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星空の下、綺麗に編み込みされた少し青みのかかった濡羽色の後れ毛がめくれた黒いフードの下で夜の風にさらりと煽られる。
心細い街灯を辿り、こんな夜更けなのに煌々とランプの灯った館の前にたどり着いた。
目的地はここだ。初めてこっそり屋敷から抜け出し夜に出歩いて、初めて訪れる場所まで歩いてきたが案外やれば出来るものだ。
目深に被ったフードを外し、気合を入れるため大きめに息を吸い、長く吐く。
よし、私はできるわ!
握りしめた拳でノックとは言いづらいほど大音量でドアを叩く。
「はーい。どなたー?って…女の子?」
ドアを開けたのは人懐っこそうな笑みを浮かべたなんとも色っぽい女性。ただし、私を見た瞬間に眉をひそめられてしまった。
恐らくこのような場所に訪れたのが女で、しかも成人して間もないと瞬時に見破られたのだろう。このままでは私の計画が上手く行かなくなる。身を前に出しドアを閉められないように身体を滑り込ませる。
「ご機嫌よう。初めまして、わたくしレーガン男爵家の長女ロベリアと申します。恐れ入りますがこちらにリゥエン様はいらっしゃいますか?お話がございますの」
淑女の嗜み、カテーシーを披露し相手を圧倒させるようにまくし立て、さらにニッコリ笑顔で要件を伝える。
とりあえずお目当てのリゥエン様というお方にお会いしないとここに来た意味が無くなる。
相手が戸惑っている空気を感じ更に強引に事を進めようとさらに押し進める。
「お話と言っても少しだけ、ほーんの少しのお時間を頂きたいと思っております。もちろん男性の方と同じようにわたくしもお金は用意してございます。それに、あらあら?新しいお客様ですか?入口にいてはご迷惑になるのではございませんか?」
お部屋を準備していただけると助かりますわとお願いする。貴族の矜恃とか今はちょっと置いておこう。図々しくて大変恥ずかしいが、今はそれどころでは無い。
すると出迎えてくれた女の方が、眉を下げて困り顔と「少しお待ちになって」と奥に下がっていった。
残されたのはわたしと来客の2人。ジロジロとこちらを興味深そうに不躾に見てくるが気づかない振りをしてスルーしましょう。
でももし私がここにいるってバレたら困りますし、顔は伏せておきます。
「お待たせいたしましたお嬢様。こちらにどうぞ」
「ひゃ…はい」
必死に顔を伏せていたせいで先程の女の人が戻ってきたことに気づいていなかった。そのせいで大きく身体をビクリと震わせてしまった。恥ずかしい。
そして改めて気づく。初めに話をした女の人以外に2人、こちらの様子を伺っている。やっぱり突然乗り込んできたら警戒されるよね...。見定めるような視線にニッコリと微笑みを返しておく。
「あのー、再度ご確認なのですが、本当にレーガン男爵のご令嬢で間違えないのよね?」
「えぇ、間違いございません。身分を証明出来るものも持参しております」
軽く会話をしながら調度品の煌めく立派な部屋に通され早速問われるが落ち着いて返事をする。
圧倒的に我が家とは格の違うふかふかのソファーに怖気付いている場合ではない。
同じように目の前のソファーに腰かけている2人を失礼にならないよう観察する。
入口で対応してくれた女の方は後できたお客様のご指名らしく、この部屋まで案内してくれたらそのまま出ていってしまった。
なので、今は子猫のような大きな目にカールしたロングの髪が可愛らしい印象の彼女と、長身美人、スレンダーなのに色気たっぷりの銀髪ロングのお姉様と対峙している。
「あっちなみにあたしがリゥエンでーす。リゥちゃんって呼んでくださいねー」
なんて愛嬌のある方なのかしら?媚びてる感じなのに、とても自然で愛らしい。失礼の無い程度にじっくり観察させてもらう。すごく可愛い。
じっと見ていることがバレているのか、隣りに座った長身美女様も口を開く。
「リゥ、ちょっと黙って。面倒事かもしれない。...そ、それれでれーがんん...」
「どうしたの?オーナー喋り方へーん」
まぁなんという美しいハスキーボイスなのでしょう。リゥちゃん様が天使のお声に対して女神様のお声のようだわ。うっとりと聞き入ってしまう魅惑的なお声だわ。
「んんっ、それで、レーガン家ご息女がこのような場所になにをされにいらっしゃったのでしょうか」
「あぁ、申し訳ございません。あまりにお2人が美しかったのでぼんやりとしてしまいましたわ」
「えー?リゥは美しいよりかわいいじゃない?」
「もちろんお可愛いです!ですが同時にお美しくもあります!」
「えー?そうかな?えへへ、ありがとっ!うれしー。ロゼロゼも私ほどじゃないけどかわいいよー」
私が可愛いという社交辞令は置いておいて、ロゼロゼって、愛称...かしら?
