噛まれるとデレる毒舌な妹
「女の子の柔肌に噛みつきたい……」
朝食のためにリビングまで来た学生服姿の犬噛洋介は、少しばかり寝癖がある黒髪を欠伸をしながら手櫛で整えてソファーに座る。
女の子の柔肌に噛みつきたい、というのが今ある最大の欲求だ。
「……はい?」
朝食をテーブルの上に置くために前屈みになってサラサラな限りなく白に近い銀髪が少しだけ揺れた一つ下の妹の聖雪は、意味不明と思っていそうな青い瞳をこちらに向ける。
親の再婚で血の繋がりのない義理の兄妹になったとえいど、兄が女の子に噛みつきたい、と言えば意味不明にもなるだろう。
変なことを言っているのは自分でも分かっているが、噛みつきたいのだからしょうがない。
だって高校二年生で思春期なのだから。
「女の子の柔肌に噛みつきたい」
「いや、聞こえなかったから『はい?』って言ったわけじゃないんですけど……ついに頭壊れました?」
兄に対して遠慮なく毒舌を吐く聖雪は、心底面倒そうな顔をしている。
基本的に異性には誰に対しても冷たい態度を取るが、特に聖雪は兄の洋介には周りの人よりさらに冷たい。
以前理由を聞いた時に『だらしないから』だと言っていた。
自分でもだらしないと思っているが、シャキッとするのは面倒だからしない。
家事も両親が長期出張でいないから本来は分担するものの、基本的には聖雪に任せている。
以前料理を少しだけしたが、見事に失敗したから料理に関しては丸投げだ。
「俺には性欲、食欲、睡眠欲以外にも噛みつきたい欲求……噛欲と言うのがある」
「そんな言葉は初めて聞きましたね」
確かにネットで検索しても読み方なんて出てこなかった。
「四月から始まったアニメで主人公が吸血鬼でヒロインに噛み付いて血を吸っていたんだ。そこで俺も思った。噛みつきたい、と」
「そこで噛みつきたいって思うのが不思議なんですけど。後『も』って言ってますけど兄さんみたいに考える方が圧倒的少数ですからね」
はあぁぁぁ、と深いため息を吐いた聖雪は、本当に呆れ返っているようだ。
一部の特殊性癖の人を除けば、女の子に噛みつきたいと思う人などほぼいないだろう。
それは逆もしかりで、噛まれたいと思う女の子もほとんどいないはずだ。
「あ、後、俺には妹を愛するという欲求……妹欲というのもある」
「芋を食べたくなる欲みたいな言葉……重度のシスコンですし、兄さんは元から頭壊れてましたね」
朝食をテーブルの上に並び終えた聖雪は、再びため息を吐いてソファーに座る。
確かに洋介は聖雪を愛するシスコンだ。
ハーフの母親譲りの髪と瞳は本当に美しい。
「今日から夏服なのに肌をきっちりガードだな」
本日は六月一日で本来であれば洋介のように夏服になるが、聖雪は長袖のブラウスに黒いタイツですべすべな乳白色の肌を出してはいない。
「紫外線は苦手なので」
銀髪に青い瞳なのはメラニン色素という、紫外線から身を守っている色素が少ないからだ。
だから聖雪はなるべく肌の露出が少ない服を着るし、外に出る時は必ず日焼け止めを使う。
「俺的には他の男に綺麗な肌を見られなくていいけどな」
「はいはい。さっさと食べますよ、愚兄」
サラッと流して「いただきます」と両手を合わせた聖雪は、マーガリンがぬってあるトーストを食べ始める。
トースターで少し焦げ目が付いてあるからサクサク、と聖雪の口から出る咀嚼音が心地よい。
他の人のは無理だが、妹の咀嚼音はずっと聞いてられる。
「食べる……噛む……女の子の柔肌に噛みつきたい」
「まだ言ってるんですか? 早く食べないと今後は兄さんのご飯作りませんよ」
ごくん、とパンを飲み込んだ聖雪は、再び青い瞳をこちらに負けたから本当に作らないかもしれない。
「白い目で俺を見ないでくれ。クリスマスイブに生まれたんだから」
聖雪の名前の由来はクリスマスイブに生まれて雪が降っていたからだ。
本来であれば南関東は山岳地帯を除いてクリスマスイブに雪が降るなんてあまりないが、その日は相当寒かったらしい。
積もるまでとはいかないものの、雪が降ったらしい。
「私が白い目で愚兄を見るのとクリスマスイブは関係ありませんよ」
自分で作ったハムエッグを食べた聖雪は、早く食べてください、と訴えているかのような瞳をこちらに向けた。
「俺が食べたら聖雪の華麗な咀嚼音が俺の咀嚼音が邪魔して聞けないだろ」
「咀嚼音がASMRとして動画投稿サイトに上がっているのは知ってますが、やっぱり兄さんは変態で頭がぶっ壊れてますね」
