第65話 二人の工房長と秘密の話
大森林から戻って数日はお休みになりました。
エルフの大森林から戻って3日ほどは、ラジクとレストミリアには休暇が与えられ、僕にも休養が必要とのことで訓練は休みとなった。
いつもなら、休みでも構わずそこが定位置と言わんばかりに、教会の入口に立っているラジクの姿が無かったので、さすがに疲れていたのかな?師匠もやはり人間だったか……などと安心していると、いつもより少し遅れてはいたものの、結局はいつも通り教会にやって来た。
いつもと違うのは騎士の姿ではなく、私服で来ていることだった。
「おはようございます師匠。いつもの時間にいないから、さすがの師匠も疲れが出て大人しく休んでいるかと思ってましたよ」
「何を言っている? エルフの里でしっかり休んだではないか」
「あれは怪我の治療というもので、休養とは違うと思いますけどね。
ところで今日は珍しく私服ですし、何をしに来たんですか?訓練は休みのはずですけど…」
「ああ、大森林での戦いで装備が破損していたから、修理するために街の工房に置いてきたのだ。
どうせならついでに、お前の剣や防具も一緒に直してはどうかと思ってな」
「騎士や兵士の防具って、軍属の鍛冶師に依頼するものだと思っていましたけど、違うんですか?」
「ああ、優秀な鍛冶師は引き抜かれて軍属になることも多いし、騎士や兵士の装備を修理するのには、大抵そこを利用するぞ。
たまたま俺の場合は馴染みの鍛冶師が、軍の勧誘を断って街中に工房を構えているから、毎回そこに頼んでいるのだ」
「そうなんですね。でも僕は、剣や防具を修理に出すお金なんて持ってませんよ?」
「そこはほれ、ダリブバールの戦いで手に入れた賞金があるからな。
とりあえず3分の1ずつを、いつも世話になっている教会と、今回貴重な経験をさせてもらったエルフの里へ寄付することにした。復興にも何かと金がかかるだろうしな。
モルド殿にはもう渡してきたし、エルフには里長が今度王宮に来たときにでも、渡すように言ってある。
残りの3分の1を、俺が不在の間に迷惑をかけている騎士達にご馳走してもまだ結構残っているから、俺やお前の装備の修理くらいは問題ないぞ」
「相変わらず宵越しの金は持たない感じですね…。でも助かります、ありがとうございます。それにしても師匠は、ちゃんと貯金とかしてるんですか?」
「ん?まぁ中級騎士の手当てはそこそこ良いからな。問題ないぞ」
「それなら良いですけど…。でも大森林で借りた回復薬の分も、まだ返していないまま装備の修理までしてもらうのは、なんだか気が引けますね……あっ!じゃあ僕の持ってる霊樹の葉を、師匠が使って下さいよ」
「お前…それでは逆に俺が貰いすぎになるだろう」
「そうは言っても僕は使い方を知りませんし。
それなら使い方を知っている師匠が利用した方が、役に立ちませんか?
それに僕はこの指輪を受け取っていますから、貰いすぎと言うなら、僕の方がとっくに貰いすぎてるんですよ」
「俺だって回復薬は街の薬品工房に依頼して、作ってもらってるだけなんだが…」
「でもそこに依頼するのにも代金が必要でしょう?」
「うーむ、では代金は俺が払うとして、お前の葉を回復薬にして、この前に使ったのと代金分を差し引いた残りを、お前に渡しておくことにするか?」
「あ、それはとても助かります。ところで師匠、回復薬っていつも飲んでる、あの1種類しか無いんですか?」
「いや、他にもあるな。
回復魔法を使えないから、俺が使っているのは主に怪我を治すタイプなだけだ。あれは他にも疲労や、僅かではあるが魔力も回復するしな。
他には魔力、体力、解毒などにそれぞれ特化したものや、それら全てにそこそこの効果が有る物も存在するぞ」
「じゃあ僕の場合は回復魔法が使えますし、魔力回復に特化した物の方が良さそうですね。首飾りもあることですし」
「うむ、それもそうだが解毒薬や、いつものような怪我や体力の回復薬も一応持っておくのが無難だぞ。いつでも回復魔法で治療する時間があるわけではないからな」
「それなら薬が出来上がったら、いつもの師匠の回復薬と、僕の魔力特化の回復薬を少し交換できたりしますか?
