憂鬱と緊張
しばし時は遡り、華やかな収穫祭の前半が終わり山深い盆地にある鍛冶師の村に人々が集まり始めていた日の夕刻。そこには生業を同じくする近隣の村や谷に住まう者たちも数多く招かれていた。
彼らの多くは亡き村長ゴウケイや名工リュウゲン、そして誰もが認める鍛冶師たちの元締め女傑リュウメイのもとに結束を誓い、山嶺の麓にある町には鍛冶師たちの互助組織もその本部を置いている。
広く北の鍛冶師といっても鉄を溶かし、鉄器を打ち上げるものや使い古された道具類を集めて鋳直すものなど多岐にわたる。古くから人々の生活に密接に絡み合う存在であった彼らもまた六年前に終結した獣使いとの存亡をかけた戦いに大きな影響を与えていたのであった。
今もまた、各村々の重鎮たちは工房の広間へと集まりリュウメイやその父リュウゲンをはじめとする鍛冶師の村の人々とあいさつを交わしている。彼らの中ではリュウレイやカンショウの所属するこの村の工房の親方リコウはまだ若手、しかし幼いころから姉貴分と慕う女傑の背を追いかけてきた彼は若くして名を成していた。
そんな彼に触発されたほかの村の若手たちはその周囲に集まり、お互いの自慢話や今後の宴に関する話題で大いに盛り上がっている。その腕前と自尊心の高さは大陸に並ぶものなしとまで歌われた彼らのやり取りを片隅から圧倒された様子で眺めるものがいる。
言うまでもなく、この場に参加したのは初めての新入りカンショウであった。彼女は鍛冶師の村のある北方の山塊、白の山嶺のはるか南、中原に接する青の山嶺に抱かれた町の生まれであった。
遥かな古来より良質の鉄を産出していた北の鉱脈は既に枯渇しており、新たに南方の数か所で代わりの鉱脈が見つかった。その一つを有する町に住んでいたカンショウの父カンレイは多くの鍛冶師を束ねる頭のような存在であった。
幼いころに母を亡くしたカンショウは武骨な父の手で育てられ、いつしか父の跡を継ぐものと結婚して家業を盛り立てることを夢見ていた。
しかし、そんな思いは戦乱の途絶えない中原よりの軍閥襲来によって呆気なく打ち砕かれてしまった。多くの男たちが武器を取って抵抗したものの戦を生業とする者たちの前には無力であった。
自分も死を覚悟したところに他の町からの来援が到着して事なきを得る。しかし、町は焼け野原となり、多くの人々が奴隷として連れ去られた跡であった。
この世の時刻を垣間見たカンショウが中原の地から消え失せた神の加護を求めて仲間とともに北方の地を目指したのは藁にも縋る思いにも似ていた。
その時、滅びた王家の姫巫女とそれにまつわる人々に迎えられてカンショウは女だてらに鍛冶師を目指すことを志す。それ以来、数奇な運命を経験しつつも日々努力を重ねている。
それは同じく鍛冶師を目指し修行に励んでいた姉貴分のリュウレイと彼女を支える風の末裔リュウフォンに出会ったことに他ならない。
彼女たちに惹かれ、その背を追いかける彼女のこれからがどうなっていくのかはまだ未知数なところが多かったのである。
「はあ――、知らない人ばっかりで何だか緊張するなぁ……。私と同年代の人はさすがに少ないし……」
久々の再会を喜び合う男たち、彼らはこのままこの後工房の食堂に移動して毎回恒例の宴となる。この後は姉貴分たちや村の女衆とともにその手伝いに回るカンショウはそろそろ様子を見に行こうかなと立ち上がった。
そんな彼女の耳元に聞きなれた声が聞こえてくる。
――カンショウ、カンショウ……こっち、こっち……。
突然聞こえた声に驚きつつ周囲を見回すと入り口の方からこちらを手招きする緑髪の少女がいる。言うまでもなくリュウ家の養女で姉貴分の一人リュウフォンである。
彼女はどこか機嫌よさそうに壁から半分顔を出してこちらに呼び掛けている。こういう時は彼女の相棒リュウレイと同じで何かを企んでいる場合が多い。いやな予感を心に感じつつも素知らぬ体でそちらに走り寄る。
「こんなところでどうかしたんですか、フォン姐さん」
「うん、実はねぇ……カンショウに紹介してあげようかなって思ってね。私の友達を」
「フォン姐さんの友達……ですか?」
案外顔が広いリュウフォンではあるが、根は繊細である。それ故に初めて会う人には思いっきり警戒心を抱いて人見知りする癖がある。年下だった自分はそれほどでもないが、異性、それも年上の人になると普通には近づけることはまずない。
そんな彼女の友達とはどんな人たちだろうか?
