『高校生』日和又昇
《第一章》
――――事の発端はおよそ三時間前にさかのぼる。
場所は、天井に取り付けられたランプが薄く照らす某古書店内。
一定間隔でドミノのように立ち並ぶ本棚の脇には、人ひとり歩くのがやっとという広さの通路。
カビ臭いそこを、いつかの日和又は着ているジャケットに陰影をつくりながら、慎重な足取りで歩いていた……。
と同時に、黒目がちの目で脇にある棚全体を見渡し、その後、隅々の本まで確認していた。
真新しいものから、全く年代不明のもの。薄いものから、分厚いものまで数多の本が基準に沿って棚の中で肩を並べる光景。
これに本好きの彼は心を奪われながらも、その中から『ある本』を探していたのだった。
【アニメ・コミックス関連コーナー】
やがて、たどりついた区画の入り口には、そう印刷されたプラスチック製の札が無造作に貼られている。
それを横目で確認した日和又は、構うことなく右足をその奥へと踏み出す。
こうしてしばし歩を進めた彼は、ある本棚の前で立ち止まると身を屈めて商品のひとつを手に取り、繊細とも思える指でパラパラとページをめくる。
「……」
しかし、そのうち静かにそれを閉じて元の位置へと戻した。
そして煮えきらない表情のまま、
「うーん」
一言唸ると、また新たな本を手に取り、ページをめくっては棚に戻す。
これを幾度か繰り返した。
その後。
学生としては平均的な長さの黒髪の頭をかきながら、
「似た本なら、いくらでもあるんだけどな……」
はぁ、と物憂げにため息をつく。
こうなれば、店主にその本の所在を聞くのが手っ取り早いかもしれない。
いや、本来ならそれが一番良い方法である。
しかし、気乗りはしなかった。
なぜなら、本について尋ねても店主の口から返ってくるのは、
「本探しはセルフになります」
どうせこのような無慈悲な一言だからだ。
店の名前は〝トレジャーブックス〟。
残念ながら、ここはそういう店なのだ。
それにしても……。
これだけ探していて見つからないとなると、すでに『本』は他の誰かに購入されてしまっている可能性もある。
心の中で、だんだんと沸き立つ不安。
だが、日和又はそれを振り払い、
「なんなら、閉店時刻まで粘ってみるか……」
諦め悪くも、広い店内にて本探しを続行することにしたのだった。
――――それが後に、運命の一冊を引き寄せることになるとは知らずに。
「ごっほんっ、ごほん」
査定が必要な本がうず高く詰まれたカウンター。
その脇では、長い髪をバンダナで覆った男が椅子に座って咳をしていた。
今宵の店内。
客ひとりならば、店主もひとり。
「……」
店主は査定が終了した本をひとまとめにしてビニール紐で括り、床の空きスペースに置いていく。
やがて、その日の仕事をあらかた終えた彼は、ぱんぱんと両手をはたく。
二十三時五十五分。
いつもなら、そろそろ閉店の時刻。
だが、今宵は状況がいつもとは少し違っていた。
店内には、放置すればあと何時間、居座り続けるかわからない若者がひとり。
そいつが未だに本棚とにらめっこをしている。
店主は腕を組んで考える。
その結果、導き出されたのはいたって簡単な結論だった。
「お帰りいただくか……」
店の奥からは、なにやら時折、唸り声が聞こえてきていたので、正直なところあまり気は進まない。
だが、仕事は仕事。
ここは一声かけてなんとか客を返す義務がある。
それに、このまま居座られると、いつまでたっても店を閉めることができない。
「……迷惑なやつだ」
探索サービスのずさんさなど忘れて、そんな本音を吐いた後、店主は椅子から重い腰をあげた。
【アニメ・コミックス関連コーナー】
「うーん」
相変わらず本棚に向かって唸りをあげるも例の本はまだ見つからない。
しんと静まり返る店内。
書物とにらめっこを続ける日和又(トレジャーハンタ-)。
だが、
「……っ、痛て」
突如、ズキズキとした痛みが電流のごとく彼の背中に流れる。
そこをすぐさま手で押さえるも。
どうやら、長時間に渡って溜め込まれた疲労で日和又の身体は限界を迎えつつあるらしい。