「リゥ!ご令嬢、気を悪くされたのでしたら申し訳ない。彼女に悪気はなく」
「えぇ。もちろん理解しております。それに、愛称呼びなど初めてされました...とても感動しております。ありがとうございます」
「いえいえー!ところでロゼロゼはなんであたしになんの御用なの?」
天使がなんの駆け引きなくズバッと本題に入ってくれる。
良くぞ聞いてくれましたわ。こちらからどのように話出せば良いのか悩んでいたので有難くお答えさせていただく。
「はい。失礼なご質問でしたら申し訳ございませんが、以前ダードルド子爵令息のお相手を勤められましたか?」
「ガーゴルド?」
「ダードルド、でございます。わたくし、彼の婚約者なのです」
部屋の空気が一瞬でピリっとする。長身美女様がリゥを庇うように少し身を乗り出し、理解出来ていないリゥの代わりに口を開く。
「ご依頼があり、確かにリゥはご相手させていただいております」
「お答え頂きありがとうございます。...やはりそうなのですね」
改めて見てもリゥちゃん様は大変魅力的だ。一見幼く見えるが見事なまでのプロポーション。こういったお店だからか衣装も魅惑的で女性の私が見てもクラクラしそうだ。
「...レーガンご令嬢。もし、貴女が婚約者を取られたと勘違いしているのであればそれは間違いです。我々は商売で行っていることですので、気持ちなどは伴っておりません」
「もちろん、わかっております」
「なので当従業員であるリゥに対し悪意を...え?」
そう、こんな天使を相手にしなければならないのね。大丈夫かしら?
ここからが勝負というのに、美人に囲まれ当初の気合いが抜けているようだ。
目標があって、こんな時間に来たのだ!相手が美女だからと気圧されてはダメ!店に入った最初の気合いを思い出すのよ!
「あの!今回お伺いしたのは、リゥちゃん様に弟子入りを志願しに参ったのです。貴女様の手腕、技術、わたくしにご伝授頂きたいのです!!!!」
ばっと目の前にあるローテーブルに頭が付きそうになるほど頭を下げる。
頭の上では2人の呆然とした空気を感じ、少しいたたまれなくなる。
さて、どうして男爵令嬢でもある私、ロベルト・レーガンがこのようなことになっているのか。
口をぽかんと開けっ放しになっているお2人にも分かるよう順を追って説明しようと思います。
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「先日、お前の為にも経験してきたぞ」
そう切り出したのはテーブルの反対側に座っているダードルド子爵末弟リベルト様だ。
本日は子爵邸で定期的に行われているお茶会ですが、いつもの事ながら挨拶もなく、突然話し出すには内容が分からない。
「なんのことでしょうか?」
「察しの悪い女だ。閨での作法についてに決まっている」
まぁまぁ、これは...頭が痛くなってまいりました。
時刻は昼を回ってすぐ、状況は侍女がお茶を用意している最中。相手は一応婚約者である私。
そんな状況でするお話ですか?
剥がれそうになった笑顔を気合を入れて貼り付け直し、なおも饒舌に語る婚約者の話に耳を傾ける。
「おまえも話には聞いたこともあるだろう、王太子様を初めとする上位貴族が御用達にされているあの夜光華亭に行って来たんだ。お母様が言うにはやはりこういった経験も必要だということでな」
「ソウナンデスカー」
「そこで天使かと見間違えるほどの美しい女性がいて、その人に御相手願ったんだ。もちろん王族も利用する由緒ある店だから多少金はかかったがな。これも必要な経験だとお母様がお支払い下さってたんだ」
「マァ、ソウナンデスカー(母親同伴かぁ)」
「あの夜は素晴らしい一夜になった!思い出しだけで反応しそうになる程だ!しかも相手も俺の魅力に夢中にしまったみたいでな...また来て欲しいと懇願されたよ」
「ソウナンデスネー(営業トークかしらねぇ)」
「婚約者が俺だとはお前も油断してられないな」
「ソウー...はい?」
思わず目をパチパチ瞬かせる。
ここまでが全て夢とかそういうオチはないかしら?
逸らしていた視線を向けるといつの間にそのポーズに?と疑問になるほど浅く腰掛け肘を置き足を組み、彼のお気に入りの俺お前より優位に立っているからなのポーズだ。
一応見てくれだけは中の上ぐらいの美しさのだから、それ相応にしたらまだマシなのに。
こちらの気持ちを知らずさらに彼は言葉を続ける。
「俺の容姿や技術の虜になった彼女はもしかすると俺の恋人になりたいと志願するかもしれない。はっきり言うと魅力にかけるお前とでは勝負にもならないよ」
顔にかかった前髪をばさりと煽りながらいやらしい目つきでこちらを見てくる。
何を言っているのかしらね?面倒くさいなと、視線を合わせないようにカップを持ち上げゆっくりと嚥下する。美味しいはずの紅茶なのに味がしないわ...。
「お前はあの彼女、リゥには劣るがまぁまぁな身体付きをしているのにろくに化粧もせず、首元まできっちりとした服を着て、指1本触れさせない。本当に面白みがない女だ」
ため息をつきながら再度落ちてきた前髪をかきあげる。邪魔なら切ればいいのに...。思わず関係の無いことに意識を飛ばす。
「そうだ!俺とどうしても結婚したいなら彼女の技術や女としての矜恃など学んで来たらどうだ?」
アハハハハっと高笑いで締めくくり、大変不愉快なお茶会は終わった。
一部始終を見ていた子爵家の使用人の方に哀れな目を向けられながら隣りの領地の我が家に帰って行った。