08
翌日、イトナは朝早くからフィーニスアイランドの世界に降り立っていた。
今日のスケジュールは夜になる前に男性恐怖症の治し方を調べること。幸いにもそのことについてはアテがあった。あるんだけど……。
「セイナさん。今日少しだけ外に出ていいですか?」
「なんで」
イトナの前には最強の門番が立ちはだかっていた。
昨日に引き続き不機嫌なセイナはギロリとイトナを睨む。
「ニアに男性恐怖症の治し方について相談したいってお願いしまして……」
昨日ラテリアが帰った後、女の子の悩みに詳しそうなプレイヤー、ニアに相談をメッセージで持ちかけた。
ニアはホワイトアイランド最大の女の子限定ギルド 《サダルメリク》のギルドマスターで、イトナの知っている人の中で最も女の子に詳しいプレイヤーである。
連絡を取ったら二つ返事で相談に乗ってくれると言ってくれたけど、「いつも私がそっちに行ってるんだから、たまにはイトナくんが遊びに来なさい」と言われてしまったのだ。だから、なんとかセイナを説得してサダルメリクのギルドホールに向かわないといけない。
そんなわけで、説明をしたんだけども……。
「ダンジョンに行くわけじゃないから……」
「外に出たいなら後六日待ったら?」
誠意を込めた丁寧語で攻めるが、セイナは相変わらずセイナだった。ここまでNPC相手に尻に敷かれているのはイトナぐらいかもしれない。
ラテリアのクエストも乗り気ではないようだし。尚更だ。
断固外出禁止を曲げないつもりでいるセイナにもはや説得する余地は無かった。
「……」
なら、しょうがない。
ニアともう約束しちゃったし、ラテリアの依頼も受けてしまった。だから……。
セイナに気づかれないように座っていた椅子からそっと腰を上げる。アサシンのごとく息を潜めて出口を目指す。
「……? イトナ?」
「セイナ、ごめんっ!」
自慢の敏捷ステータスを存分に発揮し、超スピードでギルドホールの脱出を図る。
「ッ!? ちょっとイトナ!?」
普段素直に従っているイトナの突然の反抗に驚いたのか、呆気にとられたセイナの声が聞こえた。
セイナが反応した頃には既にイトナはドアを開き切って、一歩外に踏み出している。
NPCでLv1のセイナはどうひっくり返ってもイトナに追いつく事なんてできない。力づくで引き止める事ができないセイナは声を上げることしかできなかった。
「もうっ!」
最後にセイナの怒った声がイトナの背中を叩く。
……帰ったら全力で謝ろう。
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幻想都市リベラ。名前の通り現実から離れた夢のように美しい風景が広がるこの都市は、女の子やカップルのデートスポットとして絶大な人気を誇っている。
そんなリベラのワープゲートはイニティウムとは違って施設の中ではなく外に配置してあり、ワープした瞬間から幻想的な世界を一望することができる。
イトナはイニティウムからワープゲートをくぐり、リベラの三つあるワープゲートの一つから顔を出すと、早速花の香りが鼻に触れた。
ワープゲートを囲うように広がる水辺が陽を反射させてキラキラ輝く景色を見渡しながらニアの姿を探す。待ち合わせの場所はリベラのワープゲート付近。まだ少しだけ余裕のある時間を確認して、周りの風景を楽しむことにした。
朝の少し早い時間。イニティウムに比べれば劣るけど、ちらほらとプレイヤーの姿が目に映る。イトナと同じようにここで待ち合わせて、朝からダンジョンに向かうところなのだろう。
その面々のほとんどが女の子。そして纏う装備はかなりの高等。イニティウムを拠点にしている一番のギルドを挙げるならリエゾン。リベラならサダルメリクになる。
サダルメリクは女の子限定ギルドだけど、リエゾンと違ってバリバリの戦闘ギルドで、現在ギルドランキング二位に君臨する上位ギルドの一つでもある。きっと、ここにいる人たちのほとんどがサダルメリクのメンバーなのだろう。
風景を楽しむ予定が自然とプレイヤー観察に変わる。ここで一番強そうなプレイヤーはあのラビットヒューマンとエルフのペアだろうか。頭の上から生える長く、途中で折れた耳を持つプレイヤーと長いエルフの耳を持つプレイヤー。
