思いを受け継ぐもの
「――おや、もう終わりでしょうか。酒豪揃いの鍛冶師たちも大したことはありませんでしたね」
澄ました顔でそう呟くのはうめき声をあげて床に倒れ伏した男たちの中心で独り杯を傾ける姉姫アルスフェローの侍女長カレオラであった。自ら手配した酒を男たちに振舞い、みずからもしゃくをしてその場を盛り上げた彼女ではあったが、酒が進むにつれて男たちは次々と酔いつぶれてしまい、残るはカレオラともう一つの酒樽を開けたリュウメイだけになっていた。
そのリュウメイも大分酩酊しており、大きな欠伸をかいて床に座り込んでいる。その彼女に向かい、涼しい顔のカレオラが微笑みかける。
「さすがはリュウメイさんですね、私の知る限り一番度の強い上酒をお持ちしましたのに」
「……いやあこれほどの酒なんてめったにお目に掛かれるものじゃないからねえ、それに挑まれたのならそれに答えるのがあたしらの流儀ってものさ。さすがに眷属か貴族でもなければ、この酒は強すぎるかもしれないけれどねえ」
「そうでしょうね、私たちレゾニアの民はあなた方人間とは違い、炎神の加護を身に帯びています。それはお酒を飲んだ時も同じこと。消化吸収の効率が違うためにそれほど悪酔いすることもあまりないのです。まあ、ものには限度というものがありますけれど」
「それで、目的は果たせたのかい?」
リュウメイの問いかけにカレオラは首をかしげる、彼女は床に倒れた男たちを見回して首を振った。
「それはどうでしょうか、途中からどうでもよくなっていましたからね。おそらく、この男性陣に女の凄さを思知らせたかっただけかもしれませんね」
そう言って笑うカレオラにさすがのリュウメイも苦笑いを浮かべるしかなかった。
「まあ、私も王家に仕えて五百年余り。その間、他人ごとにはとても言えないようなつらいことを数多く経験したこともありました。そんな折、友人に誘われて大陸中の有名な酒処をくまなく歩きまわったことがあるのです。このお酒はそんな時に出会ったうちの一本でしたね。今からもう三百年以上前のことになりますが」
「ハハ、そりゃ年季が入っているね。とてもかないそうにないや」
どうにか腰を上げたリュウメイはまだ酔いつぶれていない男たちや若者たちを呼び集めて男衆を介抱するように指示した。
「まあ、今夜はこれでお開きって所かね。うまさ酒を飲んでぶっつぶれたなら本望って所さね」
「そういっていただけると、私も気持ちがいいですね。また、よい酒が手に入ったらお届けすると皆さんにお伝えくださいまし」
そう言って頭を下げたカレオラに周囲の鍛冶師たちは無言でうなずくしかなかったとか――。
… … …
「あのカレオラ様ってお方はすごい人だねえ、見てて私は小気味よかったよ! あんたもそう思わないか、リュウメイ」
そう言って女衆の一人がリュウメイに声をかける。女性にしては背が高く、威勢のいい彼女は近くの村の棟梁の娘でリュウメイの幼いころからの親友ケイヨクだった。
リュウメイと同世代の彼女はすでに結婚していて男の子ばかり四人の母となっている。今回も家族とともにこの村にやってきた彼女は自ら率先して宴の切り盛りを手伝っていた。
ケイヨクの言葉を聞いたリュウメイは苦笑いで首を横に振る。
「いやあ、さすがにうちのメイシャンの身内だけあって一筋縄じゃ行かないお人だね。父さんの茶飲み友達には敵わないさ」
「男どもが調子に乗るのは毎度のことだけど、やっぱり締めてくれる人がいないとまとまりに欠けるからね。いつもならあんたがやっていることを今年はカレオラ様が引き受けてくれたってだけのことだろう。それともほかに目的があったのかね?」
首をかしげるケイヨクに事情を知るリュウメイはさらに苦い顔をするばかりだ。齢五百年を経てようやく見つけた掌中の珠を激しい感情を持つことで知られるレゾニアの女、それも王族出身のカレオラがそう簡単に納得するとは到底思えない。
この後もまだ彼女の品定めは続くはずだ、しかしあの反応を見ているとそう悪い感触ではなかったように思われる。
――やれやれ、また一つ頭の痛いことが増えちまった。まあうまい酒が飲めるなら望むところではあるけどねぇ。
そう心の中でつぶやいて、寝床に引き上げるリュウメイ。彼女やほかの男たちは朝まで目を覚ますことはなかったそうな――。
… … …
「ふう、私もいささか飲みすぎたようですね。少し一休みしたら引き上げるとしましょうか」
用意された食卓の椅子に腰かけて、片付けが進む食堂の様子を眺めていたカレオラは女衆に交じって忙しく動き回る義娘カンショウをじっと見守っていた。人の一生はあまりにも短い、それ故に人は懸命に日々を生きている。
