南北線乗車
早速、東京の地下鉄が舞台となっているのはご愛嬌…
俺は、高校まで住んでいた実家に向かうために一人暮らしのアパートを出て10分くらい歩いた東京の地下鉄のホームにいた。まあ実家に向かうといっても横浜(?)といっていいのかわからないけど、横浜駅から、横浜を横切って海老名を結ぶ相鉄線という路線の中でも、よく言えば“横浜のヒルサイドエリア”悪く言えば“横浜のはずれ”と揶揄される瀬谷区と旭区の境にある“三ツ境駅”に向かっているのだから、凱旋といっても隣の県のこれでも大都市、在来線で行っても1時間半程度で着くようなまあまあ近いところに帰るわけだ。
しかしまあ、その道のりを大体2年半ぶりにたどるわけだから心理的にはすごい高い障壁のように思えるし、何もなければこれからもその障壁は簡単には取り除けなかったであろうな。
夏の地下鉄のホームは地上よりも涼しいとはいえど、今日は周りの人から見れば就活生かなと思わせるようなスーツの装いであり、今すぐにでもジャケットを脱ぎ捨てて、Yシャツのボタンを外して解放されたいものである。しかし、今日のネクタイは黒を使用している。つまりこれは、葬儀である。大切なおじいちゃんが気付かないうちに亡くなり、昨日の夜になって突然俺の祖母から電話が来たという流れがあって、三ツ境までの心理的な障壁はドミノ倒しをするかのようにいとも簡単に崩れ去ったのだ。この堅苦しい恰好も実家に着いてから着替えればいいやという思いもあったけど、俺の中では死ぬ前に一目見ることも叶わなかった自分へのけじめの意味も含まれていた。
ホーム上でスマホのロックを解除しYAHUUの経路案内アプリでここから三ツ境までのルートをもう一度確認し、スマホを見ていた顔を静かに上げてフルフェイス型のホームドアと1面2線にタイル張りという均一的なホーム構造が続く南北線の中で2面2線と珍しい風景をまじまじと見つめると、入学当初感じていた均一化されていくという漠然とした不安のあった大学という空間に違った個性を見いだせるような自信がついたような気がする。まあ、なんでその程度で自信がつくのか誰にも理解できないし俺にも理解できない謎理論と化しているからどうでもいいのだか……
そうこうしていると、『まもなく2番線に急行日吉行きが参ります。停車駅は目黒までの各駅と武蔵小山、大岡山、田園調布、多摩川、武蔵小杉、日吉 に停車します。黄色い線の内側までお下がりください』というアナウンスが流れ、それから間もなくして電車がホームに滑り込むように入って重苦しいホームドアが開いた。ホームドアが開くさまをみるとこれから戦場に連れて行くようなそんな重たい空気が支配されている。
えっ? なんで、そんなに三ツ境にいきたくないのか? って?
車内に乗り込んで、空いていた端っこの席に座りながらあの日のことを思い出す。。。
・・・「若葉」とまたちゃんと向き合えるかな・・・
ぽつりと俺は呟いて、電車は一路神奈川県へ走り出した。
つぎの話で幼馴染の話になります(多分)