解毒薬に関しては、モンスターの素材でも手に入れたときに、それを売った代金で買うことにします」
「それは構わんぞ。俺としても魔力回復の手段があれば、魔力消費の激しい戦い方もできて、戦闘の幅が広がるからな。
さて、では修理や薬の作製を依頼しに、街へ行くとするか。剣と防具と葉を忘れんようにな」
そうして僕達は街へ行き、主の不在だった薬品工房に霊樹の葉を渡して依頼を出してから、鍛冶工房に向かった。
「おう、ラジクの旦那。久しぶりだな」
そう挨拶した鍛冶工房の親方は、背が低くヒゲを生やした、全身筋肉みたいな人だった。
話を聞くと祖先にドワーフが混ざっていて、親方は先祖返りなのだそうだ。しかし両親も普通の人間、生まれも育ちも人間社会なので、こうして普通に暮らしているらしい。
「今回は岳竜が相手で手酷くやられてな。すまんが急ぎで頼む。この子の分も一緒だ」
「岳竜とはまた大変だったな。ところでそっちの坊主は?」
「ああ、教会にいる俺の弟子だ。こう見えてなかなか筋が良いのだ」
「教会の…もしかして去年の戦いの後、噂になっていた子供か?それに最近は人攫いを追って、街の中を凄い勢いで走っていたと聞いたが」
「そうそう、その子だ」
「へぇ、まだ若いのに大したもんだ。
将来、武器や防具を作るのことがあるならウチに依頼しな。旦那の弟子だし安くしとくぜ」
「は、はい。ありがとうございます」
「まぁ、俺のように親方の得意先になるかは、今回の仕事次第だよな?」
「は、はぁ…まぁそうです…かね?」
話の流れがよく分からないので、僕は曖昧に答えるしかなかった。
「あー、わかったわかった。安くしとくし、最高の仕事を見せてやるよ。明日の昼までには仕上げておくから、午後からでも取りに来てくれ。それか修理とは別料金で配達もしているがどうする?」
なるほど。師匠は値切りの交渉と将来の顧客を増やすために頑張れと、親方に発破をかけたのか。配達に関しては自分のお金ではないので、ラジクに任せる。
「いや、薬品工房にも用事があるから明日の午後、こちらに取りに来る」
「おう。じゃあ明日を楽しみにしててくれ」
◇◇◇◇◇
そうして教会に戻った翌日。再度街へ向かう。
先に薬品工房に寄ると、前日にはいなかった工房の主が出て来た。
「まぁまぁラジク様、お久しぶりです。
昨日は留守にして失礼をいたしました。ご注文の品は出来ておりますよ」
薬品工房の主は煙管を片手に持った、スタイル抜群で色気が凄く、露出度の高い服装をした美人のお姉さんだった。
…痴女かな?いや完全に痴女だよね?
騎士相手ということで言葉は丁寧なのにも拘わらず、その行動はラジクに密着して注文内容を確認している状態だ。
師匠は笑顔ではあるが若干顔が引きつっている。
案外、女性経験が少なかったりするのかな?
それにしても鍛冶工房は親方の実力で選んでいる感じがして格好よかったのに、薬品工房の選定基準は色気なのか?この女主人の色香に惑わされたのか?