「うん、今あっちの女房衆がリュウシュンたちと一緒に厨房で料理の下ごしらえをしててね。もうじき休憩に入るからちょうどいいかなって思ったんだ。今ならリュウレイはリュウメイのお供で不在だしね」
「それは好都合ですね、あの人がいると絶対私のことをネタにしてからかうだろうから!」
収穫祭期間中、ふもとの町で受けた仕打ちを思い出し静かな怒りに燃えるカンショウ。それらのほとんどは彼女を可愛がるリュウレイの悪ふざけだがやられる方はたまったものではない。
そんな妹分の背を後押しするリュウフォンはどこかご機嫌であった。
「じゃあ、早速行こうか。みんないい子ばかりだからカンショウもすぐに仲良くなれるよ!」
「だといいんですけど……」
分かりやすい性格のリュウレイは別にしても、この村には年下の子供たちしかいない。同年代の友達がいなかったカンショウはどこかおじけづいた様子であった。
「まあ、誰でも最初はそんな感じだから! さ、早く早く!!」
どこか張り切った様子のリュウフォンに連れられて、カンショウは使い慣れた食堂へと向かうのであった。
… … …
「そろそろ男どもがやってくるころかねえ」
お茶をすすりながら、女衆の一人リシンが建物裏手の長廊下の方を見つめていた。この村に嫁入りした女たちのまとめ役でもある彼女は二人の妹分とともに宴の賄を任されている。
それも厨房を取り仕切る売店主の嫁リュウシュンの存在あってのことであった。
幼い子供たちは村の中央広場にある寄り合い所の方で過ごしている。交代で面倒を見ることになっている母親たちは休憩もかねてのことだ。
先ほどまでこの村にやってきたよその村の女衆たちとにぎやかに過ごしていたリシンにとってはもうじき始まる祭り前の大宴会は毎年骨の折れる大仕事の一つでもある。
しかし、昔から続く恒例行事だけに他の村を主導する立場にあるこの村の面目を保つためにも女たちの頑張りどころであった。
そこにカンショウを連れたリュウフォンがやってきた。先ほどまで手伝いと称して、厨房とこちらを行き来してつまみ食い他をやらかしていた彼女の登場に思わずため息も出る。
こんなことなら家事を得意とする妹分のリュウレイがいてくれた方がよほど役に立つというものだ。幸い、片付けは手伝ってくれるとのことで一安心しているが、それもこのリュウフォン、カンショウがそろうとどこか不安を覚える。
「ねえ、リシン! あの子たちを知らない?」
「ああ、ソンネイ達のことかい? それなら向こうであんたのことを待っているよ」
「うん、わかった。それじゃ、一緒に行こうか、カンショウ!」
「はい、わかりました……」
緊張の面持ちでリュウフォンとともに村娘たちの下へと向かうカンショウを見送ったリシンはふっと顔を綻ばせた。この村の着たばかりのころに比べれば大分打ち解けてはきたものの自分はまだよそ者という意識がどこかにカンショウにはある。
それが少しでも和らいでくれればいうことはあるまい。彼女の将来に期待しているのは一人や二人ではない。下宿先の主である姉姫アルスフェローや彼女に仕える護衛士のルタや侍女長カレオラもカンショウを身内同然に扱っているという。
「さてさて、あの子らはどんな反応示すかね?」
残りのお茶を飲み込んだリシンはそろそろ訪れるであろう男たちの来訪に備えるべく立ち上がり、厨房の方へと足を向けた。