亜人と言ってクラスとまた違うステータス。特定のクエストをクリアしたり、稀少なクラスに昇格するとなることができる。ラテリアのクラスである天使が稀少な亜人の一つだ。
亜人になる利点は特定のステータスが上昇しやすくなり、そのクラスでないと習得できないスキルもあること。もちろん欠点もあるけど。
「お待たせっ! 待った?」
突然の女性の声に思わず振り返る。
「いや、俺も今着いたところ」
それに対して和風の装備をした男性が応える。
「今日はどこに行く?」
「《古代王の秘密墓地》なんてどうだろう。俺たちのLvに丁度いいし」
「えー。そこって怖いモンスターいっぱい出てくるところじゃなかったっけ」
「大丈夫大丈夫。俺、もうすぐでLv.90だし余裕だって。それにお前は俺が守ってやるから」
「本当? 頼もしいー! でも私はもうLv.90だけどねー」
「え、マジ? 上がるの早くね!?」
そんなやりとりをしながらも手を繋ぎ、お熱い雰囲気を振り撒きながら二人仲良くワープゲートを潜って行いく。
そんな二人を眺めていると、不意にトントンと後ろから肩を叩かれた。反射的に振り向くとほっぺたに何かが刺さる。指だ。
「おはよ。イトナくん」
ほっぺに刺さった指をぷにぷにさせながら悪戯に笑うのは自分より二つ年上の女の子。白の上着に水色のチェック模様をしたスカート、ファンタジー世界の学生服をイメージさせたような装備を纏うニアがすぐ隣に立っていた。
「お、おはよう」
突然のニアの近い顔にギクシャクしながらもなんとか挨拶を返す。
「ごめんね? 結構待ったでしょ」
「いや、僕も今着いたところだよ」
さっきの男女と同じような返しをすると、ほっぺに刺さっていた指を今度は鼻の上に置いてきた。
「嘘ね。私、待ち合わせ時間よりも少し遅れちゃったもん。イトナくんいつも十分前には来るから結構待ったんじゃない?」
ニアの指摘通り、イトナはいつも十分前行動を心がけている。このキチンとした行動はセイナの言い付けの影響だけど、今日に限っては違う。
「ううん。実は僕も少し遅れちゃって。本当に今来たところ」
「ふーん。なにかあったの?」
「まぁ、ちょっとね……」
遅れた理由はセイナにある。でも、この場で話すようなことでもないし、セイナのせいにするのは心が痛むので話を濁しておく。
「ニアの方こそなにかあったの?」
ニアがイトナの十分前行動を知っているのは、ニアの方が先にいることが多からだ。そんなニアが遅れてきたのだから、きっとニアの方もなにかあったに違いない。
「いつものことよ。ギルド以外の友達と会うって言ったらうちの子達騒ぎ出しちゃって……男だなんだって」
ああ、なるほどとイトナの中で納得する。
ニアのギルド、サダルメリクは女の子限定ギルドだからそういった浮いた話が好きなのかもしれない。といってもニアとイトナはそんな関係じゃ無いけど。
「仲のいい男の子と会うって言ったらあの子達、そいつコロスコロスうるさくて」
え、なんで? コロス!?
「早めには出てきたんだけど撒くのに少し時間がかかっちゃったのよ」
「撒くって途中まで着いてきたんだ……なんか僕のサダメリのイメージが変わったよ」
とても残念な方向に。
「イトナくんがうちの事どうイメージしてるか知らないけど、女の子だけだからって華やかって訳じゃないのよ?」
「え、そうなの?」
「むしろ逆。女の子って裏表激しいし、裏はどす黒いんだから。イトナくんも気をつけ無いとダメよ」
「うん……」
真面目に言われて素直に頷いておく。セイナはその辺あまり無さそうだ。というかセイナの場合裏と表が逆なのかも知れない。表がツンで、裏がデレみたいな。
「さ、いつまでもここにいると邪魔になるから行こう。はい」
「え?」
ワープゲートの前にずっといる事を指摘されると、おもむろに腕と腰にスペースを空けて、はいっと突き出してきた。ニアのそのポーズはなにを求めているのか分からず、疑問の声を上げてしまう。
「だってイトナくん、さっき腕を組むカップルを羨ましそうに見てたから私と腕組みたいのかなーって」
「そ、そんな事思ってないよっ!」
顔を赤くして否定すると、ニアが余裕の笑みを零す。完全に揶揄われている。
「あら残念」
