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世界の平和を願う時

 ――――もしかしたら彼女は少し、複雑な表情をするものの、納得して許してくれるかもしれない。そんな淡い期待を込めて日和又は今晩、起こったことをありのままに全て打ち明けた……。


「なに!? こいつは人間じゃない、だって?」

 彼女はメギストスを指差して、ぞんざいに言い放つ。

「ああ、そうなんだ……。というか、猫耳がある時点でなんとなく分かるだろ。発光の正体もこの方だ」

「じゃあ、なんだ? 神とでも言うつもりかい!?」

「神とは違う」

「イエスかノーかキリストかで答えろっ!」

「少なくともイエス・キリストではないな……」

「ふん、昇! また、わたしに作り話を信じさせようっていうのか! 実家がラーメン屋なだけあって『冷やし中華』の次は『偽装工作』はじめる気か!? 猫耳なんて作り物に決まってる。発光の正体も浮気が原因だよっ!」

「……もう、こうなれば実際に見てもらうしかないな。……メギストスさまっ!」

 この呼びかけに、メギストスは不機嫌そうな声で、

「なんじゃ?」

「こうなれば、メギストスさまのお力を特別に見せてやってください」

「それが最後の願いか?」

「あ、いや、そういうわけではなくて」

「じゃあ、知るか」

 ぷいとそっぽを向く大精霊。

「えええ、ちょっと!」

 これに割り込むようにして七川からさらなる追い討ちがかけられる。

「じゃあ、やっぱり浮気だね。よーし、いさぎよく死のうか、昇!」

 その声には微塵の迷いも感じられなかった。これはまずい。本気モードである。

 ついでに銃には何かしらの違法改造が施してあるのではないかと予想。

 いや、七川のことだ……。案外、本物かもしれない。

 どちらにしろオワタ。

 恐らく最期となる瞬間の光景。

 幼馴染はどこか寂しそうにその目を細める。

 大精霊は見限ったのか、まるで関心がなさそうだ。

 やむなく死を覚悟した。

 まぁ、心残りがありすぎるけど……。

 願いだって、まだ最後のひとつが残ったまま……。

 あ、そうだ。願い……だ。最後の。

 どうせなら、願いを……。

 ……セカイ……平和。

 なんとなく浮かんだのはそんなフレーズ。

 そして。

 七川が銃のトリガーを引きかけた刹那。

 日和又は何故か、いままで出したことがないくらいの大声で叫んでいた。






「争いのない平和な世界をっ!」






 これを聞いて、ぴくりとその耳を動かすメギストス。

「……その願い。しかと聞き届けたぞ。ソテル、エムマヌ――」


 引かれるトリガー。



 ズバアアアアアアアアアアアアアン!



 凄まじい発射音が轟く。

「……なっ」

 次に日和又が見たのは、おそらく人類の誰もが目にした事のない光景だった。

 銃口から勢いよく吐き出され、日和又の額を撃ち抜くはずだった弾丸は彼の面前、まるでスローモーションでも見ているかのごとくその回転を緩めていき、やがて静止した。

 そして、静止した弾丸はそのまま重力の影響を受け、ニュートンの林檎のごとく、コトンという音を立てて床に落ちた。

「……うそ」

 これだけでは終らない。

「――――アグロン、テタグラム、イキオン、エスティシオン、クリオラン、サバオト、アドナイ――――」

 大精霊の口から呪文が詠唱されるにつれて、先ほどの召喚時に彼女が発していた聖なる輝き、それの数倍はあろうかという神々しい光が彼女の身体から溢れ出す。そして強烈な波動となって日和又の部屋から放出され、アパートの屋根を一気に突き抜けていくではないか。

