬があるのでそれを握りしめた片腕、というか手のひらを転移させたいと思いまして」

「なるほど。というかいいねそっちの世界。薬がすぐに用意できて。ケホッ。元気になったらそっちに転移できる魔法でも開発しようかしら」


 それは勘弁してもらいたかったが、とりあえずオレの意図は伝わったようだ。机上の薬を取り、薬を転移させ、ハーベリアに飲んでもらう。改めてやることを確認し、オレは机の方へ顔を向けた。机が思いのほか遠い。真っ先にオレはそう感じた。そう。今のオレには下半身がない。となれば歩くこともできず、両腕で移動しなくてはならない。果たしてベッドから降りて数メートルもない机へ()()()状態で辿り着けるのか。オレは天を仰いだ。仰いで見た天井もまた遠く見えた。畜生。


 かくしてオレの冒険が幕をあげたのだった。両腕で体、もとい上半身を起こし、ベッドから慎重に降りようとした。元々寝ていたということもあり、消灯した部屋は暗く、ベッドの周りもまた暗くなっている。下半身のないオレにとって、その暗がりは奈落にさえ見えていた。いつもの動作で降りれないことを悟ったオレはプランを変え、ベッドの頭側の縁、ヘッドボードと呼ばれる場所を掴み、降りることにした。


 慎重に降りていくと、オレの断面が床に着いた感触がした。気味が悪い。ひとまず第一段階をクリアしたオレは机へ顔を向ける。床に降りたから当たり前だが、それはより高くオレを見下ろしていた。ずりずりと床を両手で這い、机に近づいたオレは机の椅子をなんとか引き出し、その上に這いあがろうとした。


「ああっ!」


 椅子はオレの重さに耐えられず、ぐらりとバランスを崩し、それごとオレは床に叩きつけられてしまった。ドシンと静まった部屋に重い音が響く。まずい。オレは痛いと思うよりも先にそう思った。なぜなら下の階は大家さんの部屋なのだ。こんな遅い時間にうるさくしたら何を言われるかわからない。それにオレには一度すでに注意を受けたという前科もある。床と平行になった背中に嫌な汗が染み出す。どうかこの心配が杞憂で終わることを祈ってオレはゆっくりと起き上がった。


「こんな体じゃなければ……」


 オレはそうぼやいてひとつ思い出した。そうだ。オレが異世界に転移されたとき、ハーベリアは魔法でオレの体を浮かせて鉢植えの中に入れていた。今それをやってくれれば比較的安全に薬を取りにいけるのではないか。


「ハーベリアさん、聞こえますか? ハーベリアさん?」

「……え? うん。おはよう。何か用? ちょっと寝てた」


 本当に一回寝ていたのか。思わず舌打ちが出そうになったが、オレはなんとか気持ちを抑えてハーベリアに提案を話した。


「なるほどね。うん。ケホッ、ケホッ。ちょっと寝たらちょっとだけ元気になったし、死にそうだけど頑張ってみるね」


 死なないように頑張ってほしい。オレは心の中で強くそう願った。互いのためにも。後生だから。オレがそう思っていると、彼女がぶつぶつと呪文を唱え始めた。オレの体がゆっくりと上昇し、机との距離を埋めていく。彼女が咳き込む度にガクンと体が落ちそうになる。めちゃくちゃ怖い。それでもなんとか机の上が見えるまでオレの体は浮かんだ。そして見えた。あった、風邪薬の瓶だ。カーテンから漏れ出た月光を僅かに反射し輝くそれは、この突如ダンジョンと化した自室に眠る宝物にさえ見える。オレはその宝物へと手を伸ばした。


「ところで風邪薬はもう取れたかな? 次元越しに魔法かけてるから正直めちゃくちゃツラいの。今知見を得たわ。ゲホッ、ゲホッ」

「えっ」


 ガクンと体が彼女の咳き込みと共に下がり、伸ばした腕が机に叩きつけられる。痛みがオレの体を硬直させ、その間にオレの体が重力に引っ張られていく。オレはこのまま落ちるのか。


