14
翌日お昼前、ちょうどお腹が空き始めた頃合いを見て、イトナは少し思い切った提案を出してみた。
「今から……ですか?」
「うん。まだ難しい?」
昨日セイナに言われた通り、もう次の段階に進んでもいいかもしれない。それにここ毎晩現れるストーカーも今は居ないのが理由だ。もしかしたらストーカーは夜にしかログインできないのかもしれない。
今日は土曜日。明日も休みではあるけど、この休みを逃したら外に出る機会はまた一週間後になってしまう。
昨晩色々考えた結果、ラテリアが男性恐怖症が治ったらやってみたい事の一つ、ラーメンを食べに行くを切り出してみた。だけど、いまいちラテリアの反応は良くない。
「注文は僕がするからさ。どうかな?」
「それなら……。はい。よろしくお願いします」
まだ不安そうな面影。それでもラテリアは立ち上がった。
それを見てイトナも腰をあげると、セイナはメガネをつけて本を取り出した。
「あの、セイナさんも一緒に……」
「私は行かないわよ。外食嫌いだから」
「え、でもそしたら私とイトナくんの二人っきりになっちゃう……」
「嫌なの?」
「嫌じゃないですけど……それって、デー……」
気まずそうにこっちの様子を見るラテリア。ラーメン屋となると、店内は男性客がほとんどかもしれない。セイナが行かないってことは最悪女の子はラテリアだけになっちゃう可能性もある。それを気にしているのだろう。
「やっぱりまだやめとく?」
「い、行きます! 行きましょう!」
よくわからないけど、胸の前に拳を作ってなにかを決心したかのように宣言するラテリア。
「途中で辛くなったら言ってね。無理は良く無いから」
「はい……」
ここで無理をしてやっぱり男の人はダメだったとなると、その新しい失敗の記憶は今後、男性恐怖症克服の大きな足枷になってしまう気がする。
勇気を出して挑戦してみて失敗したら、次挑戦する勇気さえ削いでしまうと思うから。だからここは慎重に行きたい。
「じゃあ行ってくるね」
「ん」
本当に興味なさそうな返事をセイナから貰って、久々にギルドホールから外に出た。
外出禁止令が出てから初めての外。いや、正確には二度目の外。懐かしい外の空気がとても美味しく感じられる。やっぱり外はいいものだ。そう思いながら、どこのお店に行くかまだ決めてない事に気づく。
「あ、ラーメンは何味がいい?」
「……」
「ラテリア?」
隣を見ればラテリアの姿がない。振り返ると、三歩。いや、五歩程離れた場所を歩いていた。
「あ、なんですか?」
振り返った僕に気づいて反応するラテリア。離れすぎててイトナの声が届いていなかったらしい。
「隣、歩かない?」
「隣……ですか」
歩く足を止めると、ピタリとラテリアもそれに合わせる。一歩近づくと、一歩後退した。まるで同じ極の磁石のように。
そうだった。目を合わせて話せるようにはなったけど、近づく練習は全くしていなかった。
「とりあえずはぐれちゃうといけないからパーティは組もうか」
新たな課題を見つけながら、ひとまずの対応策を提示する。パーティを組めばお互いどこにいるかマップに表示されるから、とりあえずそれでなんとかしよう。
「大丈夫……です」
「え?」
唇をキツく結んだラテリアが勢いよく前進してきた。ちょうどイトナの隣でピタリと立ち止まると。
「目を合わせて話せるようになったイトナくんなら。大丈夫です」
涙を含んだ目でイトナを見つめてくる。反則的な破壊力に思わずイトナの方が後退しそうになってしまう。
「ほ、本当に大丈夫?」
「はい! 良くなってきているんです。男性恐怖症。今の私ならこれくらい……」
大丈夫。のようには見えないけど、男性恐怖症が良くなる流れに必死に乗っかろうとしている。
無理はよくない。でもラテリアがその気なら無理に止めさせる理由も無い。本当の本当に無理そうならそれとなくイトナから距離を取ってあげることにしよう。
「ラテリアはなにラーメンが食べたい?」
「つけ麺、食べてみたいです。食べたことないので」
「つけ麺かぁ」
つけ麺があるラーメン屋さんあったかな。実のところ、イトナはこの世界のグルメにはあまり強くない。醤油ラーメンだったら適当なラーメン屋さんでいいと考えていたのは甘かったようだ。