やはり聖雪の咀嚼音は心地よいし癒しになるため、毒舌を吐かれてもあまり気にならない。
むしろ毒舌を気にしていたら兄なんてやっていられないだろう。
「俺が頭ぶっ壊れてるのは置いといて……」
「自覚あるのに頭ぶっ壊れてるのを置いとく人ってあまりいないと思うんですけどね……」
はあぁぁぁ、と再び深いため息を吐いた聖雪は、何でこんな人の兄になったんだろ? と思っているかもしれない。
確かに少数派かもしれないが、今はそんなことを言っている場合ではないのだ。
だから改めることなどしない。
「女の子の柔肌に噛みつきたい」
「まだ言うんですか? 兄さんはシスコンですし、私に噛みつきたいんですか?」
きちんと飲み込んでから喋る聖雪の瞳が再びこちらを向く。
「スベスベツヤツヤな白い肌を保つ聖雪に噛み付くとかあり得ない」
神秘的な聖雪の柔肌は確かに魅力的だが、妹に噛み付くと考えるだけで侮辱しているような感じだ。
「だらしない兄さんに彼女なんて出来ないでしょうし、てっきり私に噛みつきたいのかも思ってましたよ」
「俺に彼女なんて出来たら聖雪と一緒にいれる時間が減るじゃないか。絶対作らない」
彼女ほしいと思ったこともないし、これからも作る予定は一切ない。
恋愛に興味がないわけではなく、そもそも必要性を感じたことがないからだ。
聖雪がそばにいてくれるだけで満足出来ている。
「兄さんの欲求を満たすのは彼女を作るしか方法はないと思いますよ。他の人に噛み付いたら暴行罪で捕まりますし」
確かに彼女を作れば出来るかもしれない。
「でも、兄さんは彼女を作る気はないようですし、いくらだらしない兄さんでも家族だから、その……捕まるのは嫌、ですので……」
いつもハッキリと物事を言うのに珍しく頬を赤くしてしどろもどろしている。
「その……私に噛み付くのを…許可、します」
普段から毒を吐く口からとんでもない言葉が出た。
「……はい?」
咀嚼音に満足したから自分の分のパンを食べようとした洋介は、思わず手からトーストを落としてしまう。
いつもクールで毒舌は聖雪が許可してくれるとは思わなかったから驚いたのだ。
「女の子に恥ずかしい言葉を二度言わせようとするなんて流石は愚兄ですね」
クールそうな声ではあるものの、まだ少し頬が赤いのは恥ずかしいからだろう。
確かに聞こえなかったから聞き返したわけではないが、別にもう一度言ってほしいわけではないから大丈夫だ。
「いや、俺は聖雪に噛みつきたくない」
「その割には視線が私の首にいってるみたいですけど。身体は素直ですね」
毒を吐いた後にサクサク、と音を立ててトーストを食べていく。
噛んでもいいと言いつつも食べているのは、冷めると美味しくなくなるからだろう。
「でも、勘違いしないでくださいね。家族に犯罪者を出す前に私に噛みついてもらうだけなので、私が兄さんを好きってわけではないので」
「ツンデレは所望してない」
「誰がツンデレですか?」
全くもう……と呟いた聖雪は、自分はクールであってツンデレではない、と思っているのかもしれない。
ツンデレでもクールでも美しすぎるからどうでもいいが。
「俺が聖雪に噛みつく……」
ゴクン、と息を飲み込んだ洋介は、妹噛みつくのは兄として良くない、思いながらも考えてしまう。
女の子の柔肌に噛みつきたい、と欲求は未だに消えておらず、噛みつけるなら噛みつきたいからだ。
「兄さんは分かりやすいですね。私の気持ちが変わらないうちに噛みつけばいいじゃないですか」
確かに彼女がいないから聖雪に噛みつくしかないかもしれない。
もし、今後、万が一にも彼女が出来た時でさえ、噛みつけるのかわからないのだから。
それほど噛みつかれたいと思っている人は少ないだろう。
「噛みつかれるのは痛いぞ」
「吸血鬼物のアニメ見たならそうなんでしょうね」
普通ならしたとしても甘噛みくらいなのだが、歯を柔肌に食い込ませて痛いというのは分かっているようだ。
流石に吸血鬼のように血を吸うつもりはないし、ゾンビのように肉を食べるつもりもない。
ただ単に噛みつきたいだけだ。
「だぁぁぁ、もう男ならハッキリしてください。だらしなくてハッキリしないから愚兄なんですよ」
堪忍袋の緒が切れたかのようにこちらを睨んできた。
きちんと噛みつきたくない、とは言ったはずなのだが、それなら態度でも示せということなのだろう。
確かにそう言っても視線が首から離れなくては、噛みつきたい、と言っているようなものだ。
