第86話 巡回の旅路 その4 沼地の戦いと真っ赤な少年
ぐっすり眠った翌日、僕たちは少し遅めに起きて沼地へと向かった。今日の日程は狩りの後は船で川を下って、レクイ湖畔にあるレクイ漁村に行くだけなので、時間に余裕があるのだ。
トイスを出発して僕たちは、南の農地と北の森のあいだの緩やかな下り坂を、東へと進んでいく。
ちなみにこの森は、教会や孤児院の南にある森だ。しばらく歩くと前方に沼地と、その先にはソリス川が見えてきた。
「あの川が城壁の北と東や、孤児院の畑の隣を流れている川なのね」
「そうです。あの川岸にある船着き場から船に乗って、今日の目的地に向かいますよ」
相変わらずキョロキョロしながら、周りを楽しそうに眺めているアマリアと、それを嬉しそうに見て若干興奮しているレストミリアがそんな話をしていると、沼地の方から人が走ってきた。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「あぁ、騎士様!今日辺りお乗りになるとの知らせを受けて船で待っていたのですが、クロコスネイクの群れが現れまして…」
「船を置いて逃げてきたと?」
「も、申し訳ございません!しかしその群れにはクロコサーペントもいまして…」
「いえ、別に責めているのではないわ。
あなたが無理に残って襲われれば、船は壊され命も失っていたでしょうから、大人しく逃げてきて正解でした。
それに上位種のクロコサーペントがいるいうことは、群れの数も多かったのでしょう。
それらは私たちで片づけますから安心して。怪我をしているのなら、彼女に癒してもらうと良いわ」
アルテミアが事情を聞き、船頭は逃げる途中で怪我をしたらしく出血していたので、早速アマリアが治療し始める。
「さて、私たちが乗る予定の船が団体客に占領されてしまったわ。
奴らを追い払って船を取り返さないと、私たちは川沿いを丸一日以上歩いた挙げ句、更にレクイ湖畔を半日以上も迂回しないといけなくなるわ。
旅は楽しいけれど遠回りは流石に面倒だから、お行儀の悪い団体客には躾が必要よね」
几帳面な性格のアルテミアは、自分の立てた予定が崩されるのを許せないらしい。冷たく微笑みながらそう言うと、自分は上位種を片づけるので、僕に群れの始末を任せると言い出した。
「僕は構いませんけど、その…」
「ん…?あぁ、そういうことね。
モルド殿もラジク殿も、クロコスネイクやクロコサーペントは知っているでしょう?なら今回は弟子に譲って、大人しく弓の練習でもしていてちょうだい。でも一応、初めての相手のようだし、どちらか一人はジグを見ていて欲しいわね。
アマリアは治療を終えたら、昨日に引き続き訓練を続けて。ミリアは船頭の彼とアマリアの護衛で…満足そうね」
僕がモルド神父とラジクの方を見ると2人は、自分たちの分は無いのかと少しションボリしていたが、アルテミアはバッサリと切り捨てた。
まぁ二人とも弓の練習が出来るのであればと、納得したので良いだろう。近くで弓の練習をしながら交代で僕の監督をしてくれるらしい。
アマリアは治療の後、沼地にいる他のモンスターを相手に魔力弾や、盾魔法の練習をするらしい。もちろんレストミリアは、アマリアがいれば何でも良いみたいだ。
僕はアルテミアと共に沼地を抜けて川へ向かうと、川岸には10人ほどが乗れそうな船が停泊していて、その周囲には蛇のようなヒョロ長い体に、ワニの頭と足が生えたような、何というかワニを引き伸ばしたようなモンスターが多数いた。
少し違うのは、ワニの頭の鼻の先が随分と尖っていることだ。角にはなっていないが、平べったい三角の刃物がついてるような感じだ。
そしてその中には一際巨大な個体がいて、どうやらそれがクロコサーペントらしい。
「あいつらは特に魔法みたいな攻撃もしてこないし、硬い外皮を持っているわけでもないから、倒すのは楽よ。
でも牙には毒があるし、噛みつかれたら一瞬で肉を食いちぎられるから、絶対に捕まらないようにね。
それと水中に入ったら注意して。奴らは陸上ではそんなに速くないけど水中では素早く泳げるし、そこから勢いよく飛び出しては、あの鋭い鼻先で相手に突っ込んできて、深手を負わせてから噛みついてくるからね」
