ガーゴイル
◆◇◆
町の住宅地の一角にある、『鈴木』という表札の平凡な二階建ての家。
彼はここで暮らしているらしい。
……問題の『置物』はリビングにあった。
結構な大きさで、小学生の背丈くらいはあるだろう。
「ガーゴイル。それは、ヨーロッパの教会建築の上に飾られた、悪魔じみた恐ろしい石像で知られる怪物です。怪物の名前の由来は、フランス語で「食道」、あるいは「喉」を意味するガルグユからきているということです。教会に飾られる彫像には、神秘的な意味があるともいわれますが、その真意は謎。ただ、その姿は、先に恐ろしい怪物と述べましたが、さまざまな姿で表されるそうで、定まった形はありません。だから当然、このワンちゃんも――――」
『よく分かる世界の怪異図鑑』というタイトルの文庫本を手に、日和又は言った。
「ガーゴイルの可能性がありますね」
「ねーよ」
しぶしぶ三人を自宅へと連れてくるはめとなった男は、問題の犬の置物を撫でながら突っ込んだ。
一方、メギストスはその碧眼で犬の置物を見据えたまま、
「ふむ。ならば、確かめてみるか」
挑戦的に言う。
「確かめる、どうやって!?」
売り言葉に買い言葉だ。
男は胡乱な瞳をメギストスに向ける。
すると、大精霊は突然、自身が着ているメイド服の襟を掴み、鎖骨はおろか、〝縞ブラ〟が見えてしまうくらいまで一気にぐいっとそれを引き下げた。
かと思うと、右手をその中に突っ込んだではないか。
「わっ! メギストスさまっ、急に何をっ!」
驚く日和又を傍目に、
「これが秘密兵器!」
大精霊はやがて胸元からキラリと光る何かを取り出した。
それは一本の細い筆。
「い、一体、それで何を!?」
「昨晩、聖水に浸しておいたこれで……コチョコチョしよう、かと」
「……っ」
思わず倒れそうになる家主だったが、彼女の眼差しは真剣そのもの。
「じゃあ、メギストスさま。お願いします」
「うむ」
日和又の言葉を合図に、メギストスは犬の置物の近くに座り、筆で置物をくすぐりだす。
大精霊と怪異(?)の案外、地味な戦いが始まった。
◆◇◆
「………」
「……………」
「……………………」
「…………………………」
「…………………………………」
「…………………………………………」
メギストスがそれをくすぐり始めてから、三十分が経過する頃。
置物には一向に変化がなく、室内には、なんともいえない気まずいムードが漂い始めていた。
元々、地味な光景なのである。
そこに、どんよりした空気が合わさるとなれば、それこそ非常に息詰まるものがある。
(完全にやらかした……。黒星スタートどころの話じゃないっ!)
口にこそ出さないが、日和又は内心かなりあせっていた。
感謝されるどころか、場合によっては『怪異相談所』自体が、霊感商法として摘発されかねない状況である。
そうなった場合にまた新しい手段を考えるとなると、これは非常に骨の折れる話だ。
壁に掛けられた古時計がボーン、ボーンと正午を知らせ、家主は不機嫌そうに嘆息する。
もはや、切り上げるべきだろうか。
「あ、あのメギストスさま」
相談員、日和又はくすぐり作業を続けているメギストスに仕方なく、撤収の声をかけようと身を乗り出した。
そんな折。
ガタッ!
いままで何の変化もなかったはずの置物が突然、動いた。
か、と思うと。
ガタ!
さらに。
ガタ、ガタ!
もひとつおまけに。
ガタッ!