「うわああああっ、ちょっ、な、なんだっ! メ、メギストス様、一体、どうなってるんですか!? 大家が来るどころの騒ぎじゃない!」

 あまりの眩しさに、二人は口は開けられても、目は開けられない。

「いまは重要なところだから話しかけるな! それにしてもこの願い、予想以上に精霊力を消費しそうじゃ。このわらわですら、立ちくらみがしてくるぞ!」

 メギストスの放つ光の波動は日和又の部屋の窓ガラスを割り、何週もしながら天魔町どころか、周辺都市全体、あらゆるところに広がっていく。

 一瞬にして、その殆どが聖なる光に包まれた。

「いかんな、見栄を張りすぎてしまった。わわわ。これはまずいかもしれん! なにせ、最近習得したばかりの大技だから、わらわもイマイチ勝手が分からんのが本音じゃっ!」

 彼女が放った最後の強烈な光は、天空へと一直線に伸びていく。そして、ゴゴゴゴゴ、何かが崩れ落ちるような重厚な音がすると同時にメギストスは力尽き、全身の輝きを失い床の上にドサリと倒れこんだ。

「メギストスさまっ!」

 これに驚愕した日和又は、すぐさま彼女の元へと駆け寄り、即座にその小さな身体を抱き起こす。

「ハァ……、ハァ……」

 だが、大精霊はそうとうなエネルギーを使い果たしているように見えた。

「大丈夫ですか! しっかりしてください!」

 抱き起こされたメギストスは、しばらくは肩で息をしていたものの、

「日和又……。水」

 やがて、小さな声でそう言った。

「水ですか?」

「うむ……」

「分かりました! 直ちに」

 日和又はすぐさま冷蔵庫のあるキッチンへ向かおうと立ち上がる。

「あ、待て。日和又……」

「ど、どうしました! メギストスさま!」

「……やっぱファンダオレンジで」

「この期に及んで!?」

 ――――

 結局、ファンダオレンジを注いだマグカップを持って戻ってきた日和又は、再びメギストスを抱き起こすとそれを飲ませた。

 彼女の白い喉がグビッ、グビッ、という音とともに小さく上下して、

「ふぅあっ……。生き返った」

 メギストスはその大きな目をしばたたかせる。

 どうやら軽い脱水症状を起こしていただけのようだ。

「よかった……」

 それが分かった青年は安堵の表情を浮かべる。

「うぅむ……。おかげさまで助かった」

「いえいえ。ご無事でなによりです」

「礼を言いたい……が、いまはそれどころではない……」

 彼女は、身体を半分だけ起こした状態で深刻そうにため息をつく。

「え?」

「わらわの精霊力が著しく減っておる」

「精霊力……?」

 聞きなれない言葉のため、尋ねる日和又。

 すると、メギストスはこほんと小さく咳払いして、

「精霊力とは、大精霊がその能力を発揮するうえで必要となる森羅万象のエネルギーじゃ」

「大精霊ってエネルギー式だったんですか!」

 彼女は「うむ」と頷く。

「で、でもどうして……。まさか」

 怪訝な表情の日和又。

 するとメギストスは途方にくれたように、

「おまえが急かすから、いまの呪文……失敗した」

「失敗だって!?」

「そうじゃ。呪文詠唱のミスが原因じゃ。莫大な精霊力の消費を強いられた。もしかしたら、わらわにはもう『天界』に帰るための精霊力すら……」

「う、嘘でしょ!」

 日和又の顔に驚愕の色が広がっていく。

「本当じゃ。だが、驚くのには早い。だって、もっと悪い知らせがあるからな」

「……は、はぁ」

 息を呑む青年。

 大精霊はそんな彼を一瞥したうえで、その視線をおろす。

 そして……。

「呪文失敗によって『この町と周辺地域』に異変が起きた……かも」

「異変!?」

 耳を疑いたくなるような言葉。

 日和又は聞き間違いかとも思ったが、

「…………異世界に通じる穴が開いた」

 確かにメギストスはそう言った。

「な、な、な、な、な、なーーーーーーーーーっ!」

 冗談ですよね、そう言いかけた日和又の口は、彼女の瞳を見てすぐに閉じられる。まっすぐにこちらを見つめる大きな双眸が到底、冗談を言っているようには見えなかったからだ。