僕の冷たい視線を感じたのか、ラジクはゴホンと咳払いをして女主人から離れると、品物を確かめて代金を払う。
「うむ。いつも通り早く、丁寧な仕事に感謝する」
「いえいえ。エルフの大森林にしかない霊樹の葉を使うなんて、こちらとしても大変に貴重な経験をさせていただきました。
今後もこのような素材が手に入れば、また私めにご依頼ください」
ラジクにそう言って頭を下げた女主人が、今度は僕に近付いてくると、首筋から顎にかけてを人差し指でスゥーッとなぞりながら、
「坊やも、ね…?」と耳元で囁き、フワッと良い匂いがしてきた。
「ひゃいっ!?」
女性に免疫のない僕は変な声が出てしまった。
「きゃあっ!なにこの子、可愛い!」
緊張して固まる僕を、女主人は抱きしめてきた。
露出度が高く凄い色気の美人に、こんな事をされるのは初めてでドキドキする。というか心臓が飛び出しそうだ。
助けを求めて思わずラジクの方を見ると、何故か顔をこわばらせてプルプルしながら、慌てて僕から目を逸らした。
「ちょ、ひょっと放してくだふぁいっ!…ふぅ…ところで師匠は、なんで笑ってるんですか?」
僕は女主人の胸元で揉みくちゃにされながらも、どうにか脱出してラジクを問い詰める。
ジトーッとした目で睨んでいると、とうとうラジクは噴き出した。
「いやぁすまん、お前の反応が面白くてついな…ぷっくくくっ…あっはっはっは!…うわぁ! 馬鹿、こんなところで魔法を撃とうとするな! 悪かった、俺が悪かったからその手を下ろせっ」
ようやく話すかと思いきや、また笑い出したラジクに向かって僕が渾身の魔力を手の平に溜め始めると、ようやく笑うのをやめた。
「実はここの主人は女ではなく本当は男なのだ。
俺も最初はお前と似たような反応をしたものだから、つい面白くてな」
「ああんっ、ラジク様ったらもう!」
女主人…もといオカマ主人は体をくねらせながら、正体をバラしたラジクをポカポカと叩いて抗議していた。
僕はラジクのしていた表情の理由が分かってスッキリしたが、目の前にいる見た目は完全に女性である主人を見て、なかなか驚いた。
それにしても、整形手術なんて無さそうな世界なのに、この姿は一体どういうことなんだろう?
「信じられないような話ですが、反応を見るに嘘ではなさそうですね。元は男性だということは分かりましたけど、その姿は一体…?」
「ああ、これはね。男として生まれたものの、私は昔から自分は女だと思っていたの。もちろん体は男だったんだけれど。
でも女として生きたい、女になりたいと願ってずっと生きてきて、とうとう成人を迎えたのね。
そして選別の儀式を受けるときにもその願いを抱き続けていたら、神様から選別で変化の魔法を授かったの!
私は儀式の直後に何故か魔力切れを起こして倒れてしまったのだけれど、目が覚めると魔法を授かったと分かったわ。
そしてそれは私に宿ると、生涯でただ1度しか使えない魔法だということも分かった。こんな魔法の話は聞いたことがなかったけれど、それでも私には理解できたの。
そこで私は両親に儀式で得た魔法の説明したのね。
すると昔から抱いていた私の願いを、両親は知っていて認めてくれた。そうして魔法を使った私は女性の体を手に入れたのよ」
信じられないような話だったが、魔法のある世界でならあり得るのかなとも思った。
むしろこちらの世界にいると、前世みたいに手術で体の中身をいじる方が考え方としては少数派なわけだし。
それに神に祈って恩恵を授かるのは、結界のことでも証明されているしね。
「ちなみにそのお願いを神様にするときには、どんな感じでお願いしていたんですか?」
「小さい頃からずっと家にあった神様の像の前に跪いて、親に聞かれないように頭の中でお願いをしていたわ。
それと選別の儀式の時には真ん中の虹色の魔石を触るんだけど、それに触れながらも必死でお願いしていたら、急に魔力が吸われているのを感じたの。
でも儀式が終わるまでは放しちゃいけないと思って、フラフラになりながらも我慢していたら、中に入っている金色の球が出て来て、安心したところで倒れたの」
「そうして恩恵を授かって今に至ると…」
「ええ、そういうことね」