「私、つけ麺の美味しいお店知ってます」
「あれ? ラーメン屋入ったことないんじゃなかったけ?」
「チェックはしてるんです。いつか入ってみたいなーって思って」
「なるほど」
「ちょっと歩きますけど……いいですか?」
「うん。せっかくだし、そこ行ってみようか」
慣れた足取りで裏道を先行して進むラテリア。男避けに徹底していた成果なのか人通りの少ない道をしっかりと把握しているようだ。
しばらく歩いて、足が止まる。
「ここです」
「……ちょっとハードル高くない?」
着いた先にある店を見ると、赤いのれんに黒の筆字で 《漢魂》と書かれた店。漢と書いて〝おとこ〟と読むこの店は、ラテリアにとって地獄のような場所かもしれない。
「大丈夫です……注文はイトナくんがしてくれるんですよね?」
「それはもちろんするけど……本当に大丈夫?」
「はい。入りましょう!」
言葉とは裏腹にその場を一歩も動かないラテリア。
「入りましょう!」
熱い視線をイトナに送ってくる。先に入ってくれってことだろうか。とりあえず前進してみると、その後をぴったりとついてきた。
「へいっ! らっしゃい!」
威勢のいい男勝りの声が僕たちを歓迎する。それに驚いたラテリアが後ろでビクリと震えた。
「二名様で?」
「はい」
「空いてるカウンターに」
まだ混み合う前だったのか、店内にはまだ客は少ない。カウンターの一番奥に進む。
「ラテリアは一番奥に座って」
「はひ!」
天敵の巣穴に潜り込んでしまった小動物のように、体を小さくして、キッチンを警戒しながら席に着く。そんなラテリアを見守りながらイトナも隣の椅子に腰を落とした。
ラテリアを一番奥に座ってもらったのは隣に座るのがイトナだけになるように。気休めの配慮だけど、ラテリアはもうそれどころじゃないらしい。出されたお冷にさえ怯えている。
「つけ麺二つで」
「はいよっ! つけ麺二つ!」
「ひっ……」
「あはは……」
いちいち全てに反応するラテリアに苦笑してしまう。こんな調子で食べ終わるまで持つのか心配になってきた。
「大丈夫?」
「大丈夫です。これはお水です……」
本当に大丈夫だろうか。
次の店員の声に身構えるラテリアを見守りながら数分。
「お待ち!」
カウンターに二つのつけ麺が置かれる。途端、魚介系のいい匂いが広がった。これにラテリアは驚く事なくラーメンを見つめる。
「イトナくん。ラーメンです! テレビと同じラーメン屋さんのラーメンです! グルグルがあります!」
目の前のラーメンに感激するラテリア。
「グルグル? ああ、ナルトか。確かに家でだとあまり入れないよね」
「嬢ちゃん。うちのラーメンは初めてかい?」
「え?」
突然店の人に声をかけられてラテリアが硬直する。死後硬直のように。死後十時間くらいには硬直していた。
「いやぁ。そこまで喜んで貰えるとこっちも嬉しくてな。うちのラーメンは男の味だ。存分に味わってくれ」
固まったラテリアを見てなのか、前衛プレイヤー顔負けの筋肉モリモリ店員がサムズアップを残してキッチンの奥へ消えてしまった。
「男の子の味……ですか?」
違う方向で言葉を捉えたガーンっとラテリアは青ざめた顔でラーメンを覗いている。
「イトナくん。私、これから男の子を食べちゃうんですか……?」
「いや、食べるのはラーメンだけどね……」
極限状態で意味のわからないことを口にし始めたラテリアにとりあえず割り箸を割って渡す。
「食べよ。きっと美味しいから」
「そ、そうですね。いただきます……」
麺をつけダレに運び、なにか不安なのか匂いを嗅ぐ。害がないことが確認できたのか、ついに口の中へ……。
「どお?」
どこか難しそうな表情でモグモグするラテリアを見て少し不安になる。せっかく頑張ってここまで来たのに、美味しくないなんて言われたらどうしよう。
「……イトナくん大変です」
「ん?」
「大変美味しいです!」
ラテリアは目を輝かせてそう言うと、夢中で麺をすすり始める。どうやらラテリアの口に合ってくれたようだ。
実際、この店のつけ麺は絶品だった。何度かつけ麺は食べたことがあるけど、今までで一番美味しいかもしれない。
「こんなに美味しいものを食べて太らないなんて、やっぱりフィーニスアイランドは最高です!」
