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「このあとだが、この休憩が終わったら君の勉強を行おうか」
「は、はい!よろしくお願い致します!」
「正直私は人に教える、と言ったことをしたことがないので満足いくようできるか分からないが…」
出来れば完璧に教えたい。それであわよくば好感度を上げたい。でも俺なんかがロゼリアに教えるなんて恐れ多いんじゃないか?
不安のせいで眉間に皺が寄る。
「わたくしの方こそ、人にものを教わることがほとんど初めてですのでなにか粗相があったら仰ってくださいね?」
「王都の学院には通っていないだろうとは思っていたがチューターもいなかったのか?」
「お恥ずかしながら…」
話を聞くと、例の幼なじみの婚約者と共にチューターから勉学・マナーなどを教わっていたそうだ。厳しい先生だったが博識で勉強を教わりに行くと思えばダードルド領地に足を運ぶのもずっと楽しみにしていた。
「でもある日、先生からわたくしばかり褒められておかしいといちゃも…苦言されまして」
「え、もしかしてそれで?」
「えぇ、わたくしはその後その先生からご教授いただくことも出来ず、またダードルド子爵夫人から女は勉学など不要と手を回されてしまい新しいチューターは誰一人来てくれませんでしたの」
今思うと勉学の機会を失わせるのは罪なのではないか?と考えてしまう。
私はお父様のために領地経営を学びたくて、最初はハウスメイドのカトリーナから基礎を教えてもらいその後は全て本で学んできた。
おかげで人並み程度に学力等はあると思うが、普通でれば最低限の文字しか読めない、そんな役に立たない女になっていたかもしれない。
「よく、そんな環境の中ここまで学んできたんだな」
「ふふ、おかげで知識は偏っていますので今回のような学びの場を頂けたこと、本当に感謝しておりますの」
あの頃学びたいのに取り上げられたものがまたこんな機会で与えられた。これは運命かもしれない。
改めて感謝と気合いを入れ直す。
今できることを精一杯やるだけ。
よしっとカップに残った冷めきった紅茶をぐいっと飲みきり改めて頭を下げる。
「よろしくお願い致しますね、先生」
あっ緑柱石の瞳が大きくなってる。シルバーの髪から覗くお耳が赤く染まっているみたいだわ。可愛らしい…。こんなに美しい月の女神なのに反応がまるで少女のような可憐さだわ。ギャップだわ、最高。
ちょっと誤魔化すように咳払いをして逸らした瞳を合わせる。
ドキッとしたのは思ったより強い視線だったから。そしてスっと出された手を見つめる。意図がわからず視線を上げる。
「こちらこそ、私の持てる全力で教えるつもりだ。改めてよろしく、リーガル男爵令嬢様」
握手、だわ。こんな合法的に美女にお触りして良いのかしら。
いえ、ただの握手だもの。問題ないわね。
仕方がない、支配人様からのご要望ですし、と心の中で言い訳をしながら自分の手と重ねる。
水仕事もこなす荒れている自分の手と比べるのが恥ずかしくなる。それと同時に自分の手より一回り、いや二回りほど大きな手に驚く。
指が長い。少し骨ばっている。あと、少しだけ指先が冷たいわ。
しばらく手を繋いだままだったが、これいつ離したら良いのかしら?
「あの…」
恐る恐る声をかけるが無反応だ。まぁ、嫌ではないし、そのまま美女を至近距離で堪能させて頂きましょう。ありがたや。
握手ぐらいなら許されるだろうと甘く見ていた。それが間違いだ。
あれほど恋焦がれ、彼女以外にオンナは要らない。彼女以外愛せない。と豪語していた彼女に気軽に触れるべきではなかった。
それも昨日初めて視線を合わせて、声を聞いて、話をして、彼女の微笑みを間近で見た。そして今日は初めて2人きりの部屋で数刻過ごした。2人きりでお茶を飲んだ。
それだけだったのに、長年彼女に触れてみたいという欲求が勝ちそっと握った手のひらの熱にあっという間に浮かされそうになる。
自分よりもずっと小さな手。指は細く爪も小さい。とても温かくて、ポカポカしていて、春の陽だまりのように落ち着く。
少し、手荒れしている、働く手だ。
情報で知ってはいたが本当に彼女は領地経営も、家事なども行っているんだ。
書類でしか知らなかった彼女が目の前にいて、それも触れている。
感動と欲望と自制心と緊張が乱れ入り、すっかり身体が固まってしまった。
しかも、ロゼリアは視線を離さない。じっと至近距離から見つめられている。
彼女の琥珀の瞳に自分が映っているのが見えた。
そう。女装している、俺の姿だ。
瞬時に我にかえりそっと手を離した。
女装はこの仕事をする際、公爵家子息という立場で社交界に出ていたためほとぼり冷めるまでの姿隠しのつもりで行っている。
他者から気持ち悪いと言われない見栄えであれば別に問題なかったので従業員に好き勝手やられた姿だが、この格好で彼女の目の前に立っているのが急激に恥ずかしくなってきた。
表情を取り繕うのは慣れているはずなのに上手くいかず、きっと顔は真っ赤になっているんだろう。慌てて両手で顔を隠す。
そんなこちらの様子に気がついたのか、ロゼリアが手をひとつ叩きながら口を開く。
「そうですわ。支配人様、今後わたくしのことロゼリア、とお呼びください」
教わる身ですのですから気楽に名前でどうぞ、と。
グルグルと思考の渦が一気に静まり頭の中は真っ白だ。
「…うぇ…?」
「支配人様?」
「い、いや。リーガル男爵令嬢を…な、名前で?気軽すぎないか?」
ふふっと鈴がなるような 可愛らしい笑い声がきこえる。顔を真っ赤にさせたまま狼狽している己の姿が面白いんだろうか…?
笑われるなんて通常屈辱だと思うだろうに、微笑んでいる彼女があまりにも可愛らしくてまた胸が苦しくなる。
「わたくし、あまり社交界に出ておりませんし、基本領地に閉じこもっているのでお友達もいなく、名前で呼ばれる機会が少ないんです。本当はロゼリアって呼ばれるの好きなんですけど」
「わかった。今後は君の希望するように呼ぼう」
す、好きだって?そんなの希望通りにする。恥ずかしいとかそんな己の気持ちは奥底に閉まっておく。
「ありがとうございます…!ではどうぞ!」
「…?」
「…よ、呼んで頂けませんの?」
「今か?!」
この瞬間から名前を呼ぶのか?!一旦待って貰えないだろうか!?
私生活ではロゼリア呼びだが本人に直接はレベルが高い。
どうしてもと言うなら1度口を清潔にして喉の調子を整えてからにして欲しい。
そっと彼女を見ると、無意識だろうがこちらを上目遣いでじっと見つめている。
新しい発見だな。ロゼリアは人の瞳を見つめて話すくせがある。資料に書き加えて置かないと。あと名前呼びも。
現実逃避してみるが視線は一向に外れない。
段々と雨に打たれている子犬のようにも見えてきた。
先程恥ずかしさは奥底に閉まったんだろう?!俺!!
意を決して口を開く。
「ろ、ろ、ロゼ…り…」
「まぁ、支配人様もロゼリーと愛称で呼んでくださるのですね」
嬉しいです!少し頬を赤らめて喜ぶ彼女から光が零れて花が咲き乱れた。
あぁ本当に、可愛い。無理。しんどい。心臓痛い。好き。愛してる。
気持ちが溢れて、無意識に息を深く吐いた。