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夏の魔法  作者: 真知
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1話 明音の憂鬱

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ〜」


「ありがとうございました。またお越しくださいませ〜」



様々な匂いが交差する店内を、ネズミのようにちょこまか駆け回る。

どんなに忙しい日であっても、脂の浮き立つ顔を、1日に3度は整え、常に同じ顔で振る舞う。

口角のあがったその顔は、仮面なのではないかと思わせるほど、寸分の狂いもなく、今日も全ての客に注がれている。




藤島明音あかねは、飲食チェーン店のチーフマネージャーである。

この仕事ももう長い。

いつの間にか時は過ぎ、今年で8年目。


『そりゃあ歳も取るわよねぇ…』



休憩室の鏡の前で自分の顔をマジマジと見つめながら、明音は溜め息混じりに独りごちた。



――こんなに自分の顔をちゃんと見たのは久しぶりではないだろうか。


仕事柄、化粧は毎日何度も直さなければならないが、いつも忙しい中で休憩を取るため、飲むように食べ物を腹に流し込み、残った数分で、笑顔のキャンパスに忙しく色を重ねるだけなのである。顔の分析をしてる猶予など、数秒もなかった。



今日は休日にも関わらず、珍しく客足が悪かった。台風が近付いているせいだろう。外の様子は寂しげで、人の姿はほとんどない。


「今日はあんまりお客さんこないし、早くあがっていいわよ」


アルバイトの学生を数名帰し、店内はわたしと店長だけになった。


普段の仕事中はなかなか出来ないが、今日は客もいないんだ。


明音は休憩室に入って腰を下ろし、煙草に火をつけ、深い一服をする。



そんな時、たまたま鏡が目に入ったのだった。


映し出された顔は、昔とどこも変わっていないはずだったが、目尻にはうっすら笑い皺が出来ており、口角を持ち上げた時に出来る皺には化粧が溜っていた。ふっくらとした小さな顔は、化粧を重ねた分だけ年齢よりずっと歳を重ねているように見えた。

イマドキの25歳からは程遠く、『2児の母』といっても通用しそうなほど、疲れと貫禄に満ちた顔だった。



この現実は、明音に相当なダメージを与えた。いつまでも若いまま、昔と変わらないままだと思っていたのに、確実に月日は流れていることを実感したのだった。




もともと好きで始めた仕事ではなかった。ただ、大学生にしては時給がよかった。ただそれだけ。

大学入学のために田舎から出てきた明音は、アルバイト情報誌で見つけたこの店でアルバイトを始めた。


“時給900円”


危険な重労働ではなく、脱いだり触られたりしない仕事の中で、900円はなかなかいい。

「どうせバイトすんなら飲食店がいいなぁ〜。なんか美味しいもの食べられるかもしれないし〜」

なんて考えていた明音には、まさにうってつけの仕事だった。



働いてみると、意外と性に合っていることがわかり、結構楽しかった。

つくり笑顔もいつの間にか板につき、愛想を振り撒くことを知った。

文句を言って悪態をついてくる客にも、

「申し訳ありません」

と今にも泣き出しそうな表情で許しを乞い、その場を丸く収めることを覚えた。



「明音ちゃんがいるから今日も来たよー」

と言ってくる常連客もいた。

その度に明音は、

「ありがとうございま〜す。また来てくださいね〜」といつもの満面の笑みで応えた。


「明音ちゃん今日何時に終わるのー?デートしようよー」

と誘いがかかる日も多かった。

その度に明音は、

「ありがとうございま〜す。でも今日は遅いからまたの機会にぜひ〜」

と少し申し訳なさそうに微笑んで、その場をやり過ごした。



いつの間にやら、明音はその店の看板娘として人気が集まった。


田舎娘にしてはどこか垢抜けてはいたが、都会娘としてはどこか素朴な印象を漂わせた。


端正な顔立ちとまではいかないが、小さなふっくらした顔に、粒羅な大きな瞳、そして目は常に水分を含んでうるうるしており、それはチワワに似ていた。


チワワ似は目だけではなく、後ろから抱きすくめたら折れてしまうのではないかと思われるほど、体は小さく、か細かった。



こう述べていると、

『なんて嫌味な女!女の敵は多かったはずだわ!』

と思われるだろう。


でも違った。

明音は同性からの評価も高かった。


明音は、小さなか細い体でよく働いた。

そしてよく気がつく子だった。

周りが大丈夫?と心配するくらいの重労働もなんなくこなし、いつも明るく元気な笑顔を振り撒いていた。

悩みなんてこれっぽっちもなさそうに、いつも、いつも同じ笑顔で、誰に対しても、同じように接した。



だから、明音は誰からも認められるその店の看板娘になったのだった。

いつの間にか週に6日は店にいた。そして活気づいた店に明かりを灯していた。

「明音ちゃんがいてくれないと店が回らないよ〜」

なんて言って、店は明音を必要としてくれた。



そんな毎日が楽しくて、嬉しくて、幸せで……

明音は“大学生”という肩書きに甘えた、フリーター人生を謳歌していた。

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