置物が素早く動き、大精霊から距離をとってきた。
そして。
「おい、さすがにかゆいぞっ、ボクは!」
案外、可愛らしい声でそれは喋った。
しかも、その目は先ほどまでと違い、爛々とした輝きを放っている。
室内の全員が凍りつくのは当然だった。
だが、次の瞬間には、
「しゃ、喋った!」
メギストスを除いた、全員が驚愕の声をあげる。
「ようやく姿を現したか」
メギストスは先ほどの筆をメイド服の内側へとしまうと、今度は手持ちのカバンをガサガサとあさり出す。
やがて、彼女が取り出したのは、見覚えのある一冊の赤い本。
それは当初、日和又が大精霊を呼び出す際に使った『めぎすとすっ!』だ。
恐らく彼女は日和又の部屋から直接それを持参してきたのだろう。
「よ、よりによって、これが……異世界よりの怪異……ですか!?」
「そうじゃ。町に開いた穴から興味本位で上がって来たのだろうな」
メギストスは平然と言ってのけると、分厚い本をパラパラとめくり出した。
一方、正体を暴かれたガーゴイルはウィーン、とメカのように大きく口を開く。
どうやら威嚇しているらしい。
「む」
これを見て、メギストスは本をめくる手をぴたりと止めた。
目には見えないが、怪異と大精霊の間で交わされる殺気、それが日和又たちの間にも、ひしひしと伝わってくる。
一体これからどうなるのか。
彼らが不安げな表情を浮かべた時。
「ターゲット……ロックオン!」
ガーゴイルの口の中で鋭い閃光が走っていた。
かと思うと、まるでバッティングセンターの機械のように、その口から何かがメギストスめがけて高速で打ち出される。
「く……」
打ち出されたそれを、本を抱いたまま間一髪のところでかわすメギストス。
ドグゥオオオオン!
背後から凄まじい音が聞こえて、白い壁に穴が開く。
覚悟はしていたが、戦闘(?)が始まってしまったようだ。
「家の壁に何してくれてんだーっ!」
当然ながら家主は怒りの声を張り上げる。
「え、人間、なんか言いましたか!?」
ぎろりとそちらに無機質な顔を向ける犬の置物、……ではなく怪異ガーゴイル。
その様子に威圧された彼は、
「あ、すみません。続けてくださいませ……」
あっさり引き下がっていた。
さて、先ほどの一撃をかわしたメギストスはというと、未だに本をめくり続けている。
「メギストスさん、そんなことしてる場合じゃない!」
様子を見ていた七川が心配して声をかけるが、
「ちょっと索引タイム」
まだまだ時間がかかりそうだ
「……全く」
そんな折、再びウィーン、とガーゴイルの口が開かれる。
どうやら、こいつは口からガレキ破片のようなものを発射するようだ。
命中すればひとたまりも無いだろう。
このままでは、まずい。
見かねた七川は、回転式拳銃の撃鉄を起こすと、ガーゴイルへと向ける。
幸い、敵はメギストスに夢中で七川にまで注意を払う余裕はないらしい。
「逝ってよし!」
ついに回転式拳銃の引き金が引かれた。
だが、肝心の弾丸が……出ない。
「た、弾切れっ。嘘っ!」
「む!」
声を聞いて、そちらに素早く反応するガーゴイル。
今度は、その身体を七川の方へ向けてきた。
「し、しまった!」
開ききった怪異の口の中、何かが輝きはじめる。
「オワタ」
間に合わない。
そう判断した七川はその目を閉じて一か八かで身を投げ出した。
途端に、強い衝撃が彼女の全身に走る。
ガーゴイルの攻撃が直撃したのか……、いや、でもそれにしては……。
ドグオオオオオオン!
背後で聞こえるすさまじい破壊音。
「大丈夫か!」
まさか。
彼女はその声に反応して、目を開けた。
するとそこには。
「の、昇っ!」
どうやら間一髪のところで、幼馴染の青年は倒れる彼女の身体を受け止めてくれたようだ。
案外、頼れる主人公である。
「そっちこそ怪我はないの!?」
そう言いつつ、七川は身を起こす。
「大丈夫。僕のはかすり傷だ」
「そ、そうか。恩に着るよ、昇っ!」
彼女はほのかにその頬を紅潮させた。
「いや、当然のことをしたまでだ。……そういえば」
自身も立ち上がりながら、日和又は言う。
「ん?」
「おまえDカップもあったんだな」
「…………」
瞬間、幼馴染の表情が冷たく険しいものに変わる。
「ん、どうした?」
「…………」
「あれ、なんでそんな顔に!?」
「…………」
「おい、どうして僕を胸倉を掴んでいるんだ。ま、まさかその右手のグーはっ!」
「…………昇。どさくさにまぎれて揉む、いや、揉みしだくとはいい度胸だねー。ガーゴイルよりも先に殺ってやるよ、てめえ!」
「え、え、え、ちょっ、真面目な戦いの最中だぞ! おまえ本気かよっ! ちゃんとモードを切り替えろよ、Dカップは減るもんじゃないんだよって、わああああああああああああああああああああああああああっ!」
すさまじい打撃音と関節の曲がるような音。漫画などでおなじみ喧嘩スモーク。
こうして青年は誰よりも早く戦闘不能となった……。
結局、日和又がメギストスとガーゴイルの戦いを見届けることはないまま事態は収束した。