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七川若奈々 vs 小手川彩奈

「ちゃおー」

 彼女の挨拶はまるで不吉な笛の音のように日和又の耳にいま届いている。

「ど、どういうことだよ!」

 異変に気付いた日和又は、眉を寄せて驚愕の表情で声をあげた。

 すると、平田は。いや、平田の姿をした「七川」はふふふ、と楽しげに微笑する。

「密かに仕込んでおいた最新鋭の遠隔操作マシーンでこの子の告白受諾の記憶を消して身体を乗っ取ってあげたんだよ。だって、そうしないとガードの固い昇に近づくことができないからね。このままじゃ、敵の討伐なんてできないのですよ。さーて、まずは昇の生態メモ作りっと」

 憑依した七川はガサガサと、シャケを口にくわえた熊がプリントされたリュックサックを漁り、どこからともなくペンとメモを取り出す。

「おまえ。ふざけるな! 早く平田さんの身体から出て行け!」

「うるさいやつだなー。いやだよ。わたしはいまから昇ルート攻略法を考えて書き記す作業に入るんだ。まじで集中できないから、だまっててよ」

 そして、あげくに少女は、ペンを右手で回し始める始末。

「こいつ……。こうなれば無理やりにでも、平田さんの体から出て行かせてやる!」

「ほう、やれるもんなら。やってみろ童貞」

 この言葉は、文字通り火に油を注ぐものだった。

「やってやるよ!」

 激高した日和又は、七川の右腕を掴む。

 カタンと、廊下に転がるペン。

 だが、青年は構わない。

 そして。

 そのまま少女の腕を。

 強引に引っ張った。

 しかし、彼女の腕をあまりに強く引きすぎたのか。

「ひゃあんっ。痛い! やめて!」

 少女の口からは甲高い悲鳴が漏れる。

「く……」

「どうして、乱暴するの。だーりん?」

 平田(七川)の右腕には小さなあざが出来てしまった。

 そして、そこにいるのは涙で瞳をウルウルとさせて今にも泣き出しそうな彼女で。

 まさしく平田梓。その人だった。

 打算的な七川のことだ。おそらく、精神的な揺さぶりをこのようにしてかけているつもりなのだろう。

 なるほど、策である。

 無念だが、背に腹は代えられない。

「ちくしょう。なんてやつだ」

 日和又は吐き捨てるように言うと、近くにあったロッカーを蹴った。

「そうそう。いま、マシーン憑依しているわたしを追い出すことは、この子自身の肉体も傷つけることになる。できないよね? にゃはは」

 七川は不敵に笑みを浮かべて、真っ黒な瞳で日和又を見据えている。

 それはまるで太陽系の惑星を全て飲み込んだ後のブラックホールのようだった。

「くっそ」

「きみはわたしのものになるしかないのさ。だからこそ、こうしてこの旧校舎に引き寄せられたんだ。運命的な意味合いでね」

「そ、そんな」

 青年は情けない表情で、がくりと肩を落とした。

「また、異世界の怪異と戦うことになるんだ。こんなところで仲たがいするのは体力の無駄遣いも甚だしいよ。にゃははん」

「ふ、ふざけるんじゃねえ!」

 怒声をあげつつも、日和又は明らかに狼狽していた。

「ふざけてないもん」

「ふざけてるだろ。平田さんの体を弄ぶな!」

「ほう。じゃあ、もう一度。力ずくでわたしを追い出してみるかい? ただし、まるで無意味な行動だとは思うけれど」

「や、やってやる」

 だが、青年には色々な葛藤もあった。

 焦りと憤りが、波のように交互に打ち寄せている。

 彼は目を閉じた。

 そして決意する。

「うおおおおおおおおおおおおおおおっ」

 日和又は震える声を吐き出しながら、再び拳を握る。

 だが、すでに……遅かった。

 こういう場合には、一瞬の油断が命取りになるのである。

 気がつけば、背後では七川が、その華奢な身体をぴったりと密着させていた。

「相手が女の子だからって油断したね?」

 そして続けざまに囁いた。

「今日は月いちカッターデイ。偶然、銃がなくても、完全な死亡フラグだよ?」

 日和又の首もとには、鋭利なカッターナイフが寸前まで突きつけられている。

 あと2~3ミリも動けば、首は切れるだろうな、と青年は思った。


 チキ、チキ、チキ、チキ、チキ、チキ。


 無慈悲で無感情に、カッターの刃が伸びる音がした。

 もう、終わりだ。

 ……平田さん。

 やっぱり僕は彼氏とかには向いてない。いきなりゲームオーバーです。

 日和又は、ある意味で死を覚悟した。

 ふいに、彼は、その視線を上空の巨大なステンドグラスに。幼子キリストを抱いた聖母マリアのほうへと向ける。

 それがすごく美しい一枚だったのも当然あるだろう。クリスチャンではないのだが、この時ばかりは、すごく神に祈りたい気がした。

 だが、都合がよすぎるよな、と日和又は口元に諦めの笑みさえこぼしていた。

 と、その時。

「!」

 ステンドグラスを背にして、誰かの影がゆらりと動くのを見た。

 それは、正義のヒーローなんかではない。

 実は、意外な人物なのかもしれない。

「やぁ、日和又くん。相変わらずピンチみたいですね。本当はすぐに駆けつけて無双してやりたかったけど、わたし今日は補習でなかなか教室を抜け出して来れなかったんだよね。すまないな。本当に」

 聞き覚えのある澄んだ声が旧校舎に響いている。

 そう、そこにいたのは落ち研の先輩、小手川彩奈。

 ……間違いなく彼女だった。

「あれ。あなたは今朝の、風変わりな先輩さん……? 何の用かな」

 日和又と同じく、少女の存在に気がついた七川は、少し意外そうに目を細めた。

 すると、小手川は少し決まりが悪そうに、頭を掻く。

「いやー。キミが、いまから殺そうとしてる、その子なんだけれどさ。わたしにとっては大事な突っ込み役なんだよね。ここで失うのはもったいないかなって。それに一応は落ち研の可愛い後輩だし。偶然、通りかかった以上は見捨てるわけにゃあ、いかんのよ。すまんな」

「せ、先輩!」

 それを聞いて、日和又はいまにも泣き出しそうな表情だ。

「偶然通りかかった? 嘘だよね?」

 一方で、七川はというと威圧感のある、鋭い目線を、上部の小手川に向けている。

「いや、本当だよ。偶然、旧校舎に忘れ物をしちゃってさ。あ、そうそうちょうど、キミが持っているのに匹敵するくらいの鋭利な相棒だったかな」

 小手川は相変わらずとぼけている。

「ふ、忘れ物? もっとマシな嘘ついてほしいな。この旧校舎に吸い寄せられる人間に、偶然なんてないんだよ。全ては必然によって構成されてるんだ。にゃははは、サブキャラ昇とのじゃれあいを邪魔したら、きみにも償いはしてもらう」

「ほぇー。話して通じる相手じゃなさそうだな。わたしと同じで、相当な重症の電波さんと見たよ」

「五月蝿いやつだな! もういいですか? そろそろ」

 そんなやり取りの最中、ついに七川はふっきれたようだ。

 カッターナイフの先端。

 獲物を狙う刃が光を反射させていた。

「わ、わぁ! やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。あああああああああああああああ。先輩ぃいいいいいいいいいいい」

 日和又は、背後から強烈な殺気を感じた。

「ったくしょうがないやつだなぁ」

 上空で、不敵に先輩が笑う声がした。

 だが、それどころではないこの状況。

 ……と、次の瞬間には、ど派手な血しぶきが舞っていた。

「くぁっ!」

 ただし、周囲一面に飛び散ったその血液は、日和又のものではなく、彼の背後にいる七川のものだった。

 そう、刹那に、上空の小手川が投げたバタフライナイフの刃先が、カッターを持つ七川の手を貫いたのである。

 カラン、と乾いた音をたててカッターは廊下に落ちた。

「く、こいつううううう」

 咄嗟に出血した右手をおさえてうずくまる七川。

「よしっ!」

 その隙に、日和又は彼女の手を逃れて、距離をとった。

 そして、床に落ちたカッターを、全力ですばやく蹴り飛ばす。

 カッターは凄まじい勢いで回転しながら、奥にあるロッカーしたの暗闇に吸い込まれていった。

 もはや、脅威はない。

 これで一応の難は逃れたのだ。

 と、思いきや。

 直後に日和又の足を襲う激痛。

「いっ、痛い。いてててててててっ!」

 なんと、七川が青年の足に噛み付いていたのだ。

「わたしの執念を見ろ! 逃がさないのん! 足の肉を噛み切ってやりゅー」

「おまえは、新手の酒天童子かなんかか!」

 だが、この騒ぎもすぐに収束することになる。

「バカもんがーーーーっ!」



 バシーーーーーーーーーン。



 一瞬でターゲットに間合いをつめた小手川の、そんな音とともに振り下ろされた鋼のハリセンによって。

「ぐは」

 意外な一撃をお見舞いされた幼馴染は、その場に卒倒した。

「先輩。やりますね」

「いやー。やりすぎたぜぃ」

「……ですね。しかし感謝です」

「てへへん」

 可愛らしくウインクをした小手川は、日和又に親指をたてた。

 このピンチで、彼女はなんという余裕なのだろうか。

 そして、なんと行動が読めないお人だろうか。

 敵に回したら怖いタイプだと、青年はしみじみ感じていた。

「ところで、そのハリセンは?」

「あー。これは。その。落ち研用だ」

「えっ!」

「本来なら、きみをしばく予定だったんだがね」

「…………え」

「冗談だよ」

「冗談には聞こえませんでしたが。大感謝です。これから、先輩のためならなんでもします」

「てへへん、そうか。じゃあさ。今回、忙しくて出られない私の代わりに選挙に出ろ。以上」

「はっ!?」

 こうして、日和又の学内選挙出馬が決まった。

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