二つの決意と勇気のかけら
「――少し庭園を散策しながら二人で話そうか、フェリナ」
そう言ってこの館の若き領主を誘ったのは姫将軍フェルネートその人であった。既にほかの姉妹たちの姿はなく、執務室にはフェリナの側近とそれに仕える召使執事たちばかりであった。
無言で、フェルネートの誘いに応じたフェリナは長い緋色の装束の裾を翻してそのあとに続く。背の高いフェルネートはフェリナとは頭一つ分もの差がある。凛々しかった祖母レイフェリア王妃や気高きレイアス家の夫人であった母フェレナス、彼女たちによく似た容貌の長姉の後姿はどこか懐かしさを感じさせた。
館を中心に広がる広大な庭園は二人の叔母である姉姫アルスフェローが一から設計を手掛け、その夫である庭師ソウハクエキが造営したものだ。かつて父王に大陸に自生する数多の植物をまとめた辞典作成を願い出て叶えられたこともあるアルスフェローは草木に深い造詣を持つことでも知られる。
妹姫巫女アレアスタ王女こと姫長メイシャンの家族が住まう鍛冶師の村のはずれに薬草園を営む姉姫は折に触れては自らもこの庭園を訪れて手入れを引き受けていた。
今、フェリナたちが歩くその先に咲き誇るのは青い花々。それは亡きフェレナスのためにアルスフェローが咲かせた思い出の花であった。
滅びた中原の王都が健在のころ、末娘のフェリナを国王夫妻にお披露目するためにやってくるフェレナス夫妻のためにわざわざ辺境の地より献上された珍しい花々の中からアルスフェローが厳選したものだった。
しかし、それは大陸の北方。白き山嶺に自生するごくありふれた野草の一つであることをアルスフェローはある人物から聞かされていた。その人物こそがリュウオウやほかの子供たちの父であるリュウシンであった。
鍛冶の名工として知られたリュウゲンの息子であり、鍛冶師たちの頭を務めるリュウメイの一回り年の離れた弟。
フェレナスより生まれたレイアス家の姉妹のうち、実に六人までもが大陸の覇者となったリュウシンとの間に子をもうけている。ともに同じ男を愛した二人の姉妹はいまだ行方のしれないかの者の帰還を心の底で願いながらも日々を過ごしていた。
「お前はどこまで覚悟を決めている?」
先を進むフェルネートがぼそりと呟いた。前を見据えたまま、フェリナはその表情を崩すことなく姉の背を見つめる。彼女の問う覚悟とは何なのか、いやでもわかることだからだ。
それはかつて北方全土を統治した貴族連盟の最高評議会第二位の地位にあった父オスレイ公に通じる思いであった。
千年の長きにわたり、三代の最高議長を頂点として繁栄した貴族連盟の拠点、栄華の都。北方を潤す大河フェレソスの河口に栄えた彼の地は大陸一の娯楽都市でもあった。
多くの人々が集う彼の地は夜を知らない町とさえ呼ばれるほどの富と隆盛を誇っていた。その地を支配していたのは言うまでもなく七人の評議員で構成された評議会であり、彼らを束ねる最高議長であった。絶対の権力を握っていたわけではない、しかし他の追随を許さず歴代の最高議長たちは貴族たちを意のままに操り、大陸全土にその権勢を及ぼしていたと聞く。
フェリナやフェルネートが知る三代目最高議長バフェール・イダムは祖父であるアレンダール王の実弟であり、その優れた政治手腕によって四百年近く王の治世を支えていたのだ。
先の戦いが終わり既に六年近くが経過している、その間北方各地の復興と治安維持を名目に発足した領主連合は姫巫女と姉姫二人の王族の後見を受けたレイアス家の主フェリナ・レイアスを盟主にここまで順調に運営されてきた。少なくとも表向きには。
しかし、先ごろ発生した中原に跋扈する人間たちの軍閥台頭に危機感を募らせる地方領主たちも少なくはない。
彼らはかつて大陸の支配者であった自分たちの立場や権益が奴隷同然であった人間たちによって脅かされることに大いなる危機感を抱いていた。それと同時に本来緩やかな連合体である領主連合盟主のもとに大きな軍事力が集まることに強い警戒心を持っている。
その証拠に南方防衛のために、各地からレゾニア騎士と人間の兵団を集めひと月余りの軍事演習を行ったことに強い懸念を表したものたちも少なくはなかった。
彼らは表立って盟主や王族を批判することはないが、自分たちと変わらぬ一領主が大きな兵力を持つことに対する違和感を揃えて口にしていた。すでに貴族連盟はなく、かつての栄光は過ぎ去ったと言わんばかりに。
若いフェリナには年を経た老練な貴族たちを抑えるだけの権威もなければ、手腕もないと侮っているのは明白であった。
「言うまでもなく、現在のレイアス家の当主はお前だ。収穫祭の期間中は私やほかの姉妹たちも多くの貴族たちと交流を深め盟主への支持を取り付けている。何より、父上や元評議員を輩出した家系はそろってお前を支援してくれる。亡き最高議長夫人のリファーナ様はもとより姫巫女様やアルスフェロー様も心は同じと聞く。後は、お前がどこまで非常に徹しきれるかということだ。私の言わんとすることはわかるな?」