今はまだ幼さの残るカンショウもいずれは成長して、家族を持つことになるのだろう。たとえ彼女がどれだけ年を経ようともカレオラにとっては愛しい存在であることに変わりはない。
――子を持たなかったことに寂しさはあっても後悔はない。けれど、あの子だけは何としても私が守り抜かねばならない。
それは主アルスフェローの意志でもあり、カレオラの望むことでもある。そんな彼女の思考を断ち切るように一人の若者がやってきた。
「あの――、お呼びと聞きやってまいりました。隣村の長コウカの息子コウソウと申します」
「忙しい中呼び立ててすみませんね、私はアルスフェロー様に仕えるカレオラです。あなたは今夜、我が家の娘カンショウと出会ったそうですね。あの子の印象はどうでしたか?」
静かだが、有無を言わさぬ問いかけにたじろぐコウソウ。一瞬、近くを通りかかったカンショウに視線を向けた彼の顔が照れくささをにじませたのをカレオラは見逃さなかった。
「ええと、かわいい子だなと思いました。それにリュウレイやリュウフォンが可愛がっているって聞いていたし、何より女の身であのリュウメイさんみたいに鍛冶師を目指しているのはすごいなって……」
「そうですか……、あの子もあなたのことは悪くは思っていないでしょうね。わかりました、先ほどはあなたの村の男性陣も巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。後で見舞いの品を何か届けさせましょう、母君や女衆にもよろしく伝えなさい。今夜はゆっくり体を休めるように」
「はい、わかりました。失礼します――」
神妙な面持ちでお辞儀をするコウソウ、まだ少年らしい幼さの残るその顔を目に焼き付けたカレオラは近くに来たカンショウに目を向ける。
「あの、カレオラお義母様。今のコウソウですよね、お二人で何を話していたんですか?」
戸惑いがちなカンショウの問いかけにカレオラは静かに首を振るだけであった。
――この子がいかなる人生を歩むのか、それはこれからのこと。過ちを犯さないように私たちが見守っていけばいい。それが亡くなった村長殿の望みでもあるのだから……。
いずれはわが手を離れるであろうカンショウ、そのことを思いカレオラは寂し気な笑みを浮かべるのであった。
… … …
収穫祭が終わってしばらく過ぎたころ、その日の昼食を終えたカンショウは親方リコウや姉貴分のリュウレイに伴われて、村の中央にある広場までやってきていた。
そこには寄り合い所や共同浴場のほかに、しばらく前に亡くなった村長ゴウケイの旧宅が残されている。時折掃除の女衆が手入れに訪れる以外は人気もなくひっそりと佇むそこにカンショウ達はいた。
「あの、親方に姐さん。私をここに連れてきて何の用があるんですか?」
事情が分からずいぶかしむ様子のカンショウに、親方リコウはリュウレイに先を促した。妹分のカンショウに向き直ったリュウレイは表情を改めてここまで赴いた目的を告げる。
「村長様のご遺志を伝える、ゴウ家の名跡を汝カン家の娘カンショウに継がせたいと言っておられた。今日ここにお前を連れてきたのはその意志を確認したかったからだ」
「それって、私にこの工房を任せるってことですか?」
驚きを隠しきれないカンショウ、彼女はまだ未熟な自分が周囲の人の手助けなしには生きていけないことをよく承知していた。しかし、いつまでもそうしていられないと思う彼女はいつも懸命に生きている。
「そうだ、知っての通り村長のじいさまは天涯孤独だった。孫のゴウエンは先に死んでいたしな。そこでこの村の工房に弟子入りしたカンショウに自分の跡を継がせたいといっていたんだ。もちろん、お前の意思次第ではあるがな。これは姫長様と姉姫様もご存じのことだ。よく考えておけ」
「はい、わかりました……」
そう言って頷く妹分をリュウレイはいつにない真剣な表情で教え諭す。
「家を受け継ぐ、工房を受け継ぐっていうのはそれまであったものが自分になるのと同時に次の世代に受け継がせるってことでもある。私はこの道を選んだことに後悔はない、カンショウも自分なりに考えて答えを出せ」
リュウレイの言葉にカンショウはうなずいて、村長ゴウケイが生きていたころの記憶をたどってゆく。それから彼女がゴウケイの工房を受け継ぐことを決めたのはしばらく後のことであった。
時は流れてゆく、様々な人の思いとともに。その先により良い明日を求めて人々は生きてゆくのであった――。