第二楽章「●」
走っているうちに、二人はどこか知らない街に来ていた。そこは色のないモノクロームの世界。真っ黒な空に太陽が輝き、ビル群を白く照らしている。
「ここは」
彼女が呟く。振り向いた彼の顔は見えない。顔が塗りつぶされたように、黒い球としか認識できなかった。
「何、これ」
声を漏らす。ノイズがかかって遠く聞こえる。言葉はかろうじて認識できるが声まではわからず、まるで自分の声ではないようだった。
「聞こえますか」
彼も声を出してみるが、やはりノイズ混じりになる。
「まあ、聞こえることには」
「大丈夫そうですね。とにかく、この夢の当事者を探さないと」
「どうやって」
「人一人の心なんて、そう広いものじゃありません。探せばどこかには居ます」
ビルの一軒に立ち入る。中は薄暗い、というより灰色だった。人の気配はなく、かといって埃を被っているわけでもない。ただ今この瞬間のためだけに存在しているような建物だった。一通りの探索をすませると、彼は少し恥ずかしげに言う。
「トイレとか、あるんでしょうか」
「わかりませんよ、そんなの」
「では、外でしてきます」
そう言って階下に降りてゆく。十五分ほど待っていると、再び彼は現れた。
「さっき戻ってくる途中で、すごいものを見つけました。行きましょう」
暗い通路を進み、重い鉄扉を開ける。彼女が中に入ると、彼は後ろ手に錠をおろした。
「それで、すごいものって」
「僕、思ったんです。ずっとここにいて、ずっとこのままでもいいんじゃないかって」
「駄目なんです、このままじゃ。こんな私じゃ」
両腕から血が滲み、傷口から恨み言が溢れ出す。それはただ彼女自身を突き刺すものだった。
「もう、いいんですよ。全ては済んだことです」
「仕事を途中で投げ出すのが、何より嫌いなんじゃなかったんですか」
「だから、もう終わったんですよ」
「あんた、来也さんじゃないね」
彼は見えない顔を両手で覆い、悶え苦しみだした。
拘束を解き、顔に纏わりついた黒を剥がす。来也を救ったのは、亀を追うあの男だった。
「なんでいるんですか、浦戸さん」
「仕事だからな」
「帰ってください。あなたのやり方は間違っている」
「相変わらず生意気だな。俺から逃げ回っていた頃から、何も変わってないらしい」
「変わりましたよ。鏡が使えなくなりました」
「だから大人になったってか。夢の中に囚われている限り、お前は子供のままだよ」
「大人が、そんなに偉いですか」
理解に苦しむ、といった表情で浦戸は聞き返した。来也は怒りを露わにして反駁する。
「子供を見下す大人が、どんだけ偉いのかって聞いてる」
「そういうのは、俺に助けられなくなってから言え」
何も言い返せず立ち尽くすばかりだった。
鉄扉を破り、浦戸が駆けつけた。彼の顔を覆っていた黒を引き剥がす。それは来也とは似ても似つかぬ誰かだった。
「ああ、僕は、僕じゃない、彼だ、彼に、なったのに、取って代わったはずなのに」
世界が崩壊を始める。彼女はどこか、同情してしまっていた。