エンドロール
《エピローグ》
あれから三週間が経ち、日和又はかつて退屈にしか感じられなかった日常がいつの間にか少しだけ充実感のあるものに変わり始めていることに気がついた。
もしかすると、何気ない一瞬、一瞬に喜びを見出すことこそが本当の非日常への扉なのかもしれない。
そんなことを思いつつ、青年はかつて『怪異相談所』だった喫茶店で、紅茶を飲み、日刊新聞に目を通していた。
従業員の七川と自分の二人を除いて珍しく誰もいない午後の店内。
「いつかまた相談所は再開できるのかな?」
メイド姿の幼馴染がふいに、そんな言葉を投げかけてきた。
「どうだろう。でも案外、その時は早かったりしてな。まぁ、僕の願望なんだけどね」
日和又はにこやかに微笑んで、手にしたカップを揺らす。
カップからは暖かな湯気があがり、匂い立つ紅茶の香りが部屋全体を満たしていく。
「そうだね。また依頼が持ち込まれたら、ありうるかもしれないよね。でも、さすがにもう怪異は現われないのかな……」
「少し寂しいよな。でも考えたら、ごく最近まで僕たちの身近なところに確かにいたんだよな、不可思議で、それでいてどこか恐ろしくも心地良い存在が」
怪異という言葉が青年にとって、いまは不思議と懐かしく思えた。
それほどメギストスたちがいなくなってからの三週間という期間が彼にとっては長かったのだ。
しかし、逆を言えば、あの時の非日常があまりにも充実しすぎていて、まるで一瞬のように感じられていたということでもある。
なんとも言えぬ不思議な感覚に包まれたまま、日和又はその視線を新聞へと落とす。
そしてある記事を見つけた。
そこには、天魔町や周辺都市に、謎の空間に通じる巨大な穴がいくつも開いているのが見つかり政府が確認を急いでいるという旨が記載されていた。
「え、ちょっと、これ!」
この記事に驚いた彼は直ちに七川を呼び寄せる。
それを見た途端、幼馴染も目を丸くした。
「ま、まさか。ということは……」
日和又には心当たりがあった。
考えられる原因はただひとつ、というか一人である。
「あの時、メギストスさまは、またしても呪文を唱え間違えていた……。そして、いまになってそれが時間差で現われている……とか」
「……あうっ、なるほど」
同時に顔を見合わせた二人。
日和又としては、さすがにそれはないと思いたかった。
いや、でも、彼女ならやりかねない。
あの、ドジッ娘気質な大精霊なら充分にありうる話なのだ。
気がつけば、日和又は立ち上がって遥か上空の彼女に向かって叫んでいた。
「メ、メギストスさまのバカァーーーーーーーっ!」
それを見つめていた幼馴染も、
「これは、再び相談所の出番になるかもね」
やがて苦笑交じりにため息をつく……。
と、その時。
ズガ、ガ、ガガーーーーーーーーーーン!
上空の遥か彼方から、相談所の天井を突き破って二人の前に何かが落下してきていた。
それは、メギストス……張本人。
「永遠のものと思ったら、案外短い別れだったな、ご両人。……えーと。今日からまたお世話になります」
その言葉を口にすると同時に、現れた大精霊は気まずそうに一礼。
彼女の特徴的な猫耳がぴくりと動いた。
「メ、メギストスさま!?」
「どうしてここに!」
日和又と七川は予期していなかった事態に、驚愕の声を上げる。
すると大精霊はあっさりと言った。
「いやー。日和又のセカイ平和の願いをまだ叶えてなかったのを思い出してな。あと、わらわのミスで別の穴が出現しちゃったみたいだから、その修復に」
「な……、なるほど。素晴らしい判断です。もし、トンズラこいてたら、永遠に呪ってたかもしれません」
「嘘みたい。戻ってきてくれて嬉しいよ! もう二度と会えないのかと思ってたんだからっ!」
「そうか。心配をかけて悪かったな、日和又、七川よ」
「これでまた相談所再開できるね!」
メギストスの言葉を聞いた七川は嬉しそうにガッツポーズする。
もちろん、彼女だけではなく日和又にとっても大精霊の登場は嬉しい誤算だった。
だが、その前にやるべきこともありそうだ。
というか多そうだ。
「メギストスさま。穴の復元は当然のことですが、その前に……」
「ん?」
「この修理代……。かなり高くつきそうですよ」
青年は苦笑しつつも、大精霊の落下による衝撃で、ぽっかりとぶち抜かれた相談所の天井を指差す。
これを見たメギストス。
「あわわ」
一気にトーンダウンしたせいか、猫耳がしゅんと垂れる。
かと思えば。
「……ごめんにゃさい。だけど、わらわにとってはティータイムの方が先じゃ。穴の修復については後からちゃんと考えるからーっ!」
そう言い残すと、慌てた様子で奥の部屋に消えてしまった。
「ちょ、ちょっと! メギストスさま、ごめんにゃさいでは済まないですよ、っていうか優先順位っ!」
すぐさま後を追う日和又。
「一週廻って、また忙しくなりそうな……」
当然のごとく七川もそれに続く。
あわただしく三人がその場を去った後。
眩しい光が差し込む店内はいつの間にか芳醇な紅茶の香りで満ちている。
そこには、どこかなつかしい時の流れがあった。