 加えて、大精霊の出現から現在まで、今宵はありえないことが連続している。

 次に何が起こっても不思議はない。

 そう。何が起こっても……。

「……油断大敵なのだよ、昇!」

 そんな折。

 不意に、背後から聞こえた少女の声。

「あっ――――」

 咄嗟に振り返った日和又の顔にスッと向けられたのは、やはり回転式拳銃ソレだった。

「まだやるのか、軍ヘル娘よ……」

 メギストスはやれやれと呆れたように嘆息する。

「うるさい、泥棒ネコ! いまのも絶対トリックだ! わたしは信じないんだからねっ! 必要条件は満たしてもそれは充分条件じゃない!」

 どうやら、七川は未だ興奮が冷めていないらしい。

「弾丸が尽きるまで許さないんだからっ!」

 大精霊の蒼い瞳に映し出された状態で幼馴染は声を張り上げる。

 一方、頭部に銃口を向けられた日和又は、またしても絶体絶命の状況。

「……」

 しかし、彼には先刻ほどの恐怖感はなかった。

 むしろ、はるかに恐ろしいことを聞いたショックで感覚が麻痺してしまっていた……。

 こうしている間にも本当の危機は刻一刻と……。



「……仕方がない」



 不意にメギストスが立ち上がった。

 そしてうんざりとした口調で、

「七川とやら……、どうせならわらわを撃ってみるか? ただし、きつーいお仕置きは覚悟してもらうが」

 これを聞いた七川は、

「へぇ。面白いこと言うね」

 日和又の頭部に向けていた銃口を、今度はメギストスの方へと向ける。

「ロックオンっ!」

 一騎打ち。

 いつの間にやら日和又が当初、予想した修羅場的展開を超えている。

「……どうでもいいけど、大家さん来ないのかよ……。これ、部屋めちゃくちゃだよ。窓とかぶっ壊れてる状況でさらに決闘開始とはどういうことだっ! そして寒いですっ!」

 喚く日和又を完全スルーして、

「謝るなら今のうちですよ、泥棒ネコさん」

 七川はそう言って、くすりと唇を緩めた。

 だが、メギストスは全く関心がなさそうに、

「わらわの、ごめんにゃさいは数量限定。よって遠慮するのじゃ」

 きっぱりと拒否。

「そっか。じゃあ……」

 夜色の瞳が虚ろに細められた刹那、

「逝・っ・て・よ・し!」

 再び引かれた銃の引き金。



 ズバアアアアアアアアアアアアアン!



 次の瞬間、火薬の爆発力で押し出された弾丸は凄まじい勢いで銃口から飛び出し加速………、することはない。

「……アクビがでるぞ、小娘」

 そう。実際のところ、回転式拳銃はその役割を果たすことなく叩き落とされていた。

 刹那に間合いを取ったメギストスの掌底一撃であっさりと。

「えっ!」

 あまりにも一瞬だったので、七川にはメギストスの接近すら認識できなかった始末。

 床に落ちた拳銃はそのまま滑りながら回転し、クローゼットの下の空間に姿を消した。

 自慢の秘密兵器を失って、幼馴染は呆然と立ち尽くすしかできない。

「そんな――――」

 何かを言い終わらぬうちに勝負はついた。

 七川の頚部に入ったのは、一閃の鋭い手刀打ち。

「っわぅ……」

 ロクに抵抗もできずに幼馴染はその場にガクンと崩れ落ちる。

 電流を流されたように全身が痺れていく感覚。 

 彼女はメギストスの足元に転がったまま手足すら動かせない。

 そんな七川を見下ろす形となった大精霊は、右手を振り上げてさらに手刀打ちを叩き込む姿勢をとる。

 だが、第二の手刀が振り下ろされる前に、

「メ、メギストスさま!」

 素早く駆けつけた日和又が彼女の手を掴んで止めさせた。

「む……」

 メギストスは怪訝そうな顔で日和又の方を向く。

「も、もう懲りたと思います! というか生身でも強すぎますから、あなた」

「にゃ……。そうか」

「はい」

「じゃあ、とりあえず二杯目のファンダオレンジを」

 メギストスは無関心に言うと、目を細めた。

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