『ミミック』ミーナ
◆◇◆
「ううう……」
日和又が目を覚ますと、そこは怪異相談所だった。
真っ先に目に入ってくるのは、部屋の奥、洋椅子に掛けて湯気の立つ紅茶を飲んでいる七川とメギストスの姿。
どうやらすでにガーゴイルとの戦いは終了した模様。
男の姿も見当たらない。もはや帰った後のようだ。
日和又は嘆息しつつも、ゆっくりと身体を起こした。
そんな折、
「おっ。目が覚めたのか、おまえ」
突然、隣から聞き覚えのある声が掛けられた。
日和又がそれに反応してふ、と目をやると、そこには。
……先ほどのガーゴイルが横倒しの姿で……居た!
おまけにロープで全身をグルグルと何重にも縛られている。
「わあああっ!」
日和又が驚愕して声をあげるのを無視して、それは言う。
「頼む。起こしてロープ解いてくれ! このままじゃ死んじゃう」
「だが、断る!」
「頼むーっ」
「だが、断る!」
「頼むーっ」
「だが、断る!」
「頼みますからああああああああああ!」
「嫌だ!」
「頼みますからああああああああああああああああああああああ!」
「あああ、もう五月蝿いな、こいつっ!」
根気負けした日和又はしぶしぶ、ガーゴイルの身体を起こしてロープを解いてやることにした。
「ちっ、仕方ないな。暴れるなよ!」
意識がまだはっきりとはしないものの、青年はゆっくりとガーゴイルに近づくと横倒しのソレを元の状態に戻してロープを解いた。
「ありがとう。じゃあ、次は背中のチャックをおろしてくれないか?」
だが、ガーゴイルは臆面もなく次の要求をしてきた。
「えっ!?」
青年は懐疑的な視線を彼(?)の背中に向ける。
すると、そこにはチャックが……確かにあった。
「これって……?」
「今は封印の呪文が掛かってて自分じゃ開けられないんだ。お願い」
「ええええ」
「お願い! ボク、絶対に暴れないから……。苦しいんだ」
「ったく……、それ本当だろうな……」
怪訝な顔をしながらも、青年はそのチャックに手をかける。
そして、導かれるかのようにそれをジパーッ、と引き下げてやる。
なんだかんだといって好奇心が勝ったのだろうか。
すると次第に見えてくるのは滑らかな白い肌。
「っておいいいいいいい!」
やがてそこからは、腰まである蒼い髪に、対照的な紅い瞳が特徴の美少女(そう表現するしかない)が姿を現していた。
しかも生まれたままの一糸まとわぬ姿で。
「ふぅわあー。暑かった」
美少女は目を閉じると嘆息し、手の甲で額の汗を拭う。
「うわああ、見えてます! もろ、見えてます! ていうか、おまえ……!」
慌てふためく日和又を前に謎の美少女は言った。
「あ、ごめん。誤解されてたみたいだけど、ボクはガーゴイルじゃなくてミミックだから。ミミックのミーナ。まぁ、擬態してたら気づかないよね。とにかくサンキュー」
あられもない姿を晒したまま、天使のような微笑みを向けてくる少女。
だが、日和又はいたって冷静に、
「ガーゴイルでもミミックでもどっちでもいい。んなことより、とにかく服を着ろ、この変態ロリ娘!」
突っ込みをいれた。
そんな中、メギストスは向かいの異変にいち早く気づく。
「む! 日和又。そなた、勝手に何しておる! せっかく封印した怪異ガーゴイルを!」
「あ……、いや、なんか可哀想だったので……。って確かに。怪異を相手に何やってるんだ、僕は!」
メギストスの一声を聞いて、とっさに我に返った日和又。
だが、時すでに遅く……。
少女はそのくりりとした紅い瞳をこれ以上ないほど大きく見開き、細い腰に手を当てると、小ぶりな胸を張って恐ろしい叫びを上げる。
「くくく。もう遅いよ。催眠術をかけたのさ。にしても、こうもやすやすとボクを解き放ってくれるバカがいるとはね! やはり緊張感というものは大切だよ、メギストス。それが無ければ、このようなありえないミスを犯してしまうのだから。人間は特にねー。せっかくボクを封印したのに残念だったなぁ。アーヒャヒャヒャヒャ。おまえも仲間にめぐまれてない。ワンちゃんコスプレモードを解除したボクはもう無敵なのですよーっ。さぁ、ここからが本当の地獄の始まりです……って、ぐはううううううううううううううっ!」
ミーナが恐怖と混沌に満ちた感嘆文を言い終えることはなかった。
セリフの途中、すさまじい勢いで宙に飛び出した古書がクセ毛たっぷりの彼女の頭に見事、命中したのだ。
突然すぎるこの攻撃を彼女が避けられるはずもなく、ミーナはそのまま卒倒した。
さて、鈍い音を立てたその本は、メギストスがぶん投げたものであることは間違いない。