気づけば立ちっぱなしだった両脚は鉛のように重く、負担をかけすぎた腰は痛みでうまく曲がらなくなっている。そのうえ、目はだんだんとぼやけて、いまではずいぶん虚ろな視界である。
それでも彼はありとあらゆる本の背表紙を確認し続けていた。
純粋に、たった一冊を探すために……。
コーナーに来てしばらく経った頃、
「ん……」
その視線があるところで止まる。
というのは、分類されていたコミック本の中に英文法の参考書が無造作に紛れ込んでいるのを見つけたからだ。
「どうして英語の参考書がここに?」
ジャンルの違う一冊は棚の中で明らかな異彩を放っていた。
日和又は首をかしげながらもその背表紙に手をかけ、厚めのそれを引っ張り出す。
すると、ますます不審に思えてくる参考書。
おまけに手にした瞬間に、なにやら形容しがたい感覚が本にはあった。
まさか。これは……。
数多の経験によって、研ぎすまされた五感が反応している。
通だからこそ感じとれるのであろうひしひしとした違和感……。
「む……」
非常に微妙な感触で、日和又はさっと、それを確信した。
《昇っ! 物事は確信したら、即座に実行に移すべきなんだからねっ!》
幼馴染が昔よく口にしていたセリフが脳裏に蘇る。
(……)
思い出した言葉に後押しされた彼は、ごくりと喉を鳴らすと、感情のおもむくままに参考書のカバーをはずす。
すると、そこに現れたのは……。
【魔装少女シニカルななは★限定版ノベライズ】
魔装少女の美しいイラストがでかでかと載った限定版のアニメ・ノベライズ。
それこそ、彼が長きに渡り探してい求めていた宝。
「……!」
日和又はその場で一瞬、戸惑いつつも……。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
すぐに、歓喜のおたけびをあげていた。
店中に響き渡るその大きな咆哮。
何も知らない他人からすれば、常軌を逸した奇人の遠吠え。
しかし、そんなことを本人は露ほども気にしていない。
いま、おたけびを止めたら本探し者失格である。
そうこうするうちに……。
彼の背後に、ひとつの影が立つ。
そして冷たい声で言い放った。
「お客さん。そろそろ閉店なんで……。ここ出てもらえますか?」
――――入り口近くのカウンター。
「お会計、千五十円になります」
「はーい」
嬉々とした表情のまま財布からボロ札と硬貨五枚を取り出して、会計を済ませた日和又は迷宮に隠れていた戦利品入りの袋を受け取る。
もちろん、探索にかなりの労力を注いでいただけにその喜びはひとしおだ。
今になって思えば、件の参考書カバーは誰かが冗談のつもりで持ってきて被せていたのだろうが、その本を求めている者がいることを考えれば非常にタチの悪いいたずらである。
そんなことを考えていた時。
「あ、お客さん」
店主が呼ぶ声がした。
「はい」
日和又はすぐにその呼びかけに応じる。
すると、店主は少し面倒くさそうに店の期間限定キャンペーンについての説明をはじめた。
マニュアルにあるのだろう。ここでは、よくある光景のひとつだ。
どうやら期間中、店では千円以上の買い物をした客に対して、二百円以下の本を一冊、無料贈呈するらしい。
――――
「はぁ。なるほど」
「というわけで」
一呼吸を置いた店主は、脇に積み重ねられた本の中から無造作に三冊抜き取ると、それらをカウンターに並べた。
中堅レーベルから出ているライトノベルの文庫本が二冊に、表紙に『めぎすとすっ!』というタイトルだけ書かれた赤い本が一冊。
「これら全て二百円以下なので、この中から好きなの選んでくださって結構ですよ」
店主はカウンターに指を打ちつけながら言葉を投げる。
「……うーん。じゃあ」
少し悩んだものの、日和又は言われた通りにその中から一冊を選択すると、
「これでお願いします」
店主に手渡した。
「これね。いいの?」
ライトノベルが選ばれると思っていたのか、店主は怪訝な顔で確認する。
その問いに対して、
「他の二冊はもう読んだので」
日和又はあまり関心がなさそうに答えた。
「ありがとうございましたー」
やがて青年は抑揚の無い一本調子の声に見送られながら店を後にする。
その時、彼が手にした袋に加わっていたのは……、一冊の奇書だった」