ファフロツキーズ
《第三章》
窓からは黄昏色の光が差し込みはじめていた。
「遅いな」
壁に掛けられた時計を眺めながら、誰ともなしにそんな言葉を吐く。
あれから結構な時間が経っている。しかし、まだサンドウィッチ少女は戻ってきていない。
道に迷っているのだろうか。いや、もしかして逃げ出したのか……。そうだとすれば、あの野郎……。
そんな考えがそれぞれの頭をよぎった時。
カラン、カラン。
ドアに備え付けられた鈴が鳴る。
「ただいま。……行くトコもないから戻ってきてやったのです」
ミーナだ。
「おお、よくぞ戻った。わらわの勝ちだな」
「おかえり! ちぇっ、仕方ない。ちゃんと払うよ」
ほぼ同時に、机の上で大量のチップが入った皮袋が移動する。
「いやいや、暇だからって、ボクが帰還するかどうかを賭けの対象にしてんじゃねぇぇーーーーーっ! ここはロンドンか!」
「うう、負けか。ミーナちゃんさえ帰ってこなければわたし優勢だったのに……」
ぎろりと睨む七川に慄きながらもミーナは突っ込む。
「いやいや、まず賭けから離れろバカメイド! ついでに勝ったからって満足気な表情を浮かべるな、そこのバカ猫! そして、とりあえずボクは疲れたの……」
大通りでの宣伝は案外しんどい作業だったらしい。新たに相談所メンバーとなったミーナは嘆息すると、戦士が甲冑を外すようにすぐさま看板を脱ぎ捨てる。
フローリングに無造作にサンドウィッチ服が放られたところで。
「ん、後ろにいる、その人は?」
日和又はミーナの背後の人影に気がつく。
それを察した彼女は三人の前で胸を張って言った。
「あ、そうそう。優秀なボクは、ちゃんと依頼人、連れてきたんだからっ! この人、ボクの看板をじーっと見て話しかけてくれたから案内したのさ!」
「おっ、なんじゃ、依頼人連れてきたのか! でかしたぞ雑用!」
「さすがミーナちゃん!」
すると、ミーナの背後、口髭を生やし、黒いスーツを着た初老の紳士がその顔を覗かせた。
「……怪異の相談なんでも受け付けるってのを、このお嬢さんから聞きましてね」
「なるほど。どうぞお掛けください。七川、お紅茶を!」
「はーい」
貴重な依頼人を長テーブルに案内して紅茶を出した後。
日和又はさっそく男に事情を尋ねる。
「まずは、ご相談に来た理由からお伺いします」
「はぁ……。実はですな――――」
これに対して依頼人は少し緊張した様子で語り始めた。
話を聞くところによれば、どうやら男はこの一帯では有名な、ある資産家一族に仕える使用人らしい。
天魔町にある別荘の管理を任されていたのだが、高級住宅地にあるそこはいわくつきの場所だったので相談に来たのだという。
「なるほどね。ちなみに、いわくつきっていうのは?」
話を聞いていた七川が素朴な疑問を依頼人にぶつけた。
「それが……」
この問いに、老紳士は口を開く。
「天井から降ってくるんですよ」
「何が降るのだ?」
今度はメギストスが尋ねる。
すると、依頼人は深刻な面持ちで、
「……限定されたものでは無く、例えば傘から本から魚から多種多様です。とにかく色々なものが吹き抜けになった我が屋敷の天井から降ってくるんです。カチカチの冷凍カジキマグロがまるごと一尾、降ってきた時にはわたくしは死を覚悟しました。とにかくこれは、あなた方の言う怪異なのです。そう、怪異に違いありません! 至急ですが、あなた方には我が屋敷の徹底的な調査をご依頼したい。この問題を解決していただけるなら、きちんと謝礼もお支払いいたします」
「ふむ。なるほど急を要するのだな。ちなみに、その現象は……」
メギストスは身を引いて何かを思考するかのごとく顎に手を当てた。
「……」
同時に訪れた沈黙。
そわそわとしながらも、一同は、所長の動向を見守る。
やがて、彼女の口をついて出た言葉は、
「ファフロツキーズだな」
当然、依頼人は困惑して聞き返す。
「ファフ……ロツキーズ!? なんですかそれ」
もちろん、依頼人だけでなく黒服メイドと雑用ミミックも意味不明といった様子だ。
「クリスタル作る会社だっけ?」
「それはスワロフスキーっ!」
これを見かねた日和又は例の文庫本『よく分かる世界の怪異図鑑』を取り出して読み上げてやることにする。
「ファフロツキーズっていうのはその場にないものが無数に降り注ぐ現象を示す用語だ。古くから記述があるみたいで紀元前にも報告されていたらしい。加えて、この現象は世界各地で散見されていて落下物の状態も全く異なるそうだ。ちなみに竜巻や鳥の食べ残し、大量発生とか色々な仮説があるけど今回の現象には、どれも当てはまりそうにないな」
パタン、と文庫本が閉じられると同時に、
「解説キャラおつ!」
相談所メンバーは口を揃えて言った。
「解説キャラって言うなっ!」
虚しく叫ぶ解説キャラを傍目に話は進んでいく。
「まぁ、恐らくそれは怪異の仕業だろうな。だが、実際に行って気配を感じないことには、なんとも言えないというのが本音じゃ」
「分かりました。では、皆さんを別荘へ特別にご案内したいと思います。今日は皆さん、お時間ございますか?」
「えーと」
メンバーは一応、考え込むようなそぶりを見せるが、
「「余りまくってます」」
異口同音だった。
「割りと乗り気に見えますね」
初老の依頼人は苦笑して言う。
「まあな。ちなみにわらわの精霊力を回復させたいというのも相まって――」
「おーっと、そこまで!」
メギストスの口からぽろり、と本音がこぼれそうになるのを日和又は阻止する。
「ふむ……? とりあえず外に車を停めてありますので……。それで行きましょう」
老紳士は少し不思議そうな顔をしたものの、特に突っ込んでくることはなかった。
とにもかくにも、一行は相談所を出ると、依頼人の運転する車に乗り込み、問題の別荘がある高級住宅地へと向かう。