まるで、事態を予測していたかのようなメギストスの対応に日和又はただただ感心する。
◆◇◆
「とりあえず、一件落着だな」
やれやれ、と汗を拭う相談員、日和又。
「そうだね。ミミックさんには手錠と、ついでに服も着せてあげたよ」
同じく相談員である七川の落ち着いた声が響く。
その視線の先には、目じりに涙を浮かばせるミーナ。
メギストスの言葉どおり、今度はちゃんと服(特注メイド服)を着せられ、暴れないよう手錠で拘束された怪異は、
「ふん、今度こそボクの負けだ! 煮るなり焼くなり好きにしろ! この●●●で××××な野郎ども~っ!」
健全とは言いがたい悪態をついている。
だがどちらにしろ日和又と七川に、この少女を煮たり焼いたりする権利はない。怪異に対する権限は全て所長のメギストスにあるのだ。
恐らく、何らかの手段で異世界へと送り返すのだろう。
「よし……」
しかし、所長の下した決定は二人の予想のはるか上だった。
「おい、ミミックよ!」
「何!? ボクはクリスチャンじゃないから祈ったりしないぞ!」
「いや、この相談所、まだまだ人手が足りん。だからおまえを雑用係として採用しようと思う。というか、そのために貴様を拉致ってきた」
ビシッ、とその人差し指を突き出すメギストス。
「え、なんだって、ボクを雑用として採用……だとっ!?」
ミーナはその目を丸くしていたが、すぐに、
「ふざけるなああああああああああああっ! ボクはこうみえてもそこそこ高貴な家の生まれなんだぞ、雑用なんてやらないっ! こんなオンボロ屋敷でボクを働かせたいならせめて手錠を解いて百万回、土下座しろ、このドラ猫娘っ!」
「じゃあ、この魔法書で異世界に飛ばすだけじゃな。……幸い、さっきの依頼を叶えて多少は精霊力が戻ったから、いけそうだ」
大精霊は、ミーナの目前に『めぎすとすっ!』の書を突き出す。
これを見た途端、ミーナの表情は恐怖に引きつり、瞳は哀願するかのようなそれになる。
「ううう、ごめんなさい。わ、分かりましたよぉおおおおお。でも、せめて肉体労働系は勘弁してくださいっ!」
すると、今度は、
「うむ。じゃあ、愛媛みかんが入ってたダンボールを貸してやるからそれ持って、涼しいお外で暮らせ。恐らくどこかの不審者が気に入――――」
案外、メギストスは加虐嗜好の持ち主なのかもしれない。
「……しっかりと働かせて頂きます」
最初の強気な姿勢からは一転、怪異の弱弱しい声が響いた。
「よろしい」
その返事を聞いた大精霊は満足気な様子で、ミーナを拘束していた手錠を外す。
当然ながら、ミーナが再び暴れることはなかった。
さすがの怪異とはいえ、メギストスには敵わないと悟ったのだろう。彼女の目にはうっすらと悔し涙が滲んでいる。
だが、メギストスは構わず、ミーナに最初の指令を出した。
「よし、ミーナとやら。雑用のそなたにさっそく指令を与える!」
「ううう。何さ!」
「怪異相談所を宣伝してこい!」
「せ、宣伝だと!?」
「そうじゃ。貴様には秘密兵器も持たせる」
「秘密兵器……?」
その目を丸くしているミーナに、
「はい。これどうぞっ」
今度は七川から一着の服が渡された。
見ると、服には前面と背中に怪異相談所の広告看板が取り付けられている。秘密兵器というよりも、まさしくサンドウィッチマンのそれだった。
「とりあえず、さっきは幸運にも客が入った。だが、まだまだ足りん。だから、ミーナ、そなたを宣伝隊長に任命する。それを着たうえで、さっそく向かいの大通りまで行って宣伝してきてほしい!」
メギストスはそう言って、ガラス窓から見える向かいの通りを指差す。
一方、日和又はというと、ミーナを気の毒に思わないこともない。もちろん、怪異である彼女自身の不覚も充分にあるのだが……。
そして、恐らく七川にしても似たような同情の念を抱いているに違いない……と思いきや。
「お客さん最低でも一人は連れてこないと許さないからねっ! あと逃走したりしたら、分かってるよね?」
幼馴染はむしろ笑顔でプレッシャーを掛けていた。
「ううう、貴様らああああああああ! ボクにサンドウィッチマンだなんて、やっぱりふざけるのもいい加減に……って、ぐはあああああああああああ」
次に彼女が何か言いかけたときには、当然のごとく例の古書がつむじに突き刺さっていた。
どうやら怪異にはこれが一番効くようだ。
ブシュッ、と古書を頭から引き抜いたミーナは、
「……ううう、今回だけは甘んじて従ってやるのです!」
恨み節を吐きながらも、用意されたサンドウィッチ服を着ると、そのまま相談所を出て大通りに向かっていった。