「群れで襲い掛かってきたら、かなり嫌な相手ですね…。それにしてもあの船頭さんは、あんな数を相手によく逃げられましたね」
「恐らく気づいた直後に迷わず逃げて、沼地をそのまま抜けずに、森や農地側の乾いた地面の所を走ってきたんでしょうね。
判断が速かったのもそうだけど逃げ切れたのは、かなり運が良かったのだと思うわ。
じゃあそろそろ片づけましょう。初めて戦う相手なら、充分に気をつけるのよ。
それと出来るなら早く扱いに慣れるように、なるべく魔法や弓を使わずに糸を使って戦うように。もちろん無理はしなくて良いわ」
「わかりました」
群れに近付いていくと、クロコスネイクは一斉に襲い掛かってきた。
僕は風の糸を出すと、それをクロコスネイクに向かって一直線に伸ばし、体を貫いてその場に縫い付けた。
糸自体は細いので、それが刺さっただけでは致命傷にはならなかったが、勢いよく体をくねらせていたものは、そのまま進もうとして無理に動き、自ら体を切り裂くことになった。
「うわぁ…ただ動きを止めたかっただけなのに、風の糸だと切断力が高いから、暴れた分だけ糸ノコギリみたいに斬れちゃったよ…」
半端に切り裂かれてしまい、のたうつクロコスネイクがなんだか可哀想なので、僕は苦しまないように風の刃で首を落としていく。
他のものは様子を窺いながら、ジワジワと周りを囲むつもりでいるようだったが、大人しくしているわけにもいかないので、僕は近くに生えていた枯れ木に桜糸を伸ばし、絡めてから縮めることによって包囲を脱出し、木の上に避難した。
するとクロコスネイクは僕に届かないとわかると、木に噛みつき細い体をバネのような形にしてから勢いよく回転すると、まるで紙でも破くかのようにあっさりと食いちぎった。
「あ、今のは見たことある、たしかデスロールってやつだ。
しかも細い体をバネみたいな形にして、回転力を上げたうえで回るのと、引っ張るのを同時にやってるよ…怖っ!
それに食いちぎった木がなんか変色してる…?たしか牙には毒があるんだっけ。うわぁ、ますます近付きたくないなぁ…」
想像以上に危険な攻撃をしてくるクロコスネイクに引きながら、僕はこれ以上は近付かないことを誓う。なまじ前世で見たことのある生き物に似ているため、恐怖を身近に感じる。
そうこうしているあいだにも木は食いちぎられていき、今にも倒れそうだった。
僕は慌てて風の刃を連発して付近のクロコスネイクを倒すと、他のものは水中に入っていった。
直後に散々食いちぎられた木は、メキメキと音を立てて倒れてしまい、僕は安全圏を失ってしまった。
「これ、どう考えても突っ込んでくるよね、あの数で一斉に来られたら困るなぁ…。そうだ、網でも張って捕まえちゃおうかな」
僕は風の糸を細かく交差させて網を張り、クロコスネイクを待ち構えた。
すると飛び出してきたクロコスネイクが、一斉にこちらへ向かってきたのだが…。
………すべて切り身になった。
しかも僕はその返り血で全身真っ赤だ。
なぜ風の糸で網を張ってしまったのか、今となっては誰にもわからないし、後悔しても遅かった。
「あぁ、本当に考え無しに風の糸を使うのは止めなくちゃ…」
クロコスネイクの殲滅には成功したが、何だか勝ったような気は微塵もしなかった。
今はただ、一刻も早く風呂に入りたかった。
後ろを振り返ると、僕を見ていたラジクが腹を抱えて笑っていて、それに気づいたモルド神父もこちらを見ると、僕から顔を背けてプルプル震えていた。
一方アルテミアはと言うと、クロコサーペントを相手に運動でもしているような余裕っぷりだ。
クロコスネイクよりもかなり大きい体からは、上位種なだけあって雷を放ち、鼻の先にあった三角の刃物のような部分は更に伸びていて、ノコギリのようになっている。
長い尻尾の先には硬いトゲが1本あり、散々僕を笑って満足したラジクが言うには、牙以外にも尻尾のトゲや足の爪には毒があるらしい。
アルテミアがそれらを全て回避していると、クロコサーペントは魔力を纏い口に溜めると、次の瞬間には口から細い水がレーザーのように放たれた。
レストミリアと初めて訓練して、戦ったときに見た水のカッターだ。
薙ぎ払うように放たれたそれをアルテミアが避けると、その後方にあった枯れ木が音も無く切断され、真っ二つになった。