 それは嫌だ。オレは瞬間的にそう思った。だからだろう。オレは反射的に叩きつけられた腕を軸にもう片方の腕を大きく振り上げるようにして風邪薬へ手を伸ばす。さながらそれは水泳のクロールのような体勢だった。軸にした腕が机との摩擦で痛みを覚える。だがそれは必要経費だった。振り上げた手のひらに確かに感じる瓶のひんやりした感覚。これを獲得できたのならそんな痛みはなんてことのない、ただの感覚にすぎなかった。


「やった……!」


 思わず溢れた喜びと同時にオレは体勢を崩し、机から落下していく。ドシンとまた重い音が暗い部屋に響いた。背中の痛みに耐えながらオレは達成した喜びから、風邪薬の瓶を聖火トーチのように高々と掲げるのだった。


「やりましたハーベリアさん! 風邪薬っ! 取りました!」

「ゲホッ、ゲホッ! ほんと? ケホッ。おめでとう。じゃあ転移させるね。ところで薬持ってるの右手? 左手? まあ両方なら確実ね」


 余韻に浸る暇もなく、ハーベリアは呪文を唱え始めた。待て。今両方って言ったか。オレが制止する間もなく、オレの両手は風邪薬と共に異世界へと転送されたのだった。なんて無情だ。程なくして手の甲が木材の床の感触を伝えてくる。無事に向こうの世界へオレの両手は着いたようだ。床に転がっているようだけど。


「ゴホッ、ゴホッ。サワキくん、ワタシのために頑張ってくれてありがとうね」


 薬瓶を握った手のひらが開かれる感覚()()が伝わってくる。箱の中身を当てるゲームはこんな感覚なのだろうか。妙にゾワゾワする。ふと手のひらの瓶がくるくると回される感覚がした。おそらくラベルの裏を確認しているのだろう。


「んんっ。えーと。なになに……15才以上は1日3回、1回3錠。12才から14才なら1回2錠? えっ。じゃあ魔女のワタシは何錠なんだろう。1回じゅう……」

「あのハーベリアさん! 3錠! 1回3錠で大丈夫です! 多くても1回3錠で大丈夫です!!」


 オレはハーベリアの声を遮るように大声で彼女へそう言った。この短い交流の中で、彼女は後先考えずに行動するきらいがあることがわかった。これぐらいはっきりと先に伝えるのがベストだとオレは自負した。ともかくようやく一難を乗り越えることができた。そう思ったときだった。パタパタとアパートの廊下を歩く音がする。こんな遅い時間にも関わらずだ。そしてその足音はオレの部屋前で止まる。しまった。そう思う頃にはもう遅かった。


「沢希さーん! こんな時間に何騒がしくしてるんですか!?」


 大家さんだ。彼女はコンコンと扉をノックしながら、こちらへ声をかけてきた。まずい。一難が間を置かずにまた来た。


「沢希さーん。居るのはわかってますよー? 素直に出てきてくれたら穏便に済ませますからー」


 本来なら今すぐでも玄関まで行って頭を下げたいのだが、こんな姿を他人に見せるわけにはいかない。


「お、大家さーん。うるさくしてすみませーん」

「悪いと思うなら面と向かって言ってくださーい!」


 まさしくそれは正論だ。本当に申し訳ない。


「すみませーん。ちょっと今そっち行けないですー」

「行けないってなんですかー? こんな遅くにさっきからうるさくしていったい……もしかしてケガとかしましたかー?」


 ケガではないが一大事ではある。だからといってわざわざ説明するのもややこしくなりそうだし、信じてもらえないだろう。ここは謝罪を重ねて、後日また謝りに行くのがベストだ。