今、混迷を深める北方の地に必要とされているのは強い権限を持ち貴族や人間たちを統率する盟主の存在だ。そのためにはより独裁性を帯びた権力を構築していく必要に迫られるだろう。
そして何より各地の民から多くの税を集め、時には彼らを兵士に仕立て上げて死地に送り込む冷酷さも求められる。
全ては人々の生命と財産を預かり、守り抜く覚悟を問われている。庭園の中心、少女の像を持つ噴水の前にたどり着いたフェリナはまぶしい日の光を受けて輝くその光景に目を細めていた。
そんな彼女の口からフェルネートの待ちわびていた言葉が紡がれたのはしばらくしてからのことであった。
「フェルネートお姉さまのおっしゃることはよく理解しております、かつてこの地からあの方を送り出したその日から私の、そして私の家臣たちの思いは変わっていません。私の命はあの方の残したものを守り育むために使うと。そのためならどんな試練困難にも耐えて見せる。それは私たちリュウ家の女すべてに共通する思いですわ、お姉様も変わりはないのでは?」
逆に問いかけられたフェルネートは一瞬呆気に取られたのちにふっと笑みを漏らした。
「ふふ、そうだ。その通りだな……」
フェルネートは妹に並び青い空をまぶしそうに見上げて呟く。
「いつかあいつが戻ってくるその時まで、私たちは頑張るのみだ。愛しいわが子や領地領民、あいつが守り抜いたすべてをこの手で守り抜くことが私たちの思いでもあるのだから」
「ふふ、お姉様らしい言葉ですね。でも私も思いは同じですわ……」
遥かに年の離れた二人の姉妹はしばし青空を見上げて、佇んでいた。その表情にはもはやどこも躊躇いなどなかったのである――。
… … …
庭園の片隅でフェリナたちを見守る二つの影がある、それは騎士姫の異名を取るフェイアネスと銀髪の公女と名高いフィルセミナの姉妹であった。ともに栄華の都を巡る戦いに参加した彼女たちもまた盟主としてのフェリナの成長に期待していた。
「ふふ、少し心配になって見に来たけど大丈夫そうだな。フェリナの奴は」
「あの子は私たちの中で一番お母様に似ているわ、だからこそ父上もあの子に家督をお譲りになった。私たちも心を一つにしてあの子をこれからも支えてゆきましょう」
朗らかに笑い合う姉妹を片隅から見守るのはいまだにうじうじした思いをアルカフーオであった。そんな彼女を同胞たる歌姫たち、召使ウルと双子の歌姫ミオサウルとカリビアネオが強引に後押しする。
「ほら、今が絶好の機会だから行ってきなさい!」
「自分の思いを相手に伝えなければ、一生後悔するのはあなたなのよ!」
「そうそう、伝えてから改めて考えても十分に間に合うから!」
「……死ぬ気で行ってきます」
仲間たちの声援に背中を押されたアルカフーオは今にも死にそうな表情で歩き出した。それを見た三人は思わずため息をつきたくなるものの、彼女も心情もわかる分成り行きを見守るばかりであった。
その会話を聞いていたよく日に焼けた褐色のフェイアネスは破顔して姉のフィルセミナを促した。
「ところで姉上、待ち人がようやく来てくれたようだよ。私はもう行くから」
「……ええ、またあとでね」
やや緊張した面持ちのフィルセミナが振り返るとそこには顔を真っ赤にして小刻みに震えるアルカフーオの姿があった。
「え、えーと、話したいことがあるんだけど、少しいいかな?」
「ええ、どうぞ……」
「い、いつも自分の役目に一生懸命なフィルセミナがだ、大好きです。けど、あまり根を詰めすぎないで。あなたに何があったらフィルラミルやほかの家臣たちも心配するし、何より私が一番つらいから――」
そこまで行って一旦言葉を区切ったアルカフーオは大きく息を吸い込んで、叫ぶように声を張り上げる。
「何でも一人で抱え込まないで時に私を頼って! 何があってもフィルセミナのことを支えて見せるから!!」
周囲に響き渡る大声、自分が風の民であることさえ忘れかけていたアルカフーオは思わず赤面する。そんな彼女をフィルセミナは優しく抱きしめていた。
「ありがとう、いつも笑顔で私を迎えてくれるあなたの存在は私にいつも勇気をくれています。だからこれは私の気持ち――」
一つに重なり合う影、それを見た風の乙女たちからは微かな悲鳴が上がっていた。これより政務官フィルセミナはますますその手腕を発揮していくことになる、その傍らには常に緑髪の補佐官アルカフーオの姿があったという――。
… … …
「ふ、あっちはあっちでうまくいったようだな――」
互いに肩を抱き合う姉とその側近の晴れやかな表情をうらやましそうに眺めるフェイアネスは空を仰いで、ふと表情を曇らせる。
――あいつはいつ目覚めるつもりか、全く手間のかかる奴め。
後で看病している息子のもとに顔を出そう、そうすれば何かが変わるかもしれない。そんな思いを胸にフェイアネスは庭園を去っていった。
その頭上には心地よい風が吹き抜けていた――。




