旧校舎の告白
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先ほどまで、青年の残っていた新校舎、その裏手には旧校舎がある。
殆どひとけのなくなった旧校舎の三階、階段付近には二人分の影が伸びていた。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう、平田さん」
二人分の影のうち、一方の持ち主は、もちろん日和又である。
「昨日のメールに書いてあった大事な用って何? 日和又くん」
そしてもう一人の影は、日和又と同じく竜王学園高、二年の平田梓のものだった。
腰まで届きそうな漆黒色のサラサラヘアー。色白の肌、ちょっぴりたれ目がちな瞳、童顔、145センチの、ロリコンに受けのよい身長。そして、なんといっても特徴的なイヌミミのカチューシャ。ついでに果実のような香り。
彼女はクラスにおけるアイドル的な存在であり、日和又にとっては高嶺の花だった。
日和又が、そんな平田を昨日のメールでここに呼び出していた理由。
それは、言ってみれば至極単純であり、なおかつこの類では最もスタンダードともいえるパターンの理由だった。
そう、『告白』である。
一見した限りでは、それ以外に理由などあるはずもない。
この張り詰めた空気。空間。ああ、緊張感。
普段は物事に鈍感な平田でも、これだけ揃えば察知してくれているだろう。
日和又はそう考えていた。
このところ、七川という邪魔が頻繁に入っていたが、このイベントだけは成功させなければならなかった。
だが、いざとなるとその言葉がなかなか切り出せないのも事実。
「いや、ちょっとね」
「ちょっとじゃ、分からないワン」
語尾にワンをつけるのが最近の平田のマイブームらしい。日和又はそれを聞いて、ますます自分の中での緊張感が高まるのを感じた。
だが、ここで言わねば男が廃るだろう。
日和又は覚悟を決めた。
「ちょっとさ。言いたいことがある」
「ん?」
ドキドキ(心臓)
ドキドキ(心臓)
ズキズキ(胃)
「ちょっと胃痛いときがあるんだ」
「へー」
「あっ!」
何やってるんだ、僕。
完全にダメなパターンじゃねーか。
パシ、パシッ。
日和又は思わず自分の顔を叩いた。
「何やってるの日和又くん。もしかしてヨシモトの芸人さんの舞台を大阪で生で見て、感動。自虐プレイネタに目覚めたのかワン?」
ごもっとも……とも言えないツッコミが平田から飛んだ。
あうあう。
と、まぁ気を取り直し。
「そんなわけあるかい!」
一応、突っ込んでおいた。って、おい、これから告白するのに突っ込んじまった。
ああ、時よ。カップラーメンが出来上がる時間分だけ戻ってくれ。
いや、この際、止まってくれ……。ざわーるど。
この頃には、すっかり「七川」や「メギストス」のことなど忘れていた日和又がそう思った時。
「日和又くん。ナイスツッコミ。キレキレだねー。さすがだワン!」
「へっ?」
平田から返ってきた反応は、青年の予想の斜め上をド直球でくりぬいてくれるものだった。
というわけで平田的にはセーフだったらしい。
気を取り直して、日和又は言うことにした。思いの丈を。
「ふ、そ、そうだ。この突っ込みをきみに見せたかったんだ」
「かっこいい突っ込みでしたワン」
「だろ? さて、平田さん。今日、野球部のマネージャーの仕事を休ませてまで、わざわざここにきみを呼び出したのは言うまでもないことだ」
「いや、わたしは帰宅部だワン 言うまでもないことって?」
平田は、子犬のように首を傾げる。
「そうか、帰宅部か。そういや、そーだったな」
日和又はとりあえず虚勢を張っておいた。
「ソーダ?」
「ああ。好きな飲み物はソーダさ。とりあえず、いくぞ」
「逝ってよしですワン」
「僕はきみのことが」
「うん」
「好きなんだ! 付き合ってくれ!」
日和又はついにその言葉を平田に伝えた。もはや、彼に悔いはなかった。
すると、平田は。
「あ、ごめん。さすがに聞き取りにくいから、イヤホンは、そろそろはずすね。いやー。シャンホラの新曲いいよねー。シャウンドホリャイゾン、ビジュアル系のイケメンバンドなんだけど知ってる? ワンワン」
「!」
ズコッ。
日和又はその場に転倒した。
もはや、大の字になってこのまま深夜まで寝ていたいなとすら、彼は思った。
「……不思議ちゃんすぎるぜ。平田さんよ」
そんな風につぶやいて、ようやく日和又は起き上がる。
「すまないな。僕という男は、きみにイヤホンまではずさせてしまったようだ」
「かまワンよ。クラスメイトである日和又くんのためならば。例え地の果て天の果て。ワンワン」
一陣の風が吹く……はずもないが彼にはそんな気がした。
さて、続けよう。
「では、そろそろ伝えさせてもらおうか。ここにきみを呼んだ理由を」
「どぞー」
「僕はきみのことが」
「うんうん」
「好きだ」
すると。
「わたしも」
えっ……。
「い、今なんて?」
思わず、平田に聞き返す。
すると彼女は言った。
「わたしも日和又くんのこと好き」
嘘……だろ!
