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そこは暗い部屋だった。己の姿さえも全て溶け込んでしまいそうな闇。そんな場所がイニティウム時計塔の最上階に存在した。
「只今帰りました。オルマ様」
なにも見えない空間にその声が行き渡る。微も空気を揺らさず姿を現したのは一人の女性プレイヤーだ。黒い軽装で、この空間に目が慣れているオルマでも、目を細めないと姿を捉えることが叶わない。
「ご苦労だった。五十鈴。夜分遅くにすまないな。本当なら私か、他の男に任せたかったのだが……」
労いの言葉を掛けながら腰を上げる。今の時間は深夜三時半。人に、しかも女の子に物を頼むには遅すぎる時間である。
「いえ、今回は高度な隠密行動が必要とされる依頼。このリエゾン報道部部長である私にしか務まらないと、任務中に何度も存じました」
片膝を折り、頭を下げる五十鈴を見下ろす。
五十鈴への依頼の内容はイトナとナナオ騎士団がぶつかる一部始終を動画に収めてくるというもの。オルマはナナオ騎士団が今回のNPK事件の犯人と確定出来たのは、イトナよりもだいぶ早い段階でだった。
「しかし、よく分かりましたね。ナナオの犯行と」
「こんな荒事をしでかして、気の荒い上位プレイヤーが集まるのはホワイトアイランドにはナナオしかいない。動機だけが不透明だったが、イトナ関係と的を絞った私の予想が当ってよかった。あの妖術師はイトナにご執心なのは昔から知っているからな」
「流石でございます。だからイニティウム捜索中、私はイトナ様の監視だったのでございますね」
そう。捜索の最終日、イトナに監視を付けていたのだ。理由は言わずとも五十鈴も理解している。今後のリエゾンの、オルマの野望のためである。
情報の収集。長い時間をかけて、リエゾンは上位プレイヤー達の情報を集めてきた。その中で、イトナというプレイヤーだけは特別に情報が薄い。最上位、ペンタグラムの実力があるイトナの情報は、喉から手が出るほど欲しいのだが、今や表舞台に出なくなったイトナの情報ははなかなか掴みづらい。
表舞台に立っていた、パレンテの時代でさえもイトナは目立った行動は見せていなかった。古いイトナを見てもオルマが思うに、常にイトナは本気を出していないように見えた。そんなイトナが本気を見る絶好の機会が今回だったわけだが……。
「それで、どうだった」
「一部始終は映像に抑えて参りました。ですが、イトナ様には気づかれてしまいました。尾行を始めてものの数秒で……。面目もございません」
それはオルマの想定通りの報告だった。イトナが相手では仕方がない。どうせ見つかっても放って置かれると予想は付いていた。現にイトナからの苦情は届いていない。
「イトナの戦闘が撮れていれば十分だ。でかした」
「あの……」
「まだ何かあるのか?」
朗報を受け取ったはずなのに、浮かない声が五十鈴の口から漏れる。
「申し上げにくいのですが、オルマ様の期待されている映像は撮れていません」
「ほう。ナナオでもイトナの相手には役不足だったか」
「半分はその通りだと思いました。あの玉藻相手に銃を抜かず、双剣で相手をしていましたし……。もう半分はサダルメリクの乱入で幕を閉じましたので」
「これはとんだネタバレを食らったな」
「も、申し訳ございません!」
オルマから察した失言に、五十鈴は下げていた頭を更に下げる。オルマ的には冗談で言ったのだが、五十鈴には伝わらなかったらしい。
「冗談だ。顔を上げろ。今回結果はそれ程興味はない。その過程だ。五十鈴もクラスのポジションはイトナと近いだろ。五十鈴はイトナを見てどう思った」
「先ほど申し上げた通りイトナ様の底は見えませんでしたが……自分とは次元が違うと思い知らされました」
「そうか」
それを聞いて、オルマの顔が緩んだ。不思議と嬉しかったのだ。オルマの野望を叶えるには、イトナは高い壁となって立ちはだかる可能性がある。
それでも、オルマの知る過去に見た最強のイトナが健在なのを知って、湧き上がるこの感情。それは戦いを捨てたオルマが、まだ黎明の剣に所属していた頃の、戦いに飢えていた時となんら変わっていないことを証明していた。
「オルマ様、笑い事ではございません。私のポジションで言えば他にも、サダメリのエルフと黎明のガトウがいます。余計憂鬱になりました……」
「なに、そう弱気になる必要は無い。それに、簡単に目的を達成してもつまらんだろう」
もともとは四年前の無念を晴らすためにオルマはリエゾンのマスターになったのだから。
「見てろよ。バグ勇者」
オルマは思い出す。あの屈辱的な四年前のテトとの出来事を。