来て良かった。そう思えるほどにラテリアからは満足の言葉が次々と漏れる。
「あ、そうだ。ラテリアこれ」
あまりにも美味しいつけ麺に話すのを忘れるところだった。この後の予定にと思っていたクエストの依頼書を取り出す。
「これは……クエストですか?」
「うん。ラテリアお金ないって言ってたからこの後どうかなって」
クエストの内容は 《ノコノコ山脈》に生息するノコノコという稀少なモンスターを捕獲するというもの。
本当に稀少なツチノコをイメージした蛇型モンスターで、捕まえるのは無理かもしれないけど、もし達成すれば百万リムと大金の報酬が貰える。一攫千金クエストだ。
「あっ! お金……」
忘れてた! とラテリアの視線が前に置かれた伝票に移る。どうやら自分がお金を持っていなかったのを今思い出したらしい。
「僕が誘ったし、お金は僕が払うから大丈夫だよ」
「すみません……すっかり忘れてました……」
自分の失態に落ち込みながら、イトナの渡したクエストの紙を手に取る。
「それに、ほら。このクエストを達成すればお釣りが出るほど貰えるし」
「でも、ノコノコってモンスター凄い珍しいんですよね? 前に聞いたことあります。全然見つからないって私も見たことないです」
「うん。まぁ、そうなんだけどね。でも見つからなくても気分転換になると思うし。最近ずっと家の中にいたしさ。気楽にやってみない?」
半分イトナの外出禁止令に付き合わせてしまったのもあって、多分ラテリアもここ最近外に出てないはずだ。羽を伸ばしにダンジョンに潜りたい気持ちもあるけど、イトナのレベルとラテリアのレベルでは離れすぎている。
そこでこのクエスト。ダンジョン攻略では無くレアモンスターの捜索ならお互いに楽しめるだろう。そんな考えで、今朝セイナに取ってきてもらった。
「そう、ですね。はい。なんだか面白そうです。ずっとパーティを組んでモンスターを倒すクエストしかやってなかったのでたまには」
「じゃ決まりだね」
ラーメンが食べ終わって、次の予定も決まったところで席を立つ。
「あの、イトナくん……」
「ん?」
「また一緒に来てくれますか? ラーメン」
「え? うん。ここのつけ麺美味しかったよね。また来ようか」
「はい! 私、このお店のおかげで男の子のことが少しだけ分かった気がします」
「え? なんで?」
「男の子は美味しい味がするって!」
「多分違うと思うけど……よかったね」
そんな会話をしながら混み合ってきた店を出ると店の外にはもう列が出来始めていた。あの美味しさなら納得の人気店。早めに来てよかった。
予想通り列は男のプレイヤーばかり。イトナはラテリアを庇うようにして店から離れようとすると、数人のプレイヤーがイトナ達の前を塞いだ。
「あれー? 偶然。ラテリアちゃんじゃん」
「あ……」
店から出てくるのを待ち構えるかのように、そこに五人の男グループがいた。ラーメン屋の列に並んでるわけでもなく。とても不自然な場所に。
「知り合い?」
「ちょっとだけ……」
複数人の男から向けられる視線に耐えられず、ラテリアが少したじろぐ。
「いやー、ラテリアちゃんさー。最近俺の誘い断られちゃってるけど、用事ってその人と?」
派手な金の鎧を身につけた男が一歩前に出てくる。このグループのリーダーなのだろうか。気取った話し方をしながらラテリアに近づいてきた。
すかさずその間に割り込む。ラテリアが後ろでイトナの服を握った。
「うん。ちょっとラテリアからクエストを受けててね」
「ふーん。クエスト? ラーメン食べに行く? 随分面白いクエストだなぁ」
金ピカが笑い出すと、合わせて他の四人も笑う。
小馬鹿にした好戦的な態度を取って、イトナを見下した。どうやら金ピカは喧嘩を売っているらしい。自信に満ちた雰囲気で威圧してくる。
ここでニアの話しを思い出す。きっと、怖いと感じる場面はこれなのだろうと。そう思った。仮にイトナのレベルが低かったとしたら、この金ピカの事を怖いと感じていたのかもしれない。でもそれは仮の話で、実際はイトナの方が圧倒的にレベルが高いのだろうからそうは思わないけど。
「ごめんごめん。冗談だって。で、クエストって?」
無言でいるとやっぱり気になるのか、笑いを含みながらクエストの内容を聞いてくる。