教会の皆のように日頃から彼女?は、しかも小さい頃からかなり真剣に神様に祈りを捧げていたうえで、最終的には儀式で魔力を捧げたことで、偶然にも願いが聞き入れられたのかもしれないね。
珍しい話を聞かせてもらったお礼を言い、僕達は薬品工房を出て鍛冶工房へと向かった。
修理はしっかりと終えられていて、出来栄えも完璧らしい。ラジクが合格を出したので、僕も今後はここを利用することにした。
親方にまた来ると告げて代金を払い、僕達は教会へと戻るが、その途中でラジクが真面目な顔をしてこちらを見ていた。
「師匠、どうかしましたか?」
「薬品工房の主人の話を聞いたとき、お前が何やら考えていたようで気になっていたのだ。何か気づいた事があるのか?」
「えぇ、まぁ。神様に祈りと魔力を捧げれば、授かる恩恵をある程度、選べるのかもしれないなど思いまして」
「!!……それはどういうことだ?」
隣を見るとラジクは、今までに見たことが無いほど真剣な顔をしていた。
「祈りの結界のこともそうですけど、この世界の神様って、割と僕らのお願いを聞いてくれてると思うんですよ。
そりゃあ叶えてもらうためには、真剣に祈りと魔力を捧げないといけませんけど、性別を変えるなんて普通は出来ないことでも、条件さえ整えば多分、先ほどの人のように叶うんですよ」
「…そのことについてお前のように考えたり、知っている者が他にいたり、お前から誰かに話したことはあるのか?」
「いやぁ、どうでしょうね?僕は何となく考えていたことを、今日の話を聞いてかなり確信した感じですけど、他に同じ考えの人がいるかどうかは分かりませんし、誰かから聞いたり、話をしたこともありません。
それに神様に祈ったり魔力を捧げること自体が、ほとんど教会だけの役目ですからね。
願いを聞いて欲しいと思って、必死に神様に祈る人はいるでしょうし、僕らみたいに魔力を捧げる人もいますけど、教会以外でそれを同時に行うのは、かなり稀なんじゃないですかね?」
僕の考えを聞いたラジクはしばらく黙っていた。
沈黙の漂うなか教会に着くと、中に入ろうとする僕をラジクは呼び止めた。
「先ほどの話だが…あれは誰にも言ってはならんし、お前もこれ以上は何も考えるな」
「え?師匠、それは一体どういう…」
「お前の考えが真実なら、それは職の偏りを生み出し国を混乱させる事になりかねない。
それだけならまだしも更に悪いことに、それを利用して強大な力を手に入れられるようになると、国が混乱するどころの話ではなくなり最悪、大陸全土で戦争になる。
そうなれば魔王軍との戦いよりも、更に多くの死者が出ることになるだろう。
そうなればそれを最初に広めた者には、どれほどの恨みが向けられると思う?
これはお前の師匠としても、俺個人としても、お前の心配をしているからこその忠告だ。
そしてお前が黙っていられないと言うのなら、俺は国を守る騎士として、お前を処分しなくてはならなくなる。
……頼むから、そんなことはさせるなよ」
言われてみれば確かにそうだ。仕事を選べるのは良いことだと思っていたが、偏れば社会が立ち行かなくなる。
それ以上に強力な魔法や武器などを、今より自由に手に入れられるようになれば、どうなるかは予想がつく。世の中は善良な人ばかりではないのだ。
いつかは誰かが気づいて広まる事になるかもしれないが、それは今でなくて良い。
せっかく魔王が滅びて10年以上が経ち、まだ不安は残っているけれど、それでも平和になりつつある世界なのだから。
「…そこまで考えが至りませんでした。師匠の意見はごもっともです。忘れることにします」
「分かってくれたなら良い。それとこれも持っておけ」
安心した表情のラジクは、回復薬の他に解毒薬も買っていたらしく、別れ際に数本くれた。
何だかんだ言ってもこの人は、弟子に甘いなと思いながら受け取りお礼を言った。
ラジクは結局、休むということは無いみたいです。
街ではこれぞ職人と言った感じの鍛冶師の親方と、かなり特殊な経歴を持つ薬品工房の女主人が出て来ました。
最後にはかなり真面目な話を聞いて、ジグは口をつぐむことを決めました。
次回は久々に訓練の予定です。




