04
狭く、天井が低い部屋に場所が変わる。あまり入ることのないパレンテホールの二階。この場所は一応イトナの寝室という事になっているのだが、普段使用することはない。おかげで埃が積もり、少し動くだけで舞って視界を悪くする。唯一綺麗な場所は自分のベッドの上だけだ。
前に、セイナに定期的な掃除を頼んだことがあるけど、自分の部屋くらい自分で掃除しなさいと怒られてしまった。一応パレンテホールの掃除と言う名目でセイナを雇っているはずなんだけどおかしな話である。
でも今はそんな事はどうでもいい。ベッドと、丸いテーブルが一つずつしかない質素な部屋を見渡して、取り敢えずテーブルの上に薄く積もった埃を払う。他の掃除する時間はない。急いで通話ウィンドウを開いた。
「あ、繋がった」
その声の主の瞳がウィンドウいっぱいに表示されている。牡丹色の瞳が一つ、それはイトナの姿を捉えて細める。
「さてイトナくん。ゲームは楽しかったかな?」
近い。
通話を繋げてすぐの感想はまずそれだった。
「コール……さん?」
こちらを覗き込むようにして見つめる家庭教師の顔は、これでもかと言わんばかりに顔を近づけていて片方の瞳しか映っていない。それでも少し怒っていると表情が読み取れる。
「あら、さん付けなんて他人行儀じゃない? いつもみたいにコールって呼んでくれて大丈夫よ?」
「うん……えっと、コール怒ってる?」
いつもと変わりない調子だけど、含みのある言い方に念のため確認をとる。
「怒る? イトナくんにはそう見えるの? なんでかな?」
確実に怒っていた。近づけた顔は離してくれないし、ニッコリした目は何故か笑っていない。
「ご、ごめんなさい……。遅れたのは色々理由があって……」
「理由? 聞きましょう」
そこでやっと顔を離してくれる。
大きな瞳が遠ざかっていき、コール全体の顔が映る。綺麗な長い髪と、凛とした顔立ちは妹のラテリアには無いものだ。それでも瞳だけはやっぱり瓜二つのもので、やっぱり姉妹なんだなと納得させられる。その瞳が「理由をどうぞ?」と語りかけて来た。
特にやましい事はない。包み隠さず、さっきまでの出来事を語った。コールも元フィーニスアイランドのプレイヤー。そしてペンタグラムでもあった。きっとイトナの話を十分理解してくれるはずだ。そうイトナは思って疑わなかった。
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「なるほど。つまりイトナくんはLv.90くらいの格下プレイヤーをボコボコにして遊んでいたと」
結果、全然分かってくれなかった。
「全然違うよ!?」
「あはは。冗談よ。有名人も大変ね。でも私がもうすぐ来るって分かっててゲームを始めちゃうのはどうかと思うけど?」
「ごめんなさい……」
反論もなにもできない。コールの言う通り、そもそもイトナが街を出てダンジョンに潜ってしまったのが悪い。
「何回も電話したんだよ? いつもイトナくんは遅刻とかしないから私の電話が壊れちゃったのかと思ったんだから。まぁ、お説教はここまでにして……。聞いたよー。莉愛……じゃなかった。妹がパレンテに入ったんだって?」
今日はこのことを話したかったと言わんばかりに、コロリと顔色を変えて話を切り出してきた。
助かった……。ありがとうラテリア。心の中で感謝の言葉を送っておく。
「うん。先週からね」
「凄いじゃない。あの子、本当に男の人ダメなのに。正直心配だったの。このままずっとああなのかなって。でもよかった。流石イトナくんね」
うんうんと頷くコール。
「いや、僕はほとんど力になれなかったよ。むしろ危ないことに巻き込んじゃって……」
「あ、聞いた聞いた。あの彷徨う大蛇の洞穴に落ちたんだって?」
そう。誰も攻略したことのない難関ダンジョン、通称 《未開地》に落ちたイトナとラテリアは壮絶な冒険を二日かけてすることになった。