「悪いけど、人に話せるようなクエストじゃないんだ。これから行くところがあるし、もういいかな」
感じが悪いプレイヤーだ。あまり関わらないほうがいい。特にラテリアには天敵だ。そう判断して場を離れようとすると、すれ違いざまに肩を掴まれた。
「ちょい待てって。俺だってラテリアちゃんの友達だし、むしろ俺たちがそのクエスト受けるよ。ラテリアちゃんも俺たちのがいいよな?」
「え……? いや、その……」
「ほら。ラテリアちゃんも君より俺らのがいいって」
「怖がってるじゃないか」
「怖がってる? ラテリアちゃんが? 俺に? あー。君、ラテリアちゃんのこと全然知らないでしょ。ラテリアちゃんは人と話すのが苦手でね。肯定も否定もしなかったら大体イエスなんだよ」
なんだそれ。そうやって今まででラテリアをパーティに入れていたのだろうか。
ともあれ、ここではいそうですかと引き下がるわけにもいかない。気づかれないようにして、ラテリアにパーティの申請を送る。
金ピカたちに聞こえないように念話をしたい。そのためには同じギルドかパーティに所属していること、または相互にフレンドの登録をしている必要がある。まだラテリアとフレンド登録をしていないことを後悔した。
イトナのパーティ申請にラテリアが早く気づいてくれたおかけで、すぐに即席のパーティが結成される。
『ラテリア大丈夫?』
『はい。なんとか……』
街の中ではダメージを与えることもできないし、パッシブスキルを除くスキルは使用できない。だから怖がる必要は無いのだけど、ラテリアはそういう問題じゃ無いのだ。
この場の解決方法を考える。
ゲームらしく狩場争いのように試合を申し込む。プレイヤー対プレイヤー、PVPの力尽くで黙らせるか。それとも逃げるか。
ぱっと浮かんだ案はこの二つ。でも結果的にどちらも良くないように思えた。
もし五人相手にイトナ一人で勝ったとして、ラテリアはイトナのことをどう見るだろう。怖くなってしまわないか。この五人から逃げて、やっぱり男の人が苦手と強く思ってしまうのでわないか。
どうすれば一番いいのかなかなか決まらない。
『あの、私なら大丈夫です。イトナくんのおかげで男の人も大丈夫になってきましたし、今日はこの人達と一緒にパーティを組みます。だから明日からまた……』
震えた声でラテリアが言う。
『いや、ダメだよ』
そもそもそんな選択肢はハナからイトナの中にはない。それにそんな震えた声で言われても。尚更はい、じゃあまた明日なんて言えるわけがない。
『……よし。逃げよう。テレポステーションまで走って、それから予定通りノコノコ山脈に。走れる?』
『でも……』
『大丈夫。今日逃げて、後でなにかされそうになったら僕がなんとかするよ。こう見えても僕、強いから』
四年前の功績だけど、イトナは一応頂点にまで上り詰めたパレンテの一員だ。無名のプレイヤーに負けるほど、落ちぶれてはいない。その証拠に運営からのトップ五のお墨付きも貰っている。
『すみません。私のせいで……』
『ラテリアのせいじゃないよ。じゃあ、いちにのさんで走り出すからついてきてね』
『はい!』
『いちにの……』
後ろはラーメン屋。右にラーメンの列。前に金ピカたち。残りの左に視線を向ける。
『さんっ!』
思いっきり地面を蹴る。突き抜けた自分の敏捷ステータスを生かして、一気に進む。
「おい!?」
幸いにもここからテレポステーションまでは近い。中に入って人混みの流れに混ざってしまえばもう追っては来れないはずだ。
後ろにちゃんとラテリアがついてきているのを確認しながら路地にはいる。
飲食店がよく並ぶこの区間はこの時間どこも人が多い。うまく走り抜けられるほどの道を探して目的地を目指す。
『イトナくん! 後ろから……!』
『わかってる。でもここまで来ちゃえば……』
テレポステーションはもう目の前。中に入ってしまえばもうイトナたちを探すことは難しい。
二人並んでテレポステーションの施設に飛び入ると中は想像通り、人で埋め尽くされていた。
ここまで来ればもう大丈夫だ。
休日のでレポステーションの人波にイトナとラテリアが一旦別れる。
『じゃあ予定の場所で合流しよう』
念話でそう伝えて、なんとか一難凌いだ。