「いえ大丈夫ですー。うるさくしてすみま……」


 そこまで言いかけたとき、オレの手にズシリと痛みが走った。


「あっ、サワキくん手踏んじゃった。ごめんね」


 理由はすぐに判明した。だがオレは突然の痛みに冷静に反応できるわけもなく、反射的な悲鳴でしか返すことができなかった。


「えっ?! 沢希さん! 沢希さん!? 大丈夫ですか!」


 オレの悲鳴を聞いた大家さんの慌てている声が扉越しに聞こえる。すぐに大丈夫です、と取り繕うオレの声とガチャリと玄関の扉が開く音はほぼ同時だった。


「沢希さーん! 大丈夫ですか?! 今救急車呼びますからー!!」


 スマホのライトを点けながら、大家さんはドタドタと急いでオレの安否を確認しに来る。程なくして、スマホのライトが入室し、倒れたオレの惨めな姿を照らした。


「沢希さ……えっ……え……?」


 大家さんはオレの姿を見て言葉を失っている。無理もない。


「えっと……あの……これは……ははっ……」


 もう打つ手がなく、どうしようもなく笑うオレを見て、大家さんは大きな悲鳴をあげたのだった。



「……それで? そこからどうなったの?」


 後日、オレは元気になったハーベリアにまた召喚されていた。今回はちゃんと五体満足、僅かな欠損もなくオレはこの世界に呼び出された。初対面からこうあってほしかったのだが、もう後の祭りだ。何より全ての元凶である彼女は、ことの顛末を興味津々で聞いてきている。オレをまた召喚したのもそれが理由だ。少しは悪びれてもらいたいのが本音だった。


「オレを見た大家さん、その後気絶しちゃったんですよ。無理もないですけど」

「ぱっと見バラバラ死体だもんね」

「一から十までアナタのせいですけどね」

「あはは、ほんとごめんってば。そんな怖い目しないでよー」


 病み上がりだというのにハーベリアはえらく上機嫌に見えた。そう見えるのは衰弱していた状態を見ていたからなのか、彼女がおかしいからなのか。おそらく後者だろう。


「本当に悪いと思ってるんだって。そっちの世界に行く魔法が完成したら、サワキくんとあとオーヤちゃんのところに菓子折り持ってくから。イモリの黒焼きにウサギの後ろ足。それからそれから……」


 ハーベリア曰く、それらは魔法の材料となるものらしいが正直いらないし、事態がややこしくなりそうなので必死の懇願の末、なんとか気持ちだけいただくことにした。


「そういえばさっき一から十までワタシが悪いって言ってたけど。厳密にいえば一ぐらいはアナタにも否はあるのよ?」

「えっ」

「あの転移魔法はね。転移される側の了承が必要な魔法なの」

「了承……」


 確かにオレはハーベリアの声に返事をした。首だけしか動かしていないのだが。それは了承と言えるのだろうか。条件が緩くないか。


「睡眠状態の朧げな意識の魂を狙って、手当たり次第に魔法を試してみたんだけどなかなか成功しなかったのよ。大変だったわ」


 そんな根性のある夢魔みたいな力技でオレは魔法にかけられたのか。


「なるほど……いや待ってください。寝込みに仕掛けてる時点でだいぶ悪質じゃないですか」

「そういう状態の魂の方が干渉しやすいんですもの。仕方ないじゃない。死にかけの人に試すわけにもいかないし。それに返事してくれたのアナタぐらいよ? 大抵は無反応か幽霊かなんかの類いと勘違いして返事してくれなかったもの」


 そう言われるとオレにも否はあったのだろうか。夢と思っていたとはいえ、それに反応したのは事実だ。それでも理不尽に感じるが。


「それにワタシたちの出会いってけっこう運命的じゃない? こうして出会えたのも、君が偶然にも薬を持っていたのも、魔法が成功したのも。きっとそう、素敵……」

「そうですかね……?」


 オレからすれば貧乏くじを引いた気分だった。だが相反するようにハーベリアは幸せそうに微笑んでいる。呑気な人だ。そういえば彼女は友人がいないと言っていた。色々問題のある性格をした彼女だが、他人とこうして話せるのは心から嬉しいのだろう。


「そうよ。これは次元を超えた出会いですもの」


 大層な言葉だが、言われてみればそうだ。もっと穏やかな方法でそうなりたかったのが本音ではある。


「それと……迷惑かけちゃったし、償いも兼ねてこれからその……改めてよろしく……してくれる?」


 ハーベリアはそう言って手を差し伸べてきた。指先が僅かに震えている。オレはその手を見て少しだけ考えた。これ以上関わったら、オレは更なる不幸に見舞われるのではないか。そう考えた。だが、オレは。オレは目の前にいる彼女を放っておくことはできなかった。