ラテリアの男性恐怖症が良くなったのはこれがきっかけだったみたいだけど、それは偶然で結果的にだ。下手をすればもうダンジョンから出られない可能性だってあった。
脱出できたのもイトナの力だけじゃない。最後、倒れたイトナを守りながら、頑張ってダンジョンを抜け出してくれたのはラテリア。だから、男性恐怖症が良くなったのはイトナのおかげではなく、ラテリア自身の頑張りがほとんどだろう。
「最後はラテリアに助けられたよ。僕は毒でダウンしちゃってたし」
「ふーん? その話は聞いてないなー。あの子ったら毎日同じ話をするの。イトナくんがーって。でね、面白いのが話が日に日に話が大袈裟になっていくの」
「どういうこと?」
「最初はイトナくんが数十匹のヘビを一瞬でやっつけちゃったー。なんて言ってたけど、日に日にヘビの数が増えていって、昨日なんか数千匹のヘビを一瞬で倒した。ってことになってたんだから」
「それは……凄いことになってるね」
思わず苦笑いしてしまう。
数千匹のヘビはきっとリトルガンドのことだろう。確かにあの時はかなりの量だったと思うけど、実際は累計しても五十匹いるかいないかくらい。数千匹はちょっと……いや、かなり盛りすぎじゃないだろうか。
「そうそう。あそこでスキル使えるようになったんでしょ? ってことはいけるんじゃない? ヨルムンガンド攻略」
「んー。どうだろ。まだ問題は結構あるよ。今回は運が良かったのが大きかったかな。ヨルムンガンドより、単純な力比べのトゥルーデの方が攻略が近いかも。準備と皆んなの都合がつけばだけどね」
フィーニスアイランドの会話が弾む。普段は軽く話をする程度だけど、最近ラテリアからずっとフィーニスの話を聞かされたようだからその影響なのかもしれない。
「あー。いいなー。私もまだやってたかったよー。攻略もいいけど今年は 《グランド・フェスティバル》じゃない? パレンテももちろん出るんでしょ?」
そうか、もうあれから四年経つのか。
グランド・フェスティバル。四年に一度開かれるフィーニスアイランドで最も大きな大会。第一回ではパレンテがホワイトアイランド代表のギルドとして出場し、ホワイトアイランドの優勝に大きく貢献した。コール達と過ごしたフィーニスアイランドの思い出の中で大きな物の一つでもある。
「いや、今のパレンテには僕とラテリアしかいないし、セイナを合わせても三人しかいないから無理、かな」
残念ながら出場はとてもできる状態じゃない。大会に出場するにはギルド内で六人のパーティを作らないといけないからだ。四年前はセイナの名前を借りて実質五人でなんとか出場できたけど、今はそれも不可能。
「それは残念だなー。あ、じゃあテトくんとニアちゃん、あとオルマくんに入ってもらったらいけるんじゃない?」
サラッととんでもないことを言われた。
「む、無理だよそんなの。皆んなギルドマスターやってるし……。テトとニアのところが多分代表になるだろうから………」
コールが知っているプレイヤーで、今も卒業せずにいるのは、たまたまその三人だけだったのかもしれないけど、多分その三人が現ホワイトアイランドのペンタグラムなのだ。絶対にありえないけど、もしその三人がパレンテに加入したら最上位ギルドのバランスは大変なことになる。パレンテはホワイトアイランドの代表待った無しだ。ほぼ理想に近いドリームパーティーに思わず微妙な表情を浮かべてしまった。
「テトくんが黎明でニアちゃんがサダメリよね。未だに強いんだ。変わってないのは嬉しかも。オルマくんのところは出ないの?」
「多分出ないと思うよ。あそこは今も昔もイベントには参加してないから」
オルマ。リエゾンというホワイトアイランド最大の巨大ギルドを束ねる彼はなぜか目立つことをとても嫌う。名前さえも伏せていて、存在は有名なはずなのに名前も姿も世間にあまり知られていない、謎多きリエゾンのギルドマスターとされている。