もし、本当に噛みつきたくないというのであれば、最初から言わないか、視線を首にやるな、ということだろう。
「分かった。噛みつくよ」
「何か私が噛みつかれるのを望んでいるようで、兄さんはしょうがないからしてやるみたいな言い方なんですけど」
睨め付けるような視線ではなくなったが、呆れたような白い目で見てきた。
「噛みつかせてください。お願いします」
きちんと頭を下げてお願いをする。
妹に噛み付くなんてあり得ないと思っていたが、噛欲が勝ってしまった。
「よろしい。なら時間がないのですぐ済ませてくださいね」
普段は第一までしっかりと閉めているボタンを第二まで開ける聖雪は、学校に行く前にしてしまいたいらしい。
同じ学校でも学年が一つ違うから常に一緒にいれるわけもなく、その間に他の人に噛み付くようにしないためだろう。
「付き合ってもいない男に噛みつかせるなんてビッチ?」
「何でそうなるんですか? 私は誰彼構わず身体を許すビッチじゃないですし、誰かと付き合ったこともありませんよ」
「知ってる」
「なら言わないでください、愚兄」
小学生から兄妹やっているからもちろん知っている。
「噛み、つける。聖雪ー」
「きゃ……」
噛欲のせいで理性がきかなくなってしまった洋介は、隣にいた聖雪をソファーに押し倒す。
「兄さんが野獣のような目をしてます。やはり私で正解でしたね。このままでは他の人に噛みついて捕まってたでしょうし」
噛みつけると分かって自分でもここまで理性が飛ぶとは思ってなかった。
それほどまでに噛欲というのが凄いということだ。
「ーーつぅ……」
理性のない獣と化したために早速首筋に噛みつくと、噛まれた聖雪が声にならない悲鳴をあげた。
まだ本気で噛んでないとはいえ、歯が柔肌に食い込んでいるのから痛くもなるだろう。
恐らくは聖雪の顔はかなり引き攣っているはずだ。
それでも抵抗してこないのは、他の人に噛んでほしくないからだろう。
ここまで近づいたのは小学生以来のため、女の子特有の甘い匂いと柔らかな感覚も襲ってくる。
「……え? 何? この感覚……」
声にならない悲鳴をあげていた聖雪の感じが変わった。
噛んでいるから表情は分からないが、噛まれているのが快感……そんな感じの感覚だ。
「兄さん、痛いのに気持ちいい変な感じです」
思っていた通りで、噛まれた聖雪は痛みで感じてしまうM気質なのだろう。
痛みでというよりも、気持ちよくて身体が震えてしまっている。
「兄さん、私に取って、兄さんは大切な人、です」
もっと噛んでほしいかのように、ぎゅっと頭を抱きしめられた。
「私は昔から口が悪かったので友達が全然いませんでした。でも、兄さんは口が悪い私のそばにずっといてくれます」
死ねとか消えろみたいなことは言わないにしても、基本的には誰に対しても毒舌なため、聖雪に友達が全然いなかったのは知っている。
謙虚、という言葉を知らないかのようにハッキリと物事を言ってくるので、クラスメイトなどは聖雪から距離を置いていたようだ。
「お母さんなどの血の繋がっている人以外でこんなにそばにいてくれたのは、兄さんが初めて、です」
一応、俺も家族だけどな、と言いたかったが、噛んでいるからきちんと喋ることが出来ない。
「だらしないのにこうやって一瞬にいてあげるのは、兄さん、だから……兄さんだから一緒にいたいんです」
他の人とだったら一緒にいません、と呟いた聖雪の顔は熟れた林檎のように赤くなっているだろう。
無表情ではないものの普段はクールな聖雪の顔が赤くなるのは珍しい。
「大切な兄さんだからこそ、二人きりの時は噛みつくのを、許可してあげます」
「聖雪がデレた」
思わず噛みつくのをやめてしまった。
未だに頭を抑えつけられているから離れることは出来ないが、噛むのを止めることは可能だ。
「デレてないです。兄さんが捕まらないために許可してあげてるだけです」
噛むのを止めた瞬間にデレるのも止めてしまったらしい。
あくまでデレるのは噛まれている時だけ、という限定的なようだ。
噛まれてデレるとか聖雪も特殊性癖を持った人間らしい。
「もう噛まないならご飯食べて学校に行きますよ。でも、良かったですね。私に噛みつくことが出来て」
離れた聖雪の顔が少し……少しながら嬉しそうだった。
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