ニアはいつもこうなのだ。慌てるイトナを見て喜んでいる。ニアはそんな戸惑うイトナを見て満足したのか、「じゃ、行こっか」と言って先に歩き始めてしまう。
こう揶揄われ続くと、動揺してしまう自分をなんとかしたいと思い始めてくる。平然と流せればいいけど、いちいち反応しちゃうから面白がられているのだ。今度は上手くやろう。そう思いながらイトナもその後に続いた。
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リベラのワープゲートからは二股に別れた道がある。一つは綺麗に整備された石造りの道で、もう一つが水辺の上にかかった木製の橋の道。イトナ達は石造りの方を歩いていた。
これを道なりに進んだところにサダルメリクのギルドホールがある。
その道中すれ違うプレイヤーは全員女の子。その全員がニアに挨拶を交わしてきた。
「お、おはようございます。ニアさん」
「おはよう」
「ニア様、ご機嫌よう」
「うん。ご機嫌よう」
挨拶されたプレイヤー一人一人に笑顔で挨拶を返すニア。挨拶する面々の中には緊張が滲み出ている人もいる。
「流石、有名人だね」
「皆んなうちのメンバーだからよ。リベラじゃなかったら挨拶なんてされないんだから」
リベラにいるプレイヤーのほとんどがサダルメリクのギルドメンバー。それを抜きにしてもホワイトアイランドでニアが超の付く有名人なのは変わりない。
サダルメリク、通称サダメリは珍しい女の子限定ギルドに加えて、上位ギルドの一つ。そのギルドマスターとなれば自然と有名人になる。更にニアはホワイトアイランドの 《ペンタグラム》の一人でもあるのだ。
ペンタグラムとは、フィーニスアイランドの公式運営が決める各アイランドのトッププレイヤー五人に与えられる称号。つまりニアはホワイトアイランドの中で指五本に入る実力を持つ凄いプレイヤーなのだ。
この容姿で地位、実力がトップクラスの彼女を知らない人なんてこのホワイトアイランドには本当の初心者くらいしかいない。それ故に男性プレイヤーはもちろん、女性プレイヤーからも大きな人気を誇っている。
「きゃー。どうしようニアさんと挨拶しちゃった!」
「私も! 緊張した~」
その証拠に、さっきすれ違った女の子達の黄色い声が後ろから聞こえてくる。もうここまで来ると憧れのアイドルと街中で出会ってしまったような反応だ。
「でも隣にいたの男の子? 誰?」
「さっき騒いでる人いたけど、あの人のことかな」
「うわ。あれ、うちのギルドホールに向かってない?」
「ご愁傷様ね。まだ若いのに……」
不吉な声も聞こえてきた。
「ねぇニア……」
「大丈夫よ。あの子達よりイトナくんの方がずっと強いから」
ニアも聞こえていたらしく、平然とした顔で大丈夫と言ってくる。
イトナの方が強いって言うことは、本当に襲ってくる可能性があるということなのだろうか。とある理由で今は有名では無いけど、イトナもまたニアと並ぶペンタグラムの称号を与えられている。だから簡単にやられたりはしない自信はあるけど、やられるやられないの問題ではない。
それに、これは一対一ならの話でもある。本気のサダメリ集団が襲ってくるところを想像すれば多勢に無勢、一方的にやられる未来しかみえない。
「やっぱり今日はサダメリじゃなくてどっかの喫茶店とかにしない?」
イトナの場所変更の提案にニアは渋い顔をする。
「え。外のお店はやめといた方がいいわよ。この前テトに誘われて喫茶店に行ったんだけど、リエゾンの新聞部に盗撮さちゃって、その日のうちに記事にされたんだから。ほんとイヤになっちゃう」
有名人は色々と大変のようだ。その時の事を思い出したのかニアが本当に嫌そうな顔になった。因みにテトというプレイヤーもまた、別の有名ギルド 《黎明の剣》のギルドマスターであり、ペンタグラムの一人でもある。そんな二人が会っていればスキャンダルになってもおかしくは無い。
「あ、でもイトナくんとなら……」
ニッコリとした顔がイトナに向けられる。
面白いかも。なんて思ってそうだ。
ギルドホールに行っても行かなくても、どちらにせよ厄介ごとになりそうだった。
「ギルドホール、行こうか……」
「そう?」
もう、すぐ目の前にあるサダルメリクのギルドホールを見て、イトナはギルドホールに行くことを選んだ。
次回は明日の20時投稿です。