「あら、ジグの方も片付いてるみたいだし、こちらもそろそろ終わりに…ふふっ、あははっ!何よその格好!少し待ってなさい、終わったら洗ってあげるから…ぷっ、ふふっ」
こちらをチラッと見たアルテミアは、僕の姿を見ると噴き出し笑っていた。大型のモンスターを相手に余裕があるのは良いが、気をつけてもらいたいものだ。
万が一にもそれで命を落とすことになれば、護聖八騎ともあろう者がそんな死に方をするわけがないと納得しない人に、死因を報告するのにも苦労することになるし、笑い話にするには結果があまりにも重い。
国の戦力をこんな格好一つで削れるのなら、戦争など必要無いのかもしれないが、それが自分になるのは勘弁してほしい。
しかしアルテミアは笑いながらも、しっかりと戦闘を継続しているようなので、ひとまず安心した。
再度魔力を溜めて水を放とうとするクロコサーペントに対して、風の魔力を纏って弓を引いたアルテミアの姿が見える。
『嵐穿弓!』
クロコサーペントが水のレーザーを放ち、同時にアルテミアが矢を放つ。
そして渦巻く轟風を纏った矢は、鋭い斬れ味を誇る水を難なく散らしていき、そのままクロコサーペントの頭部どころか上半分を吹き飛ばした。
魔石を回収したアルテミアが戻ってくると、水魔法で僕を包み込み、グルグルと回る水に揉みくちゃにしながらも僕を綺麗にしてくれた。
「助かりました…本当にありがとうございます」
「ふふっ…アマリアやミリアにも見せてあげたかったけど、あのままじゃ血生臭いし、体内にある毒の成分が体に触れていたら危ないものね」
言われてみればその通りだ。毒持ちのモンスターの体液は、今後も気をつけなきゃだね。
それにしても旅をするなら水属性って本当に便利だなぁ…。
モルド神父の持つ火属性と、レストミリアやアルテミアの持つ水属性は、火をおこすことも水場を探す必要も無い。
戦闘だけでなく生活する上でも大変に便利だと、旅をするようになって気づいた。僕もいつかは属性が増えるといいなと思う。
その後はアマリアたちも合流し、無事に船に乗って川を下っていった。
もちろんこれも初体験なアマリアは、もう喜びを隠せない様子ではしゃいでいた。
僕も穏やかな川の流れに沿って進むのは、何だかゆったりした時間を感じられて、凄く良かった。
船ではアルテミアが報告書を書いて船酔いしたり、そのアルテミアを看病するアマリアを、羨ましそうに見ているレストミリアがいたり、船に用意されていた釣り竿を使って、モルド神父とラジクが釣りをして、二人とも大物を釣り上げたりして過ごした。
日もだいぶ傾いた頃に川から湖に入り、沈む頃にようやくレクイ漁村へと到着した。
船酔いから回復しないアルテミアの代わりに、ラジクが今回の訪問について説明し、結界を張り素材などを渡すと、やはり歓迎の宴が開かれた。
シスター達が来て結界を張るだけでは、そういうことは無いらしいので、やはり騎士というのは身分も高いのだと改めて思う。
まぁ、モンスターの素材を宿代にしているのも大きいのだろう。
普通の村人じゃ狩れないし、必要でも良い素材は高くて、なかなか買えないもんね。
ちなみにクロコサーペントの魔石は、騎士団へのお土産にするらしい。
相変わらず酒盛りに参加しているラジクやレストミリアと、それを眺めながら地域ごとのお菓子を楽しむモルド神父であったが、まだ顔色の悪いアルテミアと、訓練や戦闘で疲れているアマリアと僕は、今日も早めに眠ることにした。
新しいモンスターとの戦闘もどうにか終えて、船も無事でした。
少しずつ糸の扱いに慣れていくジグと、ジワジワと難易度を上げる訓練に励むアマリア。二人とも日々頑張っています。
アマリアとこんなにも一緒にいられるのが、嬉しくて仕方ないレストミリアは、毎回張り切ってアマリアの指導をして充実していますが、反対にモルドとラジクは少し退屈しがち。
でも、あまりのんびりする機会が無い人たちなので、この機にゆっくり過ごすことの良さを分かってほしいと、ジグやアマリアは考えています。
仕事熱心なアルテミアは船でのんびりするよりはと考え、船頭が止めるのも聞かずに報告書をまとめようとしましたが、船頭が心配した通りに船酔いを起こしてグロッキーに。
流石の護聖八騎も船酔いには勝てませんでした。




