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宴の後に~それぞれの道へ~  作者: ミニトマト2
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風の迷い子

 強い西風が絶え間なく押し寄せる、それは一日も途切れることなく高い山々に囲まれた谷間の高台の周囲を吹き抜けていた。ごうごうと大きな音を立てて風が流れゆくその先に石造りの丈夫な家が数軒立ち並んでいる。


 周囲を切り立った岩山にさえぎられたその場所に人がたどり着くのはほぼ不可能であった。


 事実、その地に住まう者たちには普通の人間にはない秘められた力を扱うことが出来た。彼らはもともとこの世界の住人ではない。今から十年以上前に起きた戦乱とほぼ同時期にこの世界へと連れて来られた者たちだった。


 世界が仮初めの平穏を迎えた後、あるものは村から外の世界へと出てゆきあるものはこの地に残り、細々とした暮らしを営んでいる。


 この世界に来て、新しく生まれた子供たちもいる。まだ幼い彼らがどんな運命を歩むことになるのか、知るものは無かった。



 … … …



 風が吹いていた、ずっとずっとその昔から。


 耳に聞こえるそれは子守歌のようでもあり、どこかへと誘う導きの歌声のようにも聞こえていた。少し前に病弱だった母親は亡くなってしまった、そのことを理解するにはまだその子はあまりにも幼すぎたのだ。


 風の中に多くの人々のざわめきが聞こえてくることもある、その中にとても懐かしくて大好きだった母の声を聴いた気がした。


「お母さん」


 幼い女の子はぽつりと言った。その近くには誰もいなくて、彼女一人だけだった。


「お母さん――」


 女の子はもう一度呟いた、ふわりとその小さな体が宙に浮かび上がる。外に吹き荒れる風はさらにその強さを増して、大きな音を立てている。


 風にその身を委ねた女の子は目をつむった、次に目を覚ますときに大好きなお母さんが目の前にいることを夢見ながら――。



 … … …



「楽しかった、収穫祭も今日で終わりか……。明日からまた仕事を頑張らないといけないな」


 よく晴れ渡った青空の下、高い山々に囲まれた盆地の中央にある村のあぜ道を黒髪の少女カンショウが歩いていく。年のころは十五、六、華奢で背は低いが整った面立ちをしている彼女は村の中央にある広場を目指して歩いていた。


 今朝は久々に年上の姉貴分たちと待ち合わせして朝の風呂を楽しもうというのだ。この村には炎を司る神の加護が満ち溢れている。その恩恵を受けるのが、生活に欠かすことのできない炎や熱、明かりを使うことであった。


 村の寄り合い所の近くに建てられた共同浴場も村外れの森の中を流れる小川から引いてきた水を適温に沸かして、一日中好きな時間に利用できるように無料で開放されている。


 常に体を清潔に保ちたい女性たちにとっては実にありがたい恩恵だと言えよう。


 おまけにこの村には古くから鍛冶の工房が軒を連ね多くの名工たちを輩出した歴史がある。現在も大陸各地の物流を一手に握る商人組合の協力のもとに建設された工房で若手鍛冶師たちが自慢の腕を振るっている。


 カンショウは工房に新しく弟子入りした見習いであり、もう一人の姉貴分は先日ようやく独り立ちを果たして先輩鍛冶師たちに加わった。とはいえ、まだまだ二人とも駆け出しで個人で仕事の依頼を受けることは出来ず当分の間は工房の仕事を最優先で片付けねばならない。


 普段なら、毎朝鍛錬代わりに東の峰の頂を目指して遠駆けをしているものの、毎年この時期に開かれる収穫祭に専念するためにお休み中。各地から大勢の観光客がこの山奥の村に訪れているため、若いカンショウ達はそれに対応する村の女衆の手伝いに追われていた。


 それも今日で終わる、これほど大きなお祭りはカンショウにとっても初めてのことで楽しいひと時は文字通りあっという間に過ぎていくものなのだと改めて実感する。


「姉姫様にお義母様たちも今日はなるべくゆっくり過ごしなさいって言ってくれたし少し羽を伸ばしてみようかな」


 村外れにある自分の下宿先の主、今では大陸中原の戦乱により身寄りを亡くした自分を家族のように扱ってくれる人々の顔を思い浮かべたカンショウは思わずほほ笑むのだった。


 空を飛ぶ小鳥たちのさえずりが耳に響いてくる、それもこの村に来てからはごくありふれた日常の一つに過ぎなかった。


 立ち止まって、つがいで森へと飛んでいく小鳥たちを見上げたカンショウの視界の端に見慣れないものが映る。それはまるで風に流される木の葉のようにふわりふわりとこちらの方に近づいてくる。


「あれはなんだろう……小さな子供にも見えるけど――」


 目を凝らして眺めているとそれは村の上空で静止して、きょろきょろ周囲を見回し始めたではないか。やはり改めて観察してみるとそれはまだ幼い子供、それも緑色の髪と瞳を持つ女の子のように見えた。