さっき、〝多分その三人が現ホワイトアイランドのペンタグラム〟と濁したのはオルマが現在もペンタグラムを維持しているか定かではないからだ。
パレンテの四人が卒業してからペンタグラムの称号は自動的に他のプレイヤーに移り、それから入れ替わりで称号を持つプレイヤーが変わっていった。それが落ち着いたのがニア、テト、オルマなのだ。
ペンタグラムは誰かとは公開されていないため、本人のステータスを確認するしかないんだけど、なにぶんイトナもオルマとは数年会っていない。
だから世間でペンタグラムで知られているのはニアとテトとあと一人の三人だけで、引退したと思われているイトナがペンタグラムと知っているのは一部のプレイヤーのみ。表に姿を出さないオルマのことはリエゾン内でも上層のプレイヤーぐらいしか知らないのかも知れない。
「ふーん。じゃあ、あと一つの有力候補のギルドは?」
一つのアイランドに出場できる代表ギルドは三つ。残る一つも予想はついている。
「コールがいた時は有名じゃなかったギルドなんだけど、ナナオ騎士団ってところかな。今ギルド序列一位だし」
「序列一位って……黎明とサダメリより上ってこと?」
「数字的にはそうなるね」
ナナオ騎士団。パレンテが解散した後の時代、急速な成長を遂げたギルドである。一年足らずで序列三位まで上がり、今年に入ってついに一位までのし上って見せた。そして、ギルドマスターはペンタグラムの一人でもある。
周りはナナオが最強と言っているけど、イトナから見れば三ギルドとも強さは拮抗しているように見える。
序列はギルド戦の結果で決まるけど、ニアのいるサダメリは勝つではなく、負けないギルド。ナナオとは引き分けが続いている。
テト率いる黎明は、エースとも言っていいテト本人がギルド戦にここ半年参加していない。そのせいもあってか、黎明はナナオ戦で負けが続いてしまっている。だからナナオ騎士団が一位なのだ。
「じゃあ本当にパレンテは出ないのね」
この三つのギルドが飛び抜けてると伝えるとコール本当に残念そうな顔を浮かべた。もし仮に人数が揃っても代表になるのはほとんど不可能だからだ。
「今回は応援を頑張るとするよ。ラテリアも、そんながっつりなプレイヤーじゃないしね」
「そうね。あの子運動会とか苦手なタイプだもん」
フィーニスアイランドの話も区切りがついて、よしっとコールが腰を上げ、カメラの角度もそれに合わせて上がる。
「二人が楽しいならそれで良しだね。あ、あと私の可愛い妹を泣かせないでよ? いくらイトナくんでも許してあげないんだから」
「え、うん。セイナとも仲良くやってるみたいだから大丈夫だと思うけど……」
男性恐怖症も治ったし、最近は普通に会話も……あれ、そういえばラテリアと一週間くらい会っていないかもしれない。直近のラテリアを思い出そうとしても、一番新しいのはパレンテに加入した時のものだ。
でも、たまにフレンドリストからどこにいるか確認するけど、いつもパレンテのギルドホールにいる。きっとセイナと話が弾んでいるのだろう。うん。全然問題ない。
「そう? 今日言いたかったのはそれだけ。私の可愛い妹を頼んだわよ?」
「うん。それは了解なんだけど……」
「ん? なに?」
もう今日は終わりと、カバンを持っていかにも出かけようとしているコールを呼び止める。
「勉強は?」
「………………イトナくん」
「はい」
「やっと私のボケに気づいてくれましたね?」
いや、今素で帰ろうとしてましたよね? 心の中でツッコミを入れておく。それでもコールはこれはギャグですと言わんばかりに、平然とした表情を崩さない。
コールは基本しっかり者だけど、たまに抜けてるところがある。ラテリアも少し似たところがあるし、やっぱ姉妹なんだなと実感した瞬間だった。