「……もう勝手に他人に魔法かけちゃダメですからね。これ以上被害者増やすわけにはいかないんですから」


 ハーベリアのことだ。ここで放っておいたら、またオレのような被害者が出るだろう。今回みたいに互いが無事に済むとも限らない。となれば、オレがなんとかするしかない。やや不本意な責任感がオレを突き動かしていた。ハーベリアとギュッと握手をかわす。この判断が悪手にならないことを信じて。


「これからよろしくお願いします。ハーベリアさん」


 オレの返事を聞いてハーベリアは両手でオレの手を握りながら、嬉しそうに笑っている。色々問題のある性格ではあるが、彼女は根っからの悪人ではない。握手から伝わる誠意からもそれは明らかだった。あとはその気持ちを正しく行動に向けられれば良い。そう思ったときだった。


「あれっ? サワキくん大丈夫? なんか熱っぽくない?」


 ハーベリアは握ったオレの手を見ながらそんなことを口にした。そんなことはないだろう。そう言おうとした喉を遮るように咳が出た。まさか。まさか風邪がうつったのだろうか。


「わー! 大変! ワタシの風邪うつっちゃった? サワキくんっ。ささ、早く横になって」


 ハーベリアは懐から杖を取り出すと、瞬時にそれを振るった。何をしているのか、そう理解が及ぶ前にオレの体は宙を舞い、やや小汚いベッドに落とされた。


「ふふふ。さっそく恩返しタイムが来たようね。安心なさい! アナタが持ってきた薬をちょっと解析して作ったこの"スーパー風邪薬"がアナタをたちまち元気にするわ!」


 不思議な光に包まれた風邪薬の瓶がふわふわと近づいてくる。中には白い錠剤ではなく、何やらどす黒い色をした錠剤が入っていた。見た目は体に全く良さそうに見えない。


「ゲホッ、こ、これを飲ませるんですか!?」

「大丈夫! ワタシはこれ飲んだらすぐに復活したから。人体実験は合格済みよ。見た目は悪いけどね! そして更に!」


 ハーベリアはそう言って杖を大きく振るうと、試験管のようなガラス瓶が部屋隅の大釜へ飛んでいき、中の液体を掬った。その液体もまた妙な黒色をしていた。


「この特製合成エキスを合わせて飲めばすぐに体調も治るはずよ!」


 満足に動けないオレに二つの黒色が迫ってくる。悪夢のような光景だ。今この瞬間オレの知る限り、ハーベリアは一番魔女らしく振る舞っているように見える。


「あっ、でもまだ二つ同時には飲んだことないんだった。まあ大丈夫でしょう」


 やめてください、と言おうとしたがそれがまずかった。一瞬開いた口に黒い錠剤が飛来し、ほぼ同時にドロリとした液体が流し込まれる。理解する間も無く、スーパー風邪薬と謎のエキスが無理矢理嚥下された。程なくしてぐらりと体がふらつき、重力に負けるようにベッドに体は倒れ、意識が遠のく感覚がした。


 だんだんと意識が薄くなっていく。普段眠るときと変わらないように。だんだんと。ゆっくりと。これまでのことが全て夢であったかのように、心が不思議なぐらい穏やかになっていく。次に目が覚めるときオレはいったいどこで目覚めるのだろうか。現実のオレの部屋か。異世界のハーベリアのベッドか。はたまたあの世のどこかだろうか。オレはそんなことを考えながら、沈んでいく意識に体を預ける。ふと遥か遠くからハーベリアの声が聞こえてくる気がする。


「サワキくーん! 言い忘れてたけど、副作用もスーパーだからめちゃくちゃ眠くなるからー! もし聞こえてたら返事してー!」


 ああ。そうだったのか。オレはうとうとしながら僅かに首を縦に動かした。今のオレにはこれが限界だった。

登場人物


沢希:ハーベリアの手によって半分ずつ召喚されてしまった哀れな現代人。


ハーベリア:沢希を半分ずつ召喚した倫理観がちょっと足りない魔女。


アパートの大家:夜遅くにうるさくされたうえ、上半身だけの沢希を目撃してしまった哀れな現代人。


登場アイテム


風邪薬:沢希の買った風邪薬。商品名はカゼナランEX。


スーパー風邪薬:沢希が持ってきた風邪薬にハーベリアが手を加えたもの。黒い。


大釜の薬:ハーベリアの作った薬。色々なエキスが入っている。妙に黒い。

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