 おまけにカンショウはその子供に見覚えがあった、あれは確か姉貴分の一人風詠みの歌姫リュウフォンの亡くなった従姉妹の墓参りに風の村を訪れた時のことだったはずだ。


 亡くなったその従妹には二人の幼い娘がいた、そこまで思い出してその片方であったことを思い出す。


「ねえ、ちょっと! あなたイルルちゃんでしょ!? そんなところで何しているの――!!」


 カンショウの叫び声を聞いた女の子、イルルは一瞬だけ視線をこちらに向けたかと思いきや次の瞬間には風を纏って姿を消していた。


「あれ、いなくなった……? じゃあ、あれは間違いなくフォン姐さんの親戚の子だ。どうしよう、あの村からここに一人でやってくるなんて……。とりあえず姐さんやナルタセオさんたちに知らせないと!!」


 とりあえず先に村の広場についているであろう姉貴分たちのところへと向かうカンショウ。その背中には先ほどの女の子、イルルがぴたりと張り付いていたのだった――。



 … … …



 ――今、歌声が聞こえたような……。


 緑髪緑眼の女性らしい体つきをした少女が空を見上げている。白く滑らかな素肌を白く長い布地を巻き付けただけの彼女の名はリュウフォンという。風の加護を受ける一族に生まれ育った彼女がこの世界にやってきたのは十年と少し前のことであった。


 この村で古くから鍛冶師を営むリュウ家に引き取られた彼女は父と慕う名工リュウゲンの義理の娘となってリュウフォンの名前を与えられた。そんな彼女の隣にはもう一人の黒髪の少女がいる。


 短く刈り揃えたその後ろ髪はリュウフォンが風の刃でいつも整えている。気の強そうな顔立ち、背は高くしなやかに鍛え上げたその肉体はまるで野生動物のように引き締まっていた。黒髪の少女はリュウフォンとほぼ同時期にリュウ家に引き取られて二人は気の合う姉妹というよりはお互い欠かすことのできない相棒として生きてきた。


 少々問題を起こしがちな彼女を宥めたり叱ったりしてうまく制御するのがリュウフォンの役目でもあった。


 村の寄り合い所の前で、待ち合わせた妹分カンショウの到着を待ちわびていた彼女たちは当の本人が息を切らせながらこちらに向かってくるのを見つけてようやく長椅子から立ち上がった。


「お――い、遅いぞカンショウ! 何やってたんだよ」


「なんだかすごく慌てているね、何かあったのかな?」


「……大変です、姐さん! 私とんでもないものを見ちゃったんです!!」


「むしろ大変なのは今のお前の方だろ……」


 全力で駆けてきたせいか、腰を折って荒い呼吸を整えるカンショウを見た黒髪の少女が意地の悪笑みを浮かべる。そんな相棒をたしなめるのはいつもリュウフォンの仕事であった。


「リュウレイったら、そんなふうにいうことないじゃない。カンショウだって理由があってのことだろうし」


「理由ってその背中に抱えたもののことだろ? だから笑ったんだよ」


 リュウレイが指さすとおり、カンショウの背中には小さな女の子がぴたりと張り付いて周囲の景色を物珍しそうに眺めていた。


 それを見て驚いたリュウフォンがふわりと浮かび上がって、カンショウの背から女の子を抱き上げる。


「あ、この子ってもしかしなくても……」


「フォンの従姉妹シレルレオネの下の娘、イルルレーアっていう名前だったよな。確か」


「一人だけでこんなところまで来たっていうの? 信じられないな――」


 風の村にはほかにもイルルより年上の子供が二人ほどいるが、その子たちは空を舞うことは出来てもそれは大人の手助けがなければ到底できないことであった。


「お母さん――」


 リュウフォンの胸元に抱かれたイルルが小さな声でそう呟いた。小さなイルルはまだ生まれて二歳を少し過ぎたほど、そんな幼子が一人で風に乗って山をいくつも隔てたこの盆地の村にやってきたこと自体が信じられない出来事であった。


「仕方ないな、このままにしてはおけないしとりあえずうちの母屋に連れて行って何か食べさせてやろう。母屋にはナルタセオやラセルエリオ、それにカロルレギオもいるからきっと相談に乗ってくれるさ」


「そうだね、子供たちも受け入れてくれるといいんだけど……」


 気がかりがないわけではないが、イルルに罪があるわけではない。リュウフォンは胸に抱いたイルルの頭をやさしく撫でて頷いた。


「今からおうちに行こうね、みんないるからさみしくないよ」


 それを聞いたイルルはうんと頷いた。イルルは笑うこともなくただ不思議そうにカンショウやリュウフォン達を見つめていた。


「この前、会った時からリュウフォンのことが忘れられなかったのかな? まあ気持ちはわからないでもないけどさ」


 相棒に抱かれた小さな女の子に笑顔を向けるリュウレイがそう呟いた。案外子供は大好きな彼女はこの状況を楽しんでいるのかもしれない。


 そんなことを思いながら、リュウフォンはリュウ家へと続く道の先に視線を向けていた。


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