日和又は己の全身が歓喜に震えているのを感じた。
「え……。てことは? 付き合ってくれるの?」
念のために確認しておく。聞き間違いであったならば、今のうちならば、なんとか正気に戻れる範疇ではないか。
しかし、それは現実のようだった。
「もちろん。喜んでお付き合いさせてください」
天使のような微笑で平田はそう言ってくれた。
彼女の頭部に装備されたイヌミミカチューシャが揺れている。
いまの日和又にはそれすらも愛おしく感じられた。
「で、でも。どうして僕のことを?」
本来なら彼女のほうから発されるべき質問である。しかし、いまの彼にはそのようなことは関係ない。一時の恥なんて、この歓喜に比べれば安いものだ。
すると、平田は笑顔のまま言った。
「いやー。きみの横顔がさ、ビジュアル系バンド、シャンホラのボーカルにちょっと似てるかなって思ったから好きになっちゃったの。はは」
「な、な、な」
青年は再び、その場に座り込んで頭を抱える。
「こ、これでよかったんだろうか……」
(いや、もう仕方ない。こうなれば開き直ってやるぜ。今日からは僕がシャンホラのリーダーだ! はははは……ううう。やっぱり、しっくりこないお)
「でも、これからは、わたしの彼氏になるんだから。よろしくねダーリン」
「だ、だーりん」
この発言を聞いた、日和又の顔はコンロの上でぎりぎりまで沸騰させられたヤカンのように赤くなっていく。
色々な、想像。いや、いけない妄想が彼の脳裏を瞬時に駆け抜けた。
平田にとっては自分がいったい何人目の彼氏なのかが分からないが、少なくとも日和又には生まれて初めてできたガールフレンドなのである。
これくらいの大げさな反応も当然だろう。
最初は、もじもじとしていた二人だったが、話は共通の話題から少しずつではあるものの進展していき、そしてついに。
「じゃあ、デートの時はよろしくね」
「ありがとう!」
青年は平田と初デートの約束を取り付けた。
本日は、彼にとってはまさに幸運の日である。
だが、現実はそんなに甘くない。
別れ際に最悪の悲劇は起こるべくして、起こってしまう。
「それじゃあ、また明日ね、平田さん。初デート。楽しみにしてるよ」
意気揚々と平田にそう告げた日和又が、そこに見たもの。それは。
「……い、いや。たすけてっ。日和又くん」
いつの間にか、平田が頭を押さえて旧校舎の廊下に倒れこむ姿。
彼女の頭部から「イヌミミカチューシャ」が外れて、カタンという乾いた音をその場にたてる。
「ど、どうしたの! 平田さん! 大丈夫か!?」
すかさず倒れた平田に駆け寄ると、青年は彼女の半身をゆっくりと抱き起こしたが、
「しっかりしろ」
日和又が抱き起こす頃には、彼女は完全に意識をなくしていた。
……緊急事態。
焦燥した日和又は、周囲に誰か生徒がいないかと見回すが、運悪くここは旧校舎だ。
放課後に限れば人気は殆ど無いのである。
平田には、何らかの危険が刻々と迫りつつあった。
日和又がスマートホンを探そうとポケットに手を入れた時。
「ふふふ、いいの。もう」
突然、平田が日和又の手をするりと払いのけた。
そして、ふらふらとした足取りでその場に立ち上がった。
それも、やはり一瞬の出来事で。
少し、不気味な感じがしたものの。これは喜ぶべきことには違いない。
「ひ、平田さん! よかった。意識が戻ったんだね!」
日和又はふっと胸を撫で下ろして安堵のため息をついた。
だが、それは誤りだったとすぐに気がつくことになる。
そう、そこに立っていたのは平田であり。
そして明らかに平田でなかった。
それは。
そのペルシャ猫のような凛とした印象の黒目は。
「まさか……。おまえ」
そう。
間違いなく。それは平田の姿を